第16話 - α 夢の終わりと、不器用な免罪符
業火に焼かれる街の熱と、むせ返るような血の匂いが、ゆっくりと遠ざかっていく。
代わりに鼻をくすぐったのは、微かな石鹸の匂いと、頭皮を撫でる心地よい温もりだった。
……パチリ、と目を覚ます。
ぼやけた視界に映ったのは、薄暗い牢獄の天井と、身を屈めて私の頭に触れている、無骨で不器用な手のひらだった。
「……おじ、さん?」
掠れた声で呟くと、ギクリと目の前の大きな背中が揺れた。
おじさんは水を入れた小さな桶を傍らに置き、私が闘技場で浴びた泥と返り血で固まった髪を、濡らした布で少しずつ、解すように洗い流してくれていた。
「いっ……!」
激痛が走った右足に視線を下げると、矢で射抜かれていたふくらはぎが、清潔な包帯で巻かれ、丁寧な処置が施されている。
……きっとおじさんが手当てしてくれたんだ、こんなあたしを、おじさんが……。
「おじさん、帰ってきてたんだね」
私は重い身体をゆっくりと起こし、痛む頬の筋肉を無理やりに引き上げて、頑張って笑ってみせた。
「……起きたなら、自分で洗え」
おじさんはバツが悪そうに視線を逸らすと、手元の乾いたタオルを私の頭にバサリと投げつけた。
相変わらず、そっけなくて不器用な声。でも、その乱暴な言葉の裏にある優しさが、今の私には酷く身に染みた。
「……ありがと」
私は短くお礼を言い、被せられたタオルで自分の髪をゆっくりと拭き始めた。
ごしごしと擦るたびに、頭から滴る水滴が、夢の中で見た真っ赤な血を洗い流してくれているような気がした。
「ねえ、おじさん」
ぽつりぽつりと水の滴る音だけが響く、静かな牢獄の中で。
私はタオルで顔を半分隠したまま、誰にともなく零すように呟いた。
「……記憶がね。夢で、少しだけ返ってきたんだ」
「…………」
おじさんは何も言わず、ただ私の次の言葉を待つように沈黙を保ってくれている。
「夢の中で、あたし……聖国の第四騎士団にいたんだ」
タオルを握る手に、ぎゅっと力が入る。
炎の熱と、血の匂いが、また鼻先を掠めた気がした。
「名前もわからない街が落ちた時……そこに取り残された人たちを守るために、帝国の兵士たちの首を、大鎌で落として回った。あたしは……『死神の騎士』だった……」
重苦しい沈黙が下りる。
おじさんは私の血塗られた告白を遮ることも、責めることもなく、ただ静かに最後まで聞いてくれていた。
やがて、おじさんの口から、低く掠れた声が漏れた。
「……あそこか」
その短い呟きに込められた響きだけで、悟ってしまった。
おじさんも、あの地獄のような戦場にいたんだ。
そして、私が大鎌で刈り取って回った帝国の兵士たちは、きっとおじさんの仲間だったのだと。
「……あたしたち、敵だったんだね」
胸の奥が冷たい手でギュッと締め付けられる。
私は顔を伏せたまま、ひどく寂しそうに笑って、呟いた。
すると。
――ぽん、と。
私の頭に乗せられていたタオルの上から、大きくて無骨な手のひらが、少しだけ乱暴に置かれた。
「……夢の話だ」
顔を上げると、おじさんは相変わらずの仏頂面で、私の視線を避けるようにそっぽを向いていた。
「それに、もし本当だったとしてもだ。……戦場の仇を、こんな『日常』に持ち込むのはルール違反、戦場の憎しみは戦場でだけだ」
ぶっきらぼうに吐き捨てられた、その言葉。
それは軍人らしい不器用な言い回しでありながら、血塗られた過去に押し潰されそうになっていた私を、今の『あたし』として繋ぎ止めてくれる、何よりも温かい免罪符だった。
「……ありがと、おじさん」
……話したら疲れちゃったな。もう少しだけ、眠りにつこう……。
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