1話 一党、初めての依頼(虹耀暦1286年9月:アルクス14歳)
ここから2部2章開始となります。
9月も下旬を過ぎた頃。
『黒鉄の旋風』の褒賞授与式が執り行われた翌日のことである。
アルクスら6名は晴れて武芸者活動を開始するに至った。
といっても、あくせく働きまくるということはない。むしろかなり緩い調子で仕事を熟していくと決めていた。
なぜなら、ラウラ・シェーンベルグ及びソーニャ・アインホルンの捕縛が目的とはいえ、聖国の侵略と取られてもおかしくない軍事行動と真っ向からぶつかって食い止めた立役者。
先輩武芸者と同様に褒賞金を貰って当然、とトビアスが主張し、1人50万ダーナを4名に――つまり計200万ダーナを与えることにした。
しかし、ラウラ達も神殿騎士達の動きを包み隠さず〈ヴァルトシュタット〉支部長に伝え、最後は共に戦っていたし、そも護衛依頼の一環であるとアルクスが主張。
その協議の結果、1人30万ダーナを6名に――つまり総計180万ダーナを受け取ることになったので、あまり金に困っていないのである。
これから武芸者として稼いでいくつもりの彼らにとって先立つものがあるのは無論良いことだが、それで向上心を無くして腐れてしまうのも本末転倒。
ラウラとソーニャの持参金が6人分の食い扶持で急速に減っていく危惧も一旦なくなったことになるし、魔族組4人は金銭感覚というものが馴染んでいない。
まだ〈ヴァルトシュタット〉にいた頃のことだ。
”高級部位お買い得品”と銘打たれた鹿肉串20本入り包みを100ダーナで売っている店があった。
アルクスは『一本、五ダーナなら安いのかな?』と思っていたのだが、ラウラが「意外としますね」と言ったことで、少なからず動揺した。
ところ変わればというやつである。世界そのものが違うのだから価値観も違う。前世の金銭感覚は然して当てにならぬと理解した1件であった。
要するに、あまり大きな金額を貰って変な金銭感覚を持ちたくなかったのである。
ゆえに血眼になって働きはしないが、貯金を目減りさせぬ程度の調子で働くことにしたのである。
ちなみに30万ダーナが市井でもそこそこの額だと判明するや、アルクスの背嚢の底で重みを主張していたラウラとソーニャの持参金――大、中金貨も含め、それぞれ帝国銀行口座にとっとと預入れた。
尚、身分証明ひとつ持たぬ魔族組が拍子抜けなほど恙無く口座開設できたのは、誰を隠そう、トビアスその人のおかげであった。
* * *
領主館からそう遠くない位置にある武芸者協会〈ウィルデリッタルト〉支部の建物はかなり大きく、また整然としている。
アルクスの前世で言う、市役所のような風情といえば分かりやすいだろう。
そんな建物内に酒も出す食堂が置いてあるのだから、『これが普通なのかな……? なんか、やっぱ変な感じ』と、1人砂を噛んだような顔を隠せぬアルクスであった。
「依頼の確認を致します」
ハキハキとした受付嬢の確認に6人が頷く。
三ツ足鴉の夜天翡翠はいつも通り主人の左肩だ。
「〈ウィルデリッタルト〉郊外にて害獣あり、それらの駆逐及び農場の防衛が今回の依頼です。害獣は牙猪が殆ど、報酬は五〇〇ダーナ。魔族であるあなた方四名は四等級。少々退屈な依頼となってしまう可能性があり、また等級と釣り合う報酬ではありませんが、よろしいでしょうか?」
「ええ、お願いします」
事務的な口調で詳細を述べた受付嬢にアルクスは是と答えた。
いきなり高難度の依頼をやってヘマをするのも評価に響くし、ラウラとソーニャを鍛えるという意味でもこれが最善だ。
「ではこれをどうぞ。正直に言うと、未実績の方が高難度を持ち込んでいたら止めようと思っていたのですが、無用な心配だったようですね」
依頼書を手渡しながら受付嬢が初めて感情を表す。どうやら認識票から実力は理解していたようだが、それと実績があるかはまた別問題。
「一党としては六等級ですし」
控えめに返すアルクスに受付嬢はうんうんと頷いた。どうやら正解を言ったらしい。
「謙虚なのは良いことです。その心掛けを忘れずに頑張ってくださいね」
ニコリと笑って手を振る受付嬢に手を振り返しながら6人は支部を出た。
目指すは郊外の農場とやらだ。
懸架装置の制御が利いていないのか――無駄に揺れる乗合馬車に胃を刺激されながら辿り着いた農場は、柵が無惨に壊され、畑もボコボコと掘り起こされていなければ、片田舎との言葉の似合う長閑さがあった。
「牙猪だな、間違いなく」
すん、とマルクガルムが鼻を鳴らして呟く。
「掘り返した跡もそれっぽいね~」
シルフィエーラは食い散らかされた農作物と土の状態を見て頷いた。
「わかるものなのか?」
ソーニャが不思議そうに問うと、
「どこにでもいるもの。うちの里にもいたけど、魔族の里を荒らすほど馬鹿じゃないから畑には出なかったわね」
と凛華が答える。
「私達の訓練も兼ねてるんですよね?」
ラウラはアルクスの狙いをしっかり理解しているようだ。
「うん。魔獣相手はあんまり戦ったことないだろ? 牙猪なら俺達もすぐに対処できるし、丁度いいと思ってさ」
そこへ農場主と思わしき初老の夫婦が歩いて来た。敷地に入っている若者らを注意しようとして、途中で違うと気付いたらしい。
「あんたら、依頼で来てくれた武芸者かね?」
と、問うてくる。
「はい。六等級の一党、六名です。四等級が四名、七等級が二名で害獣退治の依頼に伺いました」
頭目のアルクスが背筋をスッと伸ばして応えた。
「あれま、四等級だって? おぉ、本当だ。おまけに魔族じゃないか。こりゃ助かるよ。こないだ来た八等級の武芸者が牙猪どもを追っ払ってはくれたんだが、すぐに戻って来ちゃってね。ご覧の有様さ」
アルクス達の認識票と依頼書を確認した農場主がそう言って畑を指す。
魔族に忌避感がなく、頼もしいと言ってくるのは農場主が帝国人で、魔族が魔獣を狩り慣れている傾向にあるからだ。
「普段から牙猪は出るんですか?」
「いんや、出ないから農場を作ったんだよ。それがなんでか森から降りてくるようになってね。切り拓いたりしたわけでもないのにって、ほとほと参ってたところだよ」
眉を八の字にさせた農場主と似たような表情を浮かべるその妻へ、アルクスが更に質問を重ねる。
「頻度はどのくらいでしょうか? 依頼された以外に何か、他に対処とかされましたか?」
「ここ数日は毎夜さ。火を焚いてみたり、見かけたら土くれをぶつけてみたりしたんだが、効果なしでね。一心不乱に畑の作物を食べ荒らしていくもんで困ってるんだよ」
「土くれって魔力の方? ですか?」
農場主の説明にマルクガルムは鋭く反応した。
「うん? ああ、そうだよ」
「それも無視して荒らす、と?」
今度はシルフィエーラも問う。
「うん、昔はこれを何度も当てて追っ払ってたんだけど、もう慣れちゃったのかねぇ。見向きもしないよ」
「森の方へ帰るのよね? 奥まで追ってみた?」
凛華も訊ねた。
「いやぁ、さすがにこの齢じゃ怖くて無理だよ。ぶつかられたらそのまま餌になっちゃうし。でも毎日だし、そこまで奥にはいないんじゃないかなぁ」
牙猪は雑食だ。抵抗できない獲物がいれば体重を乗せた牙で刺し殺して食べるし、動物の死体が落ちていれば躊躇なく食べる。
「森の奥に何かいるな」
アルクスは断言するように呟いた。
「えっ? 繁殖期とかではなく、ですか?」
自分の読みと違っていた為、ラウラはひとつの意見として進言してみた。
「繁殖期は荒れてるけど慎重だよ、あいつら臆病だからね。属性魔力に反応しないなんて、相当追い詰められた状況じゃない限り、有り得ないよ」
アルクスがそのように返し、
「群れてもそこは変わんないのよね。臆病で単細胞」
と、凛華も言う。
「効かない魔力弾を撃ってくる相手なら逆上して襲ってくるよ」
更に、シルフィエーラが少々怖い情報も追加し、
「つまり、森のほとりにまで牙猪どもを追いやった、あいつらじゃ絶対勝てねー捕食者がいるってこった」
マルクガルムが締め括った。
「凄い洞察力だな」
思わず唸るソーニャに、
「単なる経験則さ。珍しくもねえ」
何のことはないと手を振るマルクガルムの言う通り、この推測はアルクス達の冴えた頭脳が導き出した解、というわけではない。
ラービュラント大森林には強靭な魔獣も多く、牙猪は食物連鎖の三角形で言えば下位の方に位置する。
棲み処を追われた牙猪が他の場所を荒らす、というのはよくあることなのだ。
「で、では奥にもっと危ない魔獣がいるというのかね?」
農場主が顔を真っ青にして、思わず妻の手を掴む。
「その可能性があります」
アルクスの返答は淡々としていた。
「大変だ……! すぐに協会に――」
四等級とはいえ、まだ少年とも青年ともつかぬアルクス達は些か頼りなく見え、荷が勝ち過ぎると思ったのだろう――人の良い農場主は追加で武芸者の数を増やそうとした。
しかし、だ。
「大丈夫ですよ」
アルクスがやんわりと止める。
「いや、でもだね」
「ダメだったり何もなかったら牙猪の駆除だけやりますから、まずは調べさせてください。原因の排除なら報酬も追加になるでしょうが、調査だけなら協会も要求してきませんよ」
アルクスが言ったのはあくまでも可能性の話だ。十中八九、確信しているが証拠があるわけではない。その事実をあえて自ら指摘した。
前世の詐欺紛いの真似をする気はないのである。
「そ、そうかい? じゃあ、お願いするよ」
農場主はこんな子達がそんな真似はしないだろうと思っていたが、魔族が言うのであればと頷く。
以前来た8等級武芸者らは態度こそマトモだったが、話を聞くわけでもなくその場で夜を待っただけだった。
彼らのように相手を見定めるような会話は一切行っていない。最初に詳しい情報を得ようとした時点でアルクス達への信頼度はある程度高かったのだ。
「任せて下さい。対策を考えたら柵の修繕を手伝いますよ。あ、そのとき少しだけ柵に細工しても構いませんか? 畑に害を出すようなものじゃありませんから」
「あ、ああ。害がないなら大丈夫だよ。そちらもお願いしようかな」
少々しっかりしすぎているような気もするが、4等級ともなればそんなものなのだろう。
農場主は頷いて柵の修繕へと向かうのだった。
去っていく農場主を見送ったマルクガルムが、
「んで、どうすんだ? 当然、森に分け入るんだろ?」
と、アルクスへ視線を飛ばす。
「うん。今回はラウラ、ソーニャ、凛華がここで牙猪の駆除。翡翠は索敵。来たらすぐに教えるんだよ。残りの俺達で森に入る」
「カアッ!」
りょーかいっと言わんばかりに夜天翡翠が鳴いた。
「ちなみにあたしがここな理由は?」
森人であるシルフィエーラと鼻の利くマルクガルムはさておいて、凜華は己が農場担当になった理由を訊ねる。
駄々をこねないのは頭目の指示だと理解しているからだ。
「俺じゃ尾重剣を扱えないから」
アルクスの答えは単純明快だった。
「そういうことね。わかったわ」
重剣は突き込めば馬上槍、振れば大剣、地に突き立てれば盾となる複合近接兵装の側面を持つが、その分重い。
【戦化粧】の恩恵でブンブン振り回せる鬼人族なら、ラウラ達に”もしも”があっても守り切れる。
端的な回答に含まれている信頼も感じ取ったのか、凜華は即座に納得した。
「牙猪ですか……食べたことはあっても戦ったことはないです」
「今からあいつらの生態と対処法を俺とマルクで教えるよ。エーラと凛華の対処法は二人にしか出来ないからね」
不安そうなラウラへ、アルクスが問題ないと言う。
凛華は突進してきたところを真正面から真っ二つに斬るし、シルフィエーラは的確に目や膝の骨を砕く。小さい個体なら心臓すら射貫ける。
前者ならアルクスにも可能だが、ラウラとソーニャには今のところ不可能だ。後者に至っては本当にシルフィエーラにしか出来ない。
その後、アルクスとマルクガルムの2人で牙猪の生態を講義し、農場主夫妻の柵の修繕を手伝う6人であった。
* * *
時刻は夕方。
先程、農場主の厚意で夕食を馳走になった6人が仕事へ向かう。
「大型を連れてくる可能性もありますから、戸締りはきちんとしておいて下さい」
農場主はアルクスに頷き、
「うん、ありがとう。そうさせてもらうよ」
少々心配そうな表情を見せた。
「納屋の方の鍵は開けてますからね。何かあったらそこに逃げ込むんですよ?」
夫人の方も似たような表情で念を押す。たまに里帰りしてくる息子達より若いのだ。
すっかり信頼を勝ち取った6人は、そんな夫人の善意に礼を述べるのであった。
「じゃ、行動開始。油断はしないようにね」
アルクスが手をサッと振って歩き出す。その所作に緊張感の類はない。
「ええ、こっちは任せときなさいな」
凛華も軽く頷いた。魔族組は皆、肩の力が抜けている。
こうしてアルクス、シルフィエーラ、マルクガルムは森の方へと分け入っていった。
すっかり夜も深くなり始めた頃。
「カアッ! カアー!」
闇夜に紛れていた夜天翡翠が力強く鳴いた。
借りた椅子に座っていた凛華がバッと撥ね跳ぶように身を起こし、
「来たわね!」
ニッと鬼歯を見せて笑う。ラウラとソーニャも慌ただしく立ち上がった。こちらは緊張を隠せていない。
それから間もなく3人の耳へ、ドンッ、ドンッ! と壁に突き当たるような音が届いた。牙猪が柵にぶち当たる音だ。
ただし、昨日までの柵とは違うので牙猪も戸惑っているらしい。
それも当然だ。
農場主が直した柵にアルクスが『障岩壁』を被せ、内部にはシルフィエーラが頼んだ雑草の根を張り巡らせてあるのだから、並の頑丈さではない。
アルクスの言った”細工”とは、これのことである。
ところが数分もせぬ内に、バキッと聞こえてきた。
一か所だけ普通の柵にしてあるのだ。そこから牙猪が殺到してくる。
(誘導成功ね)
「やるわよ!」
【戦化粧】を発動させた凛華が先陣を切って尾重剣を振るう。
柵を壊した勢いのままに突っ込んできた牙猪は畑に入るや否や、縦真っ二つに両断された。
だが後ろに控えていた後続はその程度では止まらない。前に続けとばかりに、次から次へと農場へ侵入してくる。
「そっち行ったわよ!」
凛華はヒラリと舞い斬りながら警告を発した。
「任せろっ! う……ぉおおおっ!」
真っ直ぐに駆けてきた牙猪の前に立ったソーニャが突進の直撃を受ける瞬間、身を低くしてその鼻先を掬い上げるようにかち上げ――
「『雷閃花』!」
疾走の慣性のまま空へ浮く牙猪に、杖剣を向けたラウラが魔術を発動。
魔力増幅効果が乗った青白い稲妻の花弁が牙猪の頭を呑み込み、脳まで焼き焦がす。
ピギィッ!?
一瞬の悲鳴の後、ドサリと落ちた牙猪はピクリとも動かない。
「やるじゃない!」
す、ぱんっ! と2頭の頸部を斬り落とした凛華が余裕の表情で、彼女らの連携を褒める。
牙を振り上げた瞬間に首をかち上げれば身体が浮くとソーニャへ教えたのがマルクガルムで、その攻撃力なら脳を焼けるとラウラに教えたのがアルクスだ。
他にもいろいろと教わった。例えば――。
「『落宑の術』!」
ソーニャがよくよく引きつけ、牙猪が踏み出す先に落とし穴を作る。横の規模は大したことはないが、深さはそこそこの穴だ。牙猪の短い脚が一瞬とはいえ、嵌まり込む。
「ここだっ!」
好機を逃さず、ソーニャは駆け寄りざまに振りかぶった長剣をその首筋へと叩き込んだ。もがいていた牙猪の首筋からブシュウッ! と血が噴き出す。
アルクスから教わったことだ。首を狙える瞬間を作ったら骨を避けて体重を乗せろ、それ以外は細かく振って目や脚を狙え、と。
比較的簡単な『落宑の術』も視界に入れられると、ほぼ間違いなく飛び越えられるから足を見てギリギリで発動させるように、とも。
今のは、かなり上手くいった。
ラウラはソーニャにほど近い位置で「すぅ……っ」と息を吸う。やられた仲間を飛び越えてもう1体が突進してきたのだ。
牙猪はこれでもかなり素早い。間合いに入られたら一般人では反応できぬほどの速度なら出せる。だからこそ、とっとと術を叩き込むのだ。
「『水衝弾』!」
本来なら拳大の水で相手を殴り飛ばす非殺傷用の便利な魔術だが、杖剣を使えばひと味違う。
増幅された魔力が牙猪の半身を覆うほどに大きな水球へと変換され、放出された。
ピギッ!?
牙猪が巨大な『水衝弾』に突進速度を落とされた。
(ここ!)
ラウラがすかさず叫ぶ。
「『雷閃花』!」
大量の水を浴びていた牙猪は、樹状に伸びた殺傷用の稲妻にバチィ……ッ! と、感電させられた。
杖剣を利用した並の威力を超える雷撃だ。全身を廻った雷鎚は眼球を沸騰させ、舌を焼き、頑丈な鼻の中まで焦がす。
ギィ……ッ!?
「『風切刃』ッ!」
のた打ち回る牙猪へラウラはトドメを放った。鋭い風の刃が牙猪の喉元をザックリと裂く。やがて牙猪は絶命した。
これでもアルクスから魔術の手ほどきを受けてきている。ラウラとソーニャは自分達でも驚くほどアッサリと牙猪を打倒するのであった。
ちなみに凛華の方は特に何の障害もなかった。牙猪の間をするりと抜け、華麗な舞でも踊るかのようにばったばったと薙ぎ倒していた。
もっと幼い頃から大森林にいた牙猪やそれ以上に危険な魔獣を狩っていたのだから、当然と言えば当然の結果である。
☆ ★ ☆
同刻、森の奥へと入ったアルクスら3人は牙猪を森のほとりへ追いやった張本人――否、張本獣とも呼ぶべき魔獣と対峙していた。
「ヒトノミカガチだとは思わなかったよ」
牙猪など簡単に丸呑み出来そうなほどに巨大な口。緑と黒っぽい縞模様の鱗。鬼灯を思わせる赤い眼をした大蛇。
その体躯をもって獲物を絞め殺し、名前の通りひと飲みにしてしまう魔獣だ。
人でも魔獣でも関係なく呑まれることからひと飲みで、人呑みの大蛇としても知られている。
牙猪からすれば天敵とも呼べる存在だ。
何せ突進しようが牙を突き立てようが物理的な質量が違い過ぎる。絞め殺されて呑まれるのがオチだろう。
「どうりで匂いも薄いと思ったぜ」
人狼態のマルクガルムが鼻を鳴らす。
「ま、ボクにかかればちょちょいのちょいだけどね~」
森で【精霊感応】から逃れられる方法はほぼない。
巨大な体躯を前に気圧されもせず、3人に緊張感は欠片もなかった。
何と言っても相手が悪い。このひと言に尽きる。
高位魔獣ではないというだけで、がくんと危険度が下がるのだ。逆に言えば、高位魔獣がそれほど厄介であるという意味でもあるが。
しゅるり、と舌を伸ばしたヒトノミカガチが動き出そうとした瞬間、アルクスが掌を向けてぎゅうっと握り込む。
「『裂咬掌』」
直後、地面から飛び出した岩が巨大な掌を象って、大蛇の身体をぎゅうぅぅ……っと掴んだ。ここで狩ると決めている以上、容赦もへったくれもない。
内臓や骨を歪に圧迫――圧し潰すつもりで握り込まれたヒトノミカガチがどうにか抜け出そうとべたんべたんとくねらせ、木々が弾ける。
「ボクも手伝うよ」
しかし、無情にもシルフィエーラが【錬想顕幻】を発動させ、植物のツタや根で出来た『裂咬掌』とそっくりの巨大な掌で尾の方を握り締めた。
幾ら柔軟な身体を持つ蛇型魔獣でも、胴と尾を圧し折られるほどの圧力で締められればひと溜まりもない。
「でえあッ!」
次いで、万が一にも噛みつかれぬよう背後に回ったマルクガルムが跳び上がって狼爪を閃かせる。
『雷光裂爪』は使っていないが闘気は纏わせていたようで――転瞬、ヒトノミカガチの首、胴、尾がスパパッと綺麗に斬り離された。
血霧がぶしゅあっと舞い、そう間も置かず、ずれ始めた頭部がドサッと地面に落ちる。が、蛇系の魔獣は致命傷を受けても長いこと動き続けるものだ。
「いよっと」
直後、術を維持したままアルクスが胴と尾へ、
「暴れんなっての」
着地と同時にマルクガルムが、ばたばたしている頭部へ。
バヂィィィィ!
そのまま断面から覗く脊髄に沿って瞬間的に雷鎚を流し込む。
がちんっ!
途端、刎ね飛ばされた頭部が激しく噛み合わされ、やがて細い瞳孔が徐々に開いていく。胴と尾の方も大きく一度跳ね、だらんと動かなくなった。
「エーラ、もう一匹いたりしないよね?」
術を解除しながら、かつての苦い教訓を思い出したアルクスが訊ねれば、
「ちゃんと訊いといたよ。いないってさ」
どうやら同じ考えに至っていたらしいシルフィエーラも「大丈夫」と頷いた。
「はぐれだったのかねぇ」
マルクガルムが人間態に戻りながら首を軽く傾げる。
「そうかも。防壁の隙間とか、水路伝いに入ってきたのかもね。このデカさでも結構ぺったんこになれるし。まあ、ここらへんの生態系を乱してたってのだけは確定だろうね。とっとと戻ろうか」
そう結論付けて背を向けるアルクスの裾を「ねね」と、シルフィエーラがちょんちょんと引っ張った。
「ん?」
「屍骸、どうする?」
「どうって……あー、頭だけでも持ってく?」
証拠にはなるだろうし。と、アルクスがそう応えると、マルクガルムがぼそりと呟いた。
「コイツの皮、売れねえのかな……?」
見ればそこそこ綺麗な縞模様をしている。牙猪を食べていたであろうことから、健康状態も良かったはず。
「やっぱ……全部持ってく?」
結局、アルクス達3人は芽生え始めた金銭感覚によって、なんとなく勿体ない気がして屍骸を運ぶことにするのだった。
牙猪の駆除が終わって少しした頃。
森に分け入った3名がヒトノミカガチを浮かせて戻って来た。
暗い中に浮かんで見えた大蛇の頭部はラウラとソーニャの肝を大いに潰したらしい。悲鳴とも驚愕ともつかぬ短い声が夜空に吸い込まれていった。
「ヒトノミカガチだったのね。ってかなんで全部持って帰ってきちゃったのよ?」
唯一動じなかった凛華が問えば、
「……こいつの皮、売れるかもって」
浮かせている頭目当人がす~っと視線を逸らす。
「ふぅん。俗ね」
しらっとした視線のおまけ付きで鬼娘の容赦ない評が飛び、
「う、うるさいよっ」
アルクスは慌てたようにツッコミを入れるのだった。
「怪我とかしてる~? 大丈夫だった~?」
シルフィエーラが2人の声音から無事は理解しているものの一応訊ねてみる。
「なんとか無事です。なんとかですけど」
少々、いや結構数が多かった。そこら中に牙猪の死体が転がっている。
いきなり厳し過ぎますよ、と言わんばかりの視線をラウラが飛ばしても無理からぬことであった。
「量に呑まれかけたが、凛華がいたからな」
ソーニャの言う通り、危ない場面は凛華が薙ぎ払ってくれたり、凍らせてくれたので大事には至っていない。
「ま、とにかく無事でよかったぜ」
マルクガルムがそう締めたことで場は落ち着いた。
「とりあえず片そうかね」
アルクスが次の指示とばかりに牙猪の死体を数体まとめて浮かせる。すっかり魔力の抜けた死体には問題なく『念動術』が通る。
ヒトノミカガチの屍骸も途中からは魔術で浮かせて帰ってきた。
「二、三頭は柵の外で血抜きしてるわよ」
どうやら凛華は相当に余裕だったらしい。
「ああ、さっき見た。一頭は土産にもらっとこうか」
こうして6人は休憩の順番を回しながら、作業を行っていくのだった。
* * *
早朝に起きてきた農場主は目を瞠る。夜間、戦闘音は聞こえていたが、信じて眠ることにしていた。
もし彼らが怪我でもしていれば癒院へ駆け込めるだけの余力が必要だったし、そうなれば自分のところの荷車を貸すくらいはしてもいいと思っていた。
しかし、蓋を開けてみればどうだ。畑から離された位置には牙猪が積まれていて、奥には大蛇が3分割にされて置いてある。
「こりゃあ、一体……」
「あ、おはようございます。牙猪の駆除と、森から出てきた原因と思わしき魔獣ヒトノミカガチの討伐完了です」
そこへアルクスが爽やかに報告してきた。
「ヒトノミカガチだって……!? こりゃ、本当だ」
大蛇の縞模様に見覚えがある。
「それと牙猪は二頭ほど血抜きと解体を済ませてますので、そちらに差し上げます。皮は凍らせてあるので、溶けない間に専門の業者へ持ち込んだ方が良いと思います」
アルクスの説明通り、皮はなめすのに手間がかかる。バリバリ剥いでそのままにもできないので丸投げしたようだ。
要らぬなら捨てれば良い。長い時をかけて野に帰るだけだ。
「えっ? ……でも、いいのかい?」
アルクスの厚意に農場主は目を瞬かせる。食用分でさえ確保する余裕があったという事実にも驚くばかりだ。
「ええ、肉が多いようであればご近所さんにでも分けて上げて下さい。そっちも軽く凍らせてありますから」
「……あ、あぁ、何から何までありがとう。そうだ、依頼書だったね。待っててくれ」
一瞬呆けていた農場主がハッとして自宅の方へ駆けて行く。
その後、生き残っていた農作物を都市内の方へ持っていくから乗って行かないか、と言われたアルクス達はその案に飛びついた。
自分達用の馬車や荷台を持っているわけではない。乗合馬車にどうやって牙猪1頭とヒトノミカガチを乗せようかと思案していたので、渡りに船というやつだ。
そんな彼らから少し離れた場所で、夜天翡翠はご機嫌に牙猪の肉を啄むのであった。
* * *
乗合馬車よりもかなりマシな揺れと共に協会支部の建物へ辿り着いた6名は、すぐさま署名を貰った依頼書と戦利品を持って、素材買取窓口と兼用の窓口に向かう。
「依頼達成おつかれさん。にしてもこりゃ大物だね」
詳細な依頼報告まで済ませたアルクス達へ、受理担当の中年職員が振り返って言った。
解体担当の作業員らも『仕事のし甲斐がありそうなやつが来た!』と、目を輝かせている。
「んでどうする? 売るんだろうが、肉は持って帰るかい?」
事務方の後ろからやってきて作業員が訊ねてきた。
売る場合なら後日作業賃を差し引かれた追加報酬が渡され、持って帰る場合は作業賃を報酬から差し引かれる。
「ええ、牙猪の肉は持って帰ります。ヒトノミカガチの肉――も、ひと塊持ち帰ります。あとは売却で、ってそういえば皮は売れるんですか?」
ヒトノミカガチの肉は淡泊で旨い。
――悪くない土産になったなぁ。
領主館に持ち帰ろうと決めたアルクスが訊ねると、
「質のいい皮はそこそこ高級品として出回ってるよ。こいつはなかなか大きいし、傷も少ないから割合良い値にはなるね」
作業員は手袋で周りを汚さないよう気を払いながら指さした。アルクスが後ろの仲間達を振り返る。
ヒトノミカガチの皮革が欲しそうな者は……いない。
「今言った分以外はすべて売却で」
「あいよ、そんじゃ売却代金は後日だな。肉は今持って帰るだろ? ちょいと待っててくれよ、急ぐから」
「はい、お願いします」
威勢のいい作業担当者はそう言うと、すぐに去っていった。後ろではまだ新人らしき少年や他の武芸者らがザワついている。
しかし夜を徹して依頼に従事していた6人は、さっさと食堂の方に向かって軽い朝食を摂るのだった。
* * *
その後、待つこと2時間程度。
疲れていたラウラがアルクスの左肩で眠ってしまい、起きて顔を真っ赤にしたり、
「あれを受け止めるのは難しいぞ、いきなり無茶を言うな」
ソーニャがマルクガルムにぶうぶう文句を垂れたりしながら過ごした。
ちなみに待つのが面倒になった凛華は「寝る」と言い置いてアルクスの右肩でさっさと眠り、シルフィエーラは支部の建物内を興味津々といった様子で見て回っていた。
ヒトノミカガチの尻尾肉ひと塊に、牙猪1頭分の肉、そして依頼報酬を受け取って帰路へとついた一党。
何はともあれ、武芸者として一般的な初依頼を大成功で収めた彼らであった。
コメントや誤字報告、評価など頂くと大変励みになります!
是非とも応援よろしくお願いします!




