第10話 井上成美は横須賀で残った船を調べます。タチアナは愛知の工場を動かします。
第10話 井上成美は横須賀で残った船を調べます。タチアナは愛知の工場を動かします。
第二十九章 井上成美と日本人民軍海軍
1945年10月中旬 横須賀・東京
東京無血開城の直後、井上成美は横須賀へ入った。
岸壁には、帝国海軍の人間、工廠、ドック、通信施設、倉庫、それに終戦まで残った艦艇がある。
「呉、舞鶴、長崎は西側です」
日本人民軍の海軍担当者が地図を示した。
「東側で海軍を作るなら、横須賀と大湊が核になります」
井上はしばらく港を見た。
「大きな船から考えない方がいいでしょう。まず、何が動くかを一隻ずつ見ましょう」
この世界の横須賀は、史実の1945年7月18日とは違う姿で残っていた。
史実では、米海軍機動部隊が1945年7月18日に横須賀を空襲し、戦艦「長門」は500ポンド爆弾の直撃を受け、艦長の大塚幹少将らが戦死した。米海軍歴史遺産司令部の『H-053-1: The End of the Imperial Japanese Navy』にも、その攻撃と艦橋付近の被害が記録されている。
しかし、この世界では、その時期の米機動部隊が台湾戦とその周辺作戦へ使われている。7月18日の横須賀空襲は起きず、長門も艦橋へ直撃を受けていない。大塚艦長も生きていた。
「長門は動かせますか」
井上が機関担当者へ聞いた。
「燃料がありません。港内で砲を動かす程度ならできます」
「船体と機関は」
「修理すれば使える余地があります」
「なら、残しましょう。燃料と補給が入るようになってから考えればいい」
史実では長門は戦後に米国側へ接収され、1946年のOperation Crossroadsでビキニ環礁の原爆実験標的艦になった。1946年5月13日付の米海軍の標的艦配置図にもNAGATOの名がある。
この世界では、横須賀を先に押さえたのはソ連軍と日本人民軍だった。
潜水艦の扱いも変わる。
史実では米海軍が1945年8月27日、I-400とI-14へ拿捕班を送り、両艦を接収した。米海軍歴史遺産司令部の『Souvenir Cards for Japanese Surrender』には、その日付と2隻の接収が残っている。
「I-400系列を全部米軍へ渡す理由はありません」
日本人民軍側の担当者が言う。
「乗員と整備員を残してください。ソ連海軍の専門家にも見てもらいます」
「研究用ですか」
「研究にも訓練にも使えます。ただし、まず状態確認です」
1947年4月25日に第二復員局がまとめた『JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF WAR』には、終戦時の残存艦艇、建造中艦艇、小艦艇まで広く記録されている。この世界で横須賀と大湊から日本人民軍海軍が引き継ぐ艦艇を考える基準も、その一覧に置かれる。
実物を見始めると、書類だけでは分からないことが次々出てきた。
「これは『行動不能』になっています」
工廠技師が掃海艇を指した。
「主機は致命傷ではありません。補機と配線、ポンプを直せば動きます」
「こちらは」
「書類では軽微ですが、軸系が悪い。先に触ると時間を食います」
井上は一隻ずつ説明を聞いた。
「では、修理量の少ない艇からです。掃海艇、駆潜艇、輸送艇、曳船。港と沿岸を動かせるようにしてから、大きな艦を考えましょう」
横須賀工廠では、機関、電気、通信、ポンプを順に点検した。使える部品は倉庫から集め、同型艇から部品を移す。
「大湊も同じ基準で一覧を作ってください。日数、人員、部品までです」
「長門は後回しですね」
「動けるようになってから考えましょう」
こうして最初に再建されるのは、戦艦を中心にした海軍ではなく、掃海、港内警備、沿岸哨戒、輸送、曳航、救助を実際にこなせる小型艦艇中心の海軍になった。
航海、機関、通信、砲術、電気、造船、整備などの技能を持つ者も優先して登録する。軍服が足りない間は帝国海軍の被服を使い、階級章と所属章だけを交換する。
井上は日本人民軍全体の軍事責任者となり、海軍部門もその下へ置かれた。
「海に囲まれた国です。港を開けて、船を動かす海軍はすぐに必要になります」
ソ連側顧問が長門を見た。
「旗艦にするのか」
井上は少し笑った。
「まず港を掃除します。旗艦の話は、そのあとで十分でしょう」
西側の呉にも大型艦の残骸や港湾設備は残る。しかし戦争末期には燃料がなく、帝国海軍としてまとまって航行する艦隊は存在しない。
東西の海軍は、最初から違う遺産を受け継ぐことになった。
第三十章 愛知の工場
1945年10月下旬 名古屋・豊川・岐阜方面
東京が無血開城すると、ソ連軍と日本人民軍は東京周辺へ大兵力を固定する必要がなくなった。
政治将校が地図を広げる。
「西へ線を伸ばすこと自体が目的ではありません。愛知の軍需産業と交通網を先に押さえます」
タチアナは工場一覧を見た。
「航空機、発動機、工作機械、車両、電機、それに豊川の海軍工廠。壊れた建物より、残っている機械と人を見たいですわ」
「占領線は岐阜まで」
「まずはそこまでで結構です。工場を止めない方を優先なさってください」
名古屋の工場地帯には、空襲で焼けた建物の煤と機械油の匂いが残っている。割れた窓から秋の風が入り、床には細かな金属粉が光った。
軍隊より先に、噂が入っていた。
「鉄道員は仕事へ戻された」
「捕虜を全部シベリアへ送ってはいない」
「工場は壊さず使うらしい」
「東京は市街戦をせずに降伏した」
休憩所で話を聞いた職長が腕を組んだ。
「本当に機械を動かすつもりなら、電気を戻してくれないと始まらん」
「旋盤より先に変電所だな」
B-29の空襲警報で家族を防空壕へ入れ、焼けた住宅や工場を自分の目で見た者は多い。その人々にとって、東から来るソ連軍の航空隊が飛行場、鉄道、砲兵陣地、軍用車列を主に狙うことは、東京や名古屋の市街地を焼き払ったB-29部隊とは違って見えた。
「もう変わるんだろうな」
誰かが言った。
「変わるなら、仕事がある方がいい」
そこへタチアナ大佐が入ってきた。
油と煤で汚れた作業服の中で、手入れされた軍服と長靴がよく目立つ。
「ごきげんよう。皆さんにお願いがあります。工場と機械を止めないでくださいな。技師、職長、熟練工は職場へ戻っていただきます」
工員たちは互いの顔を見た。
「工場を労働者へ渡すのですか」
「所有権の話は後ですわ。まず旋盤を動かし、発電機を直し、鉄道車両を修理してください。それが先です」
「賃金は」
「払います。食料配給も、働いている方を優先しますわ」
「経営者が戻ってきたら」
「そのとき行政が決めます。機械を持って逃げることだけは認めません」
政治将校が正式な接収命令と設備保全命令へ署名した。
タチアナは工場の図面を技師と一緒に見る。
「空襲で建屋がなくても、この工作機械は動きますのね」
「電源が戻り、主軸を調整すれば使えます」
「測定器は」
「一部を疎開させています」
「まあ、それなら探してくださいな。建物より先に、機械と測定器と図面を集めましょう」
別の政治将校が確認した。
「所有権の最終判断は」
「後回しにしてください。軍政側が優先するのは、炭鉱の排水、鉄道運行、電力供給、工場設備の維持です。後方地域の住民と技術者がこれらを動かせば、治安維持に残すソ連兵を減らして前線へ回せますわ」
「では、その線で命令を出します」
名古屋市街を全面的な市街戦にする力は、帝国陸軍側にも残っていない。
郊外で抵抗した部隊の一部は西へ下がり、一部は日本人民軍へ武装解除された。
小牧、各務原、名古屋周辺の航空関係施設では、残った機体より技師、治具、工作機械、図面の方が重要になった。
豊川でも同じ判断になる。
「火薬工場はどうします」
「精密加工、電気、工作機械の設備まで捨てる必要はありません。民需と復旧用へ切り替えましょう」
金沢の日本軍武装解除を終えた部隊からも、人員が名古屋地区へ回された。
「日本海側へ大兵力を置き続ける余裕はありません」
「名古屋、豊川、岐阜の工場と鉄道を優先してください」
ソ連軍の先頭は岐阜方面へ進む。
後ろでは、占領翌日から工場の電源を戻す作業が始まった。
東北の農村では小作料を止めることが人を動かした。愛知では、焼け残った旋盤へ油が差されることの方が長い演説より早かった。
第三十一章 日本海側は金沢まで
1945年10月下旬 新潟・金沢・小松
日本海側では、新潟を橋頭堡にする。
陸軍参謀が親不知周辺を指した。
「ここへ戦車と補給車列を押し込むのは危険です。橋かトンネルをいくつか壊されれば止まります」
タチアナは海軍側の地図を重ねた。
「金沢までは船で行きましょう。富山へ大軍を入れる必要はありませんわ」
「先に金沢へ上陸し、そのあと富山へ降伏勧告を出します」
「その方が早いでしょうね」
新潟から兵員と物資を船へ積み、日本海を西へ運ぶ。
金沢にはかなりの帝国陸軍部隊が残っていた。
上陸後、日本人民軍の連絡将校が降伏条件を伝える。
「部隊ごとに武器を集めます。弾薬庫は封印します。負傷者と病院はそのまま扱います」
「鉄道と港は」
「武装解除が終わったところから引き継ぎます」
この処理に兵力と時間を取られ、福井方面へすぐ回せる部隊は残らなかった。
金沢・小松の処理が終わるころ、名古屋地区ではさらに兵員が必要になっている。
「金沢が終わった部隊から名古屋へ回してくださいな」
タチアナの指示で、主力人員は南東へ転用された。
富山へは降伏勧告を送る。
福井方面へ先に進む案も出た。
「九頭竜川まで取るなら、先に入った方が確実です」
タチアナは地図を見たまま首を振った。
「福井へ行けば米軍と接触する可能性があります。いま撃ち合う理由はありませんわ」
「では、北陸は金沢・小松で止める」
「ええ。関ヶ原までこちらが出れば、会議で使える材料があります。福井を先に取って事故を起こす方が損です」
日本海側の大規模な西進は、金沢・小松で止まった。
後の大垣会議で、東側は関ヶ原から揖斐川まで下がる代わりに、北陸側を九頭竜川水系まで得ることになる。
福井は戦車で取りに行く土地ではなく、交渉で受け取る土地になった。




