第100話 - α 鉄鍋の正体
しばらくして、厨房から香ばしい油の匂いが漂ってきたかと思うと、ウェイターさんが大きなお皿を両手に抱えてやってきた。
「お待たせいたしました!唐揚げとチキンセット四人前です!」
テーブルの真ん中にドンッと置かれたのは、山盛りに積まれたキツネ色の唐揚げと、こんがり焼かれた大きなお肉のセットだった。
ジュージューと熱い音を立てていて、見ているだけでよだれが出そうだ。
「わあ……!すごく美味しそう!」
私は目を輝かせたけれど、ふとテーブルの上がそれだけで埋まっていることに気がついた。
「あれ?おじさんが頼んだ鉄鍋は?」
お肉もすっごく美味しそうだけど、おじさんが『びっくりするぞ』って言っていたあの不思議な鉄鍋のほうが、今の私には気になって仕方ない。
私の疑問に、ウェイターさんは申し訳なさそうに微笑んだ。
「鉄鍋は特殊な仕込みが必要でして、ご準備に少々お時間がかかるんです。出来上がり次第、すぐにお持ちしますね」
「そっか。じゃあ、待ってる間にさっき教えてもらったオススメの『果実水』をお願いしてもいいかな?」
「かしこまりました!」
元気よく返事をしたウェイターさんが、再び厨房へと下がっていく。
それを見送ると、向かいの席でエールを飲んでいた巨漢の男の人が、感心したように口笛を吹いた。
「鉄鍋っすか。いやー、軍服の旦那……相当な『通』っすね」
「ん?」
おしぼりで手を拭いていたおじさんが、ピタリと動きを止めて片眉を上げた。
男の人は豪快に唐揚げを一つ口に放り込みながら笑って言う。
「鉄鍋は手間がかかりすぎるせいで、今じゃすっかり常連向けの『隠しメニュー』になっちまってるんすよ。昔からこの街を知ってる奴じゃないと、頼めない代物っすからね」
「隠しメニュー……!」
私が驚いておじさんの方を見ると、おじさんは静かに目を伏せ、手元のジョッキを軽く揺らした。
「……そうか。あの鉄鍋が隠しメニュー、な」
ぽつりと呟いたその声には、いつもの威圧感や呆れ混じりの響きはなく。
「……時が経つのは、早いな」
硝煙の都市の移り変わりを懐かしむような、静かで深い感慨が滲んでいた。
私はそんな空気に耐えきれず、目の前の唐揚げに飛びついた。
「あつっ、でも美味しい!」
サクサクの衣を噛み砕くと、中から熱々の肉汁と濃いめのスパイスの香りがじゅわっと口いっぱいに広がる。
「これ、なんかそこはかとなく体に悪そうな味がする……!」
「そっすよね!ハハハッ!」
私の素直すぎる感想に、巨漢の男の人は愉快そうに笑いながらチキンセットの肉に豪快に齧り付いた。
「あねさんみたいなお貴族様は、多分こんな味の濃いジャンクなもん食ったことないっすよ!でも、これがたまんねえんすよね!」
「うん、たまんない!」
私は男の人とすっかり意気投合し、パクパクと次から次へとお肉を口に運んだ。
この庶民的でジャンクな美味しさは、ちょっとやみつきになりそうだ。
一方で、向かいの席に座るおじさんは、もう一人の連れの男の人と静かに言葉を交わしていた。
「……お前ら、この街は長いのか?」
「ええ。俺もそこの馬鹿も、生まれも育ちもこのアッシュクロフトです」
連れの男の人は、自分のエールを傾けながら穏やかに答えた。
「今はそっちのうるさいのと組んで、薬草を採ったり、街の近くに出た魔獣を倒したり……まあ、色々と便利屋みたいな仕事をして食ってます。『冒険者ギルド』って、ご存知ですかね?」
「ギルド?」
私が唐揚げを飲み込んで首を傾げると、おじさんがチラリとこちらを見て説明してくれた。
「まあ、金で動く何でも屋の集団みたいなもんだ」
なるほど、と私が納得して頷いていると、おじさんは再び男の方に向き直り、相手の実力や背景を推し量るような鋭い視線を向けた。
「……『信用スコア』はいくつだ?」
「しんようすこあ?」
また知らない言葉が出てきて私が目をパチクリさせていると、男の人は少しだけ照れたように頬を掻いた。
「これでも一応、『7』あります」
「……ほう」
その数字を聞いた瞬間、おじさんの目が微かに見開かれた。
どうやら、その『7』というのは、おじさんが驚くほど高い数字らしい。
「……そっちのデカい奴もか?」
「ええ。まあ、見ての通り騒ぎは起こしますけど……悪い事はしないので。仕事の依頼はきっちりこなす主義なんです」
連れの男の人が苦笑交じりにそう言うと、おじさんは感心したように「そうか」と短く息を吐いた。
向かいの席でおじさんたちが話をしていると、厨房の方から先ほどのウェイターさんが戻ってきた。
「お待たせいたしました。こちら、『鉄鍋』になります」
コトン、と私たちのテーブルの中央に置かれたのは、分厚くて重そうな黒い鉄の鍋だった。
「これが、おじさんの言ってたびっくりする鉄鍋……!」
私はワクワクしながら身を乗り出し、パカッと木の蓋を開けてみた。
しかし――中を覗き込んだ私は、思わずポカンと口を開けてしまった。
「……あれ?」
湯気なんてまったく立っていない。それどころか鍋自体が冷たくて、中に入っているお肉もお野菜も、どう見ても『生』のままだったのだ。
「おじさん?これ?どゆこと?」
私が不思議に思って顔を上げると、おじさんはニヤリと口角を上げ、ウェイターさんに顎で合図をした。
「前、失礼しますね」
ウェイターさんが分厚い革手袋をはめた手で、大きなトングのようなものを取り出す。
その先に挟まれていたのは――なんと、熱を帯びて真っ赤に発光する『赤熱した鉄の塊』だった。
「えっ」
ウェイターさんは、ためらうことなくその真っ赤な鉄の塊を、生の食材と水が入った冷たい鍋のど真ん中へドボンッと落とした。
――ジュワアアアアアアアアアアッッッ!!!
途端に、耳をつんざくような激しい音とともに、鍋の中から白い水蒸気が爆発するように噴き上がった。
鉄の塊が放つ圧倒的な熱量によって、一瞬にして鍋の中が沸騰し、グツグツとアッツアツの煮えたぎる状態へと変化したのだ。
あっという間にお肉の色が変わり、スパイシーな香りが湯気と一緒に弾け飛んでくる。
「すごっ、すごい!なにこのやり方!?」
このダイナミックな調理法に、私はすっかり興奮して身を乗り出した。
そんな私を見て、おじさんは満足げに鼻を鳴らす。
「小娘、野菜を食ってみろ」
「うんっ!」
私は急いでスプーンとフォークを手に取り、グツグツと煮え滾る鍋の中から、お野菜を一つすくい上げてフーフーと冷まし、口の中へと放り込んだ。
「――っ!?」
その瞬間、私は信じられない感覚に目を見開いた。
中までしっかりと熱が通っていて、スープの旨味が染み込んでいるのに……噛んだ瞬間の食感は、シャキッ、パリッとしていて、まるで『生』のお野菜をそのまま齧ったみたいだったのだ。
「おいし……っ!なにこれ、なにがどうなってこうなったの!?」
私は感動と混乱が入り混じった声を上げ、次々とお肉や野菜を口へと運び始めた。




