第70話 - β 魔女の旅立ち
翌日の早朝。
私は、村の家で慌ただしく出発の荷造りをしているロミオを置いて、一人で雪原にある住処――あの冷え切ったボロボロの小屋へと戻ってきていた。
小屋の中に用はない。私の目的地は、そのすぐ近くにある場所だった。
吹きすさぶ冷たい風雪の中、ポツンと盛り上がった雪の小さなドーム。
その中心に、一本の大きな鎌が墓標のように深々と突き立てられている。
私はその前に静かに立ち止まり、長く伸びた白い前髪を風に揺らしながら、ゆっくりと口を開いた。
「……アリア」
その呼びかけに答える声はない。ただ、冷たい風の音だけが雪原を撫でていく。
「リゼが、見つかったんだ」
ずっと死んだと思っていた、最愛の妹。
その事実を口にするだけで、胸の奥で、永遠に凍りついていたはずの心臓が確かな熱を持って脈打つのがわかった。
「……だから、行ってくるね」
もう、ここでただ死を待つだけの時間は終わりだ。
私は突き立てられた大鎌の柄にそっと触れ、冷たい鉄の感触を確かめてから、静かに踵を返した。
もう二度と、この雪原の小屋に戻ってくることはないだろう。
私は前を向き、ロミオが待つ村へと向かって、確かな足取りで雪を踏みしめて歩き出した。
村の広場へと戻ると、すでに荷造りを終え、防寒具に身を包んだロミオが待っていた。
「おう、こっちは準備できてるぜ。いつでも出発できる」
私を見ると、ロミオは背負った荷物を軽く揺らして見せた。
だが、彼を見送りに来ていた村長は、どこか不安げな表情で雪原の方角へと視線を向けていた。
「じゃが……魔女様がいなくなって、また山賊に襲われたらワシらはどうすればいいか……」
ポツリと漏らした村長のその言葉に、私はピタリと足を止めた。
そして、感情の消え失せた冷たい瞳で、初老の男を見据える。
「……私を当てにするな」
「っ……!」
私の氷のような声色に、村長が小さく肩を震わせた。
「私は、気まぐれで助けただけ。この村を守る義理はない」
冷たく言い放ちながら、私は広場の一角に視線を向ける。
そこには、私が魔法で惨殺した野盗たちの無惨な死骸が、まだいくつも転がったままになっていた。
「もし心配なら……広場にある野盗の死体を、村の入り口の近くに放っておけばいい」
「なっ……」
私の提案に、村長もロミオも息を呑んだ。
「あんな惨状を見れば、普通の人間なら『ここには手を出さない方がいい』と理解するだろう。……立派な案山子になる」
野盗の死体を、新たな野盗への魔除けにする。
倫理も何もない残酷な提案だったが、襲われれば死を待つだけの彼らには、それくらいしか身を守る術がないのも事実だった。
「気は、進まんが……。背に腹は代えられん。仕方ないか……」
村長は顔を青ざめさせながらも、生き残るためのその残酷な現実を、震える声で受け入れた。
私は、青ざめる村長をそれ以上気にかけることもなく無視し、ロミオの方へと視線を向けた。
「ロミオ、道案内を頼む」
淡々とそれだけを告げると、私は村長に背を向けた。
そして、帝国の首都――リゼがいるかもしれない遠い場所へと向かって、雪深い村の出口へと歩き出したのだった。
村を背にして、雪深く険しい道を歩き始めてしばらくのこと。
隣を歩くロミオへ、私は前を向いたまま静かに口を開いた。
「ロミオ、どういうルートで行くんだ?」
私の問いかけに、ロミオは雪を掻き分ける足を止めず、白い息を吐きながら答える。
「俺たちは今、帝国の北東にいる。……あんたのその出で立ちは、見るからに聖国人だからな。無用なトラブルを避けるためにも、なるべく人のいる場所は避けるようなルートを選ぶつもりだ」
確かに、帝国内において聖国人は忌み嫌われる敵国の人間だ。
真っ白な髪に青の瞳を持つ私の容姿は、どこからどう見ても目立ちすぎる。
「考えている予定としては……このまま西に進んで、人の少ない北側を通りながら、帝都に近づいたところで一気に南下するルートだ。……それでいいか?」
ロミオが横目で私の顔色を窺うように聞いてくる。
人目を忍び、確実に帝都へ向かうためのその道のりは、理にかなっているように聞こえる。
それに、私にとって重要なのは「リゼのいる場所にたどり着けるかどうか」ただそれだけだ。
どんな過酷な道だろうと構わない。
「……問題ない」
私は短くそう答え、再び無言で、凍てつく雪道を踏みしめ続けた。
経由する予定の村を目指して雪道を進む道中、私たちは何度も『氷河ウルフ』の群れによる襲撃を受けた。
だが、その程度の魔獣が私の足止めになるはずもない。
私は歩みを止めることすらなく、展開した魔法で軽々と群れを屠っていく。
冷たい雪原に、次々と巨大な獣の死骸が転がっていった。
「すげえ……。リゼが苦戦していた氷河ウルフも一撃かよ……」
魔法によって一瞬で息絶えた氷河ウルフの死骸を見下ろし、ロミオが感嘆の声を漏らした。
その言葉に、私はピタリと足を止める。
「……リゼが、これと戦ったの?」
「ああ。闘技場にいた銃使いの奴と組んでな。弾丸をも弾く表面の毛の硬さに、かなり苦戦していたぜ」
当時の過酷な戦闘を思い出すように語るロミオの言葉に、私は静かに驚きを隠せなかった。
「……魔法もなしでこれを倒すのは、すごいことなんだ」
私は足元に転がる氷河ウルフの、硬く凍りついたような毛皮を見つめながら口を開く。
「聖国の騎士団だって、氷河ウルフを相手にする時は複数人で陣形を組み、魔法で一気に畳み掛けるのが定石だ。……見ての通り、この獣は表面が硬すぎるから」
魔法を使えない妹が、魔法を前提とするような強固な魔獣を打倒した。
私の手の届かない場所で、一人で生き抜くための圧倒的な強さを身につけていた。
その事実に私は、胸の奥に誇らしさと、そしてほんの少しの切なさを滲ませた。




