第5話 B-29は日本近海へ機雷を投下します。半年後、その海を使うのは米軍です。
第5話 B-29は日本近海へ機雷を投下します。半年後、その海を使うのは米軍です。
第十九章 台湾戦の終わり
1945年9月20日 台湾北部
台湾北部では、ソ連から流れていた帝国陸軍規格の弾薬が急に減った。
日本本土への侵攻が始まり、スターリンにとって台湾戦をさらに延ばす価値は下がった。
安藤利吉の司令部では、その変化がすぐ分かった。
「7月、8月に入ってきた出所不明の弾薬が、今月に入ってほとんど来なくなりました」
「日本本土の状況と時期が合いすぎますね」
安藤は地図を見たまま言った。
「誰が送っていたかは、もう想像がつきます。ただ、それを証明する仕事は戦後の人に任せましょう。こちらは、残っている兵をどこまで戦わせるかを考える必要があります」
米軍と中国軍は、新竹から桃園、台北方面へ圧力を強めた。
台湾の飛行場はほぼ継続的に攻撃され、日本側航空部隊がまとまって動くことは難しい。
海上からの補給も期待できなかった。
日本本土ではソ連軍が北海道から本州へ入り、米軍も次の上陸地点を選び直している。
安藤は部下と長い会議をした。
「本土から有効な命令は来ません。台湾だけ戦い続けることに、軍事的な意味は残っているでしょうか」
参謀長は答えた。
「米軍を拘束する意味はあります。ただ、本土の戦況はもう台湾だけで変えられる段階ではありません」
「私も同じ考えです。中国側を含めて、降伏条件を確認しましょう」
「兵にはどう説明します」
「本土の命令を待ち続けるのではなく、台湾でこれ以上戦う意味があるかを説明します」
「中国軍にも降伏する形になります」
「彼らも実際にここで戦っています。それを否定しても仕方がありません」
「では代表を出します」
「お願いします。条件を確認してから、部隊へ命令を出しましょう」
台湾の帝国陸軍は、米第10軍と中国側代表へ降伏した。
高雄上陸から、すでに何か月もたっている。
中国側は降伏式に自国軍の部隊旗を並べた。
自分たちで海を渡り、帝国陸軍と戦い、台湾を奪還したという政治的な目的は達成された。
その間にソ連軍は北海道を越え、本州へ入っていた。
台湾で空いた米軍部隊の一部は、南九州ではなく紀伊半島へ向かう準備に入った。
第二十章 飢餓作戦の後始末
1945年10月 関門海峡・豊後水道・瀬戸内海
日本の内航海運は、すでにほぼ消えていた。日本船が動かない海へ、今度は米軍船舶が入ってくる。
掃海担当の将校が海図を見て、思わず言った。
「これ、全部うちが撒いたんですよね」
「そうだ。半年ほど前にな」
話は1945年3月のテニアンへ戻る。第313爆撃航空団のB-29には、いつもの爆弾とは違う荷物が積まれていた。米海軍が用意した航空機投下用の機雷である。
「千ポンド級なら一機に十二個。二千ポンド級なら七個です」
搭載員が爆弾倉を見上げる。
「吊るすところまでは爆弾と変わらないな」
「違うのは落としたあとです。爆弾はその場で壊す。こいつは海へ置いて帰ります」
説明担当の海軍士官は作動図を開いた。
「主力は海底へ沈む感応機雷です。船体が触れなくても、磁気、機関やスクリューの音、水圧の変化を拾えます」
「落ちたらすぐ作動するのか」
「そうとは限りません。遅延設定があります。それから回数設定。一隻目を見逃し、二隻目も見逃し、何隻目かで初めて作動させられます」
「掃海艇が一度通っても安全とは言えない?」
「言えません」
「磁気だけなら消磁で対策できる」
「音響だけなら音響掃海があります」
「水圧は」
「それも別です。しかも同じ海域に混ざっています」
「つまり、一種類ずつ片づける話ではない」
「はい。通れたことと、残っていないことは別です」
半年後、その説明を思い出す側が米海軍自身になるとは、このとき誰も考えていなかった。
最初の大規模な敷設先は関門海峡だった。
夜、B-29の編隊が本州と九州の間へ入ってくる。都市爆撃のように焼夷弾が降り注ぐことはなく、爆撃照準手が選んでいるのは海峡、水道、港へ続く航路だった。
爆弾倉から機雷が離れる。
しばらく落下するとパラシュートが開き、速度を落とした機雷が暗い海へ降りていく。海面へ入ったあとパラシュートから離れ、重い本体は海底へ沈んだ。そこで初めて、船を待つ兵器になる。
海岸の監視員から見れば妙な空襲だった。B-29が来て、探照灯の中を何かがパラシュートで落ちていくのに、海面では大きな爆発も火災も起きない。
「機雷投下。位置、関門海峡」
監視所から海軍基地へ報告が飛ぶ。
「落下位置は記録しました」
「種類は」
「外からは分かりません」
「掃海艇を出せ。回収できるものは調べる」
日本側は可能な限り落下位置を記録し、回収できた機雷から対策を作った。それでも次には別の作動条件を持つものが混じる。
「また違う型です」
「一つ対策を作るたびに、次が来るな」
「投下は今夜も続く見込みです」
「こちらが回収している間に、また増えるわけだ」
「関門だけではありません。瀬戸内海の出入口と主要港への航路にも落としています」
「全部を守る船はない」
「だから向こうは撒くんでしょう」
3月末から夏まで、同じ投下が西日本の海峡、水道、港湾で繰り返される。関門海峡、瀬戸内海の出入口、主要港への航路。B-29は46回の任務で1万2千個を超える機雷を日本近海へ置いた。
「工場をすべて破壊しなくても、原料が来なければ止まります」
当時の作戦説明では、それでよかった。
「九州、朝鮮、中国大陸との船を止める。石炭、食料、原料、兵員を運べなくする。海上輸送を切れば鉄道にも負担が集中します」
その目的は1945年10月までにほぼ達成されている。日本船はほとんど動かない。
ところが今度は、別の作戦会議で同じ海図が机に広げられた。
「日本船はいません」
「その代わり、われわれが通る」
「機雷も残っています」
誰も笑わなかった。
掃海幕僚は敷設記録と掃海記録を並べた。
「日本側が新しく撒いたものではありません。飢餓作戦で、こちらがB-29から投下したものです」
「記録があるなら除けるだろう」
「位置の記録はあります。しかし回数設定、遅延作動、磁気・音響・水圧の複数条件が残っています。掃海済みと書けても、安全とは書けません」
「大型炸薬が船底で作動したら」
「輸送船や小艦艇なら、一発で致命傷です」
関門海峡では、沈没船をどけるために入った作業船が触雷する。
「救援船を出せ!」
「待ってください。近づけば、もう一発あるかもしれません」
その懸念どおり、浸水して傾斜中の艦へ近づいた救援船も別の機雷を作動させた。
別の日には、掃海艇が通路を確認した直後、その後ろを走る軽巡洋艦が突然持ち上がるように爆発し、船体を折って沈む。
「掃海したんじゃなかったのか」
「しました。だから先頭の掃海艇は通ったんです」
「後ろが沈んでるぞ」
「回数設定なら、先頭を通すこと自体がおかしくありません」
現場の答えは冗談にならなかった。
アメリカ海軍の新鋭重巡洋艦シカゴとロサンゼルスも関門海峡で触雷し、浸水と傾斜で長く行動を止めた。
台風が通過したあとの豊後水道では、ヨークタウンとワスプが相次いで失われた。掃海済みとされた水路でも、海底の機雷がどこまで移動し、どの作動条件が残っているか完全には分からなかった。
瀬戸内海では、米軍が掃海しながら米軍船だけを走らせた。
日本の漁船まで海へ出れば攻撃対象になった。小型船による兵員輸送や連絡に使われる可能性があるため、航空機は機銃掃射し、沿岸の漁港や小港は巡洋艦級の艦砲射撃で順に使用不能へ追い込まれた。
日本側の海上交通はさらに消えた。
代わりに米軍側の輸送船、駆逐艦、掃海艇、巡洋艦が、ときどき自軍の機雷で沈んだ。
日本側の港湾要員が、遠くの爆発音を聞いて言った。
「どれだけ何を撒いたんや。掃海できてへんし、自分たちでも無力化できへんようなもん、ばらまくなや」
誰も反論できなかった。
日本軍が海へ出るより、残された米軍機雷の方が効率よく連合軍船舶を沈めていた。
第二十一章 紀伊水道
1945年10月下旬 紀伊水道
紀伊半島上陸の前に、米海軍は自分たちの機雷原と戦うことになった。掃海艇が水路を作り、後続艦が慎重に進む。
紀伊水道へ入った戦艦ミズーリで最初の衝撃が走った。
「触雷!」
「速力を落とせ。浸水区画を確認」
一発目で速度が落ち、救援と被害確認の最中に二発目が船底近くで炸裂する。
「浸水、隔壁を越えています」
「排水は」
「追いつきません。傾斜が増えています」
曳航準備を進めても、船体の応力は増していく。
「このままでは持たない」
最終的に放棄命令が出た。米海軍の象徴になるはずだった戦艦は、日本軍の砲撃ではなく、米軍自身が投下した機雷で紀伊水道に沈む。
報告はミズーリだけでは終わらない。
「エンタープライズ触雷。マサチューセッツ、アラバマも損傷」
「輸送船は」
「駆逐艦、軽巡洋艦以下を含めて損害が続いています」
「掃海を止めるわけにはいかない」
「止めれば上陸そのものができません」
大型艦だけの損害ではない。それでも紀伊半島へ兵を上げるには、水路を開け続けるしかなかった。
日本側の海上攻撃は、戦力不足でほぼ消えていた。
「日本艦隊の出撃は」
「ありません。燃料不足です」
「航空攻撃は」
「少数機だけ。低空で入って、後方の集積地や車列を狙っています」
「艦隊より機雷の方が厄介だな」
「今のところは、その通りです」
帝国海軍の船は燃料不足で動かず、港に係留された艦の砲が使える程度である。航空攻撃は少数機の低空侵入へ変わっていた。
その代わり、山影から突然出てくる少数の九九式襲撃機などが、掃海部隊の後方にある集積地や車列を狙った。
機関砲の掃射と60kg爆弾。
米軍戦闘機が反応するころには、日本機は海上へ出ず、山の向こうへ逃げ込んでいる。
上陸艦隊が最も警戒したのは、日本海軍よりも海底の機雷だった。
海底に残った飢餓作戦の機雷と、どこから来るか分からない少数の地上攻撃機だった。




