5話 囚われの少女らと怒れる人狼
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
アルクス達5名と領軍の兵士らが魔獣の侵攻を食い止め切った、ほんの少し前にまで時は遡る。
貴賓館の2階にいたイリスとソーニャは、時折蒼く照らされる空を眺めていた。
この距離では従兄らの姿は見えないし、防壁があるせいで魔獣の群れがどれほど減っているのかすらわからない。
ただ、あの蒼い光がアルの炎であること、散発的に落とされる雷や白い光がラウラやシルフィエーラのものであることだけは理解できた。
「兄様達、やっぱり凄いですわね」
イリスがポツリと呟く。
街の市場も斯くやというほどの騒がしい会場に響いて漏れ伝わってくる戦況報告は、父と従兄達が出ていく前よりも明るい報告が混じり始めている。
辺境伯家の当主も厳めしい顔つきも幾分落ち着いたものになっていた。この分だと自分の敬愛している彼らはきっと褒賞を貰うだろう。そこまで考えたイリスは肩の力を抜く。
と、同時にふと用を足したくなった。緊張感が抜けてきたのだ。
「ソーニャさん、私お手洗いの方へ行きたいのですけど」
「ん、わかった。ついていこう」
隣にいたソーニャがすぐさま頷く。
「中まではついてこなくてよろしいですからね?」
「わかってるさ」
確認するように言うイリスに再度ソーニャは頷いた。同性とはいえ、自分の用を足す音など聞かれたくないだろう。そのくらいの気遣いはできる。
2人は喧騒から遠ざかるように貴賓館の食事会場外へと出た。
数分と経たず、お手洗いにイリスが入ると、そこには髪をひっつめた女が窓の外へ向けて何かしていた。
けばけばしい化粧をした女だ。見るからにスレた印象を受ける。どう見たって貴族ではない。
女はイリスをチラリと振り返った後、すぐに窓の外の方へと向き直った。
――あんな方、いらしたかしら?
イリスは疑問に思いつつも、個室に入った。確か近くにいる住民は避難させろとの指示を聞いたような気がする。
お手洗いが足りなくて上に来てしまったのだろうか?
用を足し終えたイリスが首を捻りつつ、手を洗い終えたその時。
バツンっという音と共に辺りから魔導灯の光が消え失せた。
「ふえっ?」
時刻は既に夜だ。イリスは真っ暗闇に呑まれてしまう。
それまで明るい場所で目が慣れていたので、突然視界を奪われたような感覚に焦りを抱いた。
(魔導具の故障!?)
貴賓館やある程度金のかかっている大型建築物にはだいぶ前から、擬似晶石を用いた魔導灯が主流で使われている。
それの大本となる魔導器の故障をイリスは真っ先に疑った。しかし――――。
「うっ……」
漂ってきた鼻をつく異臭に顔をしかめる。何かが焦げているような、溶けているような臭いだ。
――まさか、火事?
廊下を挟んだ食事会場の方の喧騒が更に大きくなった。
「イリスっ!」
その時、くぐもったソーニャの声が届いた。どうやら廊下側から扉を開けようとしているようだが、こう真っ暗では手探りでも時間がかかるだろう。
――とにかく合流しなくては。
イリスがそう思って扉に手をかけようとしたときだ。
「え…………っ?」
鏡にぼんやりとした緑光が浮いている。驚いて固っていると、背後で先程の派手な女の耳障りな声が響いた。
「あぁれぇ? それって……アハッ! ワタシってツイてるぅ!」
思わず振り向こうとしたイリスの背に女の手が当てられる。
「だれっ――」
手の感触を感じ取った直後、雷撃がイリスの身体を奔った。
「きゃあっ!?」
「イリス!?」
気を失ったイリスが抱きかかえられるのと、取っ手を探り当てたソーニャが勢いよく扉を開いたのはほぼ同時。
すぐに予備系統に切り替わったのか化粧室内が照らされる。
「うっ、イリス!? な、貴様!何者だ!?」
眼を瞬かせながらソーニャが目を開ければ、イリスを担いだ派手な女は舌を出して背を向けた。
「アンタなんかに名乗る筋合いねーっての。じゃあねぇ~」
そう言うと壁に向かって拳を放つ。それだけで壁面に大穴が開いた。
「な……っ!?」
その威力に驚いたソーニャの間隙をついて、女がイリスを抱えたまま飛び降りていく。
(ここは2階だぞ!?)
慌てて後を追いかけたソーニャが見たのは大判の丈夫そうな布に女が着地するところだった。何人かの男が支えている。
――仲間がいたのか!
「ちっ! ナメるな!」
逡巡はほんの刹那。ソーニャも雨樋に腕をひっかけ落ちるように滑り降りていく。
「ぐっ、うぅ!」
着地時のガァンと突き抜けてくる衝撃が、脳天に達する前にどうにか前転して逃がす。
ソーニャがバッと顔を上げると、近くに停めてあった幌馬車の荷台にイリスは乗せられているところだった。
――誘拐だ。しかも計画的な。
「待て!」
追いすがるように駆け出すも、幌馬車はすぐに走り出す。このままでは逃げられてしまう。
(イリス、すまん!!)
「『火炎槍』! 『雷閃花』ッ! ――『水衝弾』ッ!!」
立て続けに放たれた炎の槍と樹状に伸びた雷鎚が、荷台の一部を破壊しながら後輪の車軸を赤熱させ、そこへ狙いすました『水衝弾』が2発撃ち込まれた。
軍用魔術によって赤熱化していた車軸は水球による衝撃を受け、弾けるようにポッキリと折れる。直後、幌馬車は撥ねるように異様な動きを見せ、やがて何とか横転することなく止まった。
「畜生め! 早く予備持ってこい!」
無精髭を生やした男と背の高い大男、そして先程のイリスを雑に抱えていた女も出てくる。その後からひょろりとした男も這い出てきた。
「イリスを返せ、下郎が!」
怒りの表情を湛えたソーニャが長剣を手に駆け寄るも、
「ちいっ! 邪魔を!」
横合いから邪魔するように剣が伸びてきた。慌てて盾で弾き飛ばす。いつの間にやら数人の男が彼女の周りにいた。全員覆面をしている。
「貴様ら、一体何者だ?」
「答える義理はねえな」
無精髭を生やした男の返事を合図と見て取ったのか、覆面をつけた者達が一斉に剣を手に振りかぶった。
ソーニャは後方に跳び退きながら、着地と同時に勢いを反転。追いかけて来ていた男の胸へ膝蹴りを叩き込む。
「グオッ!?」
慌てて胸を押さえる男の首を斬り飛ばそうするも、別方向から剣が襲い掛かってきた。
「く……っ!」
落ち着いてどうにか盾を挟む。
そしてググッと受け止める振りをして、最大限敵の体重が掛かったと見るや、一気に脱力するようにして身体を半回転させ、そのまま盾で男の顔面を殴りつける。
「ガバッ!?」
――この連中、思ってるより弱い?
ソーニャは余裕を取り戻しつつ、周囲の覆面共を蹴り飛ばし、膝や肘を細かく斬りつけた。
被害を受けず立ち回るには、アル達のように圧倒的な武力で一気に制圧するか、少しずつ少しずつ相手に被害を蓄積させて削るのが常道。
今のソーニャには後者の選択肢しか取れない。
「ガキ一人にモタモタしてんじゃねえぞ!」
無精髭の男がイラついた声を上げる。その視線は後ろの方をチラチラと気にしていた。予備とやらを待っているのだろう。
「時間がねえんだろ。俺がやる」
その時、男の隣にいた大男が見た目通りの太い声を上げた。
「おう。さっさと終わらせちまえ」
大男が進み出ると周囲の覆面が引いていく。
(……なんだ? 魔術でも使うのか?)
ソーニャは盾を構えた。
大男は自分の倍ほども身長があり、筋骨も隆々だ。その長い足が持ち上がる。
(何をするつもりだ?)
ソーニャの頭に疑問符が湧いた。いくら足が長かろと、その間合いでは当たらない。そう思った次の瞬間。
ドゴォォォ――ン!
振り下ろされた足が石畳を砕き、すり鉢状に抉れた。衝撃でソーニャの足が揺れる。
(っ!? 振り下ろしただけで、なんて威力だ! あんなのが直撃したら……!)
冷や汗が背筋を伝っていく。直後、大男がダンと踏み出した。
咄嗟にソーニャは盾を掲げ、歯を食い縛る。
ガァァァ――ン!
鈍い金属音が響く。
「う゛っ!? ……がはっ!?」
盾ごと吹き飛ばされて石畳を滑り、ソーニャは膝をついた。全身を貫いた衝撃が酸素を奪い、構えていた腕が震えている。
(マルクの蹴りより、重いだと……!?)
ソーニャは愕然とした。そこへ大男が回り込むように左足で蹴りを放ってくる。
「くっ……ぅううぉぉおおおッ!」
咄嗟に跳んで盾を構えたが、蹴りがその上から騎士少女を強かに叩き、吹き飛ばした。
「うっ、がっ、ぐふ……ッ!?」
石畳を転がり、何とか起き上がるも膝が笑っている。
酸素も足りない。息を吸おうとしてソーニャが顔を上げると、拳を構えた大男が立っていた。
~・~・~・~
顔を持ち上げられている感覚でソーニャは目を覚ました。
口の中がジャリジャリする。瞼を上げると眼の前には化粧の派手な女がいた。
慌てて武器を取ろうとして、縄で縛られていることに気付く。
地面も揺れている。少し離れた位置には同じく縛られたイリスがいた。
「……何者だ、貴様らは。どこに向かっている? イリスを狙ったのはなぜだ?」
「デコから血ィ流しながら言うのがソレなわけぇ?」
ジクジク痛むと思ったら額を切ったらしい。ソーニャはあえて痛みを無視した。『治癒術』を使えるほど魔術の腕はまだ高くない。
「答えろ」
「状況わかってんのか?」
無精髭の男が呆れたような目を向けてきた。覆面の男達が嘲るような笑い声を上げる。
「雑魚に蔑まれる趣味はない。とっとと答えろ」
「雑魚だと……! ガキがイキりやがって!」
「剥いちまえ!」
覆面の男達がいきり立つ。派手な女はそれを楽しそうに眺め、
「んー、まぁ狙いはこの子だしィ。護衛なら別にいんじゃなァい?」
イリスを見ながらニヤニヤ嗤った。悩む素振りを見せたのは演技だろう。こちらを絶望させたいだけだ。
――下種が。
ソーニャは黙ってジッと睨む。神殿騎士共に較べれば、この連中など雑魚もいいところだ。
なんだかんだ言って神殿騎士はアル達がいなければ一人も倒せていなかった。警戒すべきは幌に寄り掛かって座っているあの大男と、壁に大穴を開けたこの女くらいのものだ。
ソーニャの態度が気に食わなかったのか、ケバケバしい女が再度顎を掴んでくる。
「気に食わないねェ~。大体ナニその顔? 化粧もしてないクセにキレーな顔しちゃってさァ。傷つけたくなるじゃん」
そう言ってジャラジャラと腰に持っていた武器を引き抜いた。棘付きの鎖鉄球だ。
「随分趣味が悪いんだな。ああ、その下品な顔を見ればわかるか」
ソーニャは煽る。自分はあの5人の仲間なのだ。
――こんな根性から根腐れを起こしたような女にだけは負けん。
「へぇぇえ~? じゃアンタも趣味の悪いカオにしたげるよ」
女がソーニャの頬へ鎖鉄球を当てる。
そこへ声が届いた。この場に似つかわしくない、凛としたよく通る声だ。
「その者から手を離しなさい。彼女はシルト家でお預かりしてる共和国の令嬢です」
イリスだった。
(目を覚ましたのか!)
嬉しくなってそちらを見ればイリスは対照的に不安そうな表情を一瞬向ける。額から血を流しているソーニャを心配しているのだ。
「ハァ? なんで目ェ覚めちゃってるワケ? 背中に雷当てたはずなんですけどォ~?」
派手な女がソーニャの顎から手を離し、イリスへと向かう。彼女の着ているものを見てソーニャはハッとした。真紅の羽織。アルの龍鱗布だ。間違いなくあれのおかげだろう。
イリスを掴もうとしたケバい女を、無精髭の男が手で制した。
「やめろ。おい、嬢ちゃん。こっちの騎士みたいな嬢ちゃんが共和国の令嬢だって? ウソじゃねえだろうな?」
値踏みするような男の目付きに、イリスは怯まない。彼女を怯ませるには到底圧が足りていない。
イリスとてトビアスや真っ当な兵士を見て育ってきたのだから並の胆力はしていないのだ。
「勿論、当家の客人です。手を出せば共和国交易都市〈ヴァリスフォルム〉の抱える軍と我が領軍があなた方を本気で潰しに来るでしょう。外交問題になるでしょうね。あなた方を助ける奇特な貴族もいないでしょうがその覚悟がおありなら、どうぞやってごらんなさい」
あまりに堂々とした物言いに男がたじろぐ。イリスの持つ覇気のようなものを当てられていた。
逆にイリスは今のでこの男の底を知る。決して大物足りえぬ人物だ、と。
ややあって無精髭の男は口を開いた。
「……ち、コイツらに手ぇ出すんじゃねえぞ。団長命令だ。金を生むかもしれねえ獲物を壊してもつまらねえ」
「団長?」
イリスは耳聡く問う。男は舌打ちを一つして、
「俺らは傭兵団なんだよ。俺が団長だ」
「傭兵だと? 戦争もないのにこんなところで何をしているんだ?」
「答える義理はねえって言っただろうが、黙れ。あとソイツは鎖で縛っとけ。馬車を一台壊しやがった。他に何持ってるかわからねえぞ」
男は情報を得ようとするソーニャを縛り直すように指示を出した。覆面共が残念そうにソーニャに鎖を巻きつけていく。
2人を誘拐した馬車はそのままどこかの街へと入っていくのだった。
* * *
時は現在にまで戻る。階下が爆発した貴賓館の消火作業を終えた兵士達は、トビアスを先頭に辺境伯を探していた。
どうやら爆発の規模に比べて人的被害は少なかったようで、火傷を負った避難民らが辺境伯の指示の下、2階で治療を施されている。
「閣下、ご無事でしたか!」
「シルト卿か。ああ、無事だ。そちらはどうなった?」
辺境伯は疲れた顔を見せつつも、しっかりとした返答を寄越してきた。
「こちらは問題なく。侵攻は無事、抑え込みました。それで何があったんです?」
トビアスは端的に応え、早々に本題へと入る。
「あれを抑え込むとは……ご苦労、何が起こったのかはこちらでもわかっておらん。急に屋敷の魔導灯が全て消え、慌てて予備を起動させたのだが、それから数分もせん内に下で爆発が起きたのだ」
「魔導灯が? 貴賓館の魔導機材が古くなっていたのでしょうか?」
「それはない。この会が開かれる前に一度総点検を行わせている。そうでなくてもここは私の管理地。さすがに有り得んよ」
辺境伯とトビアスは首を捻った。が、すぐにトビアス側が顔を上げる。
「閣下、個人的な質問で申し訳ありません。娘を見ませんでしたか?」
「娘? イリス嬢か? それならさきほどはあちらで護衛といたはずだが――……まさか!」
慌ててトビアスと辺境伯は兵を総動員した。
しかし、彼女や護衛が爆発に巻き込まれて怪我をしたという報告はなかったし、目撃者もいない。
それどころか2人の姿がどこにも見当たらなかった。
辺境伯がすぐさま兵士を総動員し、〈ゼーレンフィールン〉の街全体を調べるように指示を出す。
色を無くしたトビアスは食事会場横にいた甥達4名へ声をかけようとして、逆にアルから声を掛けられた。その声は平坦で多分に緊張感を孕んでいる。
「トビアスさん、ミトライト家の領地はどこです?」
トビアスは蒼白になりつつも問い返そうとして質問を変える。
「なんでそんなことを――アルクス君、それは?」
「イリスがつけてた髪飾りです」
アルの持っていたモノはイーファ・ミトライトが彼女に土産として渡した髪飾りだった。受け取ったトビアスが直接娘につけてやったものだからよく憶えている。
隣を見れば奥の壁に大穴の開いた女性用化粧室。凛華が見つけてアルに渡したのだ。
「まさか、ここから連れ去られたというのか!?」
これには然しものトビアスも顔を土気色にさせた。
わけのわからない魔獣の侵攻に、消えた愛娘。
胃の中のものをすべてブチ撒けてしまいそうなほどの混乱と、不安の波が押し寄せてくる。
しかし、半狂乱に陥りかけた叔父に我慢の限界がきたアルが殺気混じりの魔力をぶつけた。
「っ!? 何をするんだ!?」
「こっちも焦ってるんだ、トビアスさん。イリスはまだシルトの娘だとわかってるはずだから無事かもしれない。でもソーニャは違う。実情はどうあれ、今の彼女はイリスの護衛任務を請けた武芸者だ。危険はそっちの方が大きい」
アルの斬りつけるような声音と、告げられた内容にトビアスがハッと正気に戻る。
(そうだ。イリスを攫うとき、そこにソーニャ嬢がいたとしたら彼女は間違いなく邪魔者として扱われる)
そこで初めてラウラが視界に入った。彼女は気丈にも不安を押し殺すように歯を食い縛っている。
トビアスは頭を殴られたような気持ちになった。喉を通る声が少々嗄れる。
「……すまない、ラウラ嬢。僕ばかり取り乱してしまって」
「いいえ……」
「後にしてください。ミトライト領はどこです?」
アルが苛立ちを抑えずに割り込む。まだ灰髪のままだ。
「ミトライト領だって? あそこは小さな街だ。ここから十kmもない。どうしてそんなことを……?」
「この髪飾りですよ」
そう言ってアルは光球を浮かべた。髪飾りに光を少し当てて、その後手で覆い隠す。トビアスは目を見開いた。
手で包まれた髪飾りが薄らぼんやりと光っている。
硝子のような飾りの底面に塗られていたのは、髪飾りを美しく見せるためのものなどではなかった。
「これは――蓄光塗料か!?」
トビアスが愕然とする。
アルは頷いた。初めは手掛かりの一つとして手に取ったが、どうにも違う気がしてよくよく見てさっき気付いたのだ。
「たぶんそうです。屋敷の魔導灯が全て落ちて、予備が起動するまで少し時間があって、明かりが戻った後に爆発があったんですよね? 兵の人に聞きました」
アルの緋色に染まった龍眼が叔父を射貫く。
「あ、ああ。そうだ。僕もそう聞いてる」
トビアスはたじろぎながらも首肯した。兵の話と首脳陣の一人である自分が伝え聞いた話とに齟齬はない。
「真っ暗な屋敷の中でなら、これが目立つと思いませんか?」
アルが髪飾りを振る。蓄光塗料が塗られた髪飾りは急に明かりが落ちても、今まで蓄えた明かりの分くらいは光るはず。だとしたら――――。
「それを目印にして攫ったのか……!」
トビアスの眼に激情が浮かんだ。
「そして逃走がバレないように――」
「屋敷を爆発させて騒ぎを起こした」
甥と叔父が阿吽の呼吸で推論を交わす。そこまで言われれば焦燥感に濁っていたトビアスの頭でも理解が追いついた。
「そう考えました。おそらくソーニャはイリスが攫われてすぐに追いかけたんです。だから影も形もない」
「そういうことか」
すべてに察しがついたトビアスがアルの龍眼を見る。もう迷いはない。
「ええ、だからミトライト領を早く教えて下さい。手遅れになる前に」
「ああ、わかった! こっちだ。急ごう!」
闘志を滲ませたアルと憤怒に身を任せることにしたトビアス、そこに凛華、シルフィエーラ、ラウラがついていく。
「ラウラ、きっと大丈夫よ。ソーニャは強いもの」
「うん。早く見つけてあげよう」
「はい……そう、ですよね! 行きましょう!」
アルと同じく闘志を纏わせた鬼娘と耳長娘へ、ラウラは涙を滲ませながら頷いて駆け出した。
☆ ★ ☆
ソーニャは現在、どこかの屋敷の一室の長椅子の上に転がされている。
一緒に連れられてきたイリスは別のどこかに連れ去られてしまった。
この部屋に入れられてすぐ、階段を上がる音が聞こえてきたのでおそらく上階の方だろう。
「ふんっ! く、くぅ~……固いし、痛い」
力んでみるも巻きつけられた鎖は硬く、ソーニャ自身も肋骨に痛みを感じていた。
しかし――――。
「諦めて、たまるかッ!」
どうにか指先を動かし、ぐぐぐっとゆっくり動かし始める。描くのは詰め込んどけと最初に頭目から教わった定型術式。
その魔術を描きつつ調整していく。
――どこをどう弄ったら、何が変わるのか……だったな。
ソーニャはアルの教えに感謝しつつ、術式を描き切った。
「ぐぐ、ぐぅ、『火炎』――いや、『蒼炎、刃』……!」
散々ラウラと練習し、何度も使ってきた魔術『火炎槍』だ。
射程をなくし、熱量を上げ、効果範囲を極小に絞って発動する。術名は頭目にちなんだ。確か術の名づけは己の印象を強固にするために必要だったはず。
こんな場面なのだ。あの”鬼火”にあやかるのが最上だろう。
姉を魅了してやまぬ、あの蒼い炎に。
バーナーのような細い炎の刃が鉄製の鎖を熔かし、バチンッと弾けるようにソーニャから外れた。
「や、やった! って熱いっ!」
手を振りながら立ち上がるとガチャン……ッと鎖が音を立てて床に転がる。
「何の音だ!?」
扉の外から男の声が聞こえた。どうやら立哨のように見張りをしていたらしい。
「ま、マズい! えーと、えーっ…………あっ!」
ソーニャはキョロキョロと慌て、バタバタ動いて隠れた。
戸をガチャリと開けて入ってきた覆面の男は、転がっている鎖と開けられた窓を見て、
「に、逃げやがった!」
と言いながら窓枠に近寄った。窓の下を見てもいないし、遠くに走り去る姿も見えない。
慌てて逃げたに違いない。団長にどやされる未来は見えたが、ここで報告しない方がもっとどやされてしまう。
そう考えたらしい男が急いで部屋を出て行く。
「ふうぅぅ~~……っ」
扉の陰に隠れていたソーニャはホッと息を吐いた。
(我ながらいい考えだった)
そう自賛する。ない知恵を絞って閃くがままに、逃げたと偽装したのだ。
すぐに階段を昇る音がした。やはり連中はあそこにいる。ならばイリスもそこにいると見ていいだろう。
いなかったらいなかったときだ。
だが、今は手元に剣も盾もない。ソーニャは適当に武器になりそうなものを探りつつ、忍び足で階段を上がって行くのだった。
☆ ★ ☆
傭兵団の手によって2階の部屋に連れてこられたイリスは、この長い夜を仕組んだ黒幕と対面していた。
「やはりあなたでしたのね、ミトライト子爵夫人」
「あら、わかってたの?」
そこにいたミトライト子爵夫人、イーファ・ミトライトが息子のヴァーゲと共にいる。当のヴァーゲは困惑した顔で眼を見開いていた。
――なぜここにイリス嬢が?
そんな疑問を抱いていることがありありとわかる。
「ええ。あの髪飾り、目印でしたのね?」
イリスはその様子から彼は無関係だと判断した。
「嫌ねぇ、無駄に賢い子は。あなたの母君の顔がチラつくようで、虫唾が奔るわ」
「私の母、リディア・シルトに怨みでも?」
「ええ、その通り。ここに連れてきた理由。本当は本人を連れて来てやろうと思ってたのだけれど、あなたがいたから少々計画を変更したのよ」
本性を露わにしたイーファがニンマリと嗤う。気色の悪い笑顔にイリスは嫌な表情を見せ、ヴァーゲは恐怖に引きつって後ずさった。
「は、母上なぜここに、イリス嬢が……?」
「連れてきたからに決まってるでしょ。ヴァーゲ、あなたイリス嬢のこと好いてたわよね?」
戸惑うヴァーゲに母イーファは優しく問う。
「は? …………ぅぐっ! は、はい。昔、想いを寄せていました」
ヴァーゲは頬にいきなり食い込んだ母の爪に怯えながらも正直に応えた。
「そうなのよ、でもハッキリ言えなくて……いじらしいでしょう? 縁談の申し込みもしたのだけどお断りされちゃったのよね。でも見てごらんなさい、ヴァーゲ」
「……ぁぐ」
舞台役者のようにイーファが朗々と喋ったかと思えば、無理矢理に息子の顔を捻って囚われているイリスを見せつける。
「あなたの憧れのイリスさんは今動けない。何が言いたいかわかるわよね?」
「は、母上? な、なにを仰りたいのですか……?」
何を言ってるのか理解したくない、そんな風に怯えるヴァーゲにイーファは邪悪な顔で応えた。
「契っちゃいなさい」
「っ!?」
予想していた答えを実母の口から言われ、ヴァーゲが衝撃を受ける。イリスは醜悪なイーファの精神に吐き気を催した。
「ほら、服が脱がしづらいならコレ貸してあげるから」
そう言って細身の短剣まで手渡してくる。
呆然として動けず、刃に怯えて受け取らぬ息子に焦れたイーファは、捩じ込むようにその手に短剣を持たせて背中を押した。
「…………イ、イリス嬢」
母への恐怖と薄っすらとした欲望、それと正義や倫理観に揺れるヴァーゲへ、
「ヴァーゲさん……一言だけ申しますわ」
イリスは凛として言い放つ。
「あなたが正しいと思うことをしなさい」
その一言にヴァーゲはハッとして眼を見開いた。
なんてことはない一言。誰だって言える言葉だ。イーファや傭兵団の面々はその言葉を嗤う。
まだ「助けて」と言えば面白かったのに、貴族の誇りが邪魔してそんな言葉しか吐けなかったか、愚かな娘だ、と嘲った。
しかし、その一言はヴァーゲにとって大事な記憶を想起させていた。
かつて勇敢なイリスの背を見上げながら聞いた言葉だった。
あの時に一目惚れして、しかし自分じゃ釣り合わないと考えて諦め、それでも仲の良い友人として彼女と語り合ってみたい。
今はそう思い、今日も頑張って話しかけたのだ。だから――――。
「…………」
しばしイリスと見つめ合い、やがてヴァーゲは動き出す。
「ぼ、僕は――ごめんっ! イリス嬢!」
そう言って短剣を持ってイリスへ駆け出す。ヒュウ――ッと団長が口笛を吹いて嗤った。
しかし、一向に少女の裸身は現れない。それどころか悲鳴すら上がらない。
「ヴァーゲッ!! あなた、なんてことしてるのっ!?」
気付くのが一拍遅れたイーファは金切り声を出しながら、容赦なく息子を蹴り飛ばした。
「うぐぁ…………ぅっ!?」
ヴァーゲの細い身体が転がされる。だが、その顔はやり切ったという表情で満ちていた。
「てやあっ!」
イーファの放った素人の蹴りを見逃さず、自由になったイリスがその腹を蹴り飛ばす。
だが、変な縛られ方をしていたせいで上手く力が入らず、中途半端な蹴りになってしまった。
よろめいたイーファが目を血走らせ、
「こんの……小娘がぁっ! 誰を足蹴にしたかわかってるの!?」
癇癪を起こして叫ぶ。
「母への妄執で歪み切ったおばさまでしょう? 可哀そうな女」
だが落ち着き払ってイリスは言い返した。イーファがわなわなと震えながら、口角泡を飛ばす。
「可哀そうな女……ですって? アンタら母娘はどこまで私を侮辱する気!?」
「言われたことあったんですのね。治らなかったみたいですけど」
サラリと煽ってみせるイリスがアルの従妹らしい胆力を見せつける。
「もういいわ! もう一度捕らえなさい! 私が甚振って、飽きたらアンタ達にあげる! ボロボロの慰み者にでもして、あの男へ返してあげようじゃない!」
叫ぶイーファに傭兵団が動き出す。
「くっ!」
覆面の男がイリスへにじり寄ったところで、急に扉が勢いよく開かれ、ソーニャが部屋へ乱入した。
「あ…………っ?」
「そうはさせるか!」
渾身の跳び蹴りをまともに受けた覆面の男が昏倒する。足甲で顎を蹴られた。当分硬いものは食べられないだろう。
「ソーニャ様!」
「イリス、無事か!?」
「はい!」
喜び合うイリスとソーニャにまたも怒りを触発されたイーファが大声で叫ぶ。
「早く捕らえなさい!」
「チッ、あいつ逃げてねえじゃねえか。おい、お前の出番だぞ」
団長が大男の背を叩いた。
「ああ、すぐに終わる」
大男は足を振り上げ、バアン! と部屋の床へと叩きつける。それだけで置いてあった机が裂け、壁紙が破れ、調度品が吹き飛んだ。
「ぐ、くぅッ!?」
「ソーニャ様!」
「額の傷が開いただけだ! 気にするな! それよりそこの! 下がってろ! 怪我するぞ!」
「は、はいぃっ!」
ソーニャの額の傷が、動いたことと破片がぶつかったことでまたドクドクと血を流し始めている。
イーファが慌てて壁際に下がり、ヴァーゲは地面を這って隅に移動した。本当は何とか加勢したいところだが、まともに戦闘訓練もしたことのない彼には不可能な話だ。
「その娘も共和国令嬢だかなんだかなんて、もうどうでもいいわ! 好きにしていいから捕らえなさい!」
イーファの命令を聞いた大男がニヤリと嗤って、幅の広い一歩を踏み出すと同時に拳を振り下ろす。
咄嗟にソーニャとイリスは左右に分かれて跳んだ。
しかし、体重の軽いイリスは衝撃の余波で壁に埋め込み型の本棚まで吹き飛ばされ、元々肋骨を痛めていたソーニャも上手く跳べずにゴロゴロと転がる。
「う゛っ!? ぐ、うぅぅ~~~……っ!?」
「ソーニャ様っ!」
イリスが唇から流れる血も気に留めずに騎士少女の名を叫ぶが、ソーニャは胸部に走る痛みで動けない。
肋骨は呼吸からはじまり上半身ほぼすべての筋肉と連動している。折れた状態で動くのは成人男性でも辛い。
それを知っている大男が嗤い、その長い腕をソーニャへと伸ばした――――その瞬間。
ガシャアアアァァァ――ン!!
イリスの側にあった窓が盛大に割れ、何者かが飛び込んできた。
「はぁ、はぁ、はぁ…………あ゛ぁ、やっと、ついた」
人間態のマルクだった。肩で息をしている。
「マ、ルク様?」
「マル、ク……?」
イリスの呆けたような声に反応したソーニャも驚いて目を瞠った。闖入してきたマルクはスンと鼻を鳴らすと、大男へ指を向ける。
「そいつから離れな」
その瞬間、細い雷撃がバヂィ――ッと飛び、伸ばされた大男の腕を焦がした。
「グウッ!?」
右腕に奔った痺れに、大男が驚愕しながら飛び退く。
マルクはサッとソーニャに近づき、ゆっくりと抱き上げながらイリスの方へ歩み寄った。
「とりあえず、酷い目にはあってねぇらしいな。安心したぜ」
ホッとしたようにあたたかい笑みを浮かべる彼が幻想ではないと確信を得たのか、イリスとソーニャがぎゅうっとしがみつく。
本当は、心の底から湧き上がってくる不安を振り絞った勇気で押し留めていただけなのだ。
「おいおい、落ち着けって。もう大丈夫だからよ。ソーニャ、『治癒』かけるから動くなよ。イリスの怪我は唇だけか?」
「う……すまん」
「は、はい……」
妙に大人しくなった2人にマルクは微笑み、『治癒術』をかける。すぐに骨折が治ったりするわけではないが、それでも何倍もマシだ。
イリスは胸がドキドキと高鳴ってしまい、まともに彼の顔を見ることもできない。初めての感情だった。
ソーニャも彼女の気持ちがわかるのか赤面している。
パッと見ではアルが目立ってるように見えるだけで、マルクも決して見た目が悪いわけじゃない。むしろ野性味のある良い男なのだ。
そしてそんな彼に助けられ、微笑まれれば赤面の一つもしよう。彼女だって乙女なのだから。
そこへ揶揄うような声で傭兵団の団長がかけてきた。
「白馬の王子様ってか? ガキ一人が粋がってるとこ悪いんだけどよォ、さっさとその二人捕まえなきゃいけねーんだわ」
その声にイリスとソーニャが表情を厳しいものに変える。
「アイツらは?」
マルクは治癒を施しながら訊ねた。その姿には緊張感の欠片もない。
「傭兵団らしいですわ」
「傭兵? 帝国じゃ落伍者の集まりか、軍規に縛られない孤高の戦闘技能集団とか言われる?」
やはりイリスとソーニャの方を向いたままのマルクに傭兵団長が苛立つ。
「その通り。ガキ、お前誰にそんな態度とってるかわかったか?」
「お前がその戦闘技能集団の親玉だって?」
だが、マルクは意にも介さず訊ねる。状況の把握中なのだ。団長は鷹揚に頷いた。
「そうさ、俺が――」
「みっともない嘘つくなよ。どう見ても落伍者の集まりの方だろ」
しかしマルクが最後まで言わせることなく指摘する。
「あ!? なんだとッ!?」
自称傭兵団の長が気色ばむ。
「まともな傭兵団がこんな仕事するかよ。大方、兵士にもなれなきゃ武芸者でもうだつの上がらねえ犯罪者予備軍か、犯罪者の集まりだろ。強そうなヤツが一人もいねえ。ま、今回でしっかり犯罪者だな」
大法螺吹きが、とマルクは吐き捨ててゆっくりと立ち上がる。
イリスとソーニャは彼から突如吹きつけた風に、小首を傾げて不思議そうに顔を見合わせる。
ようやく傭兵団の方を向いた彼の額には薄っすらと青筋が浮いていた。
「てめえ! 痛い目見なきゃわかんねえみてえだな。やっちまえ!」
大男が大股で近づいてくる。
「マルク様! その男は――!」
「気をつけろマルク! そいつは妙な技を――!」
「なんか……あん時のアルの気持ちがわかったぜ」
「何を――!?」
唸りをあげて襲い掛かる大男の拳を、マルクは素手でバシッと受け止めた。
「お前らを傷つけられて、俺ァどうもカッカきちまってるらしい」
その光景にその場の全員が瞠目する。マルクには奇妙な衝撃が通っていない。
吹き飛ぶか、骨を砕いたと確信していた大男は唖然とした。
ハッとして、慌てながらもう一度拳を振り上げたが、それより先にマルクがトン……ッと大男の腹を突く。
流麗な空手の突きのような動作。大して力も籠ってなさそうに見えた。型通りに動いただけ、そんな風に見える突きだ。
だが次の瞬間、大男の腹は裂け、内臓を飛び散らせながら壁にへばりついた。
ベチャリ……と音をさせて肉塊が落ちていく。
「しょうもねえ手品だ」
マルクは一言吐き捨てた。
「て、てめえ何しやがった!?」
顔半分を臓物で赤くした自称団長が泡を食って叫ぶ。
「アイツと同じことさ。当てる直前に闘気を叩き込むんだろ? アルのデコピンの方が百倍痛えわ」
面白くもなさそうにマルクは答えた。あんなの日常茶飯事どころか闘気を使い出してすぐでも、ここまでしょっぱい攻撃は見たことがない。
きちんと力の伝わる殴り方もしていない以上、威力もお察しだった。
「さてと。なぁ、あそこの頭気取りとそこの伸びてる少年――ヴァーゲだっけ? あとそこのババァだけ生きてりゃいいんだろ?」
「ふえっ!? え、ええっ! そうですわねっ! はいっ!」
「う、うむっ! ババァが首謀者だからな」
マルクの台詞とその後の行動がかっこよすぎて紅潮していた2人が、急に話を振られてしどろもどろに返す。
平素の彼なら彼女らの様子から色々気付いたのだろうが今は正直余裕がない。魔獣と散々戦った後に、街から街へ人狼状態で匂いを辿って走ってきたのだから。
血の匂いを嗅いだ時は冷や汗を掻いたものだ。
「んじゃ戦るか。おいそこの、俺を白馬の王子様だとか抜かしたな。そいつァ見当外れもいいとこだぜ?」
「なんっ、なんなんだてめえはあッ! 邪魔するんじゃ――」
「俺ァ、人狼だよ。覚悟しやがれ、クソッたれ共」
ゆらりとマルクの姿が変わる。
「ヒッ!?」
誰の悲鳴かもわからない。次の瞬間にはワインレッドの毛並みを靡かせた一匹の怒れる狼が、部屋を蹂躙し尽くしていた。
「ギャアアアアッ!?」
覆面をしていた男が縦に輪切りにされ、
「やめ――カヒュッ!?」
ひょろい男が首と胴をバラバラに引き裂かれる。
「こ、このっ、し、死ね、死ねェッ!」
派手な女が鎖鉄球を振り回すが、人狼の牙にそんなものは通らない。鎖と腕を丸ごと噛み千切れられた。
「手えぇッ! ワタシの腕ェッ、腕ェエエエェェッ――ケごッ!?」
悲鳴とも狂声ともわからぬ声を上げた女は爪で喉笛を斬り裂かれ、首を捩じ切られる。
「ヒイィィッ!? 殺さないで! 殺さないでくれぇっ!」
ペッと吐き捨てられた鎖鉄球と女の手首を見て、自称団長は漏らしながら悲鳴を上げた。
「うっせえな、寝てろ」
容赦もへったくれもない人狼の蹴りが顎先を砕き、男が頽れるように倒れる。
「う、動かないでちょうだい!」
「あん?」
声に振り向けば、敵ながら気丈にもイーファが細い短剣をイリスの首筋へ突き付けていた。
――ブチ殺す。
頭に血が上ったマルクは狼脚を撓ませ――――ぴたりと動きを止めた。
「……あんた、気付かないか? もう包囲されてるぜ」
「な、なんですって!? 負け惜しみを!」
「あ、短剣もしまっといた方が良いぜ。俺よりおっかないやつが来たからな」
「何言って――!」
イーファが怒鳴り散らした瞬間。
イリスの羽織っていた龍鱗布がギュルリと動いて短剣に絡みつく。
「なっ、なにこれ、離し――ヒギャアアアアアアアアアッ!?」
短剣をグイグイ引っ張っていたイーファの手が蒼炎の杭に貫かれて炎上した。
「だーから言ったのに」
やかましい悲鳴を上げる首謀者を放置して、ゆらりと人間態に戻ったマルクがイリスとソーニャに手を差し伸べて立ち上がらせる。
「おつかれさん」
「マルク様……ありがとうございます」
「助かったマルク…………その、ありがとう」
目をうるうるさせたイリスとソーニャに礼を言われつつ、マルクは扉の方にいる親友へ声を掛けた。
「おう、気にすんな。で? アル、お前いつまで隠れてんだよ?」
「お邪魔かも? と思ってね」
そこへ灰髪のアルが戸の陰からひょっこり顔を出す。
途中で馬車から飛び下りて残っている魔力などお構いなしにブッ翔んで先行したのだが、着いたら決着がついているし、親友はなんだか良い雰囲気だしで蒼炎だけ投げて隠れていたのだ。
「やかましいわ」
「兄様っ! これが助けてくれましたわ!」
「アル殿! ということは――」
紅潮させた頬を隠しもせず、イリスとソーニャがそちらへ顔を向ける。
アルは声を掛けようとして――――微笑むだけに留めた。後ろからバタバタ駆けてくる気配に気付いたからだ。
「イリスっ!」
「ソーニャっ!」
直後、トビアスとラウラが駆け込んできた。
「お父様!」
「イリス! よく無事で! ああ、良かった!」
「ラウラ! 来てくれたのか!」
「当たり前でしょう! もう! 良かった。本っ当に、良かった」
抱き合う父娘と姉妹を見ながらアルが親友に声を掛ける。
「なんで言ってくれなかったのさ? 『陸舟』使えたのに」
「攫われたって確証がなかったんだよ。屋敷の外で匂いがしてる気がするってだけで、貴賓館も大変そうだったしよ」
そこへ凛華とシルフィエーラもやってきた。
「水臭いのよ、人狼の嗅覚でしょうが。言ってたらアルだってあんな推理せずに信じてたわよ。でしょ?」
「そうだよぉ? まーったく。信じないわけないじゃんねぇ?」
アルに確認をとるように鬼娘と耳長娘が覗き込む。
「あったりまえじゃん」
「悪かった悪かった。今度から言うって」
即答した親友にマルクは照れ臭くなって、うるさそうに手をパタパタさせた。
「にしても派手にやったねぇ」
「マルクにしては荒れてるじゃない」
エーラと凛華が部屋を覗き込んで呑気な感想を述べる。
「そうか? ま、疲れてたしなぁ」
マルクは先ほど怒りで大暴れしたのが急に恥ずかしくなってきて、白々しい声を出した。
「まぁまぁ。マルクのお手柄で一件落着ってことにしとこうよ」
アルは親友を庇ってやる。なんとなく憶えのある感情を思い出してしまったからだ。
こうしてアル達6名とシルト家2名の長い長い一日は、ようやく終わりを迎えるのだった。
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