EX - 1話 再会――姉と妹
早朝の訓練場の乾いた空気を切り裂き、木剣が鋭く横一文字に走る。
空中でピタリと刃を止め、私は小さく息を吐き出して構えを解いた。
「……うん、いい感じ」
最近本格的に読み始めた『四季刀流』の書物、そこに記されていて、形になるまでずっと磨き続けてきた抜刀術の基礎である『薄氷』
毎日の反復練習のおかげで、ようやく身体の軸が安定し、実戦でも素早く撃てるようになってきた気がする。
今日は特別な日だ。
あの、優しくて息の詰まるイレイナの家を出てからモルドさんに保護されて、騎士になって、初めて……家族と再会する日。
……騎士になったんだよって、胸を張って話したいな。
魔法が使えない無能だと蔑まれてきた私。
でも、ようやく私も『お荷物』じゃなくて、自分の足で立ち、自分の剣で、ちゃんと人の役に立つことができるようになったんだよって。
お父様やお母様、そしてお姉ちゃんに、どうしても伝えたかった。
頭の中で、何をどう話すかシミュレーションしていたら、緊張と期待で頭がぐるぐると回ってしまって。
気がつけば、こうして待ち合わせの前に訓練場へ駆け込み、無心になって木剣を振るっていた。
剣に思いを乗せて振るうと、絡まっていた思考が自然と整理され、スッと心が凪いでいくのが分かる。
「ふぅ……よし、落ち着いた。そろそろ、行かないと」
私は使い慣れた木剣を所定の場所へ戻し、代わりに、一人前の騎士の証でもある、モルドさんからもらった長剣を腰のベルトに提げ訓練場を出る。
そのモルドさんが間に入って決めてくれた待ち合わせの場所は、貴族街にある少しおしゃれなカフェ。
私は深呼吸を一つして、居住区から、石畳が綺麗に整備された貴族街へと足を踏み入れた。
――その途端だった。
「…………っ」
見えない重い鎖で全身を縛られたように、私の足取りが急に重くなる。
すれ違う着飾った貴族たちの視線が、一斉に私へと突き刺さっているような錯覚に襲われた。
『あれが、イレイナの忌み子』
『名門のしぼりカス』
『魔法も使えない、一族の恥さらし』
耳の奥で、そんな冷酷な幻聴が反響する。
違う。本当は誰も、私のことなんて見ていない。
何も言われていないのかもしれない。
ここはカフェに向かうただの道で、彼らはただ通り過ぎているだけだ。
頭では分かっているのに。
幼い頃から浴びせられ続けてきた冷ややかな言葉と蔑みの視線が、私の中に深く刻み込まれたトラウマとなって、容赦なく心を削り取ろうとしてくる。
怖い。逃げ出したい。帰りたい。
震えそうになる手を必死に隠すように、私は腰に提げた剣の柄を、ギュッと白くなるほど強く握りしめた。
目的のカフェの扉の前に着いた、緊張してるみたい、大きく深呼吸してから、中にはいる。
カラン、と。
カフェの扉を開けると、軽やかなベルの音が鳴った。
私は周囲から白い目で見られているという意識に押し潰されそうになりながら、恐る恐る店の中へと足を踏み入れた。
アンティーク調の家具が並ぶ、落ち着いた雰囲気の店内。
その窓際の席に、彼女はいた。
お母様から引き継いだ、当代の聖女。
雪のように真っ白な髪に、深く澄んだ青い目。
そこに座り、優雅にコーヒーを飲んでいるだけで、周囲の空気が清められていくような神秘的な出で立ち。
私のお姉ちゃん――フィーネ・イレイナだ。
姉妹だけあって、顔の造作は確かに似ている。
けれど、私の髪の色も目の色も、お姉ちゃんとは全く違う。
だから、事情を知らない人が私たちを見ても、絶対に姉妹だとは思わないだろう。
けれど、皮肉なことに私は『イレイナ家の恥さらし』として貴族街で広く認識されてしまっている。
だから、嫌でも『完璧な聖女フィーネの、出来損ないの妹』として見られてしまうのだ。
……だめだ、やっぱり足がすくむ。
私は、自分がここにいることがひどく場違いに思えて、俯きながら遠慮がちにお姉ちゃんの席へと近づいていった。
すると、ふと視線を上げたお姉ちゃんと、バッチリ目が合った。
「……リゼ!」
お姉ちゃんは、手に持っていたコーヒーカップをソーサーにガチャンと置くや否や、聖女としての優雅さなど微塵も気にすることなく、勢いよく席を飛び出した。
そして。
「お姉ちゃ……」
私が言い終わるよりも早く、彼女は私にぎゅっと力強く抱きついてきた。
「うえっ……?」
「馬鹿っ……。勝手に家を飛び出して……っ、どれだけ、どれだけ心配したと思ってるのよ……っ!」
雪のような白い髪から、ふわりと良い香りがする。
お姉ちゃんは私の肩に顔を埋め、声を震わせて泣きながら、私の背中や頭を何度も何度も撫でた。
それは、遠い存在である聖女ではなく、ただ妹を案じていた『私のお姉ちゃん』の姿だった。
「あ、あの……」
私は、頭が真っ白になっていた。
家を出た私を、イレイナの名に泥を塗ったとお姉ちゃんもきっと怒っていると思っていた。
だから会ったら、私はもうお荷物じゃない、立派な騎士になったんだよって、論理的に、立派に胸を張って話そうと、直前まで何度もシミュレーションしていたのに。
お姉ちゃんの温かい涙と、私を強く抱きしめる腕の熱で、そんな計画は跡形もなく吹き飛んでしまった。
「その……ごめん、ね……お姉ちゃん」
立派な騎士としての報告なんて、一つも出てこない。
私はただ、戸惑いながら、謝る言葉をポツリとこぼすことしかできなかった。
「さあ、座って、リゼ。積もる話がいっぱいあるわ」
お姉ちゃんに促されるままに、私は腰を下ろした。
内心ではホッとしていた。お姉ちゃんは何も変わってない。家を出てしまった私を怒るでもなく、いつもの優しいお姉ちゃんのままだって。
そう安心して息をついた――が。
「……って、いやいや、お姉ちゃん!?」
ふと気がつけば、私は椅子の座面ではなく、なぜかお姉ちゃんの膝の上にすっぽりと収まるように座らされていたのだ。
「ここ、たぶんそういうお店じゃないから!?多分!」
自分でもよくわからない言い訳を口走りながら、私は慌てて横にスライドするように、隣の席へと座り直した。
「んん?どういうこと?」
お姉ちゃんは不思議そうに小首を傾げている、そう、変わっていないのだ、――天然なところも。
「どういうこともなにも……わからないけど、まわりのお客さんの迷惑になるでしょ」
私は顔を赤くして取り繕うように話し、迷惑になっていないかと、ふと周りを見渡してしまった。
――しまった。
視線を向けたその瞬間、私は自分が、明らかに『異物』を見るような冷たい目で囲まれていることに気づいてしまった。
『忌み子が聖女様に触るな……!』
『不適合者が、消え失せろ!』
ヒソヒソと交わされる囁き声が、鋭い刃となって私の耳に直接ねじ込まれてくる。
お姉ちゃんの温もりで一瞬だけ忘れかけていた、重く冷たい現実。
そうだ。私は、この美しい貴族街にも、完璧な聖女であるお姉ちゃんの隣にも、いてはいけない存在なんだ。
一瞬にして血の気が引き、熱を持っていた心が急速に冷めきっていくのを感じた。
「ごめん……!」
「リゼ!?」
制止しようと手を伸ばすお姉ちゃんの声を飛び越えて。
私は弾かれたように席を立ち、逃げるようにカフェの扉を開けて外へと飛び出した。




