第11話 タチアナは美濃で杉原千畝を拾います。関ヶ原では東西の軍が向かい合います。
第11話 タチアナは美濃で杉原千畝を拾います。関ヶ原では東西の軍が向かい合います。
第三十二章 美濃で杉原千畝を拾う
1945年11月初旬 岐阜・美濃
愛知の軍需産業を確保したソ連軍と日本人民軍は、岐阜へ入った。
「ここまで来れば、関ヶ原までで十分でしょう」
参謀が地図を見た。
「愛知と岐阜の航空機、工作機械、車両、電機、軍需産業は押さえられます」
「それ以上西へ出れば、米軍との距離が急に縮まりますわね」
タチアナ大佐はそう言って、別の書類を開いた。
「それより、私は一人拾っておきたい方がいますの」
東京の外務省を押さえたとき、人事記録の中に一人だけ妙に目立つ名前があった。
杉原千畝。岐阜県出身でロシア語に堪能。ハルビン学院で学び、満州で対ソ交渉に携わり、北満鉄道譲渡交渉にも関わっている。リトアニア、ドイツ、東欧でも勤務した。
タチアナは記録を読み返した。
「まあ。いま必要な経歴が、一人の中にほとんど全部ありますわ」
側にいた外務省出身者が答えた。
「本人は東京にいません」
「それが不思議なのです。どうしてこの方が美濃で半分隠居なさっているのかしら」
明快な答えは返ってこなかった。
ソ連軍の進出地域が美濃まで来ると、タチアナはいつもの小さな部隊で寺へ向かった。
杉原は、突然現れたソ連軍の大佐を見ても騒がない。
「杉原千畝さんですね」
「はい」
「東京へ来ていただきます」
「逮捕ですか」
「いいえ。お仕事ですわ」
タチアナはそう答えてから、ロシア語へ切り替えた。
「Ваш русский язык всё ещё хорош?(ロシア語は、まだお上手ですか)」
杉原もロシア語で返す。
「Проверим.(試してみましょう)」
護衛の兵と寺の人たちは、その先をほとんど理解できなかった。
「東京の外務省は、いま誰が動かしています」
「動かしている、というより残っている人間が動かしています」
「それなら話は早いです。モスクワへお願いする外務省ではなく、モスクワと交渉する外務省に変えたいのですわ」
杉原は少し考えた。
「私を外務省へ戻す、と」
「戻すだけでは足りません。実務を見ていただきます」
周囲には何を決めているのか分からない。それだけで十分に憶測を呼んだ。
杉原は最低限の荷物をまとめた。
「残りは、落ち着いたら取りに戻ります」
「その方がよろしいでしょう。東京で本が必要になったら、そのとき持ってきましょうね」
東京へ戻ると、霞ヶ関がさらにざわついた。
追い出したはずの杉原千畝が、今度はソ連軍の情報大佐と一緒に正面から戻ってきた。二人は廊下でも執務室でもロシア語で普通に話す。
「誰の名前が出た」
「人事の話ではないのか」
「モスクワへ何を報告するんだ」
実際には、決裁経路や、誰がロシア語を読めるかを話しているだけのことも多かった。
タチアナは省内の幹部を集めた。
「杉原さんには、今日から外務次官として仕事をしていただきます」
誰かが息をのむ。
「復職という扱いですか」
「いいえ。外務省の実務トップですわ」
杉原は机に積まれた案件を見た。
「捕虜、帰還、占領地域の境界、通商、在外邦人、鉄道、港、食料、文書引継ぎ。華やかな外交どころではありませんね」
「そこが一番大事です。政治案件、軍政案件、外務省で処理できる案件、モスクワ判断が必要な案件を分けましょう」
「通訳を何段も挟まずに済むのは助かります」
「ええ。そのために拾いに行ったのですもの」
霞ヶ関では、二人がロシア語で話すたびにまた憶測が生まれた。
杉原に聞いても、答えはだいたい同じだった。
「仕事の話ですよ」
第三十三章 関ヶ原で止まる
1945年11月上旬 岐阜・関ヶ原
太平洋側のソ連軍と日本人民軍は関ヶ原まで来た。
前線司令部では、西進を続ける案も出た。
「この先へ行けば、米軍と接触します」
「愛知と岐阜の軍需産業はもう確保しています」
タチアナは地図の上へ指を置いた。
「なら、ここで止まりましょう。進めるから進む、では政治になりませんわ」
日本海側も金沢・小松で止まっている。
地図の上では松代がまだ残る一方、その南西では東西両軍が向かい合う線ができていた。
関ヶ原周辺の帝国陸軍部隊へは、東京側から武装解除の勧告が届いた。西側からも米軍への降伏条件が示される。
ただ、松代派はまだ正式に終わっていない。
「天皇と大本営が松代にある以上、命令を待つべきです」
帝国陸軍側の将校がそう主張する。
岡田資中将も、すぐには部隊を動かさなかった。
「東も西も、こちらへ撃ってくる理由を増やさない方がいいでしょう。松代から正式な決定が来るまで、陣地を出ず、こちらから大きな攻撃を始めないでください」
関ヶ原は、決戦場になる前に一度止まった。
東側も西側も、その背後で政治の決着を待つ。
第三十三章補 松代降伏
1945年11月中旬 長野・松代
松代へ最後の通告が送られた。
タチアナは日本側代表へ最初に念を押した。
「公文書、軍令、作戦記録、人事記録、通信記録、外交記録を破棄しないでください。焼却も持ち出しも認めませんわ」
「機密文書も残すのですね」
「必要ありません。書類はそのままです。封印はこちらで行います」
政治将校が補足した。
「誰が何を命じたかを後から推測で埋めることはしない。命令書も人事台帳も残してもらう」
保存する記録は軍政だけでなく、井上が進める佐官以上の査定にも使う。外交文書は杉原の外務省へ引き継ぐ。
「燃やしてしまえば、都合の悪い人ほど得をしますもの」
タチアナはそう言った。
降伏当日、松代周辺には約5万人規模のソ連軍と日本人民軍が展開した。
地下宮城と大本営へ入るのは、タチアナ大佐、スターリンから付けられた政治将校、無線手、護衛、日本人民軍の連絡将校からなる少人数の代表団だけである。
「主力は坑道外に置きます」
「中へ大軍を入れる必要はありませんわ。降伏を受け取るのですから」
坑道の中は湿っていた。
電灯は何度も停電を経験し、予備電源へ切り替えられている場所もある。外ではIl-2が発電施設と浄水施設を繰り返し叩き、B-29の2000ポンド爆弾が集落の形まで変えていた。
天皇は、用意された降伏文書を読んだ。
東京が無血開城したこと、大阪と京都も西側で戦闘終結へ向かっていること、帝国陸海軍の各部隊へ戦闘停止を命じること、松代の政府と大本営がこれ以上独自の戦闘を命じないこと、文書と施設を保全することが並んでいる。
「これに署名すれば、国内の戦闘を終わらせる命令になりますか」
日本側代表が答えた。
「大元帥としての戦闘停止命令も同時に出します」
天皇は署名した。
政治将校は黙って文書を確認する。
タチアナは日本側の連絡将校へ言った。
「これで、松代から独自に戦闘を続ける命令は出ませんね」
「はい」
帝国陸軍・帝国海軍にとって大元帥は天皇である。天皇が戦闘停止を命じたあと、正規の命令系統を理由に継戦する余地はなくなった。
天皇はその後、退位した。
東側では皇族・華族の身分制度も廃止する方針が決まり、旧天皇本人を新しい共和国の政治主体にはしない。
書類の接収が始まる。
「金庫から先に封印します」
「参謀関係資料、軍令関係、電報綴り、人事台帳もお願いします」
政治将校が正式な接収命令へ署名し、タチアナは保管場所を日本側担当者から確認した。
降伏文書の日本語原文は東京へ送られる。
杉原外務次官が原文を見ながら言った。
「『停止』『解散』『武装解除』『行政権』『文書保全』。ここはロシア語でも意味をずらさない方がいいですね」
「ええ。一語ずつ確認しましょう」
タチアナと対ソ担当官が対訳を確認し、ロシア語版を作る。
完成した文書は、政治将校の軍政報告、タチアナの状況報告と一緒にモスクワへ送られた。
西側では、ほぼ同じ時期に米軍が大阪・京都を押さえ、新しい天皇を京都に置く手続きが進んでいる。
東西の戦争は、ほとんど同時に終わった。
それでも関ヶ原には、なお武装を解かない一派が残った。
第三十四章 2度目の関ヶ原
1945年11月下旬 関ヶ原
松代から戦闘停止命令が届くと、関ヶ原周辺の空気は一度に変わった。
「大元帥御自身の命令です」
日本人民軍の将校が陣地へ呼びかける。
「武器を置く部隊は、白布を見える位置に出してください。負傷者を先に出して構いません」
西側からも同じ趣旨の勧告が届いた。
多くの兵は武器を置いた。ソビエト軍に降伏する部隊もあれば、米軍へ降伏する部隊もある。
「家へ帰りたい」
そう言う兵が増えた。
それでも数千人規模の残余が残る。
統一された正規防衛線ではない。ソ連軍にも米軍にも降伏しないと主張する将校、解散命令へ従わない部隊、戦闘停止命令を偽物だと疑う兵が混在していた。
東西双方から最後の勧告が出る。
大半の陣地では銃声が止まった。
一部では戦闘になった。
ソ連砲兵と米軍砲兵は連絡線を設け、互いの部隊へ砲弾を落とさないよう射界を調整する。
「こちらの線より西へは撃たない」
「米軍側も東へ越さないと確認しています」
残存部隊は山地と集落を使って抵抗したが、補給も政治的な目的もない。
夕方までに陣地は分断された。
岡田資中将の周辺では、南へ抜ける案が出る。
「関ヶ原から南へ下るなら、島津義弘が使った方向があります」
岡田は地図を見た。
「島津の退き口ですか。400年近く知られている道を、向こうが知らないとは思えませんね」
「それでも、まとまって動ける道はほかにほとんどありません」
「全員では無理でしょう。降伏を希望する兵と負傷者は残します」
夜、岡田と少数の幕僚、護衛兵が南へ出た。
約10km進むと、前方に日本人民軍の部隊がいる。その後ろにはソ連軍も見えた。
「岡田中将とお見受けします。これ以上先は通れません。武器を置いていただければ、負傷者から手当てします」
岡田は周囲を見た。
この兵力で、ソ連軍と米軍の間を戦闘突破して南へ抜けることはできない。
「分かりました。射撃を止めさせます。負傷者を先にお願いします」
「承知しました」
岡田は刀を外した。
関ヶ原の戦闘は終わる。
翌日、東側は西側代表へ連絡した。
「戦闘は終わりました。次は境界を決めましょう」
会議場所として大垣が提示された。
第三十五章 大垣会議
1945年11月末 大垣
大垣へ集まった代表団に、戦争を終わらせる仕事はほとんど残っていなかった。
東側では松代が降伏し、関ヶ原の残存部隊も武装解除されている。
西側でも米軍が大阪と京都を押さえ、新しい天皇を京都に置いて戦闘を終えた。
杉原外務次官が最初の文書を机へ置く。
「ここは先に確認しておきましょう。降伏そのものを、この会議でもう一度交渉するつもりはありません」
松代派代表が文書を示した。
「松代で署名された原本です。帝国陸軍・帝国海軍への戦闘停止命令も正式に出ています」
西側代表も同意した。
「では、境界と引継ぎへ移りましょう」
地図が広げられる。
「太平洋側は、いま東側が関ヶ原まで来ています」
「このまま山中の細い線を境界にすると、道路、集落、鉄道が複雑に入り組みます」
杉原が揖斐川を指した。
「南側の基本線は揖斐川にしましょう。上流は谷と分水界をたどり、冠山付近から福井側へ抜けます」
「日本海側は」
「東側は金沢・小松で止まっています。最終的には九頭竜川水系まで調整する案です」
東側代表が答える。
「こちらは関ヶ原から揖斐川まで下がります。その代わり、北陸側の線を九頭竜川水系まで動かします」
杉原は頷いた。
「線だけ決めても足りません。双方の軍隊がいつ撤収し、いつ新しい占領地域へ入るかも一緒に決めてください。何週間も向かい合ったままにするのが一番危険です」
軍事担当者が案を読み上げる。
「新規の進出は禁止。重砲、戦車、大型弾薬集積を先に後退。そのあと歩兵と補給部隊を所定地域へ移す」
「橋、駅、港、飛行場の引渡しは、双方の連絡将校が立ち会い、時刻まで記録しましょう」
「故障車両、負傷兵、病院列車は例外通行を認めます」
「撤収時の橋、発電所、ダム、鉄道、工場設備の破壊は禁止です」
杉原が言った。
「もう撤退戦ではありません」
次の議題は水だった。
「木曽川水系では、戦前から関西側の事業主体が持っていた発電用の水利権や設備運営権があります」
「境界が変われば、そのままでは行政が動きません」
「東側占領地域にある発電用取水権、水利権、施設運営権は東側行政へ移管します。資産評価、債務、送電料金は後日の実務会議で精算しましょう」
西側代表が送電線を指した。
「軍事境界線をまたぐ線は切りますか」
杉原は首を振った。
「切れば双方が困ります。暫定的な相互供給契約を先に結びましょう。所有権と料金はあとで決めればよいのです」
鉄道と通信も同じ扱いになった。
皇室関係の議題へ移る。
東側では天皇制と華族制度を廃止し、旧天皇は退位している。
西側では新しい天皇が京都へ入り、制度を継続する。
杉原は資料を閉じた。
「こちらで必要のないものを抱え込んでも仕方ありません。松代へ持ち込まれていた宮中の剣璽、御璽、国璽その他の皇室関係物品は、目録を作って西側へ引き渡します」
「熱田神宮の草薙神剣は」
「熱田神宮側との手続きを整えて西側へ移します。伊勢側の八咫鏡は西側にあります」
西側代表が確認した。
「条件にはしないのですね」
杉原は穏やかに答えた。
「こちらで必要のないものを人質にして、何を得るのです。必要のない争いは増やさない方がいいでしょう」
復員と帰還兵の扱いは、さらに人数が大きい。
「到着港だけで所属を決めるのは無理です」
「舞鶴へ着いた東側出身者もいれば、横須賀へ着いた西側出身者も出ます」
杉原が案をまとめた。
「帰還船の中で一度だけ本人に選んでもらいましょう。東側へ戻るか、西側へ戻るか。両側の制度説明を受けたうえで申告書へ署名してもらいます」
「変更は」
「入港後2年間は原則として認めない方がよいでしょう。戸籍、配給、住宅、就職、家族呼寄せ、鉄道輸送を何度もやり直すことになります」
「例外は重病、未成年者の保護、扶養家族の死亡など、合同委員会が認めた場合に限る」
復員港では検疫と登録を行い、そこから選択した地域へ列車と船で送る。
朝鮮出身者は別枠になった。
「大陸へ日本人を迎えに行く帰還船は、往路が空きます」
「その往路で、日本国内にいる朝鮮出身者の帰還を進めましょう」
「日本に残る人は、東西どちらかの所属地域を選ぶ」
「正式な国籍は、両側の国家成立後に改めて確定します」
朝鮮総督府は、政治統治を続けるためではなく、帰還、戸籍、財産、鉄道、港湾、病院、学校、行政文書を引き渡すための暫定機関として1946年末まで残す。日本人職員は業務が終わった部門から順次撤退し、1947年1月からは朝鮮国の行政府へ完全に切り替える。
細かな港ごとの人数、船舶の割当、運賃精算、残留財産、学校や病院の個別引渡しまで話が広がり始める。
杉原が止めた。
「今日全部決めようとすると、決められることまで決まりません。骨格だけここで決めて、細部は次回へ回しましょう」
軍事境界線と軍隊の移動期限、降伏文書の確認、皇室関係物品の引渡し原則、水利・発電権の移管原則、帝国陸海軍帰還兵の所属選択、朝鮮出身者の帰還と1946年末までの行政引渡し。
「これで大垣会議の仕事は足ります」
最終文書には「大垣議定書」という名称が付けられ、東側代表、西側代表、旧松代派代表が署名した。
外では揖斐川がいつもどおり流れている。
会議が終わった翌日、モスクワからタチアナへ大佐から少将への昇進辞令が届いた。
杉原が辞令を見て言った。
「今度はバナナではないようですね」
タチアナは少し笑った。
「わたし、大垣議定書の功績で少将になりましたわ」




