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空白の少女と錆びた英雄 ――音を聴く大鎌の少女、帝国の闘技場で弾丸と舞う――  作者: R.D
第二部 中編

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第93話 - β お人好し

 私はベッドの上にうずくまり、あの日からずっと手放せずにいる、冷たい剣の鞘を強く胸に抱きしめていた。


 この氷のように冷たい金属だけが、今の私にとって、唯一残されたリゼの輪郭だった。


 これさえ手放してしまえば、私は本当に、ただの狂った人殺しの怪物のまま、世界のどこかへと消え去ってしまいそうで。


 どれほど涙を流しただろうか。


 声殺して震え続ける私の耳に、部屋の扉を叩く、控えめなノックの音が届いた。


「……俺だ」


 扉の向こうから少し躊躇うような、けれど優しい声がする。


 私は両手で乱暴に目元の涙を拭い、なるべく普段通りの、感情を殺した冷たい声を作って応えた。


「……入れ」


 ギィ、と古びた木製の扉が軋み、ゆっくりと開く。


 部屋に入ってきた彼は、薄暗い暖炉の明かりに照らされた私の顔――きっと涙の跡でひどく腫れ上がっているであろう私を見るなり、心配そうに眉をひそめた。


「……大丈夫か?」


 その気遣うような一言に、私は胸の奥で自嘲の笑みを漏らした。


 何を言っているんだろう、この男は。


 昨日お前は、村ごと皆殺しにしたという報告を聞いたばかりんだ、その上、私の案内の為に、かえってすぐに私についてきて、お前のほうが疲れているだろうに。


 人殺しの怪物に向かって「大丈夫か?」だなんて。


 ……本当にお人好しにも程がある。馬鹿じゃないのか。


 けれど、そんな冷めた思考とは裏腹に。私の口からは、自分でも思いがけない言葉が、ぽつりと自然にこぼれ落ちていた。


「……お前は、ここに友人はいなかったのか?」


「え……?」


 私の突然の問いかけに、こいつは目を丸くして立ち止まった。


 私が自分の目的やリゼのこと以外の、他人の私情や背景に興味を示したことなど一度もなかったからだろう。


 私自身、どうしてそんなことを聞いたのか分からなかった。


 ただ、この男の底なしのお人好しぶりが、どうしようもなく気になったのかもしれない。


 彼は少しの間驚いたように私を見つめていたが、やがて視線を落とし、頭を掻きながらどこか懐かしむように語り始めた。


「……いたさ」


 その声は、私を責めるでもなく、ただ静かに過去の記憶を辿るような、穏やかな響きだった。


「俺たちの村とここの村は、見ての通りのど田舎だろ?だから、若い奴なんて両手の指で数えるくらいしかいなくてさ。隣村同士、ちょっとした寄り合いや冬の備蓄作業なんかがきっかけで、すぐに顔なじみの友人になったんだ」


 暖炉の揺れる火の粉を見つめながら、ふっと小さく微笑んだ。


「友人だけじゃない。……恋人にはなれなかったけど、好きだった人も、この村にいたさ」


「……っ」


 その言葉が、私の心臓を鋭い氷の刃で貫いたような気がした。


 好きな人が、いた。


 私が、聖国が、何もかもを奪い去り、雪の中に沈めたこの村に。


 このお人好しな青年の、大切に思っていた人がいたのだ。


「……お前、おかしいんじゃないのか?」


 気がつけば、私のひび割れた唇から、押し殺した声が漏れ出ていた。


「好きな人が殺されたって聞いて……なんで私を責めない?なんで怒鳴らない?なんで……泣き叫んで私を殴りつけないんだッ!?」


 私の静かな絶叫が、薄暗い客室の中に虚しく響き渡る。


 私を殺してくれたって構わなかった。


 私の胸を突き刺し、私からすべてを奪っていってくれた方が、どれほど救われたか分からない。


 それなのに、この男は静かに昔話を語るだけで、私を糾弾しようとすらしないのだ。


 私の乱乱とした視線を受け止めながら、ローランは小さく自嘲するように眉を下げた。


「……そりゃ、俺だってこの村が全滅したって報告を聞いた瞬間は、頭がどうにかなりそうなくらい怒りがこみ上げたさ」


 ぽつりと呟き、自分の手を見つめた。


「あんたの前で怒鳴ったろ?『姉なら……あいつに誇れる自分でいてくれよっ!』って、……正直に言えば、あの叫びには俺自身の行き場のない怒りや悲しさも、全部乗っかってたんだ」


「……っ」


「でも一晩考えたらさ、あの村を襲った兵士たちだって、命令されて戦場に駆り出されたんだろ?そう考えるとさ……俺にはどうしても、目の前の兵士やあんたが命の仇だとは思えないんだよ」


 彼は暖炉の火を見つめたまま、静かに、けれど確かな決意を込めて言葉を紡ぐ。


「悪いのは、兵士でも……あんたでもない。人を狂わせて、大切なものを片っ端から奪っていく、この泥沼の戦争なんだ」


 こいつは……


 私の心の中に、呆れと、困惑と、そして吐き気をもよおすほどの眩しさが渦巻いた。


「……とんだお人好しだな……」


 自分の大切な人を殺した元凶を目の前にして、相手を恨むことすら放棄して、世界の理不尽さに目を向けるだなんて。


 どれだけ愚かで、どれだけ優しい男なのだろう。


 私の痛々しいような視線に気づいたのか、気づかずうちに言葉に出ていたのか、照れくさそうに頭を掻きながら、ふっと柔らかく笑った。


「……まあ、でも。あんたの妹には、到底負けるさ」

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