第42話 - α 紅い宝石――残酷な願い
――そこは血と泥と、焼け焦げた鉄の匂いが充満する凄惨な戦場だった。
帝国との激戦。
私は援軍の斥候として、部隊の誰よりも早く現場に駆けつけていた。
――だが、私が見たものは、残酷な結末だった。
地に伏しているのは、無惨に殺された聖国の騎士や兵士たちばかり。
皆ピクリとも動かず、ただ血だまりの中で果てていた。
「誰か……! 誰か生きてる人はいないですか!?」
私は祈るような気持ちで、死体の山をかき分けながら駆け回った。
「……誰か、いるのか……?」
ふと、風に消え入りそうな、微かな声が耳に届いた。
私は弾かれたように振り返る。
「助けに来ました!」
声のする方へ走り寄り、折り重なった瓦礫をどかす。
そこに横たわっていた兵士は、息も絶え絶えだった。顔は泥と血で汚れ、判別がつかない。
私は震える手で、彼の頭から重いカブトを外した。
「な……んで……?」
その顔を見た瞬間、私は息を呑んだ。
「モルド、さん……?」
そこにいたのは、聖国兵士長のモルドさんだった。
私が家を飛び出して、行き場もなく道端で泣いていた時、私を保護してくれた人。
私に聖国騎士団への道を紹介してくれた、一番の恩人だ。
優しい奥さんのユリさんと、まだ小さな息子さんがいて、非番の日には私とも一緒に木剣を交えて訓練をしてくれた、大好きな人。
「モルドさん!?モルドさんッ!」
「……リゼ……か……」
私の叫びに、モルドさんは焦点の合わない目を僅かに動かし、私の名前を呟いた。
「大丈夫! 私が、助けに……来たから……っ」
必死に言葉を絞り出そうとして――私は、絶望に言葉を失った。
彼の身体の下半分……両足が、なかった。
「…………っ!」
爆発か何かで無惨に吹き飛ばされ、どう見ても、もう長くはない致命傷だった。
「ユリに……俺の、奥さんに……届けてくれないか……?」
モルドさんは、最後の力を振り絞るようにして、血まみれの手で自分の胸元から『それ』を取り出し、私に差し出した。
剣と天秤の模様が入った、赤い宝石。
この宝石を、本人の代わりに他人が持ち帰るということは、すなわち『死』を表す。
「……ッ、必ず……届けるから」
私は溢れ出す涙を堪えきれず、掠れた声でそう言って、彼の震える手から赤い宝石を受け取った。
宝石を託したモルドさんは、空虚な目で灰色の空を見上げた。
「……何のために、俺たちは生きていたんだろうなあ……。痛え……死にたくねえなぁ……」
後悔と、理不尽な死への恐怖。
血を吐きながら譫言のように呟くその姿は、見てるのも苦しかった。
助かる見込みはない。ただ、終わりの見えない激痛の中で、ゆっくりと死を待つだけ。
「……恨んでいいからね」
私は、ポツリと呟いた。
懐から、一番切れ味の鋭い短剣を取り出す。
そして、震えを殺して、モルドさんの胸元の鎧の留め金を外し、心臓を剥き出しにした。
私のその行動の意味を悟ったのだろう。
モルドさんは、痛みに歪んでいた顔を少しだけ和らげ、微かに笑った。
「……お前は、本当にツンツンして……優しいな……」
それが、最期の言葉だった。
モルドさんが静かに目を閉じる。
私は短剣を逆手に構え――
震える両手で、大好きな恩人の心臓に向けて、その刃を、深く、突き刺した。
――静寂、けれどモルドさんの声が聞こえた気がした、
『下を向いてる暇があるのなら、突き進むのがお前さんだろ?』
そうだ、まだ、まだだ。
誰か生きている人がいるかもしれない。
私はモルドさんから託された赤い宝石を血まみれの懐にしまい込み、再び死地へと駆け出した。
「誰か! 誰かいないですか!?」
叫びながら血の海を彷徨い歩き、やがて瓦礫の陰に倒れている一人の騎士を見つけた。
「カイナッ!?」
私に魔法の才能がなく、ただ武器の訓練だけを繰り返して騎士団の中で孤立していた時。
最初に声をかけてくれて、友達になってくれた人だった。
「リゼ……。来て、くれたんだね……」
虫の息で微笑む彼女の姿に、私は一目で絶望を理解してしまった。
彼女の左腕は、肩の付け根から無惨に吹き飛んでなくなっていたのだ。
「遅くなって……ごめんね……っ!」
私は彼女の傍らに膝をつき、ぼろぼろと涙をこぼしながら謝った。
カイナは残された右手を震わせながら、胸元から赤い宝石を取り出し、私へと差し出した。
「これ……リゼが、持って行って……」
……やっぱりカイナも、自分が助からないってわかってるんだ……。
「うんっ……必ず、カイナの家族に渡すから……!」
私が宝石を受け取ると、カイナは安心したように息を吐き、そして、ひどく怯えたような瞳で私を見上げた。
「ねえ、リゼ……。残酷な、お願い……してもいいかな……?」
「えっ……?」
私の鼓動が、嫌な音を立てて跳ねた。
「殺して、ほしいんだ……。もう……痛いのは、嫌なんだ……」
気を遣うような、申し訳なさそうな声。
けれど、今この瞬間に彼女を苛んでいる痛みと恐怖から、一刻も早く逃げ出したいという哀願。
「…………」
モルドさんの時と同じだ。
私が手を下さなければ、彼女はただ、ゆっくりと痛みに苦しみながら死を待つことになる。
「……わかったよ、カイナ」
私は、カイナの腰に下げられていた彼女の短剣をゆっくりと抜き放ち、その柄を固く握りしめた。
「……親友の、頼みなんだから」
涙で滲む視界のまま、そう言って頷くと。
「ありがとう……親友……」
カイナは、出会った時と同じような優しい笑顔を浮かべて、静かに目を閉じた。
「気にしないで。……絶対忘れないから、親友」
私は、自分自身の心を殺して。
震える両手で、大好きな親友の心臓を、深く、突き刺した。




