第14話 - α 死神の大鎌
――ザンッ。
鮮血が闘技場の空を舞う。
私は無慈悲に、その男の首を刈り取った。
ドサリ、と。
頭部を失った男の巨体が砂の上に崩れ落ちると同時に、熱狂の渦にあった闘技場は、水を打ったような深い静寂に包まれた。
……終わった。
私は荒い呼吸を繰り返し、震える手で大鎌を片手に握りしめたまま、砂に刺さっていた一本目の短剣を拾い上げ、ホルダーへと納刀する。
そして、――ゆっくりと歩み寄り、『男だったもの』の傍らに立った。
血溜まりの中、無防備な左手には、私が投げつけたもう一本の短剣が深々と突き刺さっている。
私は少し躊躇いながらも、その柄に手をかけ、ゆっくりと引き抜いた。
……ごめんなさい、ごめんなさいっ……。
心の中で、何度も何度も謝罪の言葉を呟く。
殺さないと決めたのに。人の道は踏み外させないって誓ったのに。
血塗られた短剣を震える手で収めると、私の心に重く冷たい鉛が落ちたような感覚が広がった。
その時、静まり返った闘技場に、実況の歪な声が響き渡った。
『――こうして! 英雄リードは迫りくる死神を見事討ち果たし、我々に勝利をもたらしたのだ!』
……えっ?
目の前で『リード役』の男が首を落とされて死んでいるのに、実況は私を新たな『リード役』として、用意された台本を読み上げている。
『一方で英雄リードも足に名誉の負傷を負い、しばらくは治療に専念することとなる!英雄不在の戦場において、じわじわと聖国も盛り返していったのである!』
馬鹿げてる。
おじさんの悲痛な過去も、この男の復讐心も、失われた命も。全部ただの作り話みたいに消費されていく。
『これにて【英雄リードの軌跡】第一部は完結! 続きは、戦争を終わらせる英雄譚!片足を不自由にしながらも!戦場に降り立つ英雄リードの軌跡は終わらない!』
わあぁぁぁぁっ!と、狂気じみた歓声が遅れて観客席から沸き起こる。
狂っている。この闘技場も、帝国も、すべて。
歓声が遠い水底のノイズのように響く中、私は半ば放心状態だった。
ズキズキと激しく痛む右足を庇いながら、漆黒の大鎌を杖代わりにして、ただ重い足取りで薄暗い牢の中へと戻っていった。
薄暗く、冷たい石造りの牢獄。
鉄格子の奥に用意された粗末な寝床にすら向かう気力が起きず、私は冷たい床にへたり込んでいた。
壁に立てかけた漆黒の大鎌。その冷たい柄にすがりつくように体重を預け、私は暗い虚空をただ見つめていた。
ズキズキと脈打つ右足の痛みすら、今の私には酷く遠く感じられる。
脳裏にこびりついて離れないのは、あの男の首を刎ねた瞬間の、手に残る生々しい感触だ。
――あんだけ殺さないって誓ったのに、躊躇いは全くなかったんだ。
そう。骨を断ち、肉を裂くその軌道に、一切の淀みは――あの緊迫した状況でさえ、まったく出なかった。
あの絶望的な状況下で、私の身体は、まるで息をするのと同じくらい自然に『命を刈り取る最適解』を選び取っていたのだ。
――無意識の内に、確信してしまった。
私は、殺し慣れている。
震える手で、自分の顔を覆う。
この大鎌は、ただの農具でも、護身用の武器でもない。
私が記憶を失うずっと前から、私が知らないほど多くの血を吸い続けてきた、正真正銘の『死神の鎌』だ。
私の身体の奥底には、この恐ろしいほど洗練された殺しの技術が、どうしようもなく染み付いている。
記憶のない空白の過去で。私は、どれだけの人を殺してきたの?
どれだけの人の命を奪い、どれだけの人の人生を狂わせてきたんだろう?
その記憶を失うなんて、私はどれほど薄情な人間なの?
「あたしは……。私は、いったい……」
誰も答えてはくれない牢獄の闇の中で。
ただ、自分の罪の重さと、底知れぬ過去への恐怖に押し潰されそうになりながら、私は血の匂いが染み付いた両手を見つめ、小さくうずくまった。
――ガチャリ。
不意に、重い鉄扉の開く音が響いた。
ビクッと肩を揺らして顔を上げると、そこにはお盆を持った看守さんが立っていた。
「……おい、飯が来たぞ」
看守さんは私の泣きはらした顔を見て、一瞬だけ痛ましそうに目を細めたが、すぐに普段通りのぶっきらぼうな声を作って牢の中へ歩み寄ってきた。
「どうやら、想像以上に今日の劇の盛り上がりが良くて、闘技場側もだいぶ儲けたみたいだ。いつもより多少マシなもんが持ってこられたぞ」
カチャリと冷たい床の上に置かれた木のお盆。
そこに乗っていたのは、いつもの泥水のようなスープではなく、透き通った『真水』が入ったコップ。
そして硬い黒パンと、いつもより少しだけ多く添えられた甘いクリームだった。
人が一人死んで、それでお金を稼いだ『ご褒美』がこれだなんて。
あまりにも残酷で、狂っている。
けれど、看守さんには何の罪もない。むしろ、私を気遣ってわざわざ運んできてくれたんだ。
「……看守さん」
私は掠れた声を絞り出し、なんとか顔をあげて看守さんを見上げる。
「短剣、ありがと……。あれがなかったら、あたし、危なかった」
感謝を伝えたくて。せめて、彼には心配をかけまいと、私は無理やりに頬の筋肉を引き上げて笑みを作ってみた。
大丈夫だよ、と伝えるための笑顔。
――ポロリ、と。
自分でも気づかない内に、大粒の涙が頬を伝って冷たい石の床に落ちた。
笑おうとすればするほど、あの男の首を刎ねた感触と、喪失感、そして自分の過去への恐怖が溢れ出して止まらない。
嗚咽が漏れそうになるのを、私は必死に唇を噛んで堪えた。
「…………ああ」
看守さんは、引きつった笑顔で涙をこぼす私を見て、それ以上は何も聞いてこなかった。
ただ、少しだけ困ったように頭を掻くと、踵を返して鉄扉の方へ向かう。
「自分のペースで食え。……ここには、消灯時間なんてねえからな」
背中を向けたまま投げかけられたその言葉には、彼なりの精一杯の不器用な気遣いが滲んでいた。
ガチャン、と重い音を立てて扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
再び静寂が戻った牢獄の中で、私は手付かずの食事を前にして、ただ声を殺して泣き続けた。
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R・D




