EP 3
タイマンの定義と、鬼の片鱗
「ひぃぃぃっ! 堪忍してぇなぁ!」
異世界情緒など微塵もない悲鳴が、木々の向こうから響いてきた。
「な、なんですかぁ今の!? 関わらないほうがいいですぅ!」
健康サンダルを鳴らしてリリスが袖を引っ張るが、龍魔呂はもう草をかき分けていた。
開けた場所に、五人の男が輪を作っていた。
その中心で、頭に猫の耳を生やした青年が、算盤を胸に抱いて震えている。
そしてその足元には――五歳くらいの男の子が、両手を縄で縛られて座り込んでいた。
「金目のもんを出せや。ガキは連れてく。売れば酒代くらいにはなるからな」
「アホ抜かせ! お前らみたいなゴロツキに、やる金なんか一文も有るかい!」
猫耳の青年は震えながらも、金の話になった途端に目の色を変えた。
「じゃあ、仕方ねぇな」
男が片手剣を鞘から抜いた。
――その時。
「待ちな」
野太く、底冷えのする声が、草むらから響いた。
◆
「あ~ん? なんだてめぇは」
現れたのは、泥のついた作業ツナギに黒いスタジャンを羽織った、見慣れない格好の巨漢だった。
咥え煙草のまま、ダルそうに首を鳴らす。
「このタイマン、張らせて貰うぜ」
一瞬の沈黙のあと、盗賊たちは腹を抱えて爆笑した。
「ギャハハハ! タイマンだと!? 俺達は五人だぞ! 周りを見てから言え!」
「見た上で言ってんだよ」
龍魔呂は右手を軽く振った。
空間が歪み、掌にずしりと重い鋼の鍬が現れる。
柄は使い込まれた樫。刃は鏡のように研がれている。
「なんだそりゃ、農具か? ハハッ、畑でも耕すか――」
男が最後まで言い終える前に、龍魔呂は踏み込んでいた。
ガンッッ!!
振り下ろされた片手剣を、鍬の柄が真正面から受け止めた。
――折れない。刃こぼれ一つしない。
「なっ……!?」
その困惑した顔面に、龍魔呂の額が叩き込まれた。
ゴッ!!
鼻の骨が砕ける鈍い音。男が白目を剥いて崩れ落ちる。
「て、てめぇ!!」
残り四人が一斉に剣を振り上げた。
だが龍魔呂は下がらない。倒れた男の胸ぐらを鷲掴みにし、片手で軽々と引きずり起こすと、そのまま前へ突き出した。
「……ッ!? 卑怯だぞ!!」
「喧嘩にルールがあると思ってんのか?」
斬りかかろうとした四人が、仲間の身体を盾にされて動きを止める。
「複数相手だとよぉ。味方の剣が凶器になるんだぜ? ――多人数戦の基本だ」
まるで講義するように言って、龍魔呂は盾にしていた男の背中を、鉄芯入りの安全靴で思い切り蹴り飛ばした。
人ひとりの質量が、四人の陣形にまとめて突っ込んでいく。
「おらよ」
◆
そこから先は、ただの一方的な作業だった。
転倒した男の顔面に、踏みつけ。
脇から斬りかかってきた別の男の刃を、メリケンサックを嵌めた右手が正面から受け止める。ギィィンッ、と火花が散り、常識外れの防御に男の腕が痺れた瞬間、左手のスタンガンが首筋に押し当てられた。
バリバリバリィッ!!
「ギャアアアアアッ!!」
「おら、特製の香水だ」
ブシュウウウッ!!
最後の一人が振り向きざまに浴びたのは、対熊用のカプサイシンスプレーだった。魔法の耐性もクソもない。粘膜を焼かれた男が剣を投げ出して地面を転げ回る。
その首筋に、伸長した特殊警棒が容赦なく叩き込まれた。
静寂。
「……ふー」
龍魔呂は煙を吐き出し、肩を回した。
わずかに、息が上がっている。
(……朝から角砂糖ひとつしか食ってねぇな)
◆
「す、すごぉい! 龍魔呂さん、たった一人でやっつけちゃいましたぁ!」
草むらからリリスが飛び出してくる。その手はすでに、倒れた男たちの懐から財布を抜き取っていた。
「お前も大概だな」
「ふぇ? これは正当な『お布施』ですぅ」
「兄さん……いや、兄貴! 強い、強すぎますわ! ワテ、ゴルド商会のニャングルと言いますねん!」
猫耳の青年が転がるように駆け寄ってくる。龍魔呂は縄を切って子供を助け起こしながら、片手を振った。
「後にしろ。ガキの手当てが先だ」
子供は――トトという名らしい――しゃくり上げながら、龍魔呂のツナギの裾を握った。
そして。
「……いや、まだ終わってねぇ」
龍魔呂の目が、木立の奥へ向いた。
◆
「あの五匹に、金と時間を使ったんだがな」
葉を割って、一人の男が歩いてきた。
右目に古い傷。ゆったりとした足取り。腰の剣にすら手をかけていない。
だが、他の五人とは明らかに格が違う。
「損した分は、どこかで取り返さねぇとならん」
龍魔呂は無言で鍬を振り抜いた。
ガシィッ。
男は、それを素手で受け止めた。
「――!」
「硬い柄だ。だが、それだけだ」
鍬が動かない。押しても引いてもびくともしない。
二年ぶりの感覚だった。通じない。
「ガキを返せ」
「返すよ。ああ、返す。……ただし」
男の左手が、いつの間にかトトの襟首を掴んでいた。
鋼の刃が、細い首筋に添えられる。
「動くな。動けば、この首は落ちる」
トトが泣いた。
◆
ひっく、ひっく、という嗚咽が森に響いた。
龍魔呂の動きが、完全に止まった。
鍬を握る手が固まる。踏み出しかけた足が、地面に縫い止められる。
その顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。
「……龍魔呂、さん?」
リリスが戸惑ったように呼んだ。
この人は、さっき五人を一分で潰した。
なのに今、子供の泣き声ひとつで石になっている。
「はっ、なんだ。案外――」
男は嗤い、苛立ったようにトトの頬を殴った。
小さな身体が、地面に転がる。
◆
風は、なかった。
なのに。
龍魔呂の足元の草が、根元から灰になって崩れた。
半径一メートル。次いで二メートル。
緑が、内側から色を失っていく。
「……あ?」
男の右目が、初めて開かれた。
龍魔呂は、まだ何もしていない。
構えてもいない。技も出していない。声も上げていない。
ただ、そこに立っている。
その輪郭から、赤黒い何かが、ゆっくりと滲み出していた。
空気が軋む。木の葉が触れてもいないのに散る。
男の呼吸が浅くなった。
剣を持つ手が、自分の意思とは無関係に震え始める。歯の根が合わない。
二十年、修羅場を渡ってきた男が、生まれて初めて理解した。
――これは、勝ち負けの話ではない。
「ひ……」
股間が、じわりと濡れた。
「ひいぃぃぃっ……!!」
男はトトを放り出し、四つん這いで森の奥へ転がっていった。
剣も、荷も、仲間も、全部置き去りにして。
龍魔呂は、追わなかった。
◆
赤黒いものが、潮が引くように消えていく。
龍魔呂はトトのそばに膝をつくと、腫れた頬を大きな掌でそっと包んだ。
「……もう終わりだ」
ポケットから角砂糖をひとつ取り出し、泣きじゃくる口に押し込んでやる。
トトの目が、丸くなった。
「り、龍魔呂さん……。それは、なんですか?」
リリスの声が震えていた。女神見習いの権能が、さっきから警報を鳴らしっぱなしだ。
龍魔呂は立ち上がり、煙草を咥え直した。
「さぁな」
――カチッ。
それきり、彼は何も言わなかった。
◆
日が傾く頃、四人は焚き火を囲んでいた。
盗賊のアジトから回収した麦と干し肉と、名も知らぬ根菜。
龍魔呂はそれを鍋にぶち込み、火加減だけで別物に変えていった。
「うおおお、なんちゅう匂いや……!」
「……美味しいですぅ……!」
トトが、湯気の立つ椀を両手で持って、泣きながらかき込んでいる。
龍魔呂は自分の分をあっさり平らげ、煙を吐いた。
「食え。……腹が減ってると、ロクなこと考えねぇからな」
「兄貴!」
ニャングルが算盤を抱えたまま身を乗り出した。
「ワテ、この先の『ポポロ村』っちゅう村で財務を任されてますねん。ルナミス帝国、アバロン魔皇国、レオンハート獣人王国――三カ国の睨み合う緩衝地帯の、ど真ん中にあるしけた村ですけどな」
「畑はあるか」
「……は?」
「畑だよ。土だ」
ニャングルは目を白黒させながら頷いた。
「そら、ありますけど。痩せとって、大した実りは――」
「行く」
龍魔呂は立ち上がり、鍬を肩に担いだ。
◆
歩き出す一行の最後尾で、リリスはふと足を止めた。
振り返る。
龍魔呂が立っていた場所。あの赤黒いものが滲み出した、あの一点。
夕日の中で、そこだけが、はっきりと色が違った。
焦げたのでも、枯れたのでもない。
――二度と、何も生えない色をしていた。
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