第91話 - α 超意訳・お嬢様の言葉
おじさんの横を歩きながら、私は緊張で背筋をピンと伸ばしていた。
私たちの斜め後ろには、荷物を持った御者さんが、いかにも従順な使用人といった佇まいで静かに控えるように続いている。
門をくぐり、その建物――宿屋という名のお城の中へと足を踏み入れた瞬間、私は危うく叫び声を上げそうになった。
う、うわぁっ……!
目の前に広がっていたのは、まさに豪華絢爛という言葉そのものの世界だった。
ものすごく高い天井からは光り輝く巨大なシャンデリアが吊り下げられ、床は塵一つないピカピカの大理石。
行き交う人々の身なりも洗練されていて、なんだか自分の知っている帝国とは全く別の、異世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。
素直に「すごい!」と口に出してはしゃぎたかった。
けれど……我慢だ。私は今、公爵家の令嬢なんだから。
おじさんに言われた通り、余計なことを喋ってボロを出さないよう、私は必死に唇を噛み締めて無言を貫いた。
その頃、前を歩いていたおじさんは、玄関で出迎えてくれた身なりの良い店員さん?ホテルの受付係らしき男の人と何やら言葉を交わしていた。
だが、どうにも交渉が上手くいっていないみたいだ。
「……ですから、事前の通達にない将官殿の急なご滞在となりましても、確認の手続きが必要でして……」
おじさんはなにかの書類を見せながら食い下がっている。
「だから、俺は皇帝陛下の代理として……」
受付の男は丁寧な言葉遣いながらも、どこか官僚的な態度でおじさんを足止めしている。
そして時折、チラッ、チラッと、おじさんの後ろに無言で立ち尽くす私の方へと値定めするような視線を投げてくるのだ。
……なんか、すっごく居心地が悪い……!
疑うような、探るような視線。
闘技場で向けられた殺気とはまた違う、貴族社会特有の嫌な空気。
立ちぼうけを食らわされる耐え難い居心地の悪さに、ついに我慢の限界を迎えた私は、斜め後ろに控えていた御者さんをクイッと小さく手招きした。
御者さんが恭しく頭を下げ、私の口元へと寄せる。
「……ねえ、これどういう状況なの?」
私が周囲に聞こえないよう極小の声で囁くと、御者さんは私の質問には直接答えず、口元にふっと感情の読めない笑みを浮かべた。
「――この剣、少しお借りしますね」
「えっ?」
次の瞬間、御者さんは私の腰のベルトから、ソフィに持たされた国宝――『皇剣』の鞘を手際よくカチャリと外した。
そして、一歩前へと踏み出し、広大なロビーの空気を切り裂くような凄まじい大音声を張り上げたのだ。
「――いつまでお嬢様を待たせるつもりだッ!!」
「「えっ!?」」
突然の怒声に、受付の男だけでなく、交渉していたおじさんまでもがビクッと肩を揺らして目を丸くする。
「このお方がどれほど高貴か、見てわからないのか!?この剣が見えないほど、貴様らの目は節穴なのかッ!!」
御者さんは皇剣の黄金の輝きを高く掲げ、まるで主人の侮辱に激怒する忠義の狂犬と化して受付の男を怒鳴りつけた。
周囲の貴族や従業員たちの視線が一斉にこちらへと集まり、ロビーの中がシンと静まり返る。
ぎょ、御者さん!?なに言ってんの!?キャラ変わってるって!
私は心の中で悲鳴を上げた。ただでさえ目立っているのに、そんなに大声をだしたら余計に注目されちゃう!
私は焦りまくって、再び御者さんの袖をクイッと引っ張り、耳元へと手招きした。
「ちょっと、なにやってんの!?」
私が涙目で小声のツッコミを入れると、御者さんは深く頷き、再びロビーに向かって堂々と叫んだ。
「――お嬢様は、寛大にも『こんなに立たせ、待たされたことを今回は不問にする』と仰っている!早くお嬢様を最上室へご案内しろ!さもくば……!」
……言ってない!そんなこと一言も言ってないよ!?
私の「なにやってんの!?」という焦り100%の言葉は、御者さんの驚異的な超意訳によって、寛大な公爵令嬢の慈悲と脅迫へと見事にすり替えられていた。
「も、申し訳ございませんッ!!」
皇剣の威光と、公爵令嬢を激怒させたという事態に、ついに奥から偉そうなスーツを着た男が血相を変えて飛んできた。
「私、こちらのホテルを預からせていただいております、ハインツと申します!この度は私どもの手際が悪く、ブライユ様にとんだご不快な思いを……ッ!」
ハインツと名乗った支配人らしき男は、床に額がつくのではないかというほどの勢いで直角に頭を下げた。
「至急、当ホテルで最高峰のスイートをご案内いたしますので!どうぞ、どうぞこちらへッ!」
その必死すぎる平身低頭な姿を見て、御者さんは「ふん」と偉そうに一息つき、皇剣を私の腰へと戻しながら「よろしい」と短く頷いた。
そして、先ほどの狂犬ぶりが嘘のように洗練された優雅な手つきで、私に向かって手を差し伸べる。
「お嬢様、どうぞこちらへ」
完璧なエスコート。
周囲からは「あれほどの無礼を許すなんて、なんと慈悲深いお嬢様だ……」という、勝手な感嘆のヒソヒソ声すら聞こえてくる。
……もう、どうにでもなれ。
私は心の中で完全に考えるのを放棄し、白旗を掲げた。
身分社会のパワーバランスなんて、私にはやっぱり一生理解できそうにない。
私は覚悟を決め、すんっと無表情なお嬢様の仮面を貼り付けると、有能すぎる御者さんのエスコートにそっと手を重ね、ハインツさんの案内で大理石の階上へと歩き出すのだった。




