第40話 - α 最高のご馳走
お腹の虫を誤魔化しながら、私は再び音を立てないように階段を上り、二階の寝室へと戻った。
そっと扉を開けると、ソフィは私が部屋を出た時と全く同じ姿勢で、相変わらずぐっすりと穏やかな寝息を立てていた。
窓から差し込む朝の光が彼女の白い頬を照らしていて、その寝顔は作り物みたいに愛らしい。
……朝だけど、起こすのとこのまま見守るの、どっちが正解なんだろう?
私はベッドの傍らに立ち、小さく首を傾げて悩んでしまった。
今は内乱の真っ只中、間違いなく非常事態だ。
おじさんの口ぶりからしても、きっと今日も一日、休む暇もなく動き続けることになる。
だからこそ、今のうちに少しでも長く寝かせて体力を温存させてあげた方がいいんじゃないか。
それに何より……この安らかな寝顔を今壊して、また血生臭い過酷な現実に引き戻してしまっていいのだろうか。
そんな風に、私が一人でうんうんと頭を悩ませていると。
「んぅ……」
不意に、毛布がモゾモゾと動き、ソフィがゆっくりと重い瞼を開けた。
まだ夢の中に半分取り残されているのか、彼女は大きな目をぱちくりとさせ、少しふにゃふにゃとした動きで身体を起こす。
「……あ。おはよう……、ございます……」
寝ぼけ眼をこすりながら、舌足らずな声で小さく呟くソフィ。
その警戒心の欠片もない無防備な姿がたまらなく可愛くて、私の心の中で張り詰めていたものが、ふわりと軽くなった気がした。
「ふふっ、おはようソフィ。よく眠れた?」
「はい……とっても、あたたかかったです」
寝ぼけ眼なお姫様が、とても微笑ましく見えた。
――殺し屋みたいなあたしにも、こんな温かな感情が残ってたんだ。
少しだけ驚いたかも知れない、今まで取り戻してきた感情は、殺しと怒りがほとんどだったから。
はにかむように微笑む彼女の頭を優しく撫でてから、私はベッドの前にしゃがみ込み、自分の背中を向けた。
「下で、おじさんが朝ご飯作って待っててくれてるんだ。ほら、乗って」
「えっ、でも……」
半分寝ぼけてるお姫様を背中に背負い、ソフィの手を引いて私の背中に回させ、手早くひょいっと背負い上げる。
私はソフィを背負ったまま、香ばしい目玉焼きの匂いが待つ一階へと、軽やかな足取りで降りていった。
一階の居間に戻ると、おじさんはすでにテーブルにふたつの皿を並べて、椅子に深く腰掛けていた。
「おじさん、お待たせ」
私が声をかけると、おじさんはチラリとこちらを見て、私の背中でスヤスヤと寝息を立てているソフィに気づいてピクリと眉を動かした。
揺れが心地よかったのか、階段を降りている間にすっかり二度寝してしまったらしい。
「お姫様って、朝に弱いのかな?」
私が苦笑いしながら尋ねると、おじさんは忌々しそうに鼻で笑い、皮肉めいた声で答えた。
「俺が知るか。皇宮の中なんてブラックボックスだぞ。……そのせいで、タカ派のバカ貴族が皇族をさらうなんて芸当ができたわけだがな」
確かに、誰がどこで何をしているか分からない場所だからこそ、こんな風に幼い子供が権力闘争の道具として簡単に連れ出されてしまったのだろう。
私はソフィを背中からそっと下ろし、先ほどまでメルが転がっていたソファの上に優しく寝かせた。
備え付けのクッションを枕代わりにしてあげると、彼女は幸せそうに小さく寝返りを打つ。
「じゃあ、あたしたちで一足先に頂いちゃおう」
せっかくの温かいご飯が冷めてしまうのも勿体ない。
どこかで見たことがあるような、ないような白と黄色の食べ物。
私はテーブルの席に着くと、おじさんの真似をしてお皿に乗っていた香ばしく焼けたパンの上に、綺麗な半熟の目玉焼きを思い切って乗せてみた。
そして、両手でしっかりと持って、大きく口を開けてパクリとかじり付く。
「……ッ!!」
サクッとしたパンの心地よい食感に、トロリと溢れ出す濃厚な卵の黄身。
そして、絶妙に効いた塩コショウの塩気。
闘技場で出されていた泥水のようなスープや、カビの生えた黒パンとも違う。
昨日の朝に看守さんがくれた冷たいパンとも違う、出来立てで温かい『ちゃんとした』ご飯。
「美味しい……! なにこれ!?」
私が目を丸くして、感動のあまり大きな声を上げると。
向かいに座ってカップを傾けていたおじさんは、心底呆れたような、ひどく疲れた顔をした。
「……ただのパンと目玉焼きだ」
ぶっきらぼうにそう吐き捨てるおじさんだったけれど、私にとっては違う。
記憶を失ってから食べたどんなものよりも、温かくて、優しくて、ほっぺたが落ちてしまいそうなほどの最高の御馳走だった。




