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私は猫  作者: 原口光陽
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神殿と物見やぐら

 神殿に着いた。

 圧倒的な大きさに驚いた。人間である時に世界史の教科書で見た古代ギリシャ風の、大理石でできた神殿。それがどーんとかまえている。一つひとつの石材は大きく、がっしりとしている。長年の雨風に負けずに耐えてきたようで、古さと風格が漂っている。大きくて高い柱は土台から何本もそそり立ち、太くて水平な梁と屋根の一部をしっかりと受け止めている。神殿の前面には幅広の階段――テレビで見た、宝塚歌劇団の舞台に出てくるような階段――があり、そこに無数の猫たちがびっしりと埋め尽くすようにして寝そべっていた。神殿の階段に寝そべってみたかったが、指定席であるかのように陣取る猫たちがいた。その猫たちをよけて上がるのが少し億劫だった。今日は遠慮することにした。


 その代わりといっては何だが、神殿から離れ、猫の家がひしめく界隈に足を伸ばした。

 家の屋根を見た。いくつかの屋根には猫がいない。適当と思われる家の屋根に飛び乗った。日光で温まった屋根瓦の上で、心おきなくうたた寝をした。

 うたた寝から目覚めると、日没が近づいていた。ステラはとことこ歩き、大きな塔の前に来て見上げた。


「何かのやぐらみたいだわ。物見やぐらというヤツかしら」


 名前などどうだっていい。トントンとやぐらを上り、てっぺんまで辿り着いた。そこから見た景色の壮観たるや、最高だった。丘や神殿が夕陽に輝く。せせらぎが水面をきらきらさせて光りながら流れて行く。丸太橋を渡る猫がいて、丘を下る猫もいる。芝生に一陣の風が吹き、カーテンを引くようにして草を倒す。倒れた部分と倒れてない部分がきれいに濃淡で色分けされる。すべての光景を見渡せるやぐらで、猫世界の夢のような一日は、夜の世界へ向かおうとしていた。

 日が沈み、涼しい風がザワザワと音を立てて吹き渡る。風の冷たさを毛で感じながら、人間だったら人恋しい、猫である今は同類が恋しくなるような寂しさを感じた。家で飼っていた黒猫も、夕方になると甘えてくる時があった。


「ニトラン、ニトラン」


 ステラは自然と、よく知るオス猫の姿を求め、ミャアミャアと鳴いてはニトランを探した。これだけの猫が芋洗い状態で存在する中で、たった一匹の顔見知りを見つけ出すのは至難の業である。耳も鼻もそれほどよくはない。しかし、元来、猫は夜行性のような気がした。暗い時こそ闇にまぎれてその目を鋭く光らせる生き物。暗さが増すにつれ、猫の個体同士を識別する能力が高まってきた。

 しばらく歩くと、偶然にもニトランを見かけた。


「ニトラン、ニトラン。ステラよ」


 ステラは猫の言葉で呼びかけた。ニトランはそれに気づき、体をしなやかに使ってぴょんと屋根の上から地面に降り立った。


「ステラ。ステラじゃないか。遠くへ行ってたのか」


「ええ、そうなの。猫のユートピアは何もかもが新鮮だったわ。あれこれ目移りしている間に、もう日没を迎えちゃった」


「それはよかった。このユートピアは猫の安息地。猫同士の争いもない。明日も今日同様、ゆっくりすればいい」


「ねぇ、ニトラン」


 ステラは猫撫で声で、いや、オスに媚びるような裏声でもって、ニトランに甘えてみた。


「なんだか、まだ猫の気ままさに慣れなくて」


「そりゃまぁ、昨日までは人間の体だったから」


「そうなんだけどさ。ちょっと体が痒いの。甘えていい?」


「う、うーん」


 曖昧なニトランの返事を聞くのを待たず、ステラは彼の懐に入り込んだ。同類の体温が体に心地よい。彼の吐息はこの上なくいい匂いに感じられた。


「なんだよ。甘えたがりだな、ステラ」


「別にいいじゃん。たまにはロマンチックも」


 目を閉じてゴロゴロと鳴き、ステラはニトランに体を寄せて甘えた。けっして発情期でも、特別な恋愛感情を持ったわけでもない。ただ、ずっと一匹のままでは、いくら仲間がたくさんいたって寂しい時もあるだろうと思った。

 しばしの間、ステラとニトランは体をぴったりとくっつけた。互いの熱で体を温め合うのに理由はいらない。

 やがて、ニトランの方から体を離し、ステラは照れ隠しのように猫の家の屋根に上った。屋根の上にお腹をつけて体を丸め、目をつむった。昼間の太陽からもらった熱量で屋根の表面は熱を持ち、猫にとっては快適な空間だった。移動の疲れもあり、そのままぐっすりと眠りについた。

 ステラが目を覚ましたのは、朝の遅い時間だった。太陽はずいぶん高く上がっている。ひとつ大きな欠伸をし、おもむろに立ち上がった。向こうの屋根にも同様のことをする朝寝坊の仲間がいた。


「さてと。何か食べ物を探そうかなっと」


 左右を見ながら、地面にぴょんと着地した。どうやら、他の猫たちは猫のユートピアの外の方へ出て行くらしい。大部分の猫たちが招き猫の石像を通り過ぎて、どんどん石垣の外へ向かっている。


「つまり、ユートピアの中には餌が豊富にないってことなのね」


 ステラはそのように考え、石垣の外へ向かう猫の行列の最後尾に並んだ。

 石垣を出ると、そこは人間の住む世界だった。のんびりした田舎町ではあるが、人が居住し、田畑を耕す生活を営んでいる。

 とある家に入ると、別の猫が入れ替わりに出てきた。


「おまえさんも食事に来たのかい」


 その猫は言った。トラ柄のオスの猫だ。


「そうよ。そのつもりだけど」


「いいことを教えてやろう」



「なあに?」


「天井裏に行け。ご馳走にありつける」


「いい話じゃない。親切ね。ありがとう」


 ステラはその猫にお礼を言った。足を忍ばせて三和土から部屋へと上がる。家人の隙を狙い、サササッと柱を駆け上る。いとも簡単に天井裏に侵入するのに成功した。


「ご馳走とは、こいつらのことね」


 ステラの視界に、小動物が左から右へ横切る姿が映った。ネズミである。猫にとって、いちばんなじみ深い動物。生きたご馳走だ。

 忍び足で反対側に行き、背中を丸めて息を殺す。ネズミはステラに気づき、バタバタと逃げ始める。丸めた背中を思いっ切り伸ばし、フニャアと声を出して狙ったネズミに襲いかかった。ネズミは一直線に走り出す。ステラはそれを追いかける。ネズミは壁を直角に曲がり、また走り出す。愚直な相手を、斜めに突っ切ったステラの足が確実に捕らえた。


「やった。ネズミの生け捕りに成功ね」


 目を見開いて獲物を押さえつけた。肉球の裏でもがくネズミをぎゅうぎゅう踏んづける。体重を預けておとなしくさせる。首を下げ、押さえた横っちょからガブリとそれをくわえた。生の魚もいいが、生きたネズミの匂いもぷーんと甘い香りがして食欲をそそられる。さっそく前歯で強くかみ、ほ乳類の味を堪能した。独特なかみごたえと肉の甘みや旨みが、口いっぱいに広がる。ステラは思わず目を細めた。


「ああ、満足ね。朝から上手に狩りをして、食事にありつけた。とっても機嫌がいいわ」


 ステラはネズミを平らげ、ヒューッと口笛を吹いた。

 胃袋を満たした後は、ゆっくり休みたくなった。朝に出発した場所へ戻ることにした。

 猫のユートピアに着いた。

 芝生に寝そべり、ネズミの血や肉片で汚れた前足を片方ずつ丁寧になめ取った。充分になめると毛づくろいをし、新体操の選手のように体を丸めて後ろ足も器用になめた。どうしてこんなに体をなめたくなるのだろうと思いつつ、猫の性分はきっときれい好きに違いないと合点した。芝生に穴を掘り、排泄したフンを穴に入れて土をかけた。それも他の猫に教わったわけではない。ただ自然にそうしたくなるものらしい。


 少し離れた場所にニトランがいた。彼は物見やぐらに上り、別の方角を眺めていた。


「ニトラン、さまになってる。オスらしくて恰好いいわ」


 ステラは昨日寄り添った光景を思い出し、ポッと頬を染めた。

 物見やぐらはユートピアの猫たちの分布具合を一望にして把握できる。昨日は夕景に見とれたけれども、高所というのは猫にとっていろいろな面で有利な場所に思えた。

 ステラも物見やぐらへ行ってみた。

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