第12話 杉原千畝は自分が出したビザの続きを調べます。タチアナは日本の産業報告をモスクワへ送ります。 平和な美濃。
第12話 杉原千畝は自分が出したビザの続きを調べます。タチアナは日本の産業報告をモスクワへ送ります。
第三十六章 外務次官の未処理書類
1945年12月 東京・外務省
大垣会議から東京へ戻ると、杉原外務次官は、華やかな外交より先に古い書庫へ入った。
「まず、1940年の査証関係を出してください」
部下が少し意外そうな顔をする。
「いまですか」
「いまだからです。戦争が終わって、ようやく続きを調べられます」
探したのは、自分が1940年に発給した通過査証の対象者だった。
誰が日本まで来たのか。誰がソ連領を通過できたのか。途中で消息を失った者はいるのか。
外務省には、発給後の追跡が十分にされないまま残った書類がある。
「この一家はウラジオストクまで来ています」
「こちらは日本への入国記録がありません」
「これは上海へ移った記録があります」
杉原は名簿へ鉛筆で印を付けた。
「生きているかどうかだけでも確認しましょう。分からない人を『分からない』のままにしないでください」
史実では、杉原千畝は1940年、カウナスで日本通過査証を発給した。外務省の『よくある質問集 欧州』は、当時の本省指示が、行き先国の入国許可と旅費・本邦滞在費に相当する携帯金を求めていた一方、杉原がその要件を満たしていない者にも査証を発給したと説明している。
米国ホロコースト記念博物館のHolocaust Encyclopedia『Polish Jews in Lithuania: Escape to Japan』には、1940年7月から1941年6月までに約2200人のユダヤ系避難民がリトアニアからモスクワへ出てシベリア鉄道を利用したこと、インツーリストのウラジオストクまでの切符が約200ドルで、American Jewish Joint Distribution Committeeが費用を援助する避難民を選ばなければならなかったことが記録されている。
金が足りず列車へ乗れなかった者がいる。出国許可が遅れた者もいる。戦争の拡大で、その後の所在が分からなくなった人もいた。
杉原は名簿を持ってタチアナ少将の部屋へ行った。
「お願いがあります」
「まあ、杉原さんからお願いとは珍しいですわね」
「この名簿です。ソ連側で確認できる人を探していただきたい」
タチアナは紙をめくる。
「鉄道記録、内務機関の登録、極東の居住記録。当たれるところはありますわ」
「資金不足で移動できない人が残っていたら」
「切符を出しましょう。食料と宿泊も付けます」
杉原は顔を上げた。
「そこまでしていただけますか」
「1940年に、お金が足りないことを理由にあなたが査証を断らなかったのでしょう。今さら、お金が足りないから放っておく理由もありませんわ」
杉原は少し笑った。
「理屈としては、そうなりますね」
「それに、いいことはできるときにしておく方がいいです」
タチアナは名簿を机へ置いた。
「避難民本人、その家族、医師、商人、技術者、救援団体、海外の送金網。人を助けた記録は、戦争が終わっても消えません。将来、誰と交渉することになるか分かりませんもの」
「外交でもある、と」
「人を救うことと外交は、別々にしなくてもよろしいでしょう」
パレスチナのユダヤ社会が将来どのような国家になるかはまだ決まっていない。
それでも、ソ連と、後に日本人民共和国となる東側地域との間に、最初から悪い記憶だけを置く必要はなかった。
杉原にとっては、自分が出した査証の続きを最後まで確認する仕事である。
タチアナにとっては、人を救う仕事であると同時に、東側日本をモスクワだけに閉じない細い外交回線を作る仕事でもあった。
第三十七章 モスクワへの産業報告
1945年12月 東京
タチアナ少将は、日本占領地域の産業報告をモスクワへ送る準備を始めた。
机の上には、東京、横須賀、愛知、岐阜、北関東、東北、北海道から集めた資料が積まれている。
「題名はどうします」
書記が聞いた。
「簡単で結構ですわ。『日本東部占領地域における産業基盤、戦災、復旧優先順位』」
「内容は簡単ではありませんね」
「だから題名くらいは簡単にしましょう」
まず、米軍の空襲で何が壊れたかを整理した。
「工場建屋が焼失。発電設備損傷。鉄道操車場、港湾荷役設備にも被害」
技術担当者が読み上げる。
「工作機械そのものを失った工場もあります」
タチアナは別の欄を指した。
「でも、建物だけを数えてはいけません。技師は残っています。疎開した測定器や治具もある。図面を持つ設計者、工程を覚えている職長、機械の癖を知る熟練工もいますわ」
「産業価値は建屋の被害だけでは判断しない、と」
「その通りです」
地域ごとの役割も分けた。
「東京・横須賀は、造船、船舶修理、電機、通信、精密機械」
「愛知・岐阜は、航空機、発動機、工作機械、車両、電機、化学」
「北関東は、繊維、機械、鉱山、鉄道修理」
「東北・北海道は、農林水産、鉱業、電力、化学肥料、木材」
タチアナは一覧を見渡した。
「全部を同じように復旧する必要はありませんわ。ソ連側から鉄鉱石、石炭、石油、木材を入れて、日本側では工作機械、電気機器、船舶、鉄道車両、精密機器、民生機械を重点的に作る。それでよいでしょう」
後に1949年1月、史実の東欧ではCouncil for Mutual Economic Assistance、COMECONが成立する。この時点のタチアナはまだその名称を知らないが、報告書の考え方は後のCOMECON的な分業に近い。
次に、ドイツから持ってくるものを分ける。
「大量のドイツ人を日本へ移す必要はありません」
ソ連側の技術担当者が聞いた。
「機械だけ持ってくるのか」
「それでは意味が薄いですわ。工作機械、測定器、化学プラントの機器。それを熟知した少人数の技術者を一緒に入れます」
「日本側には受け皿がある」
「ええ。各分野に数十人規模でも、日本人技術者へ知識を広げられます」
機械分野なら、旋盤、フライス盤、研削盤、歯切盤、精密測定器。
航空機なら、治具、精密加工、エンジン製造、材料管理、品質管理。
化学なら、高圧設備、反応容器、計測、プラント運転。
「フォン・ブラウン型ですね」
「機械だけでなく、それを知る人間ごと技術を動かす、という意味ならそうです。ただ、日本には教わる側がもういます。そこが違いますわ」
もう一つ、情報部出身のタチアナが特に重視した項目がある。
「ドイツの技術だけを見ないでください」
「ほかに何を」
「ドイツが英米を調べて得た情報です」
史実では、米海軍の戦後尋問記録『Interrogations of Japanese Officials, Vol. I & II』(1945年)に、1942年以降、日本海軍の砲術、電波、機雷など各部門の担当者がドイツへ行き、ドイツ側が把握していた米軍・英軍の機雷情報まで集めたという証言が残っている。
尋問を受けた田村海軍大佐は、報告書そのものは焼却されたものの、機雷の詳細をよく覚えており、別の冊子が翻訳待ちで残っていたと説明している。
さらに米海軍の『Battle of the Atlantic, Volume IV, Technical Intelligence From Allied Communications Intelligence』には、ベルリンの日本海軍武官から東京への通信が、Uボート、航空機、兵器、レーダー、レーダー対策だけでなく、枢軸側が把握していた連合軍の兵器、装置、運用方法まで詳細に含んでいたことが記録されている。
同資料は、ベルリン―東京通信が、ドイツ海軍自身の通常の行政・作戦通信では得られない独自の情報を連合軍側へ与えたと評価している。
タチアナは横須賀と東京で接収した海軍資料を机へ積んだ。
「英米の装備や戦術をドイツが調べ、それを日本の駐独武官や技術調査団へ説明する。東京へ日本語の報告が送られる。ところが1945年のドイツでは、原本や担当部署が戦災、文書破棄、占領で散ります」
「それでも日本側には翻訳が残る」
「そうですわ。翻訳途中の冊子、抜粋、担当者の記憶まであります」
ソ連側の技術担当者が一冊を手に取った。
「ベルリン側にはないのに、東京にはある資料がある」
「日本の技術ではありません。ドイツが英米を調べ、日本へ知らせた情報です。日本語に翻訳されたため、日本側だけに残ったものがあります」
ドイツの残存設備と少人数のドイツ人専門家、日本人技術者と熟練工、日本側に残った日独技術交換資料、さらにソ連の原料と輸送力。
「これを組み合わせれば、日本東部の工業復旧は、焼失した工場を一から建て直すより速くなりますわ」
タチアナは報告書の最後の文章を自分で書いた。
「日本を原料だけを受け取る地域にしてはならない。残っている技術者と加工能力を使い、経済圏の中で製品を作る側へ置くべきである」
書記が読み返した。
「かなり強い書き方ですね」
「弱く書く理由がありませんもの」
第三十八章 2つの国家
1946年1月 東京・京都
大垣議定書のあと、東西の行政は別々の国家へ固まっていった。
東京では、行政担当者が新しい制度表を見ていた。
「東側は天皇制と華族制度を廃止。国名は日本人民共和国」
「首都は東京です」
「軍事の日本側トップは井上成美。外交実務は杉原千畝。軍政と情報はタチアナ少将と政治将校の系統」
日本人民軍も、陸軍、海軍、航空部隊を持つ組織へ変わる。
京都では別の制度が動き始めた。
「西側は日本国。天皇は京都へ戻ります」
「大垣議定書に基づく皇室関係物品の引渡しも進めます」
同じ日本語を使いながら、政治制度、軍制、経済圏は別々になった。
第三十九章 日本軍
1952年 東京
ソ連軍の直接占領が縮小され、日本人民共和国が自国の軍を正式に管理する段階になると、井上成美は名称について意見を出した。
「占領期に帝国陸海軍と区別するため『日本人民軍』とした意味は理解しています。ただ、独立国家の常設軍として、いつまでも成立期の名前を残す必要はないと思います」
「どの名称がよいとお考えです」
「日本軍でよいでしょう。日本人民共和国の軍隊なのですから、それ以上の説明は要りません」
「陸軍、海軍、空軍の区別は」
「もちろん残します。総称だけ簡単にすればよいという話です」
名称変更は採用され、東側は日本軍、西側は自衛隊となる。
装備体系も分かれた。
「東側にはソ連製航空機と車両」
「西側にはアメリカ製装備です」
名古屋・岐阜の航空機産業、横須賀の工廠と海軍技術者は東側の再建を支え、大阪・神戸を中心とする重工業は西側の再建を支えた。
第四十章 後年の空
1998年9月26日 日本人民共和国・小牧空軍基地
格納庫の前にはジェット燃料の匂いが漂い、始動したエンジンの高い音で会話が聞こえなくなる。
滑走路の向こうは陽炎で揺れ、灰色の機体の主翼と垂直尾翼には日の丸が描かれている。
滑走路脇には古いMiG-21が記念展示され、その向こうにSu-27とMiG-29が並ぶ。
「二番機、間隔よし」
「了解」
整備員も管制塔も日本語を使う。
機体の形は明らかにソ連機、あるいはロシア機の系譜だった。
やがて2機編隊のSu-27が滑走を始め、そのまま離陸する。
青空へ上がった灰色の翼には、はっきりと日の丸が見えた。
同じころ、西側では自衛隊のF-15が別の空を飛んでいる。
同じ日本語を使いながら、片方はアメリカ機、片方はソ連機とロシア機の系譜に連なる戦闘機を飛ばす。
ただ、その半世紀後の空を、1945年のタチアナも杉原もまだ知らない。
大垣会議が終わった直後、二人にはもっと身近な用事が残っていた。
終章 美濃橋の鮎
1945年晩秋 美濃
大垣会議を終えて少しすると、杉原がタチアナへ言った。
「東京へ持っていきたい荷物が、まだ美濃にあります」
「まあ、それなら取りに行きましょう」
杉原が半分隠居していた寺へ、タチアナ少将といつもの護衛が同行した。
寺の離れには、本棚、机、書類箱、衣類、ロシア語の本、古い手紙、欧州勤務時代の資料が収まっている。
東京へ最初に連れて行かれたとき、杉原は最低限の荷物しか持たなかった。
今度は本と書類を木箱へ入れる。
「衣類より本の方が多いですわね」
「東京で必要になると思います」
「杉原さんらしい荷物ですこと」
護衛の兵も手伝い、車へ積んだ。
それでも、すぐ東京へ戻らなかった。
「少し町を歩きませんか」
「ご案内いただけるなら」
うだつの上がる町並みは道が狭い。軍用車を無理に入れるより歩いた方が早い。
タチアナと杉原、その少し後ろを護衛が歩く。
瓦屋根と格子戸、白い壁が続き、その屋根の間からうだつが上がっていた。
タチアナは歩きながら建物を見る。
ここには焼夷弾がない。
松代では、B-29の2000ポンド爆弾が作った穴に水がたまり、集落の周囲が丸いため池だらけになっていた。
美濃では、狭い道も古い家もそのまま残っている。
戦争が同じ国の上を通っても、通り方は場所によってまるで違う。
杉原が一軒の店へ入った。美濃和紙を扱う店だった。
タチアナは薄い紙を光へかざす。
「まあ。繊維の重なりまで見えますわ」
棚を見ているうちに、和紙を貼った小さな照明のシェードへ目を止めた。
「電気をつけると、紙全体が光るのですね」
「柔らかい光になります」
店の人が答える。
杉原はそのシェードを一つ選び、さらに色と模様の違う千代紙を何枚か選んだ。
「東京へ戻るのに付き合っていただきましたから」
「私にですの」
「美濃のものを一つくらい持っていってください」
タチアナは千代紙を一枚、光へ透かした。
「これは何に使いますの」
「折ってもいいですし、箱に貼ってもいい。手紙に添える人もいます」
「それなら、モスクワへ送る手紙に入れてみますわ」
「バナナの次は千代紙ですか」
タチアナは笑った。
車へ戻り、東京へ向かおうとしたとき、川の方に人影が見えた。
「少し見ていきませんか」
「ええ」
鮎の簗漁をしている川漁師だった。
川の流れを竹や木の仕掛けへ導き、下ってくる鮎を簀の上へ上げる。網で追い回すのではなく、流れそのものを使って魚が来るのを待つ。
「面白い漁ですわね。ヴォルガやドニエプルでは、こんなことはできないでしょうね。川が大きすぎますもの」
杉原も仕掛けを見た。
「エニセイやレナでやったら、魚を捕る前にこちらが凍りますね」
タチアナは声を出して笑った。
川漁師の方も、こちらを見ていた。
杉原が軽く会釈すると、向こうも手を上げる。
「降りてこい」
しばらくして声がかかった。
タチアナと杉原、護衛たちは土手を下りる。
捕れた鮎へ塩を振り、長い竹串に刺す。炭火の周りへ立てると、皮が乾き、脂が落ちて小さく火が上がった。
「いい香りですわ」
焼けるにつれて香りが強くなる。
護衛の兵も竹串を一本ずつ受け取った。
川漁師は、相手がソ連軍の少将だから特別扱いしたわけではない。見物していたから、食べていけと言っただけだった。
タチアナは熱い鮎を少し冷ましてからかじる。
「泥臭くありませんのね」
「このあたりの鮎は香りがいいんです」
杉原も隣で竹串を持つ。
護衛の兵たちは川漁師と身振りを交えながら話していた。ウラルの川辺や黒海沿岸の村、遠い農村で暮らしていたころへ、ほんの少し戻ったような顔をしている。
タチアナと杉原も少しだけ通訳を手伝った。
「ちょっと待っとって」
川漁師がそう言う。
タチアナは杉原を見た。
「いまのは」
「少し待っていて、です」
「まあ、岐阜の日本語はまだ勉強が要りますわね」
数分すると、川漁師は竹籠いっぱいに熟した柿を入れて戻ってきた。
「食べてくれ」
杉原が一つ手に取る。
「これは甘柿です。そのまま食べられますよ」
そう言ってかじってみせると、護衛の兵たちも手を伸ばした。
杉原は兵士からナイフを借り、川の水で刃を洗う。柿の皮をきれいに剥いてタチアナへ差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
横では、別の兵士が皮ごと柿にかじりついている。
「皮ごとでも大丈夫ですよ」
杉原が伝えると、その兵士は気にせずもう一口かじった。
美濃橋の下を秋の水が静かに流れていた。
少し前まで、松代では爆弾穴に水がたまり、大垣では地図の上に軍事境界線を引いていた。
いま目の前にある水は、ただ川として流れている。
「東京へ戻れば、また書類ですわね」
「ええ。かなりあります」
「では、もう一匹いただいてから戻りましょう」
杉原は笑った。
護衛の兵たちも鮎と柿を手に、川漁師との通じているような通じていないような会話を続けていた。
杉原にとって、任務でも外交交渉でもない通訳は久しぶりだった。




