第97話 - α ボディガード
「……それでおじさん、これからどうするの?」
私が二振りの剣の柄に手を添えたまま尋ねると、おじさんは深く腕を組み、不敵な笑みを口元に浮かべた。
「相手の情報網を見たいからな……しばらくここで待機になる。遅くても数日中には、向こうから何かしらアクションが来るはずだ。だから、とりあえず――」
おじさんはそこで一度言葉を区切ると、肩の力を抜くようにふぅと息を吐き出した。
「――飯を食いに出かけるか」
「……えっ?」
あまりにも脈絡のない提案に、私は拍子抜けしてパチパチと目を丸くしてしまった。さっきまで都市の権力構造とか、首が飛ぶとか、すごく物騒で難しい話をしていたはずなのに。
「ご飯って……おじさんが前に言ってた、びっくりするってやつ?」
私が首を傾げて尋ねると、おじさんは「ああ」と短く応じ、私の頭をポンポンと雑に撫でた。
「ここの料理はビビるぞ。不思議な感じというか……まあ、口で説明するより食べたほうが早いな」
そう言って、おじさんは私の背中をポンと叩き、迷いのない足取りでそのままお部屋の外へと向かって歩き出した。
どうやら本当に、今すぐご飯を食べに行く気満々らしい。
「あ、ちょっとおじさん待ってよ!」
慌てておじさんの後ろを追いかけようとした私の背中に、ふっと柔らかい声がかけられた。
「お二人とも、行ってらっしゃいませ。私はその間に、色々と手配を済ませておきますから」
振り返ると、そこにはいつもの冷徹な表情を崩し、呆れたような、けれどどこか優しく目元を緩ませた御者さんの姿があった。
「うん、お願いね!」
私が振り返って小さく手を振ると、御者さんは胸に手を当てて、優雅に一礼して見送ってくれた。
豪華すぎるスイートルームの扉を後にし、私とおじさんは、不思議な料理と硝煙の匂いが待つアッシュクロフトの街へと、再び足踏み出す一歩を踏んだ。
おじさんが慣れた手つきで昇降機の壁にあるレバーを動かすと、あの不思議な小部屋は、今度は静かに、驚くほど滑らかに一階へと降りていった。
――チーン、と。
軽やかなベルの音とともに扉が開くと、そこは先ほどの豪華なロビーだった。
私たちが一歩、絨毯の上へと足を踏み出した、まさにその瞬間。
「ブ、ブライユ様!?ギリアム卿!?」
ロビーの奥で待機していたハインツさんが、私たちの姿を認めるや否や、弾かれたように顔面を蒼白にして駆けつけてきた。
「ど、どうかされましたか!?何かお部屋に不備でも……っ!?」
息を切らし、今にも泣き出しそうなほどの明らかな動揺っぷり。
さっき御者さんに『次に無礼があれば首を飛ばす』なんて物騒なことを言われたばかりだから、私たちが部屋を出てきただけで、心臓が止まりそうなほど焦っているみたいだ。
「少し出る」
おじさんはハインツさんの慌てぶりなど気にも留めず、淡々と短い一言だけを告げ、私の肩を促してそのまま正面玄関へと歩き出す。
だが、今のハインツさんには、私たちをそのまま見送る余裕なんて1ミリも残されていなかったみたい。
「しょ、少々お待ちくださいませっ!」
ハインツさんは涙目になりながら、私たちの行く手を塞がない絶妙な位置へと必死に回り込み、食い下がってくる。
「当ホテルが誇る最高峰の護衛と、お身の回りをお世話する使用人を、ただちに手配いたします!ですから……どうか、何卒彼らをお連れくださいませっ!」
もし外で公爵令嬢に何かあれば、今度こそ本当に自分の首が飛ぶ……いや、ホテルごと灰にされると信じ込んでいるハインツさんの、魂を懸けた懇願だった。
そのあまりの必死さに、私が『そんなに大げさにしなくても……』と思ったけど。
「――ふん」
おじさんが、短く、けれど冷たく鋭い鼻を鳴らした。
その瞬間。ロビーの空気が、まるで真冬の極寒に凍りついたように、一瞬にして重く張り詰めた。
「……俺の実力では不安、と言いたいのか?」
「ひっ……!い、いえっ!決してそのような意味では……っ!」
声など荒げていない。ただ静かに睨みつけただけ。
けれど、それは数々の戦場をくぐり抜け、帝国軍の頂点に立った英雄だけが放つ、圧倒的な強者の圧だった。
おじさんが同行しているのに『別の護衛をつけろ』と言うこと自体が、軍のトップに対するこれ以上ない侮辱になり得るのだ。
「俺たちが用があるのは、この都市の街並みと視察だ。……余計な尾行をつけたら、かえって邪魔だ」
それだけを言い捨てると、おじさんは恐怖で完全に凍りつき、直立不動で震えるハインツさんの横を通り抜け、私の背中を軽く押した。
「……こちらへ」
私はおじさんの言葉に頷くと大きな背中を追って、重厚なホテルの正面扉をくぐり抜けた。
ホテルから少し離れ、周辺に尾行の気配が一切ないことをしっかり確認した私は、ふっと肩の力を抜いて隣のおじさんを見上げた。
「『……俺の実力では不安、と言いたいのか?』なんて、おじさんもちょっと過剰すぎだよ!」
私はさっきのロビーでの圧倒的な威圧っぷりを思い出し、笑いながらからかうように言った。
「だいたい、足が悪いんだからなにかあっても無理して前に出ないでよ、後ろからの援護がおじさんのさいきょーの強みなんだからね?」
私の言葉に、おじさんはフンと鼻を鳴らし、どこか気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「……違いないな。どちらかと言うと小娘、お前の方が俺のボディガードだからな」
おじさんはそう言って、私の腰に下げられた二振りの剣へと視線を向ける。
「奴ら、その皇剣をただの身分証か、令嬢が身に着けるアクセサリーか何かだと勘違いしているだろうが……いざ戦いになって、お前の手でそれが抜かれたら、驚きすぎて卒倒するだろうな」
皮肉げに笑うおじさんの言葉に、私も思わず声を出して笑ってしまった。
確かに、もし『か弱き公爵令嬢』がいきなり皇剣を引き抜いて暴れ出したら、ハインツさんたちは首が飛ぶ前に腰を抜かして気絶しちゃうかもしれない。
そんな冗談を交わし、冷たい空気を吹き飛ばしながら、私たちは硝煙と熱気が漂うアッシュクロフトの裏通りを並んで進んでいく。
「小娘、驚いて腰抜かすなよ?」
おじさんは楽しそうに鼻をならして、迷いない案内でたどり着いたのは――荒々しい冒険者たちが集う、賑やかで少し怪しげな酒場だった。




