18話 胎動する悪意、なけなしの策、廻る運命(虹耀暦1286年9月:アルクス14歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
年末のお休みということで少し長くなっております。なにとぞよろしくお願い致します。
ディーノ・グレコは咥えていた葉巻から口を離し、煙を吐き出した。
白っぽい紫煙が早朝の空気に溶けていく。
珍しく機嫌の良さそうな彼が身に纏う首元の赤い胸甲は、ひと昔前まで使われていた旧型の聖騎士鎧。今は準聖騎士と神殿騎士長が着用するものだ。
現在、彼が率いる神殿騎士隊は帝国の田舎街から南東方面の少々離れた位置で待機中である。
「動くでしょうか?」
前の副官を新街道とその街の捜索へ向かわせた為、この騎士は臨時の副官だ。
ディーノが適当に従順そうな者へ与えた役割だったが『意外と使える』と評価している。
何より一度聞いたことを何度も訊き返したり、余計な反論をして来ない。
「動く。既に従者共は俺達に討ち取られた。あの忌々しいノーマン・シェーンベルグの娘共だ。自分達のせいで関係のない者が傷つくのは忍びないと焦って飛び出てくるに違いない。ちゃんと見張っとけよ」
昨日あの街の住民を捕らえ拷問を行った結果、ラウラ・シェーンベルグとソーニャ・アインホルンはあの街に滞在中だという情報を得た。
2人を釣り出すためにわざわざあの住民を返してやったのだ。動いてもらわねば困るというもの。
「はっ。現在あの街にある全ての門を監視中です」
打てば響く返答へ、ディーノはニタニタと満足気に口の端を吊り上げた。
着の身着のまま焦って飛び出してきたところを捕縛する。
なんと簡単なキツネ狩りだろうか。
捕らえたらさっさと本国へ戻るだけだ。その過程で多少傷物になっていようと、命さえあればどうだっていい。
「その……予備隊は誰に殺られたのでしょうか?」
ディーノは新副官の声に視線を向けた。
あの使えなかった連中のことなど心底考えたくもない。
「さあな、女神に呪われた連中とでもバッタリ出くわしたんだろうよ」
「……魔族、ですか」
知ったこっちゃないと言わんばかりのディーノへ、副官は渋い顔を見せた。
魔族に同胞が倒されたとすれば穏やかではない。
神殿騎士になる者は全員が「魔族は倒すべき悪、女神に呪われた者」として訓練を受ける。彼も例外ではなかった。
「実力もないくせに狩ろうとして返り討ちにでもあったんだろ。役立たず共が」
ディーノが吐き捨てる。並々ならぬ感情を見た気がした副官は問うた。
「捜索と討伐に行かれますか?」
「行かん。任務を忘れるな」
しかし、派手な胸甲を身に着けた男はその提案を蹴り飛ばす。
優先事項が間違っているのだ。
何より元聖騎士の自分がここで野営をしているというのが気に食わなかった。
「はっ。失礼致しました」
素直に返答を寄越した副官を手で戻れと追い払いつつ、
「戻ったら報告を入れるから気にするな」
と言っておく。
――部下の血の気の多さにも困ったものだ。
そもそも神殿騎士と聖騎士は成り立ちが違うので、魔族への認識も異なる。
ディーノにとって魔族とは女神の怨敵だの滅するべき不信仰者、などという括りにはいない。
ただの穢れた害虫。邪魔者だ。
途端にジクリ、と視力のない左目が疼きだした。
”魔族”と聞くと必ずこの痛みが襲ってくる。
――あの時からだ。
「クソが」
先程までの良い気分が台無しである。
そう思っていたところへ去ったはずの副官が舞い戻って来た。
些か急いでいるように見える。
「どうした?」
ディーノが問えば、
「ハッ、見張りからの報告です! 外套を頭から着込んだ線の細い者が二名、北門から出て来たようです! 馬をかなり飛ばしているらしく、また一人は足甲をつけているのが見えたとのこと!」
副官が淀みなく告げた。ディーノはニヤリと嗤う。
――やはり出て来たか。
おそらく目標だが、協力者がいる可能性もある。
「すぐに追わせろ! 三十もあればいい! 見張りはそのまま任務続行だ!」
「ハッ!!」
副官が駆けて行く。
慌ただしく動き出した騎士達をよそに、ディーノは葉巻をひと吸いした。
「ひと雨来そうだな」
空には分厚い暗雲が垂れ込めている。
だが任務の成功を確信しているディーノにとってそれは些末なことだ。
意識に昇りもせず、天幕へ戻って行った。
その数分後、彼らの敷いていた陣から30騎の騎馬隊が飛び出して行くこととなる。
☆ ★ ☆
ドドッ、ドドッ、ドド…………ッ!
馬の駆ける音が近づいてきた。
先行して街を出た森人のケリアとプリムラは馬を走らせながら、後ろにチラリと視線をやる。
何十騎かの敵が後から追ってきていた。
どうやらすぐに動き出せるよう待機していたらしい。
できるだけ小柄に見えるよう身体を極力縮こめ、すっぽりと外套を被って短髪を晒さぬように気をつけながら走っていると、女性弓術士プリムラの方がケリアへと声を届けた。
「やっぱり来たみたいよ」
「アルクスの読み通りと言ったところか」
街から誰かが急いで出てくれば、連中は追ってくるしか選択肢がないはずなので、先に2人で出てくれとのことだ。
臨時で護衛依頼を請け負った、と云うよりそれにかこつけて戦う気満々の『黒鉄の旋風』は、本来の指名護衛依頼を請けている一党の頭目アルクスの指揮下にある。
その彼から森人であるケリアとプリムラがそれらしく匂わせて先行し、敵を引き付けて欲しいと指示を受けた。今のところは順調。
武芸都市ウィルデリッタルトへの街道、その道程を確認したアルが一番に出した指示がこれである。
「撃ってくるわよ!」
プリムラが小声で警告を発する。
チラリと眼をやれば射程内に入ったのか神殿騎士共が弓や剣を構え、照準を合わせるや否や――こちらへ属性魔力や矢を霰のように放ってきた。
「そろそろ本気で走らせるとしよう」
「そうね!」
ヒュンヒュンと飛んでくる土の弾丸や矢が到達する直前で、2人が一気に馬を急加速させる。
加減して放たれた術や矢では届きようがない。
騎士共から見えないところで【精霊感応】を発動させ、自重を風の精に頼んで軽くして貰い、かつ馬を加速させる風を生み出してもらったのだ。
「なっ!? ――――追え! 追えいっ!」
騎士共の慌てた声を聞きつつ、ケリアはフッと笑う。
彼にしては幾分か好戦的な笑みだ。
プリムラはいつになく戦意を向上させている恋人へ、囁くように声を掛けた。
「随分やる気満々ね、私もだけど」
「当然。私も彼らに当てられたようだ。それに……ギードは私の友でもある。怒るなという方が無理な話だ」
ケリアは『黒鉄の旋風』頭目の出身地である〈ヴァルトシュタット〉へ何度も訪れるうちに、レーゲンの友であった薬師のギードとも親交を持った。
魔導薬の勉強をしているから、と森人の自分達に植物の特性や薬効を訊ねて回り、熱心に己を高めようとする非常に好ましい男がギードという薬師だ。
その友人を手酷く傷つけられた。
――怒るな? バカバカしい。今怒らないでいつ怒るというのだ。
脳髄が痺れるほどの憤怒を滾る闘志に変えた恋人へ、プリムラが指摘するように言葉を返す。
「彼ら、って言うか彼ね」
「アルクスか」
「そ。なんていうか、他の子達が疑いもせずについていく理由がわかる気がするわ」
怒りを滲ませたアルに魔族組の凛華、シルフィエーラ、マルクガルムはむしろ戦意を向上させていた。
「あの魔力の嵐には我々も昂揚したからな。稀有な男だ」
アルから吹き荒れた魔力は同じ魔族であるケリアとプリムラをも大いに刺激していた。
――独特の戦風……覇気とでも呼べば良いのだろうか。
あるいは人を惹きつけ、率いる資質とでもいうのか。
そういったものを鋭敏に感じ取っていた。
「そうね。将来大物になるかもよ? っとそろそろよ――――見えたわ!」
プリムラの声にケリアも頷く。
武芸都市までの街道は河沿いにあり、そのずっと西向こうにラービュラント大森林がある。
そしてほんの一点、ほんの一瞬だけ河と大森林に連なる小規模な森の端とがほぼ重なる場所があるのだ。
実際は重なるというより、一部だけ細くなった河幅と森林の植物がそこを覆うような形になっている。
今は騎士共も全力で馬を走らせている為か、攻撃の手が緩いし甘い。
「行くぞ!」
「ええ!」
時機を見計らったケリアとプリムラは、騎士共へ己の顔を見せぬよう気を配りながら細くなった河を渡り、そのまま森の方へと馬を走らせた。
「森に逃げ込んだぞ! こっちだ!」
ドドドドッという馬の走る音、バシャバシャと河辺の水を蹴立てる音が聞こえてくる。
「作戦成功だ」
「そのようね」
ケリアとプリムラは互いに笑む。
アルの示した作戦の第一陣はこの上なく上々の成果を出していた。
「森で我らに勝てると思うな」
「目にもの見せてやるわよ」
好戦的な笑みを森人達が浮かべる。
なぜ森人族と呼ばれているのか。
釣られて森へ入った神殿騎士30名は、その所以を知ることになる。
哀れな女神信仰者共が牙を剥いた森に生き地獄を体験させられるのはこのすぐ後のことであった。
* * *
待機していた準聖騎士ディーノ・グレコに予想外の報せが届いたのは、30名の騎士をラウラ・シェーンベルグとソーニャ・アインホルンと思わしき馬上の2人の捕縛にやって40分もした頃だ。
時刻は朝7時前。
適当に糧食を摂ろうとしていたときだった。
「報告します! 先程と同門から六頭立ての馬車が出て来たそうです!」
「なんだと!? 誰が乗っていた!?」
「それが確認できなかったらしく、しかし巡行速度そのものは一般的なものだそうです!」
「っ…………そうか」
その報告で一瞬立ち上がりかけていたディーノは座り直し、
「見過ごしますか? まだ捕縛にやった者達からも報告は来ておりません」
直立不動の副官が見守る中、腕を組んで思考していた。
「見張りは?」
「今のところ何も。並の速度ならもう少しで監視範囲外に行ってしまいますが、捕らえさせますか?」
再度の問いかけにディーノは「そうだな」と頷こうとして、はたと動きを止めた。
疑問符を顔に貼り付けた副官が問うてくる。
「ディーノ様?」
それを無視したディーノは勢いよく立ち上がって叫んだ。
「やられた! すぐに出るぞ! その馬車に目標が乗ってる!」
「目標がその馬車に? しかし、並の速度で急いだ様子も――」
副官は尚もピンときていないのか報告内容を読み返すも、
「昨日賊にやられた住民がいるのに急がない馬鹿がいるかっ! 早く支度を済ませろ、俺も出る!」
ディーノがその反論を叩き潰す。
「は、はっ!」
言われて副官も気付いた。なまじ自分達がやったことだった所為で、街の住民側の立場で考えられていなかったのだ。
「違ったとしても国軍にでも知らされれば大ごとだ! 何としても捕らえろ! 総員出せ!」
「はっ!」
副官がバタバタと走っていく。
己の取った手段が己の首を締める一手になってしまったなどと夢にも思わなかった。
2日もあれば片が付き、国軍なり都市の領軍なりが出てくる頃にはズラかっているだろうと高を括っていたが、街の対応がここまで早いなど予想の範疇を越えている。
小娘2人と連携しているらしいことも想定外だ。
「クソがっ!」
慌てて脱いでいた胸甲を身に着け、武装を確認しつつ馬に乗り込む。
十中八九、その馬車に小娘が乗っていると見ていいだろう。
――ナメた真似を……!
苛々しているところで騎兵らがディーノの前に集合していく。
すぐに出られるよう天幕などは非常に簡素な造りにしてある。
大して時間も経たず、
「出立準備、完了致しました!」
副官が報告に来た。
「全騎、出るぞ!」
ディーノの号令で神殿騎士83名が動き出す。4名は伝令の為、一応ここで待機だ。
頭上の暗雲はすぐにでも雨を漏らしそうなほどに黒く染まっていた。
☆ ★ ☆
幌馬車が見張りの監視外へ抜けたところで、アルは『念動術』から質量軽減効果部分を抜き出した術式を起動した。
乗員分と荷物の重量がすっかり抜けた重みに馬が驚くも、武装解除した剣士のヨハンが御者を務めている。
軽く取りなして一気に加速させた。
「うまくいったね」
エーラの声にアルは頷く。
「うん。ありがとエーラ。たぶん出てくるだろうけど距離を稼いどかないと」
彼女は索敵して見張りの位地をずっと教えてくれていた。
【精霊感応】によって聞き出した神殿騎士の監視隊はそこいらに潜んでいたが、植物の精と声のない交信が可能な森人には筒抜けだ。
おかげで出だしから襲われることもなく、連中の視界範囲外に抜け出したところで馬車を加速させることができる。
これもアルが考えた作戦だ。
出だしから急げば、確実に不審に思われて襲われる。かといって、いつまでも遅く走って危険な範囲に居続けるのも悪手。
実際先に出てもらった森人のケリアとプリムラには追手がついたことを夜天翡翠に確認してもらっていた。
その夜天翡翠も今は幌馬車の直上を旋回し、何かが来ればすぐに啼くよう指示を出している。
「ケリアとプリムラで慣れてるつもりだったけど、やっぱ凄いね」
監視を抜けたということで、御者のフリをやめた兄ヨハンに鎧と剣を渡しながら双子の妹エマが呼び掛ける。
「だな」
ヨハンは頷きつつ、チラリと後ろへ視線を投げた。
(森人のシルフィエーラ以上に後ろのコイツだ)
アルは今も無造作に発動中の魔術を弄りながら、何やらジッと考え込んでいる。
直線になったら馬車の重量をほとんどゼロにして、カーブが見えれば少しずつ重量を加えていって籠分だけ重量を戻す。
巧みな術式操作に、聖国の連中を出し抜こうとするだけの胆力。
その赤褐色の瞳は、眼の前の景色ではなく現況とこの先を見据えている。
――コイツは一体、何手先まで考えている?
とにかく幌馬車を急がせ、丁度ケリアとプリムラが森に神殿騎士を誘い込んだ地点を通り抜けたところで、
「アル、来たぜ」
「カアー!」
マルクと夜天翡翠がほぼ同時に声を上げた。
街からそう距離もない。精々10kmほどだ。
「どれくらい?」
「まだ遠い」
マルクの鼻は騎士連中の匂いを鋭敏に嗅ぎ取っている。
「了解、翡翠はもう少し上空でいい! 撃ち落されるなよ!」
「カアッ!」
夜天翡翠がひと啼きして、更に上空へと昇る。残念ながら三ツ足鴉という魔獣に鎧を貫通させるだけの攻撃手段はないのだ。
「腕が鳴るわ」
凛華が鬼歯を剥いて尾重剣の柄を握る。
「あくまで連中の数を削ぐのが狙いだからね。剣を抜いた時点で作戦は失敗だよ」
「わかってるわよ」
美麗な顔をぷくりとさせる鬼娘にアルはやれやれと視線を向けた。
「……緊張しますね」
「うむ、だが恐くはない」
「私もです」
狙われているラウラとソーニャは、血の繋がらない姉妹同士で覚悟を固める。
――いよいよだ。
「来たよ!」
耳の良いシルフィエーラの声を聞いたアルはパッと弾かれたように荷台の後ろへ移動し、固く結んでいた幌の留め縄を緩めて、重量をあえて半分ほど戻した。
乗員と荷物分の重量が6頭へゆっくりとかかり、相応に速度が遅くなる。
その間にどんどんと後ろの追っ手が距離を詰めてきた。
馬車と単騎では後者の方が速いのだから当然の理屈だ。
ドドッ…………ドドッ……ドドッ、ドドッ――――!
銀色の騎士胸甲に身を包んだ神殿騎士共が遠目に見える。
「ヨハンさん、合図したらブッ飛ばしてください。一気に軽くします」
「よし来た、任せな」
ヨハンへと指示を出し、アルは後ろの監視を続ける。
(かなり急いでるな。好都合だ)
出遅れを取り戻す為に一気に走らせたのだろう。
4馬身差までにじり寄ってきた騎馬が、幌馬車との相対速度を合わせた――――瞬間。
「今です!」
即座にアルは合図を出しながら、幌馬車にかかっていた重力をほとんど一気に打ち消した。
「よっしゃ飛ばせ!」
ヨハンの気合いの籠もった声と共に鞭を打たれた幌馬が一気に急加速。
「な……ぐっ、悪足掻きを! 飛ばせ!」
「ちっ、急げこの!」
騎士共からすれば速度を緩めたところに、これはたまったものじゃない。
「早く追え!」
「なんだあの捷さ!? 馬車の速度じゃないぞ!」
神殿騎士共の罵声を浴びた馬が加速をつけて追いかけてくる。
しかし、アルの策は別に速度で揺り動かしてやろうだとか、馬の体力を奪ってやろうだとか、そういう生易しいものではない。
というかその程度の策、オマケに過ぎない。
なぜなら、纏めて殺すつもりなのだから。
「「「「『落宑の術』」」」」
軽く捲り上げられた幌の隙間から凛華、エーラ、マルク、ラウラが同時に術式を発動させた。
「魔術だ!」
「ちっ、跳べ!」
騎士共は追っていた馬車の後ろ――つまり自分達のすぐ眼の前に拳大の落とし穴がボコッ、ボコッ! と、出現したことに仰天し、慌てて馬に跳び越えるよう手綱を操る。
しかし、ラウラは杖剣による魔力増幅効果も乗せているので実質魔族3人分が放った魔術だ。
「うおぁっ!?」
馬の嘶きと共に一名が落馬した。馬の方は足を捻ってしまったらしい。あれでは当分走れまい。
しかし、だ。
――だからどうしたというのか?
これでも神殿騎士だ。
大半の騎士がなんとか落とし穴を飛び越え、着地寸前の大地を前に内心で胸を撫で下ろし、「所詮は悪足掻きだ」とばかりに甲冑兜の裏で嘲る。
(その油断を待ってたよ)
だが、それこそがアルの狙いだ。
「『鎌鼬・荊累』」
不可視の歪な三日月鎌が幾つも連なって、閃き飛ぶ。
狙いは着地したばかりの馬脚だ。
落とし穴を飛び越えた場所に置かれるように射出された風の鎌は、荊のような棘で馬脚にブシュッと絡みつくと同時に寸断した。
容赦の一欠片すらなかった。
「う、馬がぁっ!?」
アルにしてはそこそこ魔力を籠めたその魔術は、効果を失うまで後続の馬脚までも寸断せんと暴れ回る。
「うわぁっ!? よせ! 俺が――ぐぎゃあっ!」
次々と『鎌鼬・荊累』が放たれた。
神殿騎士共も己に迫ってくるならまだしも、元が見えにくい風を利用した術なうえ、馬に撃たれては敵わない。
「何が起こ――ああああぁぁっ!?」
「う、迂回しろ!! 仲間を踏み潰すな!」
「ば、バカ避けろ! ……おおおおぁあっ!?」
「待てっ! よせ……べぐぉっ!」
先頭にいた騎馬が脚を奪われ、騎乗していた鎧騎士が滑るように転げ、落馬していく。
そこへ後続の騎馬が続くように駆けてきたことで轢かれる者、運悪く頭を踏み潰される者、こけた馬に脚を引っ掛けて横転し、前者と同じ運命を辿る者が多発した。
この二次被害こそが、アルの立てた作戦だ。
「今の内です、急いで」
「おうともさ」
――恐ろしいものを見た。
一瞬で街道を血塗れに変えたアル達にエマは顔を引きつらせる。
「お、おっかないね……」
「何言ってんだ。ギードの兄さんにあんなことしやがった連中だ。まだ足りねえくらいだぜ」
後ろに視線を向けながらヨハンはそう言った。ざまぁ見さらせ、と舌を突き出さんばかりに悪辣な表情を浮かべている。
「そりゃ、そうだけどさ。ねぇヨハン兄……あの子達、敵に回さないようにしようね」
エマがつい昔の呼び方で双子の兄の裾をくいっと引っ張る。
「当ったり前だろ。誰がやり合うんだよ、あんなんと」
清々しさすら覚える兄の返答に妹はそうだよね、という顔をした。
こいつは昔からそういうやつだった、と思い出したのだ。
☆ ★ ☆
幌馬車を追いかけていた先頭の騎士達およそ30名の内半数が落馬し、大半が死亡したと聞いたディーノは怒りに身を震わせた。
怒りの矛先は当然、彼らの不甲斐なさへ向けられたものだ。
「何してやがるボケ共が!」
自身も馬を走らせつつ、副官をどやしつける。
「そ、それが魔術を使ってきたと」
「捕らえれそうになって抵抗するのなんざ、当たり前だろうが!」
そんなことも考えられない無能揃いだったとは思わなかった。ディーノの怒鳴り声に副官は尚も言い募る。
「い、いえ連携して強力な術を使ってきたらしく! 馬のほとんどが脚を根こそぎ斬り落とされてしまったそうです!」
「馬の脚が? となると……チイッ、そういうことか」
――予備隊の連中も馬ごとやられていた、それも脚を。手口が近い。
一手でそこまでしなければさすがの騎士連中だって警戒するはず。
予備隊と先遣隊の殺り方に同じ思考が見られた。これが意味するところは一つ。
「な、なんでしょうか?」
恐る恐る訊ねる副官にディーノは告げた。
「俺が先頭に行く。伝令をやれ。目標の護衛は魔族だ。おそらく予備隊を殺した連中だろう」
「っ!? 魔族っ! 了解いたしました、伝えて参ります! しかし魔族とは……!」
副官の顔に敵意が浮かぶ。神殿騎士の主敵が魔族だ。
そう染みつくほど教わるのだから当たり前の反応だろう。
憎々しげな表情の部下を見たディーノは、暗い嗤いを浮かべる。
――頭はどうしても足りないが、焚きつけ甲斐のある連中だ。
見えぬ左目をさすりつつ先頭に馬を行かせる。
――傷の礼だ。直接の関りなどなかろうが存分に受け取ってもらおう。
すぐに落馬したと報告のあった連中が見えてきた。
先遣隊と言っても少し先に準備ができた連中を纏めて行かせただけだ。そう距離もない。
「貴様らは走ってこい! それか通る馬でも 盗んで追いつけ! 目標を捕縛するときにいなければ罰則だ!」
ディーノは生き残っている10名にも満たぬ部下達に向けて無情な上官命令を投げつけた。
当然だ、自分ほどの者が前に出てやっているのにそこらへんで道草を食っていたでは筋が通らない。
「目標の護衛は魔族だそうだ」
副官がそう付け加えたことで、消沈していた彼らが激怒に身を窶す。
――こんな目に遭ったのは邪悪な魔族のせいか!
怒りに燃える彼らは準聖騎士率いる神殿騎士部隊が、早い段階で幌馬車を拿捕することを期待しつつ、ガチャガチャと歩み始めた。
しかし、彼らの運命はここで終わりを迎える。
上司率いる再編部隊が通り過ぎて少し後、甲冑兜越しに馬の音を聞いた彼らは後ろを振り向いた。
あわよくば襲って馬を奪ってやろう。
そんな邪な考えに一切の躊躇いも、良心の呵責も覚えない。
が、それが実現することはなかった。
振り返った彼らの瞳に映ったのは大写しになった太い剣身だ。
「え――――」
疑問の声を上げる前に、最後尾の2名が首を纏めて刎ね落とされた。
彼らのすぐ前を歩いていた振り向きかけの騎士もまた、豪快な太刀筋によって斬り捨てられる。
「な……っ!?」
「どうし――っ!?」
驚いた騎士が駆け抜けて行った馬上の男へ剣を向けようとするが、次に走ってきた剣が彼の延髄を叩き斬って黙らせた。
「な、なんだ貴様らは!」
10名にも満たない騎士が一気に2名にまでなってしまった。
泡を食った2人が抜剣したところへ、巧みに馬を操って方向転換した男が大刀を振り上げて一人を屠る。
その頃には最後の一人へともう一頭も駆けて来ていた。
「きっ、貴様――らアっ!?」
後ろから首筋をザパッと斬り裂かれ、突っ込んできた馬上の男の振るう大刀が勢いよくズン……ッと胴にめり込む。
生き残ったはずの神殿騎士の最後の一人は、首筋から出血する首をあらぬ方向に曲げ、上半身と下半身が分かたれて死ぬこととなった。
大刀から血を振って落とす男――レーゲンは、
「……何が貴様だ、クソ野郎共が」
と吐き捨てる。
よそから勝手に来て、何も知らない友人を傷つけた彼らから憤怒の感情を向けられる筋合いなどない。
「もう生き残りはいないみたいね」
女性剣士ハンナも幅広直剣を振るって血を落とす。
どちらの武器も〈ヴァルトシュタット〉のダビドフ作だ。刃毀れ一つない。
「ざっと三十人ってとこか。流石だぜ、あいつら」
馬上から点々と続いている赤黒い染みを数えてレーゲンが言えば、
「寧ろここまで読んで私達を後発にしたことの方が恐いけどね」
とハンナが返す。
これもアルの考えだ。ズバリは挟撃である。
人数がいるなら丁度いいとばかりに昨夜、作戦会議をした際に指示してきたのだ。
先鋒を森人2名に行かせ、引っかかった連中を森に誘い込む。
森で甲冑を着た騎士など植物の養分でしかない。
次は本隊であるアル達8名が出て、気付いて追いかけて来た連中をある程度削る。その際、脚を狙うと言っていた。
落馬した”騎士共の引導は同じ騎士に渡してもらおう”。
そんなえげつない言葉を吐くアルに『黒鉄の旋風』と支部長一同が少々引いた。
最後にレーゲンとハンナが生き残りを見つけ次第、後ろから挟撃をしかけて殺す。
このとき「絶対に殺せ」とアルは言った。
下手に情けをかければ街に被害が及ぶかもしれないし、余計な情報を持ち帰る可能性がある。
後々不利になる要素は尽く潰せ、と言ってきたので素直に従うことにした。
これはアルの敵への一切の情けを排した合理性とレーゲンらの感情、その2つが見事に一致したことで何の躊躇もなく行えた。
「あいつが恐ろしく見えるのは、ハンナが頭目になったことねえからさ」
「え? そう、なの?」
ハンナはレーゲンの表情に理解の色が浮かんでいたことで少々面食らう。
「そうさ。ありゃあな、必死って言うんだよ」
もう一人の頭目からよく見えていたのは、アルの顔に滲んでいた必死さだった。
ラウラとソーニャと自分達、そして臨時で入った『黒鉄の旋風』。
その全てを活かしつつ、誰も死なないよう、考えに考えて立ち回ろうとしている。
冷徹や冷酷に見えるのは、敵の命にまで意識を向ける余裕がないからだ。
「……そっか。ちょっと考え違いしてたのかもね」
ハンナはそう言って、馬首を進行方向へ向ける。
「だったらお姉さん達が手助けしてあげないとね」
「おうよ、急ぐぜ。可愛い後輩達の為に」
「ええ、行きましょ!」
レーゲンの言葉にハンナが力強く頷く。
――連中の尻から食い破ってやる。
『黒鉄の旋風』頭目と副頭目を乗せた2頭は地面を蹴立てて走り出した。
☆ ★ ☆
武芸都市〈ウィルデリッタルト〉――その南門にはこの都市の領軍100名と領主トビアスがいた。
更に武芸者が5名。三等級が3名に二等級が2名。
一等級武芸者と言うのはなかなか見ない。在野での最高等級は二等級と言われるほどだ。
なぜなら一等級になるには審査が非常に厳しく、またそれほど優秀な者を遊ばせておくほど帝国が無能ではないからである。
栄えある帝国騎士やそれに近しい位を任せるのが通例だ。
「一同、傾注!!」
領軍の兵士らが軍靴をザッと揃えて、トビアスの方を向く。
武芸者ら5名はトビアスの護衛という建前で、何かあれば前に出て戦ってくれと依頼を受けた猛者達だ。
仕えているわけではないが、三等級以上ということでしっかり領主を立てるような姿勢を執っている。
それでなくともここの領主は家が興った当時から親しまれている家だ。聞かぬ者などそうそういない。
「皆、よく集まってくれた。これより共和国の交易都市〈ヴァリスフォルム〉が藩主ノーマン・シェーンベルグ殿の娘ラウラ・シェーンベルグ嬢とソーニャ・アインホルン嬢の救出任務のため、〈ヴァルトシュタット〉に向かう」
トビアスの言葉に武芸者の面々は頷き、兵士らはじっとその続きを聞く。
救出とはどういう意味か。
ここの家は戦意高揚も含めて事情をしっかりと話してくれることで有名だ。
中には単一命令を下し続けるだけの無能者もいるそうだが、トビアスには当て嵌まらない。
結局動機付けというのはあらゆる面で必要なのだ。
「かの令嬢二名がノーマン殿への人質として聖国の神殿騎士共に追われ、〈ヴァルトシュタット〉に辿り着いたとの書状が届いた。従者達も倒されてしまい、今は少ない現地の護衛と共にいるそうだ。
〈ヴァリスフォルム〉のノーマン殿と言えば、聖国の反魔族政策に異を唱え続ける剛の者。かの御仁に対する人質などあってはならぬ。彼女らを助け、ノーマン殿へ安心してもらうと共に、聖国の非道を追及せんがためにも、私と彼女らに力を貸してくれ!」
「「「「「オオオオ――――ッ!!」」」」」
トビアスの演説は兵士達の心に火を点けた。
反魔族政策――帝国人からすれば「愚か」の一言に尽きる政策だ。
その政策の憂き目に遭った魔族達を見て怒りに駆られた者も少なくない。
それに真っ向から対抗しようとする共和国の人間というだけで好感を持ってしまう。
そして人質という部分に大いに不快感を感じた。
――ならば自分らで助けに行かなければ。聖国の非道を許してはならない。
兵士らの姿勢がビシリと更に整う。
「いざ、出陣!!」
「「「「「「「オオオオ――――ッ!!」」」」」」
トビアスの号令で領軍は進みだした。
馬に乗っているのはトビアスを始めとした指揮官達。
そして戦争用として開発された大容量の貨物車に整然と乗っているのが他の兵士らだ。
戦場と化していく街道にアルクス達、聖国の騎士、領軍の三者が揃いつつあった。
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