第57話 - α 戴冠式の下準備
顔を真っ赤にして闘技場から走り出し、気づけば空はすっかり夕方の茜色に染まっていた。
「戻ったか」
息を切らして家に入ると、おじさんが短く声をかけてきた。
「……ただいま」
私が靴を脱ぎながら返事をすると、おじさんは少しだけ真剣な顔つきになって告げた。
「明日、皇女殿下の戴冠式があるらしい」
「えっ?」
予想外の言葉に、私は目を丸くした。
「戴冠式って、そんなにすぐに出来るものなの?内乱が終わってから、まだ一週間も経ってないのに……」
戴冠式ってもっとこう、予定を組むものじゃないの?
「元々、皇女殿下が継承権第一位だったからな。必然といえば必然だ。国を落ち着かせるためにも、トップの座を早く明確にする必要があるんだろう」
おじさんは淡々とそう説明した。
……なるほど。私たちが休んでいる間にも、お姫様をはじめとする上の人たちは、休む間もなく国の立て直しに向けて動いていたんだ。
「明日は、朝から準備がある。今日は早めに休むぞ」
そう言って、おじさんはさっさと私に寝るように促した。
言われた通り、私はおじさんが用意してくれたご飯をしっかりと食べ、温かいお風呂に入って一日の汗と汚れを落とした。
そして、ふかふかのベッドに潜り込む。
いよいよ、明日。あのお姫様が、本当の皇帝になる日。
なんだか胸の奥がソワソワしたけれど、この数日の平和な生活のおかげか、私はすぐに深い眠りへと落ちていった。
――翌朝。
目を覚ますと、すでに明るい朝日が窓から差し込んでいた。
「おはよう、おじさん」
階段を降りて一階のリビングへ向かうと、そこにはすでに身支度を整え、優雅にコーヒーを飲んでいるおじさんの姿があった。
「ああ」
おじさんは短く応じると、テーブルの上に用意された焼きたてのパンを顎でしゃくって、私に食べるよう促した。
「食べ終わったら出るぞ。服は、そのままでいい」
「……うん、わかった」
昨日買ってもらった、動きやすい普段着にマントという姿。
これから戴冠式に向かうというのに少しラフすぎる気もしたけれど、おじさんが言うなら何か考えがあるのだろう。
私はパンを手に取り、大きく一口かじりついた。
パンを綺麗に平らげ、さあ出かけようという段になって、おじさんがふと私の腰元に視線を落とした。
「剣は持ったな?」
「うん、もちろん」
私は愛用のベルトに下げている短剣と皇剣『プロウド』そして帝剣『インペル』をポンポンと叩いてみせた。
おじさんは「よし」と短く頷くと、家の前に待機していた立派な馬車へと乗り込む。
私もガチャガチャと物騒な音を立てながら、それに続いて乗り込んだ。
馬車が出発し、窓の外を流れる復旧中の街並みをぼんやりと眺めていると、思ったよりもずっと早く馬車は止まった。お城に着くには早すぎる気がする。
「おじさん、ここは……」
「……ベルトをこっちに渡せ」
私が質問するより早く、おじさんは手を差し出してきた。
言われるがままに渡そうとして……私はハッとして動きを止め、ベルトから短剣を一本だけ抜き取った。
そして、スカートの下、右足の太ももにこっそりと巻いてあった小さなガーターベルトのホルスターへと、その短剣を滑り込ませる。
丸腰になるのは、どうしても落ち着かないから。
それから残りの短剣と国宝がぶら下がった重たいベルトをおじさんに渡すと、彼は短く「降りるぞ」と言って馬車を降りた。
後に続いて降りた先を見て、私は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「おじさん!?」
そこは、お城ではなく、昨日服を買ってもらったあの高級ブティックの目の前だったのだ。
私がおろおろとしていると、おじさんは出迎えた店員さんに、馬車に積んでいたらしい大きなトランクをぽんと手渡した。
「よろしく頼む」
「かしこまりました。……さあお嬢様、こちらに」
店員さんは完璧な笑顔でお辞儀をすると、昨日のように私の腕をガッチリとホールドし、有無を言わさず店の奥へと連行していく。
「えっ、ちょっ、おじさん!?」
「終わるまで待っている」
助けを求める私の声に、おじさんはソファーにどっかりと腰を下ろして、ひらひらと手を振るだけだった。
連行された試着室で店員さんがトランクを開けると、そこには、昨日おじさんが強引に買っていたあの『赤いドレス』が綺麗に収められていた。
「ま、まさか……ここで着替えるの?」
「はい! 本日は戴冠式に出席されるとのことでしたので、私も気合を入れて、お嬢様を世界一美しくしてみせますよ!」
恐る恐る尋ねた私に、店員さんは目をキラキラと輝かせながら力強く宣言した。
絶対私には似合わないのに……。
そこからはもう、昨日の採寸なんて比にならないほどの怒涛の時間だった。
手際よく服を脱がされ、ドレスを着せられていく。
コルセットは想像していたほどきつくなかったけれど、鏡の前に座らされて始まった『お化粧』の時間が、とにかく落ち着かなかった。
顔に色々なものを塗られ、髪を丁寧に結い上げられていく。
刃物を向けられるのには慣れているはずなのに、顔の近くで筆やパフが動くたびに、変に肩に力が入ってしまう。
体感で数時間ほどの、気の遠くなるような時間が過ぎた頃。
「……はい、完成です」
店員さんの満足げな声とともに、私は恐る恐る鏡の中を見た。
そこに映っていたのは、血と泥にまみれた兵士でも、暗殺者でもない。
見違えるほど綺麗に飾り立てられた、一人の『お嬢様』の姿だった。
カーテンが開き、私がおじさんの待つソファーの元へと戻ると。
「……見違えるもんだな」
私を見たおじさんは、少し目を丸くしてから、心底感心したようにそう呟いた。
見慣れない自分の姿が気恥ずかしくて、どう反応していいか分からず少し俯いていると、おじさんは横に控えていた店長らしき女性に声をかけた。
「このまま行っても?」
「ええ、もちろんですわ」
店長さんは優雅に頷くと、私の着替えとメイクを担当してくれた店員さんに向かって言葉を続けた。
「お嬢様のエスコート、頼みますわよ」
「はい、お任せくださいませ」
……エスコート?
私が頭の中に疑問符を浮かべていると、おじさんは短く「出発するぞ」と言って店の外へ歩き出した。
私も慌てておじさんの後を追う。
普段着に比べると少し裾が長くて歩きにくいけれど、バランスが取れないほどじゃない。
いざとなれば走れるし、気にするほどじゃないかな。
外に待機していた馬車に、よいしょと乗り込む。
すると、なんと私のすぐ後ろから、さっきの店員さんまで一緒に入ってきたのだ。
「えっ、なんで?」
驚いて目を瞬かせる私に、おじさんが呆れたように答える。
「今日限定の付き人みたいなもんだ。ドレスの裾を直したりな」
「本日はよろしくお願いいたします」
店員さんは馬車の座席に座ると、ニコリと完璧な笑顔で、どこか堅苦しい挨拶をした。
普段の戦場とは全く違う、見知らぬ世界。
こうして、予想外の同行者が増えた三人を乗せて、馬車は今度こそ真っ直ぐにお城へと向かうのだった。




