第67話 - β 魔女の旅立ち
「今、なんて……?」
ひどく掠れた、枯れた声が私の口から漏れた。
私は手にしていた手入れ用の布を取り落とし、剣を片手に持ったまま、ふらつく足でロミオへと詰め寄る。
「な、なんだよ?」
無感情だったはずの私の突然の豹変に、ロミオは明らかに戸惑い、一歩後ずさった。
「今、なんて言った!?」
無意識のうちに語気が強まり、私は彼の服に掴みかからんばかりの勢いで叫んでいた。
私の内心は、ぐちゃぐちゃに乱れていた。
リゼが生きているかもしれないという、暗闇に差し込んだ微かな『希望』
そして、もしそれがただの人違いだったとしたら、私はまた、あの地獄のような喪失感を味わうことになるのかという『絶望』
二つの極端な感情が頭の中で暴れ回り、まともに息ができない。
――ハァ、ハァッ。
自分でも驚くほど呼吸が荒くなっている。
「おい、大丈夫か? 少し落ち着いて、座ってくれ」
呼吸を荒らげる私を見て、ロミオは慌てて両手を前に出し、なだめるように言った。
「俺が知ってることなら、話せるから」
その穏やかな声に誘導されるように、私はフラフラと後退し、再びベッドの端へと腰を下ろした。
ロミオは部屋の隅にあった机とセットの椅子を引きずってくると、私と真っ直ぐに向き合うように座った。
「俺も、確信が欲しい。……顔をよく見せてくれ」
彼にそう言われ、私は震える手で、目を覆うほど長く伸びていた前髪を横へと流した。
ロミオは真剣な眼差しで、私の顔をまじまじと見つめてくる。
「……やっぱり。あんたの妹だと思う」
やがて、彼は確信を持ったように小さく頷いた。
「髪の色は白と黒。目の色は青と赤っぽい色。ぱっと見は、あんたとは遺伝的に違うように見えるけど……顔の作りがそっくりだ。
彼女が成長したら、きっとあんたみたいになるんだろうなって、容易に想像できるぐらいにな」
彼のその言葉は、私が知る愛しい妹の姿と、寸分違わず一致していた。
「リゼ……。生きて、いるの……?」
私は、すがるような声で尋ねた。
ロミオは少しだけ顔を伏せ、重々しく口を開く。
「生きてはいるが……。少し長くなる。何があったのか、聞くか?」
私は、無言で深く頷いた。
躊躇いなどない。
――どうせ私には、もう失うものなんて何もないのだから。
これ以上、どんな真実を知って傷つくことになろうとも、少しも怖くはなかった。
「……俺は、帝国の地下闘技場で看守をしていたんだ」
ロミオは、重苦しい空気を振り払うように静かに語り始めた。
「ある日、上司から『面倒な奴がいるから、お前が担当しろ』と押し付けられた牢があってな。……そこが、リゼのいた牢屋だったんだ」
「待って!?」
その言葉を聞いた瞬間、私は反射的に声を荒げていた。
「リゼが牢屋に!? なんで!? あの子が、悪いことなんてするはずないのに!」
「お、おい! 落ち着いてくれ魔女さん!」
再び立ち上がりそうになった私を、ロミオが慌てて手で制する。
「ちょ、ちょっと待っててくれ。今、落ち着けるものを持ってくるから」
ロミオはそう言い残すと、慌てた様子で部屋を飛び出し、階段を駆け下りていった。
一人残された部屋の中。
私は、右手に握りしめたままだった冷たい鉄の長剣を、震える目で見つめた。
……リゼ……生きて、いたんだね……。
その事実だけで、胸の奥が張り裂けそうになる。
けれど、彼が口にした「牢屋」という不吉な単語が、私の思考を急速に黒く染め上げていく。
……でも……なんで牢屋に? 帝国軍の捕虜になったの? もしそうだとしたら、まさか……処刑、された可能性も……?
私の脳内で、最悪の可能性ばかりが次々と再生されていく。
ようやく見つけた希望の光が、再び絶望の闇に飲み込まれそうになったその時。
「待たせたっ!」
ロミオが、湯気の立つマグカップを二つお盆に乗せて戻ってきた。
彼は私の前の机にコトンとカップを置くと、自分も椅子に座り直す。
「温かいお茶だ。……落ち着いてくれ。飲みながら、ゆっくり話そう」
その真っ直ぐで不器用な気遣いに、私は少しだけ冷静になれた。
そうだ。彼は「生きてはいるが」と言ったのだ。
生きてはいるんだ、ここで私が取り乱してしまっては、真実を聞くことができない。
私はゆっくりと深呼吸をすると、右手に持っていた長剣を鞘に収め、それを大切に膝の上へと置いた。
「……ああ、すまない」
震えそうになる声を必死に押し殺し、私は努めて平静を装いながら、湯気の立つお茶を見つめたのだった。
私がマグカップを両手で包み込み、温かいお茶を一口飲んで少しだけ息をついたのを見てから、ロミオは再び重々しく口を開いた。
「あいつ……リゼは、闘技場に奴隷として売られてきたらしい。……持っていた荷物は、彼女の武器であろうあの巨大な大鎌だけだった」
大鎌。
リゼが、魔法の使えない自らの体を酷使してまで、必死に修練を重ねていた武器の1つ。
リゼは、大鎌と棒術は苦手だって言ってたっけ、それでも長い武器は使えたほうがいいからって、必死に練習してた。
「しかも、あいつは自分の記憶を失っていたんだ。自分の名前が分かったのも、あいつが持っていた大鎌を覆っていた布に、『リゼ』って名前が書かれていたかららしい」
――なっ!
「記憶を……? 全部……?」
私は、震える声で尋ねた。
ロミオは静かに頷く。
「ああ。自分が何者で、どこから来たのかすら覚えていなかった。……だがな、あいつは本当に強い奴だったんだ」
ロミオの瞳に、深い尊敬と、眩しいものを見るような光が宿る。
「自分より何倍もデカい魔獣や、上層部から『死ね』と言われているような絶望的な敵を相手にしても、あいつはあの重い大鎌を振るって次々と下し、最後まで生き残ってみせた。……だが、俺が本当にあいつが強いと思ったのは、そこじゃないんだ」
ロミオは、言葉を噛み締めるように言った。
「すべてを忘れ、自分が何者かも分からないような絶望の中にいても、あいつは決して諦めなかった。絶対に前を向いて、必死に足掻いて、生き残ろうとする……その『意思』だ」
「……っ」
私は、言葉を失い、ただ呆然としていた。
リゼは、すべてを失ってもなお、たった一人で血塗られた闘技場で戦い抜き、生きようと足掻いていた。
記憶がないという、私以上の絶望の中にいながら、決して生きることを諦めなかったのだ。
それに比べて、私はどうだ。
爆発の跡地に残された剣だけを見て、リゼが死んだものだと勝手に決めつけた。
すぐに希望を捨てることを選び、ただ心を閉ざし、冷たい雪原の小屋で死を待つだけの、空っぽの生活を何年も続けていた。
妹は、絶望の中で必死に生を見つめていたのに。
姉である私は、絶望に逃げ込み、ただ死を見つめていたのだ。
……ああ……私は、なんて……。
手の中にあるお茶の温かさとは裏腹に、私自身の弱さと愚かさが、刃のように心を容赦なく切り刻んでいくのを感じていた。
「それから――」
さらに言葉を続けようとするロミオを、私は遮った。
「……もういい」
「え?」
「もう、いいんだ」
私は手に持っていたマグカップを机にコトンと置き、静かに立ち上がった。
「リゼは、帝国の首都にいる……、それだけわかってるなら……私は出発する」
それだけを告げ、部屋を出て行こうとする私に、ロミオは慌てて立ち上がった。
「待て、待て待て!」
彼が慌てて回り込み、私の行く手を塞ぐように両手を広げる。
「あんた、首都までの道、分かるのか!?」
「ああ」
私は感情の抜け落ちた声で、淡々と事実だけを口にした。
「一度、皇帝を殺しに行ったことがある」
「……」
その言葉の意味を理解できず、一瞬フリーズした彼の横を通り抜けようとする。
「……イレイナ……、そうか」
そして一人で勝手に納得してから、今度は必死に私の腕を掴んで引き止めた。
「待てって、あんた、あの『皇帝殺し』のフィーネ・イレイナだろ?」
彼が私の名前を知っているのも無理はない。
先の戦争で、私は帝国にとってそういう存在として名を轟かせていたのだから。
「こんなとこで一人でいかれたら、せっかく落ち着いた帝国がまた変わっちまう!……明日まで待ってくれないか!? 俺が首都まで案内するから!」
ロミオが必死の形相で訴えかけてくる。
彼のおかげで、リゼが生きていると知ることができたのだ。
その恩人を無碍に突き飛ばしてまで、今すぐ猛吹雪の夜道を急ぐ理由もない。
「……そこまでいうなら」
私は小さく息を吐き、引き下がることにした。
「明日は朝に出る。……準備しておいてくれ」
……リゼ。お姉ちゃんまた、もう一度頑張るから、だから、待っていて。
ロミオにそう告げると、私は外套を脱ぎ、そのままベッドの上で静かに横になった。




