第39話 - α 謎の人脈
次に目を開けた時、窓の隙間から眩しい朝の光が差し込んでいた。
ゆっくりと身体を起こし、隣を見る。
お姫様――ソフィは、私の体温に寄り添うようにしてスヤスヤと穏やかな寝息を立てていた。
ザロウ公爵の屋敷で拘束され、いつ命を奪われるかも分からない恐怖に晒され続けていた彼女にとって、恐らくこれが久しぶりのちゃんとした睡眠なのだろう。
小さく上下する華奢な肩を観察する。まだまだ寝たりないみたいで、ぐっすりと寝ていそうだ。
……起こさないように、そっと行こう。
私は音を立てずにベッドを抜け出し、簡単に着替えようと部屋の中を見渡した。
しかし、昨日脱ぎ捨てた血と泥にまみれた服はどこかに片付けられてしまったのか見当たらず、かといって代わりになるような新しい服も見つからなかった。
仕方ない。とりあえず、この借りた寝間着のままで下に降りよう。
そう思ったけれど、昨夜の襲撃の記憶が、私の身体に染み付いた警鐘を鳴らす。
――ここは、完全な安全地帯じゃない。
私は部屋の隅に置かれていた自分の荷物から、昨日看守さんがくれた短剣セットのホルスターを手に取った。
そして、念のためナイフをもう一本抜き出し、備え付けられていた革のベルトを使って、右足と同じように左足の太ももにもキツく巻き付けた。
これで、両方の足に短剣を仕込んだことになる。
左右の太ももに感じる冷たい鉄の重みと、革ベルトの締め付け。
それが今の私にとって、何よりも確かな安心材料だった。
寝間着の少し長めの裾で、二本の短剣が外からは見えないよう完全に隠れているのを確認する。
よし。
私はソフィを起こさないように細心の注意を払って扉を開け、静かに二階の寝室を後にした。
木製の階段を軋ませないよう、体重移動をコントロールしながら、おじさんたちがいるはずの一階へとゆっくり降りていく。
一階の居間に足を踏み入れると、キッチンの方から、パチパチと油が跳ねる微かな音と、焼けたパンの香ばしい匂いが漂ってきた。
「おじさん、おはよう」
私が警戒を解かずに声をかけると、フライパンの前で目玉焼きとパンという簡単な朝食を作っていたおじさんが、こちらを見ずに短く応えた。
「……ああ、おはよう」
その横顔には深い疲労が刻まれていた。
おじさんは昨夜、私が二階に戻った後もずっと起きていて、一睡もしていないのだろう。
私は部屋を見渡し、昨夜の襲撃者の姿を探した。
「メルは?」
私が尋ねると、おじさんは無言でフライパンから視線を外し、居間の端にあるソファの方へ顎をしゃくった。
視線の先を追うと、そこには頑丈なロープでぐるぐる巻きに拘束されたまま、丸くなって眠っているメルの姿があった。
「……この人、どうするの? 凄く危ないと思うんだけど」
寝間着の下、太ももに仕込んだ二本の短剣の冷たさを感じながら、私はおじさんに問いかけた。
おじさんはフライパンの火を止め、重い溜息を吐き出した。
「……武器のチューニングにはいいセンスをしてたから、お前たちの装備のメンテを任せようとここに連れてきたんだがな。まさかあんな事をするとは」
おじさんの声には、怒りよりも深い落胆が滲んでいた。
「昨夜のうちに聞き出したが、皇女殺害はあいつの独断だ。タカ派やハト派といった、どこかの派閥から差し向けられた刺客というわけじゃねえ。
……だが、命を預ける武器のメンテナンスは、もうコイツには任せられん」
そう吐き捨てるように言った後、おじさんは拘束されて眠るメルを、ひどく悲しそうな目で見下ろした。
「……信用していた奴が、こうも簡単に殺しに傾くのは……残念だ」
その静かな呟きは、数え切れないほどの裏切りと死を見てきた英雄の、どうしようもない諦めのようにも聞こえた。
朝の光に照らされたおじさんの背中が、なんだかいつもより少しだけ小さく見えた。
「……お姫様には、あんまり会わせたくないな」
私は拘束されて丸くなっているメルを見下ろしながら、ぽつりと呟いた。
ソフィは昨夜、せっかく安心して眠りにつけたのだ。
起きて早々、自分を殺そうとした人がいるのを知って縛られているのを見たら、また怯えてしまうだろう。
メルには消えてもらって、無かったことにしておくのが一番な気がする。
「ああ。……そろそろ、コイツの迎えが来る頃だ」
おじさんが短く答えた、その時だった。
「――失礼します! ギリアム卿!」
玄関の方から、重い扉を開ける音と共に、張りのある男の声が響いた。
ガチャガチャと金属の装備が擦れる音が、居間へと近づいてくる。
「ッ……!」
帝国兵!?
私は反射的に身を屈め、寝間着の裾から左足の短剣を抜き放とうとした。
だが。
「待て、俺の客だ」
おじさんの低く落ち着いた声が、私の動きをピタリと制止した。
居間に現れたのは、見事に整った帝国軍の軍服を着た若い兵士だった。彼は私を怪しむこともなく、おじさんに向かって直立不動で敬礼をした。
「荷物はそいつだ。……持ってけ」
「はっ!」
おじさんが顎でメルをしゃくると、兵士は短く答え、拘束されて眠っているメルを文字通り肩に担ぎ上げた。
そして、再びおじさんに敬礼をすると、素早い身のこなしで家から出て行った。
パタン、と扉が閉まり、居間に再び静寂が戻る。
「……今のは?」
私は短剣の柄から手を離し、狐につままれたような気分でおじさんに尋ねた。
あの若い兵士がおじさんを呼んだ『ギリアム卿』という響き。
闘技場の牢屋にいたはずのおじさんに、今の帝国軍の中にあって絶対の忠誠で動く人間がいるという事実。
おじさんの人脈はすごい、もしかしたら、私の過去を知っている人もおじさんの知り合いにいるかも知れない。
だが、おじさんは私の疑問に答えることなく、フライパンからふたつの皿へ、器用に目玉焼きを移し替えていた。
「ただの部下だ」
背中を向けたまま、おじさんは話を切り捨てるように短く言った。
これ以上は詮索するなという、明確な拒絶の音。
「……できたぞ。冷める前に、皇女殿下を連れてこい」
湯気の立つ皿をテーブルにコトンと置き、おじさんは私にそう告げた。
まだ聞きたいことは山ほどあったけれど、香ばしいパンと目玉焼きの匂いに私のお腹が小さく鳴ってしまったので、今は素直に引き下がることにした。




