↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/5

第3話 ソ連軍は留萌へ上陸します。タチアナは日本人警備隊に「日本人民軍」という名前をつけます。

第3話 ソ連軍は留萌へ上陸します。タチアナは日本人警備隊に「日本人民軍」という名前をつけます。


第十一章 北海道上陸


1945年8月24日 北海道・留萌沖



 1945年4月12日、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が死去し、副大統領だったハリー・S・トルーマンが大統領を継いでいた。カイロで蔣介石から台湾の話を聞いた大統領は、もういない。


 スターリンは北海道北部をソ連軍の降伏受領区域に含めるようトルーマンへ求め、米側から拒否された。それでも、日本政府の統一した降伏が成立していないことと、米軍主力が台湾と九州準備に拘束されていることを理由に、北海道北部への実力進出を決めた。


 作戦の中心を担うのは第87狙撃軍団だ。


 南樺太へ集められた部隊は、太平洋艦隊の輸送船と上陸用舟艇に乗り込んだ。米国からProject Hulaで渡された掃海艇や上陸用舟艇も、その中に含まれていた。


 目標は留萌。


 ソ連側にとって重要なのは、十分な港を確保することだ。


 日本側では、日本陸軍第5方面軍司令官・樋口季一郎中将が北海道の防衛を見ていた。


 樺太でソ連軍との戦闘が始まっている以上、北海道への上陸可能性は無視できない。


「留萌方面の海上偵察で、船団らしい動きが確認されています」


 参謀が報告すると、樋口は落ち着いて聞いた。


「規模は分かりますか」


「まだ正確ではありません。ただ、掃海活動らしい動きもあります」


「上陸を前提にした方がよさそうですね。沿岸部隊には、海岸だけで兵力を使い切らないよう伝えてください。港を失っても、その後に戦える形を残しておきたいと思います」


 夜が明ける前、ソ連海軍の航空隊が飛行場と通信施設を攻撃した。


 留萌沖には低い雲がかかり、海から吹く風は8月末でも冷たかった。波しぶきを浴びた上陸用舟艇の中では、濡れた軍服とディーゼル排気の匂いが混じり、兵は機関音のため隣の声も聞き取りにくかった。海岸から砲撃が始まると、暗い水面に白い水柱が立ち、夜明け前の水平線が一瞬ずつ橙色に光った。


 続いて海上では掃海艇が前へ出る。


 日本側の沿岸砲が発砲し、海面に水柱が立った。


 駆逐艦や警備艇も沿岸砲台へ応射した。


 留萌港の外では、これまで日本本土では起きなかった種類の戦闘が始まった。


 上陸用舟艇が接岸し、ソ連兵が海岸へ出る。先頭の小隊長が「Вперёд!(フピリョート、前進!)」と叫び、兵が海岸の遮蔽物へ走った。


 帝国陸軍の機関銃陣地から射撃が始まり、先頭の舟艇の一部が損傷した。ソ連側は砲兵を揚げるまでの間、艦砲と航空支援で陣地を抑えようとした。


 日本側も、残っていた航空機を出した。千歳や旭川方面に残る五式戦闘機、四式戦闘機「疾風」、海軍の零式艦上戦闘機など、北方へ回せた機体は多くないが、上陸船団の前には確かに現れた。


 北海道の飛行場から上がった陸軍機が船団を狙い、ソ連戦闘機が迎撃した。燃料も機体も十分ではない日本側は、継続的な航空優勢を取れなかったが、最初の数日間は港と船団に損害を与えた。


 港湾施設の一部は日本側が破壊した。


 ソ連軍は上陸そのものには成功したが、その翌日から何でも運べたわけではない。


 揚陸できる量が進撃速度を決めた。





第十二章 最初の降伏部隊


1945年8月27日 北海道・留萌周辺



 留萌周辺の戦闘が数日続いたあと、帝国陸軍の一部が包囲された。


 ソ連軍は降伏勧告を出した。


 その前に、ソ連側の幕僚が捕虜の扱いを確認した。


「降伏した兵は後送しないのですか」


「Да(ダー、そうだ)。スターリン同志はそのように言われています。鉄道員、通信兵、医療要員は北海道内に残して使う、と」


 その方針を確認したうえで、日本側の大隊長に通訳を介して条件を伝えた。


「兵はソ連領へ送られますか」


「原則として北海道内に留めます。武器は提出してもらいますが、鉄道、通信、医療などの技能者は登録し、必要な仕事に戻ってもらいます」


「将校はどうなりますか」


「部隊ごとに審査します。戦争犯罪などの問題がなければ、全員を長期収容する方針ではありません」


 大隊長は幕僚と相談した。


 戦闘を続けても弾薬は少ない。


 負傷者も増えた。


 それでも、ソ連では政治犯などがシベリアの収容所へ送られるという話が知られていたため、降伏すれば自分たちもシベリア送りになると考える兵は多かった。


「本当に日本に残すというのなら、負傷者の治療を先に確認させてください」


 ソ連側は応じた。


 降伏した兵は武装解除されたが、そのまま船へ乗せられることはなかった。


 負傷者は野戦病院へ運ばれた。


 鉄道員だった兵は別枠で登録される。


 通信兵も同じ扱いになる。


 数日後、その情報は周辺部隊へ伝わった。


 宣伝放送より、日本人同士の口コミの方が早かった。




第十二章補 札幌まで


1945年8月30日~9月5日 北海道



 留萌から内陸へ入ったソ連軍が最初に必要としているのは、広い地域を一度に占領することではない。港と鉄道をつなぐことだ。


 日本側は旭川方面にも部隊を持っている。札幌も行政と交通の中心として無視できない。


 ソ連軍は装甲部隊だけを先へ走らせず、鉄道復旧と砲兵の移動に合わせて前進した。


 日本側の守備隊は、最初の数日間は抵抗した。


 道路沿いの陣地から対戦車砲を撃ち、橋を落とし、山間部では小部隊がソ連軍の側面を狙った。


 ソ連軍はそれに対して、砲兵を先に使った。


 欧州戦線で都市と陣地を攻め続けた部隊にとって、道路を守る帝国陸軍陣地は未知の相手ではなかった。


 しかし北海道の地形と道路事情は、ドイツとは違う。


 装軌車両が通れても、後続の補給車が通れない場所がある。


 橋を直しても、その先の道路が狭い。


 そのたびに日本人の道路管理者や鉄道員が呼ばれた。


 旭川近郊では、帝国陸軍部隊の一部が戦闘を続け、別の一部は撤退した。


 退路を失った部隊には、日本人民軍の前身となる日本人警備隊が降伏条件を説明した。


 ある連隊長は、同じ帝国陸軍の制服を着た相手を見て戸惑った。


「あなた方は、いつからソ連側の部隊になったのですか」


 警備隊の将校は少し考えて答えた。


「まだソ連軍になったつもりはありません。武器を置いたあと、鉄道と町の警備を任されただけです。こちらへ来るなら、少なくとも捕虜船に乗せられることはありません」


「その保証は誰がするのです」


「絶対の保証と言われると困ります。ただ、私たちは今ここにいます。留萌で降伏した兵も、同じように北海道内に残っています」


 連隊長はすぐには答えなかった。


 数時間後、その部隊は武器を置いた。


 こうした降伏が増えるほど、ソ連軍の進撃は速くなった。


 札幌では、全面的な市街戦になる前に守備側が分裂した。


 抗戦を続けたい部隊と、これ以上の戦闘に意味はないと考える部隊が同じ市内にいる。


 日本人民軍側の日本人将校が間に入り、部隊ごとに武装解除を進めた。


 ソ連軍が札幌へ入ったとき、戦車の前を日本人部隊が案内する場面もあった。


 市民の目には、それがいちばん奇妙に見えた。



          ◇ ◇ ◇



 函館はまだ日本側に残った。


 本州へ渡る港であり、津軽海峡を押さえる位置にある。札幌へ入ったソ連軍も、補給線を整えないまま函館へ急ぐことはしなかった。


 函館守備隊は沿岸砲台を維持し、港内の小型艦艇も出撃準備を続けた。海峡の向こう側には本州側の部隊もいる。


 この時点では、函館の将兵も、数日後に札幌で第5方面軍司令部と北海道庁がソ連側との正式な交渉へ入ることをまだ知らない。


 北海道侵攻は、最初から「帝国陸軍が何の抵抗もできなかった」戦争ではなかった。


 抵抗はあった。


 ただ、それを長く支える補給と、部隊をまとめ続ける国家の指揮が崩れ始めていた。





第十三章 村が道を教える


1945年9月3日 北海道



 留萌から札幌方面へ進む途中、ある村でソ連兵5人が拘束された。


 村の少女を暴行した兵だった。


 村の広場には、ソ連兵が集められた。村人も少し離れたところから見ていた。5人は武装を外され、政治将校の前へ連れ出された。


 政治将校は何も言わなかった。


 処分命令を確認すると、5人をその場で射殺した。


 倒れた5人へ言葉をかけることもなく、政治将校は残った兵士たちの方を向いた。


「彼らの処分は決まっていた。理由を説明しても、叱責しても無駄だ。生きている君たちには言っておく」


 兵士たちが黙って聞いた。


「米軍よりも、できるだけ多くの占領地域を確保せよ。同志スターリンの命令だ。そのためには住民の協力が不可欠になる。妨害されるより案内された方がいい。後方の守備に兵力を割きたくない。住民との関係が良ければ、自分たちの町や鉄道を守り、危険があればこちらへ知らせてくれる」


 政治将校は村人の方へ一度視線を向け、それから兵士たちへ戻した。


「ここはヨーロッパ戦線とは違う。それを理解したまえ」


 その日の別の部隊では、酒保の勘定をごまかした兵士に48時間の歩哨勤務が命じられた。


 軍紀違反の重さによって処分は変わった。


 村人への重大な犯罪を起こした兵が自軍の前で処分されたという話は、ソ連兵の間にも周辺の村にも広がった。


 ソ連軍が留萌から内陸へ進むと、戦闘のない村にも兵が入ってくる。


 ある村で、装甲車を含む車列が古い橋の前で止まった。


 車列が止まると、エンジン音の消えた村には川の音が戻った。土間の家からは薪の煙と味噌汁の匂いが流れ、畑から戻った人たちは泥の付いた長靴のまま道路脇に集まった。ソ連兵の軍服と装甲車だけが、その景色の中でひどく場違いに見えた。


 村長が通訳に呼ばれた。


「この橋は重い車でも通れますか」


「荷馬車なら大丈夫ですが、その車はやめた方がいいでしょう。春の増水で橋脚が少し動いています」


 工兵が調べると、確かに危険な状態だ。


「迂回路はありますか」


「川上に林道があります。ただ、雨が降ると泥になります。こちらの農道を通るなら距離は長いですが、地面はまだ固いです」


 村長が地図に線を引いた。


 ソ連軍は、その情報どおり遠回りした。


 数日後、村から軍へ出ていた若者が戻ってきた。


 捕虜として連れて行かれたのではなく、鉄道警備の仕事をするため近くに配置されたという。


 父親は、戻ってきた息子の腕章を見ながら尋ねた。


「赤軍へ入ったのかと思ったが、そうではないんだな。軍務をやめたいと言えば、家へ戻れるのか」


「まだ名前もよく決まっていない日本人の警備隊だって。武器は帝国陸軍のものを使っている。やめるなら、手続きのあと帰してくれるそうだよ」


 この話は、さらに隣の村へ伝わった。


 ソ連側は、村落単位の協力を意識して利用した。


 道路、橋、井戸、倉庫、病院、鉄道。


 土地を知っている日本人が協力すれば、占領軍だけで全部調べる必要がなくなる。


 スターリンが日本人を急いで国外へ送らなかった理由は、人道主義より実用の方が大きかった。


 それでも現地の日本人から見れば、米軍とソ連軍への感情は同じではない。何年も「鬼畜米英」と聞かされ、実際に都市への焼夷弾攻撃も受けた米軍に対し、ソ連は直前まで政府が仲介を頼もうとしていた相手だ。そこへ「降伏してもシベリアへ送られず、日本に残れる」という実例が重なったことが、村落単位の協力が広がる一因になった。




第十三章補 タチアナ大佐の小さな部隊


1945年9月6日 札幌郊外



 タチアナ大佐には、スターリンから付けられた政治将校が同行していた。


 役割ははっきり分かれている。


 タチアナは日本語を読み、日本人へ直接質問し、新聞、役場の帳簿、帝国陸軍の命令書、住民の噂まで拾う。日本人が言った言葉をロシア語へ直して軍政側へ説明し、どの政策が抵抗を増やし、どれが協力を引き出すかを提案する。


 政治将校は、軍紀、人事、拘束、倉庫封印、財産接収など、占領軍として正式な命令を出す。


 その二人に無線手、運転手、数人の護衛が付いた。


 車は無線車と乗用車か小型トラックの1、2台で足りる。大部隊ではないので、前線の道路が一本空けば先へ出られた。


 村へ入るときも駅へ入るときも、別の通訳を探す必要はない。


 タチアナ自身が日本語で聞いた。


「橋は壊れていますか」


「地主はどこへ行きましたか」


「この工場は電気が戻れば動きますか」


 必要なら、その場で政治将校へロシア語で説明する。


 軍政の決定が出れば、また日本語で住民へ伝える。


 人数が少ないため、大都市の統治そのものはできない。


 その代わり、軍政本隊より早く次の町へ入り、何が起きているかを確かめることができた。


 タチアナの部隊は、進撃する軍隊の少し前と少し後ろを行き来する、小さな情報と軍政の結節点になった。





第十四章 日本人民軍


1945年9月8日 札幌



 札幌で最初に問題になったのは、新しい国の名前ではなかった。


 鉄道を誰が動かし、食料をどう配り、倉庫と発電所を誰が守るのか。さらに、武装解除された帝国陸軍の兵を、そのまま何万人も収容しておくのかという問題があった。


 旧北海道庁の会議室には、ソ連軍の政治将校、タチアナ大佐、日本陸軍第5方面軍司令官・樋口季一郎中将、北海道庁長官・熊谷憲一、それに警察、鉄道、港湾の担当者が集まった。


 窓の外をソ連軍のトラックが通った。会議室には古い紙と煙草の匂いが残り、机の中央には北海道の鉄道路線図が広げられている。


 政治将校がロシア語で話した。


 タチアナがそのまま日本語にした。


「武装解除した兵を全員収容所へ入れるつもりはありません。鉄道、港、通信、病院、倉庫の警備に日本人が必要です」


 樋口は路線図を見たまま答えた。


「兵を使うのであれば、部隊として扱ってください。昨日まで同じ指揮系統にいた者を、今日は個人ごとにばらばらに使えば混乱します」


 タチアナはロシア語へ直した。


 政治将校が返す。


「帝国陸軍をそのまま残すことは認めない。武装解除したうえで、必要な者を新しい部隊として登録する」


 樋口はうなずいた。


「それで結構です。ただし、人数だけ集めても軍にはなりません。下士官、通信、工兵、衛生、鉄道、車両整備の技能者を先に選んでください」


 熊谷が話を引き取った。


「軍施設だけでは足りません。札幌では食料配給も消防も動かさなければなりません。鉄道が止まれば石炭も食料も来ない。駅、倉庫、発電所、水道も守ってもらう必要があります」


 タチアナは政治将校へロシア語で説明した。


 短い相談のあと、政治将校が言った。


「Хорошо(ハラショー、よろしい)。民政は北海道庁と市町村に続けてもらう。警察も使う。ただし、武装した部隊はソ連軍政の登録下に置く」


 熊谷はもう一つ確認した。


「住民からの徴発は北海道庁を通してください。軍が町へ直接入って食料や車両を持っていけば、すぐ混乱します」


「数量を記録し、北海道庁の担当者を立ち会わせます」


 タチアナが日本語で返した。


 ここで初めて部隊の名称が出た。


 タチアナはロシア語で書かれた紙を机へ置いた。


「Японская народная армия(ヤポンスカヤ・ナロードナヤ・アルミヤ)。日本語なら『日本人民軍』です」


 樋口は紙をしばらく見た。


「軍と呼ぶ以上、降伏兵を集めただけの作業隊にはしないでください。指揮官を置き、命令系統を決める必要があります」


「上級指揮にはソ連軍の顧問が入ります」


「占領下ですから、それは理解しています」


 兵を部隊ごと丸ごと編入する方針は採られなかった。


 実戦経験のある伍長、軍曹、通信兵、工兵、砲兵、衛生兵、鉄道員、自動車整備兵を優先して登録し、訓練のほとんどない兵や過剰な人員は武装解除後に復員させる。


 新しい軍服を何万人分も用意する余裕はない。


 当面は帝国陸軍の軍服を使い、階級章と所属を示す腕章だけを交換した。灰緑色の軍服のまま、肩や襟、腕の印だけが変わる。


 住民から見れば、昨日まで帝国陸軍だった兵が、翌日には別の腕章を付けて駅や発電所を守っていることになる。


 違いを分からせるため、タチアナは布告文を日本語で何度も書き直した。


 樋口は最後に函館の地図へ目を移した。


「第5方面軍の名で、道内各部隊へ交渉成立を知らせます。函館にも送ります。組織的な抵抗をやめ、代表を札幌へ出すよう命じます」


 政治将校が確認した。


「全員が従うか」


 タチアナが訳すと、樋口は答えた。


「保証はできません。沿岸砲台や帝国海軍部隊には別の指揮系統もあります。ただ、第5方面軍の部隊まで理由なく戦い続ける必要はなくなります」


 熊谷も続けた。


「函館が焼ければ、北海道と本州をつなぐ港そのものを失います。市街戦は避けてもらいたいと思います」


 政治将校はうなずいた。


 タチアナが日本語で伝えた。


「抵抗しない部隊へ砲撃する理由はありません」


 その日のうちに、札幌から函館へ電報と使者が出た。


 これが、この世界で「日本人民軍」という名称が正式に使われた起点になった。


 まだ北海道の警備組織に近い。


 それでも、ソ連軍政、帝国陸軍第5方面軍、北海道庁が同じ机で条件を決めたことで、日本人自身の指揮系統を持つ新しい軍隊の骨格ができた。


 タチアナは会議が終わったあと、空になった椅子を見た。


 日本語の名称を考えた紙が机に残っていた。


 数週間後、その名前が津軽海峡を渡り、東北へ広がっていく。

毎日19時10分更新です。


12話構成です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。