第102話 - α 夢
馬車に揺られ、私たちは最上階のスイートルームへと戻ってきた。
静まり返った広い部屋には、まだ御者さんの姿はない、まだなにかお仕事してるみたい。
「ふぅ……」
私はふかふかのソファに腰を下ろし、腰の二振りの剣を軽く整えてから、向かいの椅子に腰掛けたおじさんを見上げた。
「御者さんはまだ戻ってないみたいだけど……おじさん、これからどうするの?」
私の問いかけに、おじさんは深く腕を組み、窓の外の夜景を見つめながら静かに口を開いた。
「明日には偉いやつがここに来るだろうからな。まずはそいつに、皇女直筆の知らせを渡してやるさ」
「え?偉い人?」
私は首を傾げた。
「直筆の知らせなら、ここの一番偉い人に直接渡しにいけばいいんじゃないの?その方が早いと思うんだけど……」
私の素朴な疑問に、おじさんは苦笑いを浮かべ、やれやれと肩をすくめた。
「身分ってのは面倒なもんでな。こちらから出向くんじゃなく、下のやつが取りに来るもんなんだよ。新皇帝……皇女はまだ若くて足元を見られやすい。ここで俺たちが軽々しく動いて舐められ、向こうの要求がでかくなるのは困るからな……」
おじさんの言葉の裏にある、目に見えない政治の駆け引き。
新しく皇帝になったお姫さまを守るための厳しさと慎重さを感じ取って、私は思わず小さくため息をついた。
「……またここでも権力闘争?」
どこへ行っても大人たちのドロドロした権力や野心が渦巻いている。
少し呆れたようにぼやいた私に、おじさんは不敵で頼もしい笑みを口元に浮かべた。
「今回はそれを止められる位置にいるだけ、マシだろう」
これからの厄介な政治の話をひとしきり終えると「……さっさと寝ろ」とおじさんはやれやれと片手を振り、私を寝室へと追い払った。
半ば放り込まれるようにして案内されたのは、このだだっ広いスイートルームの中でも、一際目を引く一番豪華なメインの寝室だった。
「うわぁ……すごいお部屋だなあ……」
私はドアを閉め、部屋の中を見渡して思わず感嘆の声を漏らした。
見上げるような天蓋付きの大きなベッドに、足が沈み込むほどふかふかの絨毯。
天井にはキラキラ光るシャンデリアまでぶら下がっていて、ただ寝るだけの部屋なのに、どこかの王宮に迷い込んだみたいだ。
最初はこんな豪華な場所じゃ落ち着いて眠れないかも……なんて少しだけ身構えていたけれど。
美味しいご飯でお腹がいっぱいになっていることと、今日一日の色々な出来事の疲れが、どっと身体に押し寄せてきていた。
私は誘惑に負けるようにして、その大きな天蓋付きのベッドへと潜り込んだ。
「……んんっ、すごく寝心地いい……」
シーツは驚くほどすべすべで、マットレスはまるで雲の上にいるみたいに柔らかく身体を包み込んでくれる。
そのあまりの心地よさに、先ほどまでの緊張が嘘のように、不思議と心がスーッと落ち着いていくのを感じた。
その安心感に身を委ねながら、私は目を閉じた。
――硝煙の都市での、長く不思議な一日。
色々なことがあったけれど、ふかふかの寝具の温もりに包まれた私の意識は、あっという間に深く、穏やかな眠りの底へと落ちていった。
――んんーっ。
眩しい朝の光の中で、私は小さな声を漏らしながら、全身でぐっと大きな伸びをした。
パチパチと瞬きをして見慣れた天蓋を仰ぎ見る。
ピンクを基調とした、大きなお姫様用のベッド。
私には似合わないことはわかってるけど、その可憐さに憧れることは結構あった。
そんな私の気持ちを知ってか知らずかお父様が買い替えて、私のベッドはいつしかこのベッドになっていたのだった。
私の部屋には、お姉ちゃんのお部屋よりも豪華な家具が並んでいて、お父様のお部屋よりもずっと広く、お母様のお部屋よりも天井が高かった。
……つまり。魔法が使えず蔑まれていたはずの私は、なぜかこの家で、国で一番尊い『聖女様』よりも、ずっといいお部屋で暮らしていたのだ。
「……このベッド、私一人で使うには大きすぎるんだけどなあ」
広いベッドの真ん中で、ぽつりと呟いた――その時だった。
「やっぱりリゼもそう思う?お姉ちゃんもね――」
ひょこっと、私のすぐ隣のシーツから、お姉ちゃんが嬉しそうな笑顔で顔を出した。
「――お姉ちゃん!?一緒に寝るときは一言言ってよ、びっくりしちゃうから!」
私はかぶせるようにその言葉を遮り、驚きで目を丸くしながら抗議の声を上げた。
いつの間に私のベッドに入り込んでいたんだろう?
本当にお姉ちゃんは、昔からこういうところが自由なんだから。
少し困ったような、呆れたような私の表情を見て、お姉ちゃんはくすりと優しく微笑んだ。
そして、そのまま私の隣に体を寄せると、愛おしくてたまらないといった様子で、私の頭をそっと撫でてくれた。
「ふふ、ごめんねリゼ。あんまり可愛かったから、つい」
すべすべとしたお姉ちゃんの温かい手が、何度も優しく私の髪を撫でていく。
……なんだか子供扱いされているみたいで、少しだけ恥ずかしい。
けれど、その手があまりにも温かくて心地よくて、私は抵抗することすら忘れて、そっと目を細めて身を委ねてしまうのだった。
目を閉じて、その優しくて心地よい温もりに身を委ねていると――。
ふわりと意識が溶け、気がついた時には、私は見慣れた家族の食卓で、お姉ちゃんの膝の中にすっぽりと収まっていた。
「……あっ」
またやっちゃった。
お姉ちゃんの撫で方が気持ち良すぎて、私はよくそのまま眠ってしまい、気がつくとこうして食卓まで運ばれて、お姉ちゃんの膝の上にいることがあるのだ。
目の前の席には、もうお父様とお母様が座って微笑ましくこちらを見つめている。
私は少し恥ずかしくなりながらも、二人にペコリと頭を下げた。
「お父様、お母様。……おはよう」
「おはよう、リゼ」
「ふふっ、おはよう。今日もぐっすり眠れたみたいね」
お父様とお母様が、日差しのようなどこまでも優しい声で返してくれる。
すると、私を後ろから抱きしめているお姉ちゃんが、少しだけむくれたような声を頭上から降らせた。
「むぅ……リゼ、私には『おはよう』の挨拶はないの?」
「えっ? お姉ちゃんにはもう……」
朝、ベッドの中で言ったような気がしたけれど――途中で言葉を止めて、記憶を辿る。
そういえば、お姉ちゃんがいきなりベッドに入ってきたことに驚いて、挨拶を忘れていたかもしれない。
私は首だけを少し後ろに向けて、私の背中にぴたりとくっついているお姉ちゃんの顔を見上げた。
「……おはよう、お姉ちゃん」
私が少し照れくさそうにそう言うと、お姉ちゃんはパァッと花が咲いたような笑顔になった。
「ふふっ、おはようリゼ!」
ギュッと私を抱きしめる腕の力が少し強くなり、大きな手が再び私の頭を優しく撫でてくれる。
――あたたかい。
お姉ちゃんの膝の温度も、頭を撫でてくれる手のひらも、私を見つめる家族の眼差しも。
すべてが、ひだまりのように、とてもとても暖かかった。
あたたかな食卓には、焼きたてのふっくらとしたパンと、湯気を立てる優しい香りのスープが並べられていた。
お姉ちゃんは自分の膝の上に私を座らせたまま、銀色のスプーンでスープをすくうと、ふーふーと息を吹きかけて少し冷ましてから、私の口元へと運んできた。
「はい、リゼ。口空けて」
ニコニコと、ひまわりのような満面の笑みで『あーん』を要求してくるお姉ちゃん。
「もう……そこまで子供じゃないのに」
私は少しだけむくれながら、ジト目で文句を言ってみせた。
自分で食べられるし、私だってそろそろ立派なレディなんだから。
……けれど。
お姉ちゃんの嬉しそうな顔を見ていると無下にはできなくて、私は結局、素直に小さく口を開けた。
「あーん」
「……ん」
お姉ちゃんの手から、温かくて優しい味のスープが口の中へと注ぎ込まれる。
「ふふっ、美味しい? リゼ」
「……うん、おいしい」
私が小さく頷くと、お姉ちゃんは心底嬉しそうに私の頭をもう一度撫でてから、自分の分をゆっくりと食べ始めた。
向かいの席では、お父様とお母様がコーヒーや紅茶を傾けながら、そんな私たち二人のやり取りを見て、クスクスと微笑ましく笑っている。
「フィーネは本当に、リゼのことが可愛くて仕方ないんだな」
「ええ。リゼも、なんだかんだ言ってフィーネに甘えるのが好きですからね」
「お母様、私別に甘えてるわけじゃ……」
反論しようとしたけれど、お姉ちゃんの膝の上の温もりが、そして口の中に広がるスープの味がとても心地よくて、私の言葉は自然と尻すぼみになってしまった。
優しくて、温かくて、誰も私を『無能』だなんて蔑まない場所。
それは、この家での『いつもの食事の光景』
いつまでも、永遠に続いていくと思っていた、当たり前で愛おしい時間だった。




