第76話 - β Trace of a Dream Log 3
私の腕の中で、これまで張り詰めていたものをすべて吐き出すように、リゼはひとしきり泣き続けた。
その嗚咽を聞きながら……不謹慎かもしれないけれど、私は心の底で、少しだけ嬉しかったのかもしれない。
立派な騎士になって、もう私の手の届かない遠くへ行ってしまったのだと思っていたあの子が。
こうして私の腕の中で想いを吐き出すように泣いて、真っ直ぐに私を頼ってくれている。
その事実が、たまらなく幸せだった。
私はあの子が泣き止むまで、何も言わずにただ優しく、一定のリズムでその華奢な背中と頭を撫で続けた。
気がつけば、太陽は高く昇り、すっかりお昼の空に変わっていた。
「……落ち着いた?」
リゼの嗚咽がすっかり収まったのを見計らって、私は努めて優しく、柔らかな声で問いかけた。
「……うん。でも、もう少しだけ」
あの子は恥ずかしそうに私の胸に顔を埋めたまま、ギュッと私の服の裾を握り直す。
ああ……。本当に、私は取り戻せたんだ。最愛の妹を。
服の裾を握る小さな手の力強さと、確かなあの子の体温を感じて。
「ふふっ、いいよ」
私は愛おしさに目を細め、再びリゼの頭を優しく撫で始めた。
ずっと気を張っていたこの子が、こうして私に甘えてくれることが、たまらなく嬉しかった。
この穏やかで幸せな時間が永遠に続けばいいのに……。
そうして、私にとってはあっという間に時は過ぎていき。
あの子はそっと身体を離すと、赤くなった目をこすりながら言った。
「……うん。お姉ちゃん、もういいよ」
ええっ、もう!?
せっかくの甘やかしタイムがあっさりと終わりを告げたことに、私は内心で盛大に肩を落とした。
「ええー。私はまだ、全然撫で足りないのに?」
私は名残惜しそうに、わざと眉を下げてみせた。
リゼに気を使わせないための冗談のつもりもあったけれど……半分以上は、もっと妹を甘やかしたいという、紛れもない私の純粋な本音だったから。
「もういいっ! もういいの!」
照れ隠しで、少しだけむくれてみせるリゼ。
……よかった。ようやく、いつものあの子に戻ってくれた。
でも、油断をしてはいけない。リゼが抱えていた心の傷は、もっと深いはずだから。だから――
私は、パチンッと小さく手を叩いて立ち上がり、居住まいを正した。
「コホンッ」
わざとらしく大きな咳払いをしてから、お父様の書斎で読み込んだ『完璧な王子様』の作法を思い出す。
屋上の床にスッと片膝をついて、リゼへ向かって優雅に手を差し伸べる。
「そこの綺麗な娘さん。……私に、あなたをエスコートする栄誉を頂いても?」
今日だけは、悲しい思いをしてほしくなかった、けど私は、こんな方法で気を逸らす方法ぐらいしか、思い浮かばない。
お願い、引かないで!いつもみたいに呆れて笑って!
「……それ、……そんなにやりたいの?」
リゼは呆れたようにため息をついた。
けれど……あの子は頬の熱をごまかすようにプイッとそっぽを向きながらも私の手に、そっと自分の手を重ねてくれた。
「……仕方ないから、付き合ってあげる」
やったわ!大成功!
嬉しさのあまり、顔がパァッと綻んでしまうのを止められなかった。私の不格好な芝居は、ちゃんとあの子の気遣いの壁を壊すことができたのだ。
そのままリゼの手を引き、鍛冶屋の階段を降りていく。
一階にたどり着き、工房の横を抜けて職人街の通りに出ようとした、その時だった。
王子様のエスコートなら、私が剣を持つべきじゃない?
王子様というものは、いつも剣を持っていて、かっこよく悪漢を追い払うのだ。
「ねえリゼ。今日は、私が剣を持つべきだと思わない?」
「え?」
「今日は私があなたをエスコートするんだから、王子様としては当然の嗜みでしょう?」
張り切って胸を張る私に、リゼは本日何度目かわからないため息を吐いた。
「……またお話の影響?というか王子様なの?主人公、……まあ、いいけど」
リゼは腰に提げていた鉄の直剣ごと、私に差し出してくれた。
「いざという時は、すぐにひったくるからね。落としたりしたら危ないし」
「大丈夫、任せて!」
私は自信満々に、あの子からベルトと剣を受け取った。
――その瞬間。
「おっも!?」
信じられない重さに、身体がガクンと前につのめった。
「……っくないよー?」
慌てて体勢を立て直し、引きつった笑顔で強がってみせる。
なんで剣がこんなに重いの!?私が持ったことのある剣は、もっと軽かった。長さは同じぐらいだと思うんだけど……。
「……もう、貸して」
苦笑するリゼに剣を取り返され、あの子に後ろからベルトを回して留めてもらう。
「……ありがと。でも、剣って意外と重いんだねー」
「それは、ただの鉄の塊なんだから、普通重いと思うよ?」
リゼは冷静に相槌を打つ。私は腰にズシリとくる重みを確かめるように、少しだけ身体を揺らした。
……こんな重い鉄の塊を振るわなければ生きられないほど、私はこの子を追い詰めてしまったのか。
私は、どうすればよかったんだろう。……いけない、こんな考えをしていたら、簡単に悟られてしまう。
私は誤魔化すように歩き出し、賑わい始めた星降り祭の通りへと足を踏み出した。
「それで? お姉ちゃん、これからどこにいくの?」
屋台のいい匂いが漂う通りで、リゼが私を見上げて聞いてきた。
その純粋な問いかけに、私はピタッと歩みを止め、スッと視線を逸らしてしまった。
……どうしよう。
「……どこにいこうか?」
「えっ」
リゼから素っ頓狂な声が上がる。
「だって……本当だったら、貴族街を案内するつもりだったのに……」
本当は、私がよく知る貴族街の素敵なお店で、優雅な食事をご馳走するはずだった。
でも……今のリゼを、あんな場所に連れて行くわけにはいかない。あんな心無い陰口を叩かれる場所に、二度とあの子を近づけたくなかったから。
咄嗟に予定を変えたのはいいものの、私が職人街の地理など知るわけがなかった。
「でも、ここの街並みはあまり来たことがないから、新鮮で楽しそうね!」
あの子を不安にさせまいと、すぐさまパァッと顔を輝かせて強引に軌道修正を図る。
けれど、リゼはふっと視線を落としてしまった。
……この子は聡い。きっと、私が貴族街を避けた理由に気づいてしまったのだ。
また、あの子の心に暗い影を落とさせるわけにはいかない。
「ほら、リゼ! ついてきて!」
私はあの子の手をグッと力強く握りしめ、強引に駆け出した。
「わっ、ちょっと! どこ行くの?」
「まずはご飯! 一緒に食べましょ! 久しぶりなんだから」
「……場所は、わかるの?」
リゼの冷静なツッコミ。私は振り返りもせず、胸を張ってあっけからんと答えた。
「わからないよ!」
場所なんてわからなくてもいい。ただ、こうして一緒に手を繋いで、笑い合えればそれでいい。
貴族街の宝石よりも、泥にまみれた職人街の酒場でも、この子が笑ってくれるならそこが私の聖地なのだから。
私の迷いのない返答に、リゼから呆れたような、でも柔らかな笑み気配が伝わってきた。
「じゃあ、そこを右に曲がって。……美味しいご飯が出てる酒場があるから」
「はいはーい!」
私は元気いっぱいに返事をして、リゼの案内に従って右へ曲がる。
私は繋いだ手から伝わる確かな温もりを噛み締めながら、大好きな妹と一緒に、活気あふれるお祭りの通りを進んでいった。




