第65話 - β 魔女と温かい物
吹き荒れていた絶対零度の吹雪が止み、広場にはただ、凍てつくような静寂だけが残された。
ガチガチと氷が軋む異音だけが響く中、やがて、固く閉ざされていた家々の扉が、ギィ……と恐る恐る開かれ始めた。
隠れていた村人たちが、息を殺して外へと出てくる。
「ひっ……!」
誰かが、小さく悲鳴を上げた。
広場を埋め尽くす無数の氷の槍と、それに貫かれた野盗たちの凄惨な死骸。
赤黒く染まった巨大な氷の墓標を目の当たりにして、村人たちは皆、顔を真っ青にして息を呑んでいた。
無理もない。私が振るった魔法は、あまりにも残酷で、血生臭すぎる魔法なのだから。
それでも、群衆の中から一人の初老の男――この村の村長らしき人物が、震える足を押して私の前へと進み出た。
「あ、ありがとう……。助かりました、魔女様……」
恐怖と畏敬の入り混じった声で、深く、深く頭を下げる。
その震える感謝の言葉を聞いても、私の心は相変わらず凪いだままだった。
「……私も、この村がなくなっては困るから」
氷の槍が砕ける冷たい音を背中で聞きながら、私は淡々と返す。
「……定期的に、食料も分けてもらっているし」
恩着せがましいことは言いたくなかった。事実、ただの等価交換だ。
私にはそれ以上の感情なんて何もないはずだ。
私のそっけない返答に、村長はホッとしたように、あるいは畏れをごまかすように小さく息を吐いた。
「ここは……寒いですから。どうか、上がっていってください。温かいものでも、お出ししますので」
そう言って、村長は自分の家の方へと震える手で促した。
温かいもの。
今の私には、どんな熱を注がれてもこの心が温まることなんて二度とないのに。
けれど、それをいちいち説明するのも、断る理由を口にするのも面倒で。
私はただ無言で小さく頷くと、長剣を大事に腰の鞘へと納め、村長の背中を追って無気力な足取りで歩き出した。
やがて、村長の家に案内された私は、暖炉に火がくべられた部屋で、出された温かいお茶を無表情にすすっていた。
凍えた体を気遣ってくれたのだろう。
湯気の立つお茶は確かに胃の腑を温めてくれたが、私の心にある分厚い氷を溶かすことは決してない。
ただ無機質に、カップから立ち上る湯気を見つめていると――。
ドンッ!!
突然、激しい音を立てて玄関のドアが乱暴に開け放たれた。
「無事か! オヤジ!?」
外の冷たい吹雪と共に転がり込んできたのは、ひどく切羽詰まった声を上げる若い男だった。
肩で息をし、雪にまみれたその姿からは、ここまで死に物狂いで駆けつけてきたことが容易に想像できる。
「ロミオか!? よく帰ってきたなぁ……!」
村長が椅子から立ち上がり、驚きと安堵の入り混じった声を上げた。
ロミオと呼ばれたその男は、村長に怪我がないことを視認すると、全身の力が抜けたように深く、長く息を吐き出した。
「ああ……よかった。無事だったか」
男は額の汗と雪を拭いながら、心底ホッとしたように呟く。
だが次の瞬間、ロミオの視線が、部屋の奥で静かにお茶の入ったカップを手にしている私へと向けられた。
彼はハッとしたように目を丸くし、私と、そして腰に提げられた鉄の長剣を交互に見る。
それから、開け放しになっていた玄関のドアを静かに閉めると、先ほどまでの慌てふためいた様子をスッと引っ込め、居住まいを正して私に向かって深く頭を下げた。
「……騒がしくしてしまって、申し訳ない」
警戒と、少しの気まずさが入り混じった謝罪。
私は彼に視線を向けることもなく、ただ無言でカップをテーブルに置いた。
死地を乗り越えて再会した、家族の無事を喜び合う光景。
かつての私なら、彼らの絆に目を細め、微笑ましく見守っていただろう。
けれど今の私には、彼らがどれだけ温かい言葉を交わそうとも、心に何のさざ波も立たなかった。
――だって、私のたった一人の妹は、もうこの世界のどこにもいないのだから。
無言でカップをテーブルに置いた私を見て、村長が思い出したように明るい声を上げた。
「おお、そうだ。せっかくロミオも帰ってきたことだし、魔女様もいらっしゃる。今日は共にご飯にしよう」
「……」
その言葉に、私は少しだけ眉をひそめた。
「……私は、邪魔じゃないか?」
いくら周りのことがどうでもよくなっているとはいえ、死地を越えて再会した家族の団欒に、部外者である私が水を差すのは少し気が引けた。
――家族の大切さ、失うことの恐ろしさは、私自身が一番、痛いほど分かっているのだから。
けれど、私の懸念を余所に、村長もロミオも全く気にした様子はなかった。
「魔女様、そんなこと気を使わないでくだされ。命の恩人を放って家族だけで飯を食うなど、罰が当たりますよ」
村長がしわくちゃの顔を綻ばせて笑うと、ロミオも横から人懐っこい笑顔を向けてきた。
「ああ、魔女さんも一緒に食べてくれないか? うちの父さんの作る鍋は、冷えた体に沁みて最高にうまいぞ」
「そう思うならこまめに帰ってこんか、首都まで出稼ぎに行って、何年たったと思っとる」
自信満々に胸を張るロミオに、言葉とは裏腹にうれしそうな村長。
その温かい言葉を聞いても、私の心は凍りついたままだった。
……味など、どうでもいい。
今の私に「美味しい」と感じる味覚など、とっくの昔に死に絶えているのだから。
何を口に入れても、きっと泥か雪を噛んでいるのと変わらないだろう。
そう内心で冷ややかに思いながらも、これ以上会話を広げて断る理由を説明する気力すら湧かず、私はただ小さく息を吐いた。
「……そうか」
短くそれだけを呟き、私は再び無気力にカップの底へと視線を落とした。




