EX - 3話 温かい家族
お姉ちゃんの腕の中で、これまで張り詰めていたものをすべて吐き出すように、私はひとしきり泣き続けた。
お姉ちゃんは私が泣き止むまで、何も言わずにただ優しく、一定のリズムで私の背中と頭を撫で続けてくれていた。
気がつけば、太陽は高く昇り、すっかりお昼の空に変わっていた。
「……落ち着いた?」
私の嗚咽がすっかり収まったのを見計らって、お姉ちゃんが柔らかな声で聞いてくれる。
「……うん。でも、もう少しだけ」
私は恥ずかしさからお姉ちゃんの胸に顔を埋めたまま、ギュッとその服の裾を握り直した。
離れなきゃいけないのは分かっているのに、この温かさが心地よくて、どうしても自分から離れることができなかったのだ。
「ふふっ、いいよ」
お姉ちゃんは愛おしそうに目を細めると、再び私の頭を優しく撫で始めた。
それが、全てを肯定してくれているようで、私は貪欲にその優しさを享受してしまった。
そうして少し経ち、ようやく私の心の中のザワザワとしたものが完全に凪いだのを感じて。
「……うん。お姉ちゃん、もういいよ」
私はそっと身体を離し、赤くなった目をこすりながら言った。
すると、お姉ちゃんは少しだけ名残惜しそうに、わざと眉を下げてみせた。
「ええー。私はまだ、全然撫で足りないのに?」
「……っ」
それが私に気を使わせないための言葉なのか、それとも妹を愛でたいというお姉ちゃんの純粋な本音なのか、どちらかは分からない。
けれど、その甘やかすような言葉に一気に顔が熱くなってしまって。
「もういいっ! もういいの!」
照れ隠しで、少しだけむくれてみせた。
そんな私を見てクスッと笑うと、お姉ちゃんはパチンッと小さく手を叩いて立ち上がり、居住まいを正した。
「コホンッ」
そして、どこかの劇の主役のように、わざとらしく大きな咳払いをする。
次の瞬間。完璧な聖女であるはずのお姉ちゃんは、屋上の床にスッと片膝をつき、まるで王子様のように優雅に私へ向かって手を差し伸べたのだ。
「そこの綺麗な娘さん。……私に、あなたをエスコートする栄誉を頂いても?」
青空の下、イタズラっぽく、けれどどこまでも真剣な眼差しで微笑むお姉ちゃん。
「……それ、……そんなにやりたいの?」
私は呆れたようにため息をついてみせた。
でも、差し出されたその手を取らないという選択肢は、私の中には最初からなかった。
「……仕方ないから、付き合ってあげる」
頬の熱をごまかすようにプイッとそっぽを向きながら、私はその白くて細い手に、そっと自分の手を重ねた。
私が手を重ねると、お姉ちゃんは花が咲いたようにパァッと嬉しそうな笑顔を浮かべた。
……狙ってるのか天然なのか、きっと私が変に気を使わないように、お姉ちゃんなりに頑張ってくれてるのかな?そうだったら嬉しいな。
そのまま、私はお姉ちゃんに手を引かれるようにして、鍛冶屋の屋上から続く階段を降りていく。
コンコン、と二人の足音だけが薄暗い階段に響く。
やがて一階にたどり着き、工房の横を抜けて職人街の通りに出ようとした、その時だった。
「ねえリゼ。今日は、私が剣を持つべきだと思わない?」
お姉ちゃんがふと足を止め、振り返ってイタズラっぽく笑いかけてきた。
「え?」
「今日は私があなたをエスコートするんだから、王子様としては当然の嗜みでしょう?」
どうやら、お姉ちゃんのエスコートごっこはまだ継続中らしい。
張り切って胸を張るその姿に、私は本日何度目かわからないため息を吐いた。
「……またお話の影響?というか王子様なの?主人公、……まあ、いいけど」
お父様、昔は王族が主人公のお話は毛嫌いしてたけど、趣味変わったのかな?
私は腰に提げていたベルトのバックルを外し、鞘に収まったままの鉄の直剣ごと、お姉ちゃんに差し出した。
「いざという時は、すぐにひったくるからね。落としたりしたら危ないし」
一応釘を刺しておく、剣は危ないものだから、怪我はしてほしくない。
「大丈夫、任せて!」
自信満々に頷き、お姉ちゃんは私が差し出したベルトと剣を受け取った。
――その瞬間。
「おっも!?」
お姉ちゃんの身体が、剣の重さでガクンと前につのめった。
「……っくないよー?」
慌てて体勢を立て直し、引きつった笑顔で強がってみせるお姉ちゃん。
けれど、両手で必死に剣を抱える腕はプルプルと小刻みに震えているし、その状態から腰にベルトを巻こうと四苦八苦している姿は、どう見ても無理をしている。
……当代の聖女様が、重さでフラフラしながらベルトと格闘している姿なんて、他の人が見たら絶対に信じないだろう。
「……もう、貸して」
私は苦笑しながら、お姉ちゃんの手から重たいベルトと剣をひょいっと取り返した。
そして、お姉ちゃんの腰の細さに合わせてベルトの穴を調整し、後ろから回してカチャリと丁寧に留めてあげる。
「……ありがと」
結局私にやってもらうことになり、お姉ちゃんは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「でも、剣って意外と重いんだねー」
「それは、ただの鉄の塊なんだから、普通重いと思うよ?」
私が冷静に相槌を打つと、お姉ちゃんは腰の重みを確かめるように少しだけ身体を揺らした。
「リゼは、こんなに重いものをずっと持ち歩いてたのね。……すごい」
感心したように私を見つめるその真っ直ぐな瞳に、少しだけ照れくさくなって。
私は「行こっか」と誤魔化すように言い、腰に重たい直剣を提げて不器用に歩き出したお姉ちゃんの隣に並んで、賑わい始めた星降り祭の通りへと足を踏み出した。
賑わい始めた星降り祭の通りは、屋台のいい匂いと行き交う人々の活気に満ちていた。
綺麗な飾りが風に揺れる中、私は隣を不器用に歩くお姉ちゃんを見上げて口を開いた。
「それで? お姉ちゃん、これからどこにいくの?」
エスコートすると張り切っていたのだから、当然何かロマンチックなデートプランでも考えているのだろう。
そう思って尋ねたのだが。
「……」
お姉ちゃんはピタッと歩みを止め、何故かスッと視線を逸らして無言になってしまった。
「お姉ちゃん?」
私が怪訝な顔で聞き返すと、お姉ちゃんは少しだけ気まずそうに、もじもじと指先を合わせながら私を見た。
「……どこにいこうか?」
「えっ」
思わず素っ頓狂な声が出た。エスコート役のはずなのに、まさかのノープラン?
「だって……本当だったら、貴族街を案内するつもりだったのに……」
お姉ちゃんは少し不貞腐れたように唇を尖らせて、ぽつりとこぼした。
「でも、ここの街並みはあまり来たことがないから、新鮮で楽しそうね!」
すぐさま強引にパァッと顔を輝かせて、無理やりに軌道を修正してくる。
その言葉の裏にある意味に気づいて、私はふっと視線を落とした。
……お姉ちゃんも、わかっちゃったんだろうな。
今の私に貴族街を案内しても、私が少しも喜ばないってことに。
あんな風に、道端で心無い陰口を聞かれてしまうような場所では、私はただ怯えることしかできない。
お姉ちゃんは、私のそんな情けない思いを察して、あえて予定を変えてくれたんだ。
少しだけ、心の中にドロリとした暗い影が落ちそうになった。
けれど。
「ほら、リゼ! ついてきて!」
私の手が、グッと強引に引かれた。
顔を上げると、お姉ちゃんが私の手を握りしめ、楽しそうな笑顔で駆け出していた。
「わっ、ちょっと! どこ行くの?」
重たい剣をガチャガチャと鳴らしながら、お姉ちゃんは子供のように目をキラキラさせて振り返る。
「まずはご飯! 一緒に食べましょ! 久しぶりなんだから」
「……場所は、わかるの?」
私の冷静なツッコミに対し、お姉ちゃんは振り返りもせずに、あっけからんとした声で答えた。
「わからないよ!」
……うん、知ってた。聖女様が、職人街の地理なんて知るわけがない。
私は呆れ半分、でもなんだかそんなお姉ちゃんが可笑しくて、自然と口元が緩むのを感じた。
「じゃあ、そこを右に曲がって。……美味しいご飯が出てる酒場があるから」
私の案内に、お姉ちゃんはぱぁっと花が咲いたように笑った。
「はいはーい!」
元気いっぱいに返事をして、私の手を引いて右へ曲がっていくお姉ちゃん。
私はその軽やかな白い後ろ髪を見つめながら、心の中でこっそりとツッコミを入れた。
……ねえ、お姉ちゃん。その王子様役、もうどこかにいっちゃってない?




