14話 迫る神殿騎士の影
ここから、お話の流れが加速していきます。
ラウラ・シェーンベルグとソーニャ・アインホルンに稽古をつけ始めた初日の夜。
時刻は現在午後の7時半、場所はアルクス達が滞在している宿の1階酒場。
ラウラとソーニャは重たい体を引きずりながら「食事だけは摂っておかなければ」と粛々とした雰囲気で食器と口を動かしている。
夕食はここいらに流れる深い川で捕られた虹鱒のまぶし焼きだ。
結局、2人は5時半過ぎまで訓練を続けた。
何度も声にならぬ悲鳴を上げていたものの、音だけは上げなかった。
走り回り、剣を振り回し、盾を構えて踏ん張り続けた。
休憩を挟んでいるにしてもよく4時間も耐えられたものだ、と『黒鉄の旋風』が感心するほどの根性だ。
「やっぱあの『治癒術』が効いてたのかね?」
アルクス達と同じ食卓についていたレーゲンが、黙々と口を動かす少女2人を眺めながら訊ねる。
帝国問わず、”『治癒術』は癒者が扱う術”という認識が人間には強い。
人体構造の複雑さと行使する難易度が敬遠される所以だ。
ところ変わって魔族から見れば魔力操作の難しい魔術のひとつ。
こういった価値観の違いは魔力量に起因する。
レーゲンは、シルフィエーラが休憩のたびにラウラとソーニャへ『治癒術』を掛けていたおかげなのだろうか? と、思ったらしい。
「いえ、あれはあくまで細かい怪我の治癒と筋肉痛とかの軽減です。むしろ『治癒術』は掛ける側も、掛けられる側も疲れますよ」
自然治癒を高める――つまり自己恢復能力を底上げする『治癒術』はその分栄養を消費する。
その上で身体が勝手に治ろうとするのだから、相応の消耗や消費はあっても恢復だけは絶対に有り得ない。
「んじゃあ――」
「二人の気合ですね。俺自身、二時間くらいでやめようかなと思ってましたし」
「……なるほどな」
それだけ切羽詰まっている状況だということだろう、とレーゲンはなんとなく察する。
「それよか、アンタらよアンタら!」
『黒鉄の旋風』の副頭目――女性剣士のハンナがアルクスと凛華に指を突き付けて叫んだ。
「あたし達? 何が?」
話を振られると思ってなかったらしい鬼娘が、アルクスの隣で整った顔に疑問符を浮かべる。
「『何が?』じゃないわ! アンタらの稽古よ!」
ちなみにアルクスの方は薄々察していた。
なぜなら周りの武芸者はもっとこう、もう少し安全そうな稽古をしていたからだ。
「属性魔力のドカ撃ちに魔術! 真剣での超接近戦! おまけに魔法まで使って! 稽古であそこまでやる馬鹿いないわよ!」
ハンナが気炎を上げる。
「俺は魔法使ってません」
「黙らっしゃい!」
アルクスの揚げ足を取るような反論をハンナは卓をドンと叩いて黙らせた。
「俺とやり合った時より明らかにちゃんとやってたよな?」
レーゲンの指摘にアルクスがスッとそっぽを向く。
ちゃんとやっていなかったのではない。こちらの手札をあまり見せたくなかったのだ。
「でもあれ全力じゃないわよ」
「はぁ!?」
アルクスが「【修羅桔梗の相】は見せるな」と言っていたので、凛華は【戦化粧】でも最初に覚える基本形【無垢の相】で稽古をしていた。
アルクスも『八針封刻紋』は解いていない。
「そだね。いつもより大味だったもん」
シルフィエーラがそう言うと『黒鉄の旋風』の面々はそちらを向いた。向くと言っても凛華の反対側――結局、アルクスの隣にいるだけだが。
「まだ上があるの?」
恐る恐る女槍術士エマが訊ねる。
正直に言えば『大味』と評されたあの稽古でも、到底敵いそうにない戦闘能力が伺えた。
審査の時だって手を抜かれていたのは知っていたが、あそこまで強いとなるともう手の出しようがない。
「そりゃこいつら今日は闘気使ってねーし」
マルクガルムが平然と答えた。凛華とアルクスの稽古は何でもありの実戦だ。
闘気も使うし『気刃の術』だって今回は封印していたのだから『全力でない』と言うのは、単なる事実に過ぎない。
「普段からポンポン使いながら闘ってるっぽいとこは、やっぱ魔族なんだなって思うぜ。使いどころを考えなきゃならねー俺らからすりゃあ妙な感覚だ」
「レーゲン、言っておくが魔族でも闘気をそんな風に扱えるのは一定の強さと認められた者だけだ。それ以外が下手にやれば負担だけ高くて最悪身体を壊す」
森人の男性剣士ケリアがレーゲンを窘める。魔族だからと何でもかんでも出来るわけではない。
「確かに。私なんてそこまで闘気使わないわよ? 使い道少ないんだもん」
同じく森人の女性弓術士プリムラも援護を入れる。
「矢に乗せちゃえばいいじゃん」
しかし、シルフィエーラがアッサリ返した。
闘気(シルフィエーラの場合は霊気)を乗せた矢は貫通力が増すので、簡単に弾かれない。
わざわざ『燐晄』を使わなくとも今の彼女にはそのくらい軽い。
「本気で言ってる? 同類だと思ってたのにエーラちゃんまでそっち側だったの?」
プリムラは信じらんないと言いたげに、自分とは対照的な肌と髪色をした年下の少女に視線を向ける。
すると小麦色の肌をした耳長娘は、
「これでもボクは頭目決めの仕合で凛華に勝ってるんだよ?」
と偉そうに胸を張って主張した。
「え……っ!?」と『黒鉄の旋風』が驚愕する。
魔族組が記憶に残している勝敗はこの時のものくらいだ。
「こらあんま調子乗らないの。ま、あたしはマルクに勝ってるけどね」
その言葉に面々が再度驚愕する。森人の恋人達ですら驚いた。
なにせ人狼の毛皮は並大抵の強度ではない。そしてマルクガルムは決して弱くない。
つまり凛華にはあの分厚い防御を貫くだけの実力があるということ。
「お前も言ってんじゃねーか。俺はエーラに勝った」
マルクガルムの言葉で、『黒鉄の旋風』はこの一党内の魔族組に明確な序列がない理由を悟った。三竦みだったからだ。
強さの格付けを行いたがる魔族がどうして? と思いつつも、仲の良い者同士だからかと勝手に納得していたが、そこはそこできちんとケジメをつけていたらしい。
そこで、はたとレーゲンが気付く。
「あ、じゃあ……アルクスは?」
黎い髪の頭目に視線が集中した。
アルクスは「ふむ」と顎に手をやって考え込むような仕草を取り、散々勿体つけた挙句ポツ……と漏らす。
「……ひみつ」
そしてシーッと唇の前に指を翳した。
「おいざけんな」
すかさずレーゲンがツッコミを入れる。
そこからはやいのやいのと酒が入った大人達と少年少女らの取り留めもなく、毒にも薬にもならないやり取りが展開されるのであった。
さて旨い夕餉も済ませたし寝るか、とアルクス達の一党と『黒鉄の旋風』が別れようとしていた頃だ。
男性が2名、ドタドタと店内に入ってきて、アルクスに目をやるとすぐに捲し立ててくる。
「ここにいたか! 緊急だ!」
よく見れば武芸者協会ヴァルトシュタット支部の支部長と初老の入国審査官だった。
アルクスが弾かれたように立ち上がり、何があったと鋭い目を向ける。
「ここじゃなんだ。少し離れたところでいいか?」
と支部長が問えば、
「問題ありません。みんな行こう」
素早い頭目の指示に仲間達もさっと立ち上がった。
「なぁ、俺らも聞いていいか? 支部長がいる以上、お前らに非はないんだろうけど厄介なことは起こってんだろ? 俺らもそろそろ依頼で外に出る。何かあるんなら教えちゃくんねえか?」
が、レーゲンが引き留めた。その眼は真剣で、さっきまで酒を呑んでいた男のそれではない。
支部長がそちらで判断しろ、という仕草を執る。
アルクスはラウラにチラリと眼をやり、レーゲンと睨み合うように視線を交わした。
しばしの沈黙。
ラウラがこっくりと頷くや否や、
「わかりました。けど他言無用で、必要以上の詮索はなしですよ」
鋭く注意を入れる。
「ああ、それで構わねえ」
「支部の方に行くぞ。この時間なら職員もほとんど帰り支度をしてる頃だろう」
そう言い置いて背を向ける支部長に武芸者らも動き出した。
協会支部の建物内。
一部照明が落とされた食堂の角にアルクスら6名が座り、その向かいに硬そうな黒い顎髭を蓄えた支部長、そして白髪の混じり始めた入国審査官が座る。
『黒鉄の旋風』は傍の卓に別れて座った。
何も興味本位で首を突っ込んだわけではない。出来たばかりの後輩達が心配だったのだ。
「アルクス君だったね?」
「はい」
「君の言う通り、聖国の者がここに入国しようとした。先ほど門を閉めようとした際だ」
入国審査官が重々しく発した聖国という響きに魔族組4人から極々微量の殺気が漏れ、ラウラとソーニャが身を硬くする。
「もう、ですか。通してはいないんですよね?」
「当然だ。入れるわけもない」
「当たりをつけて来ましたか?」
アルクスの淡々とした質問に入国審査官は数瞬、考え込むような顔をした。
「……確信はないがこの街で当たりだろう――そんな顔をしていた。自慢にならんがここは辺境の田舎街だ。あの方角からそちらのお嬢さん方の足で来れるのは、この街くらいではないかね?」
「確かに」
つまり神殿騎士の本隊とも呼ぶべき連中は証拠があってこの街だと確信しているのではなく、物理的に可能だろうという予測の下、ここまで辿り着いたということ。
「具体的にはどういう対応を?」
「お嬢さん方と違って証明書もなく、そのうえ物々しく武装していた。そんな他国の人間を簡単に通すほど帝国は不用心ではないからな。丁重に追い返した。
しかし、『入るためなら武装を捨ててもいい』と言ってきたので、『では鎧も全て預けろ』と返したら烈火の如く怒り狂ってな。とにかく帝国の法で入国は不可として追い返したよ」
途端にラウラとソーニャはホッと息をついた。
凛華とシルフィエーラがその肩にそれぞれ手を置いて軽くさすってやっているのを横目に、アルクスが更に質問を続ける。
「人数はどれくらいかわかりますか?」
「わからん。こちらに来たのは二名だけだった。他の門にも来たらしいが先に情報を伝えておいたから許可を出した者はいない。そちらも二名だったそうだから最低でも六名はいる。いずれも上の立場の者の雰囲気ではなかったそうだ。こちらに来た者も入れてな」
騒ぐ、と言ってくれていたが宿と門が離れているので気付けなったらしい。
「どう出てくると思われますか?」
「まず街に無理矢理入ることはないだろう。この街は大きくないとは言え、村とは違う。我々軍人もいれば武芸者もいる。そして何より帝国領だ。下手なことをすれば戦争になりかねん。それはあちらも願い下げのはず。となれば――」
「街の外で待ち伏せてる可能性がある」
アルクスは呟くように審査官の言葉を引き取った。
この街じゃなかったと引き返す可能性は少ない。というか、ほぼないだろう。
ラウラとソーニャが共和国に出戻りする可能性が低いということは、あちらの方こそ理解しているはずだ。
「最悪の場合はそうだろう」
入国審査官も重々しく首肯する。次に支部長が口を開いた。
「今朝、武芸都市〈ウィルデリッタルト〉の方へ早馬を回した。共和国の御令嬢が助けを求めて依頼してきたとな。着くのは今頃か、遅くとも明日の朝には着いているだろう」
「ありがとうございます。ですが、来るかどうかもわからない救援を待つ気はありません」
だが、アルクスはキッパリと返し、
「いやしかし、武芸都市の領主様は人心に溢れるお方でだな――」
支部長がぎょっとしたように目を見開いて宥めに掛かる。
「俺達の前に現れた神殿騎士は三十三名で全員が騎兵。それが本隊ではないと聞きました」
しかしその反論は、アルクスによって静かに捻じ伏せられた。
「「「「「「っ!?」」」」」」」
『黒鉄の旋風』の面々も、彼の対面にいる2人も想像以上の規模に愕然とした。
――三十三名……!? 待て、じゃあこいつらはその連中から逃げ延びたと言うのか?
「それ以上が襲ってくる、と?」
比較的早く冷静になった初老の入国審査官が訊ねる。
「そう仮定してます」
アルクスの声は淡々としている。
どこの軍隊だってそうだが、本隊の方が大抵は数が多い。
「その騎士達が五十名を超えた時点で、交代要員はともかくこちらの常駐人員を越える。国境警備隊も|〈ヴァルトシュタット〉《ここ》より南東方面の巡回が主任務だ」
「……マジかよ」
〈ヴァルトシュタット〉の協会を預かる男は呻いた。
「それに、ソイツらが大量の物資を持っているとも思えません。ラウラ達が共和国の最西端にある街から逃げてきて、今日を入れて三日。当てずっぽうでここまで辿り着くのに潜伏できるほどの物資を積んできたとは考えにくい」
今度は入国審査官が呻く。
その街がどこにあるか知っていたからだ。
全身鎧の騎士を乗せた馬がここまで大量の物資を持って移動して来るのならば、確たる理由――つまり証拠がいるはず。
消去法で出した目的地に潜伏期間用の物資など持って来ているわけがない。
そして、手持ちの備蓄がなくなれば――。
「……野盗の真似事をしだすのも時間の問題か」
ここは他国。そして人とは残酷な生き物だ。
良心の呵責が痛まぬ相手になら何だって出来る。
審査官は齢の分だけその心理をよくよく理解していた。
支部長も『黒鉄の旋風』も苦り切った顔をしている。
聖国の、とは言わないが落ちぶれてそうなった武芸者なら見たことがあるからだ。
「だから俺達はさっさと尻尾撒いて逃げます 出立した翌日の朝くらいから、それらしい連中が〈ウィルデリッタルト〉の方へ行ったとでも噂を流して貰えれば、それで構いません。大都市なら流石に連中も手が出しにくいはずです」
アルクスは淡々と告げた。
極力被害を出さない為にラウラやソーニャ、そして幼馴染達と一緒に考えていたことだ。
「待てよ、お前ら。そんな真似は――」
「依頼者の希望です」
ゆえにレーゲンの老婆心も切って捨てる。
「依頼者って……?」
ハンナの呟くような問い掛けに、気丈な覚悟を秘めてラウラが応えた。
「私です。共和国、交易都市〈ヴァリスフォルム〉が藩主ノーマン・シェーンベルグの娘ラウラ・シェーンベルグ。それが、私の名です」
その堂々たる名乗りに知らなかった面々が驚愕する。
アルクスも彼女が身分を明かしたことに少々驚いたが黙っておいた。
「逃げて来た、ってのは……?」
「父ノーマンへの人質、そして洗脳教育を施す為の修道院へ連れて行かれそうになる前に国を出たのです。連絡を受けて」
淀みのない少女の口調に『黒鉄の旋風』は二の句が継げない。
良いとこのお嬢さんくらいには品があったが、まさか本物の貴族令嬢に値するとまでは思わなかったのだ。
「元居た田舎街の方々にも、こちらの方々にも親切にしてもらいました。そんな方々が酷い目に遭うのは、もう二度と見たくありません。
ですが私が捕らえられてしまえば〈ヴァリスフォルム〉の市民にも聖国の手が広がってしまう。だからこれは自己犠牲でも諦めでもない――私なりの妥協なんです」
「「「「…………」」」」
事情や覚悟を初めて知った人間には何も言えない。そこにアルクスが付け加える。
「仮令〈ウィルデリッタルト〉の領主とやらが救援を出してくれたとして、そこまでアテにもする気も、実はありません。俺が見た人間はあなた方くらいで、残りは殺した神殿騎士共だけ。後者の方が人数は多い。見たこともない人間に背を預けられるほど、俺は人が出来ちゃいません」
その言葉は衝撃をもって食堂の一角を駆け巡った。
――神殿騎士を殺した、だと?
アルクスの隣にいる魔族組も、人間組も顔色一つ変えずに平然としている。
それは事実だということ、そしてそれだけの覚悟を既に持っているということを如実に物語っていた。
支部長をはじめとしたこの街の人間には、やはり掛ける言葉が見つからない。
そんな事情があるのなら、自分達も戦えるようにならなければと思って当然。
『黒鉄の旋風』の面々はラウラとソーニャの特訓時に見せた根性にようやく合点がいった。
誰かが深い吐息を漏らす。
「情報ありがとうございます、本当に助かりました。俺達は明日まで滞在して明後日の朝早くに出ます。五十kmくらいなら一日頑張れば着きますから」
アルクスの決然とした表情はこの決定を覆せないと悟らせるに充分なモノだった。
赤褐色の瞳に宿る強い光が、大人達の喉にまで出掛かっていた在り来りな反論を潰す。
「…………馬の当てとか、あるのか?」
話は仕舞いとばかりに立ち上がるアルクスに、それでもレーゲンは食い下がることを選んだ。
「ありません。貸してくれるところとかあるんでしょうか?」
正直なところ、この逃避に『陸舟』は不向きだ。
追われている最中、常に魔力を消費し続けるという点も、多くの人間の目に触れるという点でも。
「ある。乗合は遅いからちゃんとしたの借りて行け。お前らなら六頭立ての幌馬車でも借りればその日の内には武芸都市に着く」
「六頭の幌馬車ですね、ありがとうございます」
「魔導荷台がありゃあな」
「何ですそれ?」
「擬似晶石をはめ込んである荷台よ。それなら荷の重さを軽減してくれるからもっと速度も出せるの」
ハンナの説明を聞いて、アルクスは左眼だけを閉じた。
『釈葉の魔眼』を積極的に使い出してから癖になった仕草だ。
魔眼は発動しないままにしばし考え込む。
(荷台の重量を全て相殺させると、おそらく車内はグチャグチャになる。だから重心は必要。だけど馬が何も感じないくらいには軽い方がいい。となると――)
ぶっつけ本番にはなるだろうがそこらへんの調整は得意分野だ。
「たぶんやれそうです。情報感謝します。思いつきませんでした」
「やれるって、魔導荷台の真似事しようってこと? 結構計算とか複雑って聞いたことあるけど」
「軽くするだけなら誰でも出来ますし、眼がありますから。五人とも、ちょっと座ってくれ」
アルクスが一党の仲間に呼びかける。
何をするのか察した魔族組が座り、続いてラウラとソーニャもきょとんとしながら座った。
ここの椅子は長椅子だ。練習には丁度いいだろう。
アルクスが右腕をひょいと上に動かす。
『念動術』を正しく掛けられた長椅子は五人の重量と椅子の重量を足し合わせた分だけ重力を相殺してふわっと浮いた。
「掴まっててくれ。マルク、端っこ頼むよ」
指示を出したアルクスが今度は長椅子の手すりを持って軽く引っ張る。
「わわっ」
途端に上下左右が狂い出しそうになって5人はずり落ちそうになったが、最後尾に当たるマルクガルムがソーニャを抱き留めつつ踏ん張って、残りの面子は背もたれにしがみついた。
「ま、マルク!?」
「どうするの?」
「中の重みを抜く」
凛華に応えつつ、アルクスが質量軽減効果を緩めていく。
徐々に2人分の重量のみを相殺し、長椅子のみの重量分だけを戻して第二術式を切った。
長椅子がゆるやかにスウッと降りてくる。アルクスはその状態のままグイッと引っ張った。
ズズー……っと長椅子が床を引き摺られる。
「どう? アル、できてる?」
背もたれを握ったまま訊ねるシルフィエーラにアルクスは頷いた。
「ああ」
長椅子はとても5人が乗っているとは思えないほど軽くなっている。というより長椅子分の重量しか残っていない。
(これで馬も多少は楽になる。加減覚えとかないと)
『念動術』はアルクスの十八番。
『釈葉の魔眼』がなくとも質量軽減効果を弄るくらいお茶の子さいさいだ。
「これを明後日、荷台に掛けようってわけね?」
満足気に「よし」と呟くアルクスをよそに、長椅子を引っ張ってみたハンナが呆れたような声を出した。
「はい。荷台だけの重さなら馬も長く走れるでしょうし、それでも重たそうなら荷台の分も軽減させます」
「呆れたわ、『念動術』の術式をその都度弄るだなんて。ていうか既存のとかなり違うじゃないの」
いつも一緒にいる魔族組や慣れてきたラウラやソーニャはあまり驚きもないが、発動中の魔術を弄るのは学のあるハンナの言う通り高等技術だ。
魔導師級でもなければ普通は術を起動し直す。
ついでに補足すると、術ひとつを改造するのにも莫大な時間を伴うのが常識で、当然分解したりもしない。
だからこそ必ず一定の効果を上げられる定型術式というものの利便性は計り知れないのだ。
「そいつは既存の術なんてほとんど使わねーぞ。水出すときくらいだ」
真っ赤な顔のソーニャから手を離ししな、マルクガルムがのんびりと言えば、
「どうかしてんじゃないの?」
とハンナは返した。何コイツ、という視線のオマケ付き。
「剣、天井に貼っ付けますよ」
「ちょっとやめなさいよ、謝るから」
あんまりな物言いにカチンときたアルクスはハンナが佩いている幅広直剣へと指を向けるのだった。
聖国の影は、刻一刻と迫ってきている。
ラウラは仲間達を見ながら表情を引き締め直した。
――彼らの為にも、自分達の為にも絶対に生き延びる。
彼女の強い意思を受けて少女騎士も頷く。
――もう誰も、死なせてなるものか。
こうして〈ヴァルトシュタット〉の夜は更けていった。
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