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私は猫  作者: 原口光陽
7/8

派閥争い

 物見やぐらに着いた。トントンと足場を踏み、高みへ上がる。上に行くにつれ、けっこうな勢いの風が吹く。体が持って行かれないよう柱にしっかりと足を絡ませ、上の方まで来た。

 ニトラン、と声をかけそうになり、やめた。ニトランは背中を向けていた。彼の背中にもたれているメスの猫がいた。その猫もニトラン同様に三毛猫である。ちょっといい感じの雰囲気だった。ニトランも素敵な猫だ。隅に置けない。

 しばらく、その二匹と一定の距離を保って眺めていると、ニトランがステラに気づいた。ニトランは首から上をねじった。


「ステラか」


「その、あの」


 ステラはしどろもどろになった。


「ああ、この猫か。彼女は俺の恋人で、ミントというんだ」


 ニトランは恋人猫を紹介した。


「よろしくね」


 ミントはゆっくり顔をこちらに向け、微笑んだ。

 ステラは気まずそうに物見やぐらの上を歩いて一周した。仲のよさそうなニトランとミントを邪魔するつもりはなかった。別れを告げるようにニャアと鳴いたら、いつの間にかニトランとミントはもうそこにいなかった。すでにやぐらから下り、どこか別の場所へ行ってしまったようだ。

 やぐらから神殿の方を眺めた。昨日よりも階段のスペースはすいており、そこにいる猫はまばらである。


「猫がいないうちに、さっさと行ってみるか」


 物見やぐらを下りた。神殿に向かって早足で急いだ。

 神殿に着いた。

 大きな柱と梁に、あらためて圧倒された。大理石の階段を上がり、適当と思われる場所を確保して体を丸めた。

 目の前にある噴水から、幾筋もの水流がじょぼじょぼとほとばしる。裸婦の彫像は古びており、両腕がもげて痛々しい。彫りの深い顔は、「腕がほしい。腕を返して」と訴えていそうだ。今にも彫像が動き出しそうな気がして、ステラは笑った。

「残念ね。あなたにあげる腕はないのよ。ここは猫のユートピア。人間はいない。彫刻は彫刻らしく佇んでいなさい」

 最後にミャアオと鳴いて、裸婦像を冷笑した。

 どのくらいそこで休んでいたのだろう。眠っていた。聞き覚えのある声で目を覚ました。


「ステラ、ステラ」


「どうしたの? ニトラン」


「そろそろ起きろ」


「なぜ? もっと寝ていたいのに」


「きみは猫の仁義というものを知らないだろ?」


「なに、それ」


「猫世界の掟みたいなものさ。それを守らないと、猫世界では暮らしてゆけないんだ」


「そうなの? ずっと平和で気楽なんだと思ってた。案外、猫の世界も面倒なのね」


「いいか、ステラ。よく聞いてくれよ」


「うん。どうぞ」


 ステラは前足を出して、話を進めるよう促した。

 ニトランはこんな風に説明を始めた。


「ユートピアを一歩出ると、様相は一変する。人間がいるし、猫の敵となる動物もいる」


「そのようね」


「猫同士の関係も異なる。ユートピア内ではみんな自由の身だが、石垣の外では俺の率いるニトラン派と、ハル・ジマ派に分かれるんだ。二つの派は縄張りを巡って対立し、争っている」


「まぁ」


「つまり、派閥争いだな。悲しいことだが、それが現実の猫社会だ」


「ニトラン派と」


「ハル・ジマ派だ。ハルは長老猫で悪の帝王。ジマはもう死んでいるが、化け猫として力を持ち、あちこちに出没して活動する。今もハルと組んで、悪い勢力のトップに君臨している」


「ああ、思い出したわ。セイナでいた時に、ハルとジマの名前を聞いたの。あれは、そう。テレビの音声が聞こえたわ。その台詞に、長老猫ハルのお告げとか、化け猫ジマがタケルに取り憑いているという情報が出てきたわ」


「そうか。だれかの声なのか」


「そうよ。人間の男の声。あれは誰かしら」


「知っている人間か」


「さあ。そうとも、違うとも言い切れないわ。テレビが急についたのよ」


「なんて言ったんだ?」


「そこに居合わせた私に向かってね。『もうすぐ猫戦争が起きる。タケルに取り憑いた化け猫ジマを倒してその魂を壺に封印し、七十二時間以内に猫戦争を終わらせろ。そうすれば、タケルの意識が戻る』って。おかしいでしょ?」


「おかしいな」


「あ、タケルってのは、私が人間の時に好きだった相手の男子のことよ」


「なるほど。男のだれかの声で、猫戦争が起きると明言したんだな」


「そうよ。信じていいのかしら」


「七十二時間以内。もし猫戦争が起きれば、タケルのことを考慮に入れなくちゃならないのか。長引かせてはならないな」


「ねぇ。七十二時間という制限時間が設定されているとして、それ以内にすべてが上手く行った時には、本当にタケルの意識は戻るのかしら」


「ふむ。何とも言えないな。俺には制限時間のことはよく分からない。でも猫戦争は起きそうな気配を感じる」


「そうなのね。ところで、ニトランは近所の飼い猫でしょ? ハルやジマの恐ろしさを知ってるの?」


「よく知っている。身をもってヤツらの恐ろしさと残虐ぶりを目にしてきたよ」


「そうなんだ。ねぇ。どうして派閥ができたの? 縄張り争いだけが原因?」


「もっともな質問だ。縄張りだけの問題じゃない。猫世界の長い歴史が関わってる」


 ニトランは顎を上げ、昔の猫世界をゆっくりと話し出した。ステラは猫耳をピンと立て、彼の談話に聞き入った。


 遠い昔、猫は野生環境から人里に近づき、人と共生して暮らし出した。その頃の猫には一定の縄張りというようなものはなく、人の住む地域の周辺を他の猫たちとゆるやかに共有し合っていた。互いに狩りをし、時には協力してネズミを狩った。余ったネズミを力の弱い猫に分け与えた。猫同士でケンカすることも争うこともなかった時代といえる。ところが、人になつき出してからしばらくして、猫の覇権争いが起こった。猫の長老は争いを抑えようと猫たちをなだめることに躍起になった。しかし、それもむだなことだった。猫世界は正義と悪に分かれた。正義を掲げる「勇者の猫」と悪を信奉する「魔王の猫」が、手下たちを集めて戦いを始めた。戦いは熾烈を極め、多くの猫たちが犠牲となった。力に勝る「魔王の猫」は「勇者の猫」率いるグループを人里から駆逐した。山深い森に逃げ込んだ「勇者の猫」たちは山で体を鍛え、反撃する機会をじっと待った。

 待ち望んだ時が訪れたのは、ある晩のことだった。満月が前触れもなく欠け出し、夜空は暗くなった。皆既月食だ。その時間を合図に、「勇者の猫」グループは里山から大群で人家に押し寄せ、ひるんだ「魔王の猫」グループを襲った。闇討ちに遭い、次々と部下の猫を半殺しにされ、「魔王の猫」は海岸に追い詰められた。後ろは断崖絶壁になっている。体をひねって着地しようにも岩が突き立っているし、荒い波が押し寄せる。とても危険な場所だ。さすがの「魔王の猫」も許しを請うた。「どうか、殺さないでくれ。命だけは助けてくれ」「だめだ」「俺たちはおまえたちに協力する。仲間も殺され、こちらは力を失った。頼む」

 答えは決まっていた。「勇者の猫」は腹黒い相手にこれまで散々たぶらかされてきた。問答無用で「勇者の猫」は「魔王の猫」を突き飛ばし、悪は波の砕け散る海のもくずと消えた。

 それからというもの、平和な時代がつづいた。何百年もの間、大きな争いはないに等しかった。長老になった猫がケンカなどの仲裁に入り、猫世界の秩序は保たれた。

 ところが、百年前にまた種族の分断が起こった。「魔王の猫」の血を引いたのか、悪い猫が力を持ち、家来を増やして秩序を乱し始めた。「勇者の猫」の系統を引くグループは何度も忠告し、悪い猫を排除しようと試みた。しかし、歴史は繰り返された。再び、正義対悪のグループに分かれ、闘争の日々が始まった。その当時は猫の餌も少なく、各地で飢饉が発生していた。正義か悪か。どちらかのグループに属さなければ、単独で食べ物を確保するのは困難な状況がつづいた。二大グループは猫の数をどんどん増やしていった。この界隈の猫の大半はどちらかのグループにつき、生きて食べてゆくために争いに参加せざるを得なかった。もう、それは猫戦争と呼んでも差し支えなかった。

 猫戦争の期間、ほとんどの猫が傷だらけになり、苦しみを抱えて一生を過ごした。

 そうして、さらに歳月が流れ、今の時代へと受け継がれた。戦争こそ下火になったものの、今も正義と悪の二手に分かれている。食糧や暮らす土地を確保するための縄張り争いという形をとり、ニトラン派とハル・ジマ派は互いの理想を掲げ、小競り合いをつづけている。


 ニトランの長い談話は終わった。

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