4話 パラダイムシフトと『八針封刻紋』(虹耀暦1285年4月:アルクス13歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
前話から2か月ほど経過したお話となります。なにとぞよろしくお願いいたします。
ラービュラント大森林にも本格的な春がやってきた。
雪もすっかり見なくなって久しく、今は標高の高い山手の方に白く積もっているのが遠目に見える程度だ。
まだまだ薄手の防寒着が欠かせないとは云え、気温も徐々に上がり始め、里の家々では布団や上着から綿を抜く作業が散見されつつある。
そんな4月を迎え、同年代の中では誰よりも早く誕生日を迎えたアルクスと仲の良い幼馴染である3人は現在、里長であるヴィオレッタの自宅兼書斎にいた。
「アルってあの時こんな複雑なことやってたの? よく〈刃鱗土竜〉を落とし穴に嵌めようなんて考えられたね」
「そーね。大慌てだったのは知ってるけどあんな速度でいっぱい描けないわよ」
「あんときは魔眼もなかったよな」
小麦色の頬をぷく~っと膨らませながら鍵語表を眺めるシルフィエーラ。
雪のように白い眉間に皺を寄せて目元もぐにぐに揉みほぐす凛華。
ワインレッドの髪を軽く掻きむしっているマルクガルムの3人が、机に向かってうんうんと唸っている。
魔術が発動するまでの仕組みの難解さと無数にある鍵語に早くも音を上げていた。
かつてアルが高位魔獣を落とし罠に嵌めるため、幾重にも術を重ねたというのは知っている。
しかし、それが相当な荒業だったというのは魔術を学び始めてすぐに気付くことになった。
3人の感想を誉め言葉として受け取ったアルは口を開こうとして――ふふん、と胸を張る。
何年選手だと思っているのだとでも言いたげな態度だ。
ちなみに喋らないのは声が出なくなったからである。
どうやら変声期に突入してしまったらしく、数日前急に声が出なくなった。
喋ろうとしても掠れた息が漏れるだけでちっとも音にならない。
ヴィオレッタによればあと1日2日もすれば声自体は出るようになるだろうとのことだし、何より前世の自分もそうだったので特に焦りはない。
声が出なくなったり、話している途中で急にトーンが外れたりなど男なら誰もが通る道だ。
面倒なのはそこから声帯が安定するまで。そちらはそこそこに時間がかかる。
「くふふ、まぁ汝らが本格的に魔術を学び始めたのはひと月ほど前からじゃがアルは五歳からじゃ。同じようにいかぬのは道理じゃろうて。むしろ儂は汝らが魔力というものの扱いや考え方を正しく認識しておることの方に驚いたぞ?」
「俺らはアルに色々教えてもらったから。いきなりヴィオ先生の授業受けてたらチンプンカンプンだったと思います」
「”属性変化”は母さんじゃなくてアルに教えてもらったもの」
「”特質変化”もね~。魔法があるからそこまで使ってないけど、一時期面白くてそればっかりで遊んでたもん」
「そうかそうか。遊びながら覚えるのが一番覚えやすいものじゃ、何事も楽しんで行うことほど記憶に残ることはないからのう。儂も教えやすくて助かるぞ」
アルがまたまた胸を逸らした。ヴィオレッタはそれが微笑ましくて、くすくす笑う。
「さて今日は簡単な術でも教えるとしよう。ふむ、では『念動術』にしようかのう」
「あ、それってアルが慰霊碑を土竜の頭に落としたときに使ってた術」
「お墓からとってきたやつだね」
「回転させて土竜の頭にぶっ差したやつか」
その憶えられ方は非常に不本意だ。
アルの顔にはありありとそう書いてある。
ちなみに2か月ほど前、一応形ばかりのお叱りも受けている。
「くくく、そう。その術じゃ。簡素ながら完成度の高いものでのう」
ヴィオレッタは笑い声を抑えもせず、術式を見せようとして――――動きを止めた。
「そうじゃのう、あの重い慰霊碑も持ち上げられたアルに手本を見せてもらうとしようかの」
茶目っ気のある師匠の言葉にアルがジト目を向ける。
楽しんでるな、と確信した。その証拠に要らぬ枕詞がつけられている。
不承不承デモンストレーションの指示に首を縦に振り、『どうせなら別の憶え方をしてもらおうじゃあないか』と考え、アルは十指に鍵語の光を纏わせる。
そして興味深げに観察している幼馴染達へ向けて両腕をひゅっと振り下ろした。
「おっ? くふふ、なるほどのう」
師匠の声を背に受けながら、下に降ろしていた両掌をクルッと上向け、ニヤリとしながら見えない何かを持ち上げるようにぐぐぐっと腕を上げていく。
反応は劇的だった。
「うおっ!? ちょ、おいアル!」
「わっ! 飛んでる!!」
「椅子にかけたのね!? もうっ! すぐそういうことする!」
3人は座っていた椅子ごと浮いていた。
もちろん屋内なので怪我をするような高度ではないが、急にふわふわと浮かべば誰だって驚くものだ。
咄嗟に肘掛けを掴む幼馴染達にうまくいったとアルが愉快そうに笑う。
ヴィオレッタには『時明しの魔眼』を発動させずともこの結果が予想できていた。
茶杯など軽いものなら両手で術をかける必要などないのだから。
「これこれアルよ、その辺にしておくのじゃ。イタズラは成功したじゃろう?」
満足そうに頷いたアルがゆっくりと3人を下ろす。
「もうアル! 喋れないからってイタズラしすぎよ?」
「ここぞとばかりに発散しやがって。焦ったぞこのやろー」
「アル今のもっかい! おもしろかったぁ!」
3人が途端にワーワーと騒ぎ出す。
一人だけ楽しんでたようだが概ね成功だ。
乗せるものをもっとしっかりしたものにすれば年少組にしても喜ぶかもしれない。
「アルよ、子供らにするときは大人とは言わんまでも他の者は連れてゆくのじゃよ?」
そう思っていた弟子にヴィオレッタは釘を刺した。
「!?」
「いやわかるじゃろう。もっと幼い頃から見ておるのじゃぞ?」
なぜわかったのだという顔をするアルに、わからないわけないだろうと困ったように笑う妖艶な師匠。
こうしてヴィオレッタの弟子と生徒らへの授業は賑やかに続いていく。
アルに教えていたより緩く表面的な内容になるのは、その目的が魔導学院の合格だからだ。
師と同じ一流の魔導師を目指しているアルと講義の内容に違いが出るのも当然。
しかし、3人の意欲が予想を遥かに超えていてヴィオレッタは軽く驚いたものである。
勉強を嫌がるかと思っていれば「大変だ大変だ」と言いながらちっとも投げ出さない。
むしろ積極的に学ぼうとする姿勢を崩さず、疑問があればヴィオレッタやアルにすぐさま疑問をぶつける。
新たな知見を与えてみれば、日常生活や遊びの中で起こったことと連動させてグングン吸収していく。
この3人にも早くから教えていれば良かったと少々後悔するヴィオレッタであった。
後にそのことをアルに溢すと「師匠が暇なときに寺子屋みたいなのでも開いてみたらいいんじゃないですか? 興味のある子がいるかもしれませんよ」との返事が返ってきた。
この会話を覚えていたヴィオレッタが読み書きや魔術のほんの一端を幼い子供達に教える寺子屋もどきを開いたのは、アル達4人が旅立って数年後のことになる。
◇ ◆ ◇
アルは座っていた。
視界に広がるのは、前世の自分が住んでいたワンルームマンションの一室。
「よお。やっぱお前が目ぇ覚ましてるときはこっちの声は聞こえてねーらしいな。一応声かけたりしてみたんだけどよぅ」
ソファにだらしなく座る、というより埋もれている前世の自分――長月が喋り掛けてくる。
「みたいだね。ていうかなんでまたここにいるんだっけ?」
「そりゃまた失敗したからだろ。電撃流してるせいで直前の記憶が薄いのか?」
「あ。そうだった。だぁもぉぉ~……また失敗かぁ。やんなっちゃうなぁ」
龍人の血を抑え込んでおくための新魔術の開発は難航――否、ほぼ座礁していると言って良い。
ちっともうまくいかないのだ。
術自体は起動するものの、効果がとことんない。
結局、自分で自分に雷撃を叩き込んで気絶する日々だ。
それでも進歩したと言える点は、術式を能動型ではなく恒常型にしておくために魔力消費を抑え、かつ流し続けなければならないことに気付けた点だろう。
理想は生成魔力の余剰で済むくらい。
アルの魔力自体はかなり多い方だし、操魔核を鍛える訓練は続けているので問題はないはずだった。
……思いついた新術のすべてがちっとも作用しない点以外は。
「ん~……俺に魔術がどうのってなァわかんねーけどよ。そろそろパラダイムシフトが必要なんじゃねーの? 毎週半分くらいは健康に悪い寝方してるぜ、兄弟」
「ぱらだいむしふと?」
「そ。まず、一つの術式で云々ってのが土台無理な話なんじゃね?」
「どういうこと?」
正直万策尽きていた。藁にも縋る思いだ。
「複雑難解な単体の術じゃなくてよ。こう……なんてーの? 段階を踏んでさ。兄弟のそれって龍人の本能由来なんだろ? だから段階的にその本能――――要は龍人の血ごと封印しちまえばいいんじゃねーの? って話だよ。もちろんお前の任意でいつでも封印を解けるようにしといてさ」
「…………」
「あー……やっぱ無理か? 悪い、無責任過ぎたか。って、龍人の血を封印って母ちゃん否定してるみたいで嫌だよな。すまねえ、考えが浅かったわ」
「……」
案外素直に頭を下げる長月だが、アルは聞いちゃいなかった。
(そうだ。局所的に暴走を防ぐなんて無理だ)
何より曖昧だ。
それなら問題の根っこを一度完全に封じてしまって、あとは少しずつ向き合っていけば良いのではないか?
そもそもの目標は暴走をしない状態を作り上げること。
今までの狙いが高過ぎたのだ。
「おい、兄弟?」
「その考えでやってみる」
「マジかよ? テキトーこいただけだぜ?」
「どっちにしたってこれを解決しなきゃ里も出られないし、先生からも言われてるんだ。そんなんじゃ長丁場になったらアッサリ死ぬぞって」
先生とは八重蔵のことだ。
アルの使う『炎気刃』――――『気刃の術』は大した威力だと大人達は口を揃えて言う。しかし、燃費が致命的に悪い。
鍛え続けてきたアルの魔力をしてグングン目減りしていくし、著しく体力も奪っていく。
加えて現状、己の意思で使っているわけでもない。
勝手に湧き出る龍気の暴走に宛がうため、あくまで対処療法的に使わざるを得ないというのが正確な状況なのだ。
つまるところ、それは勝手に魔力が浪費されていく状態にあり、尚且つそれを抑えるべく更に燃費の悪い術で魔力を消費していることに他ならない。
幾らアルの魔力が多い方と云えど魔力枯渇までの猶予がほぼない。
少なくとも〈刃鱗土竜〉と戦り合っていたくらいの時間は、絶対に保たない。
そうなれば後はヘロヘロになって死ぬだけだ、と八重蔵は指摘していたのだ。
「そりゃあ見てたから知ってるけどよ。本当にいいのか?」
「やってみる価値はあると思うんだ」
「そか、んじゃ気ィつけろよ。あと失敗しても恨みっこなしな」
「大丈夫さ。もう何回も失敗してるし」
そうと決まればとっとと帰ろうとアルが手を振る。
「オーケー。まぁ頑張んな。あ、そだ」
「ん、何?」
「変な声だなぁ。違和感すげえわ」
今思い出したかのように、ヒラヒラと手を振っていた長月がニヤリと笑う。
「ほっとけ」
声が馴染むのにある程度かかるのは知っているだろうに。
むすっとして現実に戻るアルであった。
◇ ◆ ◇
目を覚ましたアルは首元の温かく柔らかい枕とその匂いで気付いた。
「エーラ」
「あ、起きたんだね。あは、今日はボクだよー。でもよくわかったね?」
「落ち着く匂いだから」
「そう? あははっ」
やはり膝枕されていたらしい。
最近エーラも凛華もこんな感じで倒れたアルの介抱をしていることが多い。
よくわからないがアルとしてはクサクサした気分が収まる気がするし、心地いいので特に何か言うこともない。
その凛華とマルクは、どうやら武闘場の方で魔術の練習をしているようだ。
「よーし、やってみるか……!」
起き上がってググっと伸びをしたアルは気合を入れる。
「え、またやるの?」
「今日試せるかはわかんないけど、根本から術式の仕組みを変えようと思ってね」
「どういうこと? あれ全部なしにしちゃうの?」
エーラは書き溜められた術式の束を指差した。
アルはチラリとそれを見て頷く。
(パラダイムシフト。きっと今必要なのはそれだ)
あのメモ束はその先で必要になるかもしれない術式案。
(それが必要なところまでに新しい何かが要る)
アルは右眼をカッと開いた。真紅の瞳に流星群が流れ込む。『釈葉の魔眼』だ。
「起きたのね、アル」
「うん」
歩いてきた凛華へ言葉少なに返すアルの意識は並べられた鍵語にほとんど集中していた。
中空に式を描いては消し、「こうじゃなくて」だの「ここはまだ」だのと呟いている。
そこへマルクも寄ってきた。
それから数分もしない内だ。
しばしの間、中空で薄ら淡く光を撒き散らしていた鍵語の群れがすべて霧散した。
「やーっぱだめだぁ~……さっぱりうまくいかないや」
アルがドサーっと後ろに倒れ込む。
「結局何してたんだ? 新しいの考えてんのはわかったけど、いつもとなんか違わなかったか?」
不思議そうに見ていた3人を代表してマルクが質問を投げ掛けた。
凛華とエーラもうんうんと頷く。
「考え方を変えた方が良いって言われてさ」
「言われたって誰に? ヴィオ先生?」
「前世の自分にさ」
「「えっ?」」
「おいどういうことだよ?」
「あとで話すよ。今はそこじゃないんだぁ~……」
「暴走を止める術式でしょ?」
凛華がアルの隣へ腰掛ける。
メモ束を拾い上げて「いらないの?」と言うようにひらひら差し出すも、アルは受け取らない。
――今までの考え方は上等過ぎる。
暴走だけを抑え込むというのはあまりに難易度が高い。
「そうだけど、その考え方を変えようと……あっ!」
アルは目を見開いて飛び起きた。
「ねえ! 暴走してたときの俺って思い出せる!?」
血を封じるなら最もそれが顕著だった時のことを知るべきだろう。
今までの考え方では、暴走のトリガーである無意識の龍気を抑えようとしていたから考えもつかなかった。
「そりゃ思い出せるけど……」
「アレ忘れられるわけねーだろ」
「急にどうしちゃったのよ?」
「ちょっとどんなだったか教えてくれない?」
3人は顔を見合わせた後、思い出せるだけの特徴を上げていく。
真っ黒な虹彩に、執拗なまでに敵を殺し尽くそうとする冷酷無比な戦闘型。
鋭く異形と化した爪、太く尖っていた牙、異常な火力の龍焔、尻尾を引きちぎった怪力等々。
アルはふむふむとメモを取る。
そしてすぐに鍵語を閃かせ、メモをチラチラ見ながら式を紡いではレイヤーを被せるように重ねていく。
それは3人が見たこともないタイプの術式だった。
見間違えるも何もない。一目でわかるほど大きく異なっていた。
「できたの?」「どういう術?」
耳長娘と鬼娘の質問に、
「龍血ごと封印する術だよ」
とアルが答える。
「龍血ってお前、大丈夫なのかそれ?」
「しばらく慣れはいるだろうけど、術自体に害はないはずだよ。おっと」
マルクにそう返したアルが追加の術式を計2つ描き加え、後者を刻印術式の体裁に整える。
アルがたった今、何層にも重ねて創り上げた魔術は恒常的に発動し続ける前提のもの。
その為、今回限りしか使わない起動補助術式、それと失敗した際に変な効果が残らないようにする解除術式が必要だったのだ。
不思議そうな顔でそれらを見る3人に大まかな内容を伝えながら、アルは細部までメモ紙に書き写した。
「これで、いけるはず」
最後に『釈葉の魔眼』で何度も確認する。
術式に抜けはなく、消費魔力に妙な膨らみもいない。
一つ頷いたアルは一歩後ろに下がって、左手に龍爪を出した。
新しく創った術式の一枚目を腕に描き、起動する。
すると龍爪が勝手に引っ込んだ。
「よし」
正しく作動した。これならいける。問題はどこに刻むかだ。
「うまくいきそうなの?」
「うん、今までで一番自信がある。あとはどこに焼き付けるかだね」
「どこ……んじゃ、心臓の真上は? 魔力の源だろ?」
「なるほど、操魔核か。ありかも」
「ねぇ……大丈夫なんだよね?」
「失敗したらまた気絶するだけだよ」
アルは気合を入れて上着を脱ぎ、上半身裸になった。
細いながらも均整の取れた肉体と薄っすらと張り出した筋肉が露わになり、凛華とエーラは一瞬頬を染めたもののどうにか平静を装った。
「ほれ」
マルクが寄越してきた導墨液を受け取り、アルは緊張気味に筆を持った。
――操魔核があるのは心臓の下側。
そこを中心として筆をおく。
身体に描くのにも大概慣れたが、今回はいつもと形式も描く場所も大きく違う。
アルは失敗しないよう、慎重に慎重を重ねて筆を動かしていく。
~・~・~・~
結局その後アルはたっぷり小一時間かけて新たな術式を描き終えた。
「ふぅ~……できた。名付けて『八針封刻紋』」
心臓の位置。外周の尖った時計のような、蜘蛛の巣のような紋章が描かれている。
綺麗な左右対称だ。
また針は長針のみで、数字と思わしき鍵語も8までしかない。
「もうやるのか?」
確認するマルクにアルは首を横に振って、
「こっちがまだ」
と言いながら左掌を開いた。
そこに描いていた解除術式を消して、新たな式に描き変えていく。
『八針封刻紋』は龍血を抑え込むべく、八重に被せた封印術。
描いている途中で時計を連想したため、針に合わせて段階的に封印状態を調節できるよう鍵の役割を果たす解除術式にしようと考えたのだ。
「いける」
「気ぃつけろよ。今までのは全部なかったことになったんだろ?」
「うん、わかってる。ふーっ…………よっし、やろう!」
アルは呼気をゆっくり吐いた。
これでうまくいかなければまた何か考え直さなければならない。
3人にもとっくに気付かれているだろうが、龍気に反応する本能はどんどん敏感になっている。
『炎気刃』で誤魔化してはいるが、戦闘状態に魔力を高めただけでも最近は蠢いているのがわかる。
おそらく近い内に稽古すらまともに行えなくなるようになるだろう。
それが多少のリスクを承知でアルが封印を強行する理由。
彼ら親しい人達を危険に晒すより、龍人由来の力が使えなくなる方が断然安い。
今も凛華とエーラはハラハラしているが、マルクは顎を引き、動向を見守ってくれている。
何かあったらきっと殴り飛ばしてくれるだろう。
頼もしい友人だ。
アルはグッと奥歯を噛みしめ、龍気を発動した。
「ぐッ、ウ……!」
身体を蝕んでいく暴力的な気配を無理矢理抑え、牙を剥きながら操魔核――心臓の直上にある『八針封刻紋』と左掌に魔力を込める。
この『封刻紋』は鍵と対で初めて効果を発揮する恒常型の術式だ。
そうなるようについさっき解除術式を描き変えた。
「ウ、ギ、ぎ……ッ!」
アルは左掌の鍵を胸に宛がい、『封刻紋』を順回りに閉めていく。
浮かび上がった時計紋様の針がガキンッ、ガキンッと独特の音を立てて回る。
「へっ……?」
「ちょ、ちょっと……!?」
耳長娘と鬼娘が戸惑ったような声を上げる。
が、アルに聞いている余裕はない。
「グウうぅぅ~~~~~…………ッ!!」
本能に抗って膝をつき、朦朧としながらも針を8時――――最後まで閉めきった。
「ふっ、ふぅっ、はぁ、はぁ……!」
途端、アルは脱力感に襲われながらゼェゼェ息をつく。
しかし視界に入っている両手の龍爪は元に戻り、舌に触れていた太い牙の感覚もなくなっていた。
『八針封刻紋』はしっかりと機能したのだ。
あの日から続いていた、己の裡で五月蝿くのた打ち回る何かを感じない。
アルは半信半疑と云った様子で顔を上げた。
「うまく、いった?」
「アル……それ、どうなってんの? 平気なの?」
「え?何かおかしい? まだ眼ぇ黒い?」
「違うよアル。見た目が、変わっちゃってる」
凛華とエーラは唖然としているし、マルクも眼を丸くしている。
「見た目? ってどういう――いや、えーと『水鏡』」
アルは少々焦りながら波打つ自然の鏡を出現させた。
鏡面に映し出されたのは上半身裸の少年。
縦長の瞳孔――――龍眼は元に戻り、虹彩も割れていない。
だが、問題はそこではなかった。
鬼娘と耳長娘が驚くのも無理はないほどに明らかな変化が起こっていたのだ。
「これ……は」
髪色と瞳の色が変わっていた。
今や青みがかった銀髪は黎い髪へ、真紅だった瞳は暗い赤褐色になっている。
「龍人の血を封印したら、こうなるのか」
アルはぽつと呟き、試しに腕に龍気を纏わせて気付いた。
――これは、たぶん龍気じゃない。普通の闘気だ。
徐々に全身に流れる魔力を闘気へと変えていく。
何も感じない。
つまり――――……。
「やった……っ! 成功だ!」
ふるふると手を動かし、アルはバッと腕を上げた。
「と待てよ、ちゃんと解除はできるよね?」
しかしすぐさま鍵を使って、今度は長針が反時計周りになるようカチ、カチ、カチと回す。
すると6時まで戻ったところで最初の変化が起きた。
髪色が徐々に明るくなりアッシュブラウンへ、瞳は赤褐色から暗紅色に変わり、龍爪と龍眼もどきが発動する。
更に回していき、3時を過ぎたところでまた次の変化。
髪色が灰色へ、瞳は緋色、龍眼もどきが完全な龍眼へと変わる。
更に逆回りに回していく。
それにつれて段々と白髪っぽく、瞳が紅く戻っていく。
しかし、1時へ戻したところでパキッと虹彩のヒビが深く割れた。
(うっ、まずい――!)
慌ててアルはグルリと鍵を閉め直す。
例のガキッ、ガキッという独特な音と共に『封刻紋』の封印が強くなっていく。
それに伴い、アルの髪色がさっきの青黒もとい黎へ、瞳も暗めな赤褐色へと戻っっていった。
どうやら暴走手前で封印したせいで、解いてしまうと余計に”成り”易くなっている気もするが、根本的な解決策を見つけるまでこれを消す気はサラサラない。
「うん、大丈夫。できてる」
『八針封刻紋』は正しく機能していると考えていいだろう。
アルの余剰魔力を吸い上げ、龍人の本能を抑え込む。
更に魔力切れを起こしたときでも、きちんと作動し続けるように小規模ながら魔力の予備貯蓄機能も組み込んでいるので、生きている限りは半永久的に動き続ける。
ポカンとしていた3人は、ハッとして近寄ってきた。
「何とも……ないの? アルのままなのよね?」
「ほんとに平気? 苦しくないの?」
「印象が全然ちげえ」
ペタペタと触れてくる凛華とエーラ、唸るマルクにアルは大丈夫だと頷く。
「何ともないし、苦しくもないよ。心配性だなぁ」
そう言って苦笑する彼は見た目こそ違えどいつもと変わらない。
寧ろどこか気が抜けたような、弛緩した雰囲気を漂わせている。
(ホントに上手くいったんだ)
敏感なエーラはそれに逸早く気付き、
「よかった~。あ、でも声ちがうよ?」
嬉しくなって笑顔を零しながら絡む。
「声はほっといて、変声期だってば」
途端に憮然とするアルの様子に凛華も胸を撫で下ろした。
変な影響もなさそうだ。
この見た目に慣れるには少しかかるかもれない。でもアルのまま。
アルはきっと”成り”果てたりしない。
知らず知らずの内に緊張していた凛華の身体から力が抜けていく。
「寒いからさっさと焼きつけとこ」
そんな乙女2人の心情など露も知らないアルは軽く指を振って『焼付術式』という術を発動した。
導墨液は人体や熱に弱いものに描きつけるために使うものだが、当然洗い流せるようにできている。
それを落とさないようにするのが、この『焼付術式』と呼ばれる比較的難度の低い魔術だ。
ちなみにこの世界の入れ墨はこの導墨液と『焼付術式』で行うのが一般的である。魔族も人間も獣人族もそこは変わらない。
「これでよしっと」
指を振るった直後にピリッとした軽い痛みが走り、『八針封刻紋』と鍵が焼き付けられた。
テカテカした半光沢のシールに近い見た目になった感触にアルが「おお」と変な感嘆の声を上げる。
「なんか、不思議な感じね」
凛華はついそこに触れて不思議な感触にぽーっとしてしまう。
つるつるして触り心地がいいのに温かな心臓の脈動を感じる。
「うん、ホントだね」
エーラも左掌の鍵の方を腕ごと引き寄せて呆けたように触っていた。
「あー……ゴホン」
そこでマルクが気まずげに咳払いした。
彼女らへの警戒心がゼロなのか、されるがままのアルも大概だが2人も2人である。
何やらイケナイ雰囲気になっていたことにハッとした鬼娘と耳長娘が赤面しながらバッと離れる。
アルは何とも思ってなかったのか「ひぇぇ、上着がキンキンになってる」と言いながらいそいそ服を身に着け、
「あぁ~……なんか気が抜けちゃったよ」
トスンと座り込んだ。釣られるように3人も座る。
「あ、そだ。ふっふーん。ボクお茶っ葉持ってきてるんだよね~」
「さすがエーラ。水出すから薬缶貸して」
普段の倍は上機嫌で会話を交わす美少女2人を見ながらマルクが適当に枝を集め、アルがボッと火をつけた。
火が得意なのは変わっていないらしい。
「んで、ほんとにそれいけんのか?」
マルクの言う「いける」とは、暴走を抑え込めるのか――つまり里を出るための条件を満たしているのか? と、いう意味だ。
「うん。驚かれるだろうけど、いけるはず」
「そか。ならいいや。でもトリシャねえさんはビックリすると思うぜ?」
「んだなぁ~。ま、いろいろ説明するしかないよねぇ」
「そうだな……いや落ち着いたらやっぱその変な声の方が気になってきた」
「やっかましいわ」
ようやく常に戻ったマルクとアルが他愛のない会話を始める。
そこにエーラと凛華が茶杯を差し出した。
気の抜けた会話を交わしながら、実に4ヶ月と少しの間ここまで和やかに喋ったこともなかったなぁとアルは感慨に浸る。
暴走という一番の不安要素が解決したからだろう。
大変だったし、色んな人に迷惑を掛けた。
――それでも、一歩前進だ。
アルは決意も新たに赤褐色の瞳に強い輝きを灯すのだった。
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