第105話 - β 甘い検査
「……起きたか」
冷たい雪を踏みしめ、重い身体を起こした私の背中に、不意に声がかけられた。
振り返ると、そこには野営の片付けを終えたロミオが立っていた。
彼の手には、見覚えのある布切れ――昨日、境界の村で聖国の兵士が放った魔法によって焼け焦げてしまった、私の外套が握られていた。
「あんたの外套だ。……燃えてしまったところは、直しておいた」
彼は少しぶっきらぼうにそう言いながら、私に向かって外套を差し出してきた。
見れば、焦げて穴が空いていた箇所には別の布があてがわれ、不格好ながらも頑丈な糸でしっかりと縫い合わされている。
私が毛布にくるまって倒れ伏している間に、わざわざかじかむ手で修繕してくれたのだろう。
「……ああ」
私は短く一言だけ声をこぼし、彼の手からそれを受け取った。
強引に押し付けられていた分厚い毛布を返し、代わりに直された外套をバサリと羽織る。
継ぎ接ぎされた分厚い布地が、雪原を吹き抜ける冷たい風から私の身体をしっかりと守ってくれるのがわかった。
私は、腰に下げた鉄の長剣――リゼが遺してくれた、あの子の命の重みを確かめるように、そっと柄に手を添える。
もう、迷いはない。
「いくぞ……」
私は前を見据え、アッシュクロフトへと続く白銀の雪道へ向かって、再び確かな一歩を踏み出した。
私たちはそのまま、夜の闇が完全に下りるまで無言で歩き続けた。
周囲の景色などどうでもいい。鉛のようにのしかかる疲労など無視だ。
ただ一秒でも早く、リゼのいる場所へ続く手がかりを掴むために。私はひたすらに足を動かし、前へ、前へと歩を進める。
「……そっちじゃない。もう少し南だな」
時折、後ろを歩く奴から方角の修正を受けながら、私はまるで思考を持たない機械のように歩き続けた。
やがて――。
どれほどの時間を歩き続けたのだろうか。
気がつけば、いつの間にか私たちの足元を覆っていた分厚い雪は姿を消し、代わりに硬く踏み固められた土の道がはっきりと顔を出していた。
極寒の冷気は和らぎ、風の匂いも、雪原のそれとは違う微かな土と煙の匂いが混じり始めている。
そして、顔を上げた私の視線の先。
遠く広がる夜闇の向こう側に、巨大な城壁にぐるりと囲まれた都市の威容が、ぽっかりと浮かび上がってきた。
「……そのまま、こっちだ」
私の前に出たロミオが、巨大な城壁を見据えながら顎で方向を示し、先導していく。
「入り口に、甘い入市検査をする奴を知ってるんだ。そこから入る予定だ」
「……そうか」
結果として、無駄な体力を使わずにこの硝煙の都市に入り込めるのなら手段など何でもいい。
それ以上無駄な会話を交わすこともなく、私たちはただ無言で歩き続けた。
やがて、巨大な城門の足元へとたどり着いた私たちは、薄暗い入り口で松明を掲げる衛兵の元で、その『甘い』という入市検査を受けることになった。
深夜ということもあり、人影の絶えた静かな入り口へ向けて、私たちは無言で歩いていく。
やがて高い城門に近づくと、暗がりから一人の番兵が姿を現し、鋭い声を投げかけてきた。
「止まれ!入市検査を行う必要がある。身分を証明するものを――」
生真面目で、どこか融通の利かなさそうな番兵。
私が面倒に思って短く息を吐いた、その時だった。
「……お前、ロミオか?ロミオなんだな!?」
番兵は、私の前に立つ男の顔を松明の明かりで確認するなり、先ほどまでの威圧的な態度をかなぐり捨てて声を荒げた。
そして、弾かれたようにロミオへと駆け寄り、勢いよく手を差し出した。
「久しぶりだな。……調子はどうだ?」
ロミオがその手を握り返し、少し照れくさそうに笑って声をかける。
すると番兵の男は、安堵と怒りが入り交じったような顔でまくしたてた。
「調子はどうって、そりゃ俺のセリフだろ!?今までどこにいたんだよ!?ずっと心配してたんだぞ!?」
どうやら、こいつの知り合いらしい。
「ああ、ちょっと色々あってな」
ロミオは苦笑しながら頭を掻き、そして私の方をちらりと振り返った。
「悪いんだが、そこの連れと一緒にすぐ入ってもいいか?フィニステラから強行軍で、二日で来たんだ。いろいろ話したいんだけど、ちょっと体力が限界でな……」
その言葉に、番兵の男は私へと視線を向けた。
深くフードを被り、焼け焦げを継ぎ接ぎした外套を纏う怪しい女。
番兵は明らかに私を訝しむように目を細めた。
普通ならこんな怪しい人間をすんなりと通すはずがない。
けれど。
「……まあ、ロミオの仲間なら大丈夫か」
番兵は小さく呟くと、あっさりと追求を諦めて道を開けた。
「フィニステラから2日か……、あんま無茶すんなって、疲れてるだろうし、ほら、さっさと通って宿屋いけよ、満員だったらうち使ってもいいからな!……また明日、ゆっくり話でもしようぜ」
「ああ、俺も話したいことがあるからな、……助かる」
ロミオが礼を言い、私へ顎で合図をする。
私は番兵の視線を無視し、無言のままロミオの背中を追った。
こうして私たちは、拍子抜けするほどあっさりと、『硝煙の都市』アッシュクロフトへと足を踏み入れたのだった。




