第49話 - α 剣の楽しさ、春の薄氷
温かいお湯に包まれていると、強張っていた心身が解け、心地よい微睡みが私を誘った。
……はあぁ、気持ちいい。
目を瞑り思考を追いやった私の脳裏に、夢のように『過去の記憶』が浮かんでは消えていく。
そのお湯の温度に、閉じていた鍵が溶かされ、師匠との出会いの記憶が漏れ出てきた。
――それは、私が聖国騎士団に入ってしばらくした頃。
いつものように訓練場で一人、宮廷剣術の型をなぞっていた時のことだった。
「たのもう!」
不意に、訓練場の入り口から声がした。
見ると、そこには妙な格好をして、腰にひょろりと細い剣を差した男が立っていた。
「……誰です? 勝手に入ってくると通報しますよ」
私は木剣を下ろし、怪訝な顔で声をかけた。
男は気にした風もなく歩み寄り「俺はスメラギ・カナタ。聖国で最も剣に秀でた剣士がここに居ると聞き、やってきた」と名乗った。
……何言ってるの?この人。聖国では魔法が重要視されるんだから、剣に秀でてるなんてただの蔑称なんだけど……。
「はあ……」
私は適当に相槌を打った。
「それで、お嬢さん。イレイナ卿という人物は知らないか?」
「…………」
お嬢さん。その明らかな子供扱いに、私はムッとして眉を寄せた。
私、もう……歳なんですけど……。
「なんでも、大型の魔物を一太刀で斬り伏せる大剣豪だと聞いている。さぞ立派で、勇壮な騎士なのだろうなぁ!」
……誰だそんな噂流してるの、一太刀で斬り伏せるのは中型までしか出来てないし、そもそも内緒の特訓なのに。
「……私が、そうですけど」
期待に満ちた目で語るスメラギさんに、私はため息をつきながら小声で返した。
「ん? なにか言ったか?」
「私が! イレイナ卿!ですけど!」
大きな声で叫ぶと、スメラギさんは「ははは、冗談はいけないよ」と、全く信じていない怪訝な顔で笑った。
……むむぅ。私がイレイナ卿なのに、子供扱いしてくる。
私は頬を膨らませ、強引に彼の手を引いて武道場の中央へと引っ張っていった。
「どの武器で相手すればいいですか?」
「じゃあ、剣でお相手を願おうか」
相変わらず子供に言い聞かせるように語りかけるスメラギさんに、私は無言で木剣を二本取り出し、そのうちの一本を彼に渡した。
お互いに礼をして、距離を取る。
スメラギさんの構えは、明らかに手加減を前提とした油断だらけのものだった。
……油断してるのがいけないんですよ……!
「――っ!」
「なっ!?」
私は『宮廷剣術』の歩法で一瞬にして距離を詰めた。
スメラギさんが反応するよりも早く、下からの鋭い突きで彼の手から木剣を弾き飛ばし、ガラ空きになった胴体へ向けて、横薙ぎの一撃を寸止めで振り抜いた。
カラン、と木剣が床に転がる音が響く。
「……木剣で良かったですね。実戦なら、子供相手にやられてましたよ、おじいさん」
私はちょっと意地悪く、からかうようにそう言い放った。
スメラギさんは一瞬、完全に呆気に取られたように固まっていた。
しかし、すぐに自分の非を悟ったのか、居住まいを正し、私に向かって深々と頭を下げた。
「……これは、失礼した」
そして、もう一度落ちた木剣を拾い上げ、今度は一切の油断がない、洗練された構えをとった。
「イレイナ卿。改めて……一本、手合わせを願いたい」
「……あ、ええ」
その真剣な眼差しと言葉に、私は自分の行いを振り返った。
……子供扱いされただけなのに、説明もせずに不意打ちで一本取った挙句に、嫌味ったらしく言い返して、私はやっぱ子供だ。
自分の言動を内省した私は、コホンと咳払いをして姿勢を正した。
「……リゼ・イレイナです」
私も木剣を構え直し、彼に応えるように、静かに下段へと切先を下ろす。
「スメラギ・カナタさん。よろしくお願いします」
お互いの真剣な眼差しが交差し、訓練場に凛とした空気が張り詰める。
お互いに再び深く礼をし、同時に地面を蹴った。
パァンッ!! と、訓練場に木剣同士が激突する乾いた音が弾ける。
「――っ!」
「いい踏み込みだ!」
私の連撃を、スメラギさんは紙一重で見切り、自信があった迅速の剣がいなされてる。
お互いに寸止めすらできないほどの、ギリギリの競り合い。
私の木剣が彼の胴を捉えたかと思えば、私の手首に彼の一撃が落ちる。
私が足を突けば、私の肩が叩かれる。
斬って、斬られて。
互いの身体を傷つけない木剣だからこそ実現できる、果てしなく実戦に近い『仕合い』
――楽しい。
剣を交えながら、私の口角は自然と吊り上がっていた。
私は今まで、剣を振るのに前向きな理由はなかった。魔法が使えないから、その代用品としての物――、それが私にとっての剣だった。
けど、こんな風に純粋に剣を競い合い、高め合える『強い相手』がいると、まるで踊っているかのように楽しい、剣がこんなに楽しいものだったなんて知らなかった。
私は、お互いの距離がわずかに開いたその一瞬を見逃さず、ある『型』の構えに入った。
東方の書物で読み、見よう見まねで習得して、今まで魔獣相手にしか試したことがなかった抜刀術。
――『四季刀流居合術』春の型。
木剣を鞘に収めるように腰に当て、極限まで姿勢を低くする。
「……!?」
私のその構えを見たスメラギさんは、一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
一見無防備に見える居合の構え、だが不用意に飛び込んでこない――
どころか、次の瞬間、彼は嬉しそうに笑みを深め、なんと私と『全く同じ構え』をとったのだ。
――相手も、居合術!?
……初めての対人戦での居合術が対抗だなんて、でも。
驚いたけど、速さには絶対の自信がある。
私はその挑戦を受けて立つように息を詰め、目にも留まらぬ速さで踏み込んだ。
横薙ぎに一閃する、春の型『薄氷』
そして全く同じタイミングで、スメラギさんの木剣も横薙ぎに振り抜かれた。
ガァンッ!! と、互いの木剣が空中で激しく交差する。
――相打ち!想定通りだっ!このまま懐に潜り込んで、剣の柄で顎に一撃で一本だっ!
弾かれた勢いを利用し、私は捨て身で、彼の胸元へと追撃に飛び込もうとした。
――が。
「なっ――!?」
私の視界が、信じられない光景を捉えた。
スメラギさんは、振り抜いたはずの木剣の軌道をあり得ない速度で手元へ戻し、逆方向から『もう一度』、同じ横薙ぎの一閃を放っていたのだ。
――パァンッ! と、私の脇腹にクリーンヒットした木剣の軽い衝撃と共に、私は勢いよく床に転がった。
「いたた……」
……一体何が?私が読んでいた四季刀流の本に、こんな技載ってなかった。
「『四季刀流・返し薄氷』……。一本、かな?」
床に座り込む私に、スメラギさんが朗らかに笑いながら手を差し伸べてきた。
書物の知識だけだった私の未完成な剣術を、本物の技で軽々と凌駕してしまったこの人。
差し出されたその大きな手を見て、私は痛む脇腹を押さえながらも、たまらなく嬉しくなって吹き出してしまった。




