ロン
派閥争いをつづけた背景や原因は、ステラにも分かった。それでも、まだ承服しかねる点があった。その表情から気づいたのか、ニトランは彼の意見を付け足した。
「どの猫もそういう風に言うが、けっきょくのところ、猫の中で力に強弱ができたことと、猫のエゴ。その二つが根深い原因を作っている。俺はそう思うよ」
「猫のエゴって?」
ステラは素直に問うた。人間ならまだしも、猫としてこうしたい、こうありたいという気持ちが生じ、そのように主張して振る舞うものなのか。ステラは疑いを持った。
「力を持ちたい。持って、猫の頂点に立ちたい。立てばそれを誇示し、大勢の家来やグループを従え、反発する猫たちを力ずくで従わせたい。そんな気持ちはエゴそのものさ。その部分は、俺の中にも多少はあるがな」
「ニトラン。たとえニトランがどちらかのグループの流れをくもうとも、同類で争ったり、傷つけたりする猫なんて、私は見たくないわ。どうにかならないの?」
「ならないね。なるとしたら、俺の率いるニトラン派がハル・ジマ派を倒し、平和な猫社会を再構築すること。それ以外に道はない。ハルや化け猫ジマは悪の権化そのものだ」
ニトランは口を歪め、吐き捨てるように言った。
ステラは、フーとため息をついた。人の世界と猫世界。生きているかぎり、優劣や争いが絶えないのは同じなのかと思った。
しばらくして、一匹の猫が息を弾ませてやって来た。ステラと同じ白猫だ。
「ニトラン。聞いてくれ」
「どうした?」
「俺たちはいつものように人家へ行った。餌を探しに」
白猫は言った。
「それで?」
「それで、連中が来たんだ。猫狩りの連中が」
「猫狩り? 市役所の?」
ステラは話に割り込んだ。
「市役所は人間の苦情があれば、いつでも動く。俺たちの仲間は連中にやられた」
「捕まったのね?」
「捕まえるのが彼らの仕事さ」
白猫は言った。
「ステラも人間の時に見たことがあるかもしれない。市役所の連中が野良猫を狩る目的で捕まえに来るのを」
ニトランはステラの方を見て言った。
「それなら知ってるわ。ひどい話よね」
「それだけではすまない。一定の成果を上げて実績を強調するために、外に出た家猫や犬も一緒に生け捕って殺処分すると聞く」
ニトランは猫狩りの実態を説明した。
「そうなの?」
「悲しい現実だが、ニトランの言うのは正しい」
白猫は認めた。
「それもこれも、獲得した予算を使い切るためなんだそうだ」
ニトランはその背景まで知っていた。
「いかにも役所らしいやり方ね。動物たちにはなんの罪もないのに」
ステラはミャアと鳴いた。無念さを鳴き声で表現した。
白猫は、市役所の連中に警戒するように、と注意を促して去って行った。
猫が生きていく中での現状を聞き、その日はやるせない気持ちだった。気分を変えようと、陽光の降り注ぐ芝生を散歩した。短い草のクッションは、いつでも肉球をふんわりと受け止めてくれる。そんな風に、すべての猫の思いをふんわりと包み、はやる気持ちをゆるやかに忘れさせてくれる神さまのような存在の猫がいればいいものを。僧侶か尼僧のように、猫世界の平和と安寧を願うのだった。
太陽はあっという間に山の端に沈み、夜となった。
昨夜と同様に、猫の家の屋根へ移動した。そこは、ステラの指定席にするにはもってこいの場所だった。体を横たえるのに充分なスペースがあいていた。
目を閉じて心を落ち着けようとしたが、眠りを妨げる声がした。低い鳴き声でゴロンゴロン、ゴロンゴロン、と仲間の唸り声が響いた。
「いやだわ。何だか胸騒ぎがする。明日という日を無事に迎えられたらいいのだけれど」
猫になった二日目にして、すでに動物としての本能は完全に備わっていた。周囲の物音や気配、何か起こりそうな予兆。そうしたものには、動物特有の直感と敏感さが働いた。
何か悪いことがあればいつでも逃げ出せるよう、心の準備を整えた。芝生まで走ろう。あそこに行けば、大きな土管がある。あの中で身をひそめて、争いごとの嵐が収まるまでじっと耐え忍ぼう。前日の夜までは、ステラは戦争に加わらないつもりでいた。目を閉じて眠りについたのは、深夜遅くだった。その晩、秋にしては気温が高く、寝苦しかった。
よからぬ事件が起きてしまった。
明け方、断末魔が響いた。その声で目を覚ました。
下を見ると、動物の死体が転がっている。気になって地面に下りてみた。
薄暗い中でよく見ると、それは瀕死の猫――ロンの変わり果てた姿だった。茶トラのロンは仰向けになり、首筋に三本の傷があった。ロンは目をつぶり、苦しそうだった。
「ロン。しっかりして。ロン」
「ステラ」
「だれの仕業なの?」
「暗殺者は……ジマ」
「しっかり、ロン……。ロン!」
ステラはロンを揺すった。すると、ロンの口から血がたらりと流れた。ロンはぐったりして動かなくなった。
「ひどいわ。なんてひどいありさま。ロンはジマにやられたのね」
ステラは友だちになったばかりのロンの死を憐れんだ。死体には小さな赤いトゲが数本刺さっていた。
「何だろう。この赤いトゲは」
そこへニトランがやって来た。
「どうした? ステラ」
「ロンがジマにやられたわ。彼が臨終にそう伝えたの」
「何てことだ……。ロン、かわいそうに」
「見て、これ。死体に赤いトゲが」
「赤いトゲ。それは危険だ。触るなよ」
ニトランは警告を発した。
「そのトゲはジマの使うトゲだ。間違いない。ジマがロンを襲った証拠だ」
「赤いトゲで?」
「そうだ。トゲは尖っていて先に毒を塗ってある」
「何てことを」
「気をつけろ。ジマがその辺に現れるかもしれない」
「気をつけるわ。ジマと赤いトゲの関係は?」
「生前、ジマはなぜかアロエを好んだ。多くの猫はアロエに含まれる成分が苦手だ。ジマだけは違った。ヤツはアロエを食べても平気な体だった。そのせいか、化け猫になったジマは嫌いな猫を殺す時に、アロエのトゲを好んで使う。それで死体に赤いトゲが残る。そういう噂だ」
「口惜しいわ。ロンとはせっかく仲よくなれそうだったのに」
ステラはロンの死体を見て気を落とした。
あれは昨日のことだった。
「よう、かわい子ちゃん。何してんだい?」
屋根の上から茶トラの猫がステラに声をかけてきた。
「あなた、だれ?」
「俺か。俺は茶トラの王子でロンっていうんだ。覚えてくれ」
「ロン。私はステラよ」
「ステラ。いい名前だな」
ロンはそう言うと、屋根からストンと塀に飛び下り、さらにぴょんと飛んで着地した。
「ステラ。今日から、俺たちは友だちの関係だ」
「うれしいわ。ロンと私は友だちなのね」
「ステラは、この辺りで見かけない猫だな」
「そうなの。猫世界に来たばかりの新米よ」
「なるほど」
「ロン。仲よくしてね」
「いいとも」
「ロン。ロンをいい猫だと見込んで教えてほしいんだけど」
「何でも訊きなよ」
「猫世界にいるハルと化け猫ジマについて、知ってることを教えてくれる?」
「いいだろう。ヤツらのことだな」
ロンはさりげなく周囲をうかがい、遠くを見るような目つきで話し出した。
「あれは俺が二才の頃だ。夜更かししていたら、父ちゃんが傷らだけで帰って来たんだ」
「傷だらけ。ケガしたのね」
「俺は最初、仲間とケンカしたのかと思った。でも、どうやらそうじゃないみたいだった。父ちゃんは、『アイツにやられた』ってうめくように呟き、苦しそうに息をして倒れ込んだ。どう考えても、普通じゃないだろ?」
「きな臭いわね」
「後で母ちゃんから聞いた話では、父ちゃんは化け猫ジマと闘った。金網に追い詰められ、ジマの爪で背中を引っかかれた。俺は不安になった。それから二日とたたぬうちに、父ちゃんは消えた。父ちゃんを発見したという猫に付き添われて川に行くと、川岸でぐっしょり濡れて死んでいた。父ちゃんの遺体のそばに赤いトゲが落ちていた。ジマにとどめを刺されたんだ」
「ロン。辛かったでしょ」
「本当さ。とても辛かった。俺は父ちゃんの敵討ちを誓ったよ。絶対にジマを倒すって」
「化け猫ジマ。恐ろしい猫ね」
「ジマには実体がない。もう死んでいる。化け猫だから、他の猫の体に入り、魂を乗っ取れる。厄介な敵だ」
「いろいろ分かったわ。ありがとう、ロン」
「まだ喋り足りないけれど、俺には用事がある。今度会ったら、その時にハルの情報を教えよう。じゃあな、ステラ」
ロンはスタスタと道を横切り、側溝の中に入ってしまった。
それがロンの死ぬ前日の言動だった。
「ニトラン。私、口惜しいわ。ジマを憎む」
「それは当然だ。派閥の抗争が激しくなりそうな気配だな」
「ジマへの報復は必ず実行するわ」
「それは俺も賛成だ。ただ、もう少し様子を見よう。様子を見てから動くとしよう」
「慎重ね」
「そりゃそうだ。相手は恐ろしいジマだ。急いで攻めると、敵の思う壺にはまるかもしれない。ジマを倒すには、機が熟するまで待つ。それが賢明だろう」
「それは確かにその通りだわ」
その日の昼前、別の猫がよたよたしながらやって来て、地面に倒れ込んだ。
「だいじょうぶか」
ニトランが猫の背中を撫でる。
「ニ、ニトラン。ジマが暴れている。何とかしてくれ。俺も傷を負った」
「しっかりしろ。ジマのヤツめ。もう許さん」
「ジマはユートピアに陣取ってる」
「分かった。方針転換だ。これから仲間を集め、ユートピアに行く」
ニトランはそう言い、空を見上げた。何かを誓うように虚空を見つめた。
「ニトラン。私も行くわ」
「ステラ、きみは」
「いいの。覚悟はちゃんとできてるわ。私も戦う。ロンはお父さんの敵討ちを果たせずにジマに殺された。今度は、私がロンの敵討ちをする番よ」
「そうか。こちらの世界に来て間もないのに、きみを巻き込むのは気が引けるが」
「しかたないわ。ロンのために、みんなのために、戦うの」
「よし。じゃあ、ついてこい」
ニトランは歩きながら仲間を呼び寄せた。ニトラン派は大勢になり、緑の草原に集結した。
一行はユートピアの入口に移動した。




