第95話 - β 雪の旅路
「……聖女様は、どちらへ向かわれれるのですか?」
私が背を向けて出口へと歩き出すと、文書を大事に抱えた隊長が、心配そうに問いかけてきた。
私は歩みを止めることなく、ただ顔だけを少し背後へと振り向かせ、冷徹な声で告げた。
「……他の仕事だ。お前たちは、自分の任務のことだけを考えていろ」
「ハッ!申し訳ございません!」
これ以上の詮索を許さない私の一言に、隊長は慌てて直立不動で頭を下げた。
私はそのまま宿屋の扉を開け、冷たい風雪の舞い、終わった村フィニステラの外へと足を踏み出す。
階段の途中で立っていたも、何も言わずに無言で私のすぐ後ろへと続いてきた。
村を出て、私たちは再び真っ白な雪原の道へと進んでいく。
吹き荒れていた風は少しだけ弱まり、二人分の雪を踏みしめる乾いた足音だけが静寂の中に響き続けていた。
やがて、村が完全に白い地平線の向こうへと消え去り、見渡す限り私たち二人だけの世界になった、その時だった。
「……なあ」
ずっと背後を無言で歩いている案内人が、重い口を開いた。
「……なに」
私が前を向いたまま淡々と応じると、彼は少し躊躇うような、けれどこちらの心の中を探るような真剣な響きで尋ねてきた。
「戦争……やっぱり、気になるのか?」
その短い問いかけが、冷たい雪原の空気にすっと溶けていく。
私は歩みを止めず、コートの襟を少しだけ立てて冷たい風を避けながら、静かに目を細める。
「……別に」
前を向いたまま、肯定とも否定ともとれない短い返答を口からこぼした。
戦争の行方が、気にならないわけがない。
親友と妹を奪い、私の心を壊したあの泥沼の戦場が本当に終わるのだとしたら、それがどんな結末を迎えるのか、知りたいという想いは確かにある。
けれど――それ以上に、今の私には一秒でも早くリゼに会いたいという焦りがあった。
すぐにでも帝都へと向かい、あの子が本当に生きているのか、この目で見て、この手で確かな輪郭を確かめたい。
相反する二つの強い感情が胸の奥で激しくせめぎ合った結果が、先ほどの「別に」という、ぶっきらぼうで不器用な一言だった。
そんな内面の葛藤を察したのか、あるいは彼自身の想いなのか。
こいつは雪を踏みしめる歩調を私に合わせながら、真剣な声音で続けた。
「……俺は正直気になってるんだ。これから俺たちの住む帝国が、一体どう変わろうとしているのか」
「……」
「だから、……少しリスクはあるけど、ここからルートの変更をしてもいいか?」
私は何も答えず、ただ無言で白い息を吐き出しながら雪道を進み続けた。
そんな私の無言を沈黙の許可と受け取ったのか、少しだけほっとしたような気配を漂わせ、具体的な経路の説明を始める。
「元々の予定みたいに、人のいない境界から一気に南下して帝都を目指すルートじゃなくて……一度、『硝煙の都市』アッシュクロフトを経由したいんだ」
――アッシュクロフト。
その言葉の響きに、私はほんの僅かだけ視線を隣の青年へと向けた。
「あそこは帝都の火薬庫とも呼ばれる、帝国有数の巨大な都市だ。当然、人の目も多くて聖国人のあんたにとっては危険な場所になるが……、都市というだけあって、本国や軍の最新情報が一番早く、正確に集まる場所なんだ」
歩速を上げ、隣に並んだこいつは前方の空を見据えながら、言葉に熱を込める。
「それに、道自体は少し西に逸れることになるが、平坦な街道を使えるぶん足取りは早くなる。経路が変わるだけで、帝都に到着する全体の日程は変わらないように調整するさ」
情報が集まる都市。そして、リゼのいる帝都への到着時間は変わらない。
案内人としてのこいつの提案は、私情を挟みつつも、極めて理にかなった考え、だと思った。
私だって……これから、リゼ『と』生きる世界がどうなるのかを知る必要がある。
あの子が二度と、闘技場の檻に閉じ込められるような理不尽な目に遭わないか、この目で確かめておかなければならないのだから。
私はコートのポケットの中で、冷たくなった指先をきつく握りしめ――ふぅ、と小さく白いため息を吐いた。
「……好きにしろ」
今の私には、その一言を不愛想に呟くのがせいぜいだった。
それから私たちは、進む方角を少し調整し、太陽が完全に沈みきり、雪原が深い夜の闇に包まれるまで、ひたすら無言で行進を続けた。
「……今日はここまでにして、キャンプにしよう」
大きな岩陰を見つけ、風が凌げそうな場所でようやく足を止めた。
彼は背負っていた重い荷物を雪の上に下ろし、白い息を長く吐き出す。
「明日はここから強引に距離を稼いで進む。順調にいけば……アッシュクロフトの宿屋には、明日の深夜には着けるはずだ。だから、今日はここでよく休もう」
そう語る顔は、ランタンの微かな明かりに照らされて、明らかに疲労の色が濃く滲んでいた。
私を案内するために村を飛び出し、先の宿屋でも聖国兵を前に気苦労を重ね、さらにこの雪中行軍だ。疲れていないはずがない。
「……お前もな」
気がつけば、私の口からそんな短い言葉がこぼれていた。
それはこの男と旅を始めてから、……魔女として過ごしてきた私が、初めて見せることができた気遣いだったのかもしれない。
……もっとも、感情を押し殺した私のぶっきらぼうな口調と言葉は、世間一般で言うところの優しい気遣いには程遠い、冷たい響きだったけれど。
それでも、私の意図が伝わったのか、少しだけ驚いたように目を瞬かせた後、どこか気恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。
「……ああ、そうさせてもらうよ」
そう言って、彼はバックからカチカチに乾いた干し肉を取り出しながら、ふと思い当たったように私に尋ねてきた。
「なあ、あんた……飲める水って出せるか?」
私が怪訝な顔を向けると「いや、探ってるわけじゃなくてな」と慌てて手を振り、説明を付け加えた。
「魔法で出せないなら、周りの雪を集めて火で溶かし、加熱して濾過して飲み水を作るんだが。それだと結構時間がかかるし、いくら綺麗に見えても、雪をそのまま使うのは衛生的にもあまり良くないんだ」
それは無駄な体力を消耗せず、確実で安全な水分を補給するための、案内人としての理にかなった考えだった。
私は飲み水程度、どころか純水まで簡単に生成できる、だからそんなこと、気にしたこともなかった。
「……どこに出せばいい?」
私が短く問い返すと、こいつは「助かる!」と顔を輝かせ、荷物の中から持ち運び用の小さな金属製の鍋を取り出した。
「ここに頼む」
差し出された鍋の底を、私は静かを見下ろした。
私は手袋を外し指先を鍋の上へと向け、意識の奥で静かにキースペルを唱える。
……最も、最上位の魔法使いにとっては、この程度の魔法、意識しなくても使えるものだが。
――……出ろ。
虚空から透明で清らかな水が顕現し、差し出した鍋の中へと、澄んだ音を立てて満たされていく。
「すげえ……!一瞬で綺麗な水がこんなに……、魔法使いってのは反則みたいに便利だな」
鍋いっぱいに溜まった水を感動したように見つめ、すぐに野営の準備し始めた。




