3話 紅い瞳に潜む闇
主人公にとって2回めの転換点となる導入となります。物語自体のスピードが上がり始めるお話でもあります。
アルクス達、幼馴染4人組が見習いの見習い仕事を始めて2週間と少し経つ。
今はもう真冬だ。
数日前からとうとう雪が降り始め、森は白い帽子をあしらった樹木ばかりになってきた。
やはり今年の冬は、例年より足が早いらしい。
肌を刺すどころか手足を千切らんばかりな寒風に住民も、やれ「防寒具を出すのが遅れた」だの、「酒が旨い季節が来た」だの、と平和な冬の光景が展開されたのもつい最近だ。
アルクスと母トリシャの住まうルミナス家には、客人が来ていた。
誰を隠そう、ヴィオレッタである。
トリシャとは里が出来る前からの友人なのでちょくちょくお茶しに来るのだ。
今日も世間話をしに来たのか、誘われたのか、居間で茶飲み話に興じている。
黙って大人同士の会話を聞き流しつつ、暖炉前でパチパチと爆ぜる薪を眺めていたアルクスだったが、
「移民……ですか?」
慣れぬ単語を聞いて思わず口を挟んだ。
すると、ヴィオレッタは横入りしてきた弟子に嫌な顔をすることもな「左様」と、頷いた。
「里が出来上がる前こそ多かったのじゃが、完成してからはついぞ居らんでな。久々にそのような願い出があったのじゃ」
「アルの生まれるちょっと前までは、聖国の魔族狩りのせいで住むところを失くした魔族って多かったのよ。建造中なんて毎週のように増えてたわねぇ」
トリシャも懐かしむように言って湯呑を傾ける。
「ふぅん。移民の理由はなんですか?」
「あの頃と変わらぬようじゃ。『聖国の追っ手が面倒になってきた』と。冬も只中で食うにも困ってるおるし、乳飲み子も抱えておるから、そちらに居を移させてほしいとのことじゃのう」
聖国め、まだそのような真似を……。と、師は口元を苦く歪めた。
「ま、情報網だって出来上がってなかったもの。今頃、うちについて知ったんじゃないかしら」
と、トリシャが親友を宥めすかす通り、現在の住民の8割は屋根すらない頃から、周辺の倒木や草むらを枕として建造に尽力してきた魔族で占められている。
残り1割が完成直前の移民、更に残りがアルクスのように里で生まれた新世代の魔族らだ。
「うむ。どうやら噂だけ聞きつけてきたようじゃ。と言うても、相手は厳しく選んでおるがの」
「どこのどんな連中?」
トリシャが訊ねた。
「大森林の南部から。人虎族じゃな」
「人虎か。昔は多かったわよね?」
「うむ。今はかなり数を減らしておるようじゃ」
自らの存在を武によって誇示してきた戦闘民族ほど減少傾向にある。人虎族などその最たる例だろう。
「あれから大きな戦はなかったみたいだけど、やっぱり減っちゃってるのねぇ」
「ふぅん」
どこかしみじみとした2人の声を半ば流し聞きつつ、アルクスは茶をずずっと呑んだ。
どちらにしろ、その移民と関わり合うのは彼らがこちらに来てから。
半龍人の自分すら受け入れてもらえている里なのだから、純魔族などあっという間だろう――などと悠長に考えていた。
まさか自分が彼らの次代と思い切り衝突することになるなど、予想もできずに。
* * *
翌日、移民の件を受けて里の一角に、人虎族の居住予定地が迅速に空けられることになった。
元々増設を視野に入れていたため、資材置場をそのまま宅地に転換することにしたようだ。
アルクスら幼馴染組みの4人はそのぽっかり空いた土地と、何やら忙しない様子の職人達が建てていく家の基礎を眺めていた。
「人虎族って人狼みたいに変化する人たちなんだよね?」
「じゃね?」
シルフィエーラの投げかけた質問にマルクガルムが適当極まりない声を返す。
が、実は口ばかりで、自身と同系統の種族が来ると聞いて、正直少し気になっていた。
どんな連中なのだろうか? 強いのだろうか? と。
「虎と狼なら虎の方が強そうね」
そこに無遠慮な鬼娘が劇薬を放り込んだ。
「あ゛?」
途端、マルクガルムが青筋を立てる。
殊強さという点において魔族は敏感。元は民族紛争間にできた価値観だが、今でも立派な指標の一つだ。
「まあまあ。今のは凛華が悪いよ」
と、アルクスが咎めれば、凛華は肩を竦めてみせた。
悪意はないわよ? と、言いたいのだろうが言葉が悪い。
「何か特徴あるのかな? 人狼族は爪が一番の武器で~、毛皮に魔力通せば剣くらいなら防げて~、闇に紛れるのが得意なんだよね?」
シルフィエーラの質問にマルクガルムは憮然としつつ頷いた。
「……ま、そんなとこさ。俺らは狩人だからな。魔法使えば鼻も良くなるし夜目も利く」
「人虎はどうなんだろ。闇に紛れそうな感じはあんましないなぁ」
アルクスはのんびりそんなことを言う。
「ま、どっちにしろ見てみなきゃ分かんないわ。移住してきた時に手合わせでもしてみましょ」
3人は凛華の好戦的な発言に呆れつつ、趣旨にだけはおおむね同意した。
「けど、すっごい速度だねあれ。どんどんできてくよ」
シルフィエーラが、殆ど鉱人族な職人達の作業速度に「うひゃあ~」と感心したような声を上げる。
どんなものでも職人の仕事というものは見ていて、おもしろいものだ。
何とも言えぬ爽快感がある。
結局、その日は見習い仕事が始まる夕方まで作業を眺める4人であった。
* * *
呆気なく移住予定地の目処がたった3日後。
人虎族の移民達が隠れ里に辿り着いた。
どうやら張り廻らされていた『幻惑の術』に足止めを食らっていたようで、里の巡回部隊が見つけて連れてきたらしい。
里長であるヴィオレッタの前。
戦士然とした男は歩み寄ると、礼儀正しく膝をついた。
その後ろで、同じく戦士然とした男女らも膝をつく。
ここらへんは人間側の慣習とそう変わらない。
また、彼らの殆どが黄褐色系統の髪色をしており、魔獣の毛皮を羽織っていた。
「人虎の族長をしているベルクト・ノワクと申す。此度は我ら人虎を受け入れて頂き、一族一同より感謝申し上げたい。里長であるヴィオレッタ様の示した規律に沿うよう、尽力していくことをここに誓う」
長年生きてきて、着いてほしくない武勇伝も数多くあるヴィオレッタは人虎族らの畏まった態度に一瞬だけ顔を顰めた。
が、気を取り直すなり、威風を漂わせる佇まいで睥睨する。
「その旨を良しとしよう。ここの規律は人虎族内のそれと相反するものもあろうが、里の皆がそれを守っておるからこうして成り立っておる。其方らがその規律を守る限り、儂らも其方らを護ろう」
「有難く。肝に銘じさせて頂く」
「うむ。ならば直ぐにでも移住予定地に案内させよう。族長はこちらに来よ。規律と其方らの仕事について、相談もあろうしな。他種族の代表者らは既に儂の家で待機しておる」
「承知」
ヴィオレッタがベルクトを引き連れて自宅へ向かう。
が、人虎族の族長に着いてくる子供がいた。
ベルクトと同じ黄褐色の髪をした少年だ。
「ん? そちらの子は?」
「は……? あ、申し訳ない。私の息子でカミルと申す。カミル、下がっていろ」
「別に構わぬ。知らぬ土地で不安なのじゃろう」
子供の方は愛弟子らと同年代に見える。
――後日案内でもさせよう。
そんなことを思い、特に逡巡することもなく返したヴィオレッタは歩き出す。
その後、新たに里の居住者となった人虎族の族長ベルクト・ノワクとその他種族長らの会議は恙無く行われることとなった。
ベルクト率いる人虎は新参。
そこをしっかり弁え、少々堅物なほど礼儀正しかったので他の代表者らとも有意義な話し合いとなり、ヴィオレッタはホッと胸を撫で下ろしたのだった。
こんな初期に揉めるようであれば、心苦しいながら出て行ってもらうしかない。が、そこは難なく突破したのだ。
しかし、その翌々日。
ようやく一息つけると安心したヴィオレッタやベルクト、他の代表者らでさえ予期できなかった事態が起こってしまう。
* * *
人虎族の移住者らが隠れ里に来た翌々日のこと。
アルクス達、見習いの見習い組4名に言い渡された任務は、いつもの夕方からの見廻りでなく、人虎族の同年代を含む年少者の引率だった。
曰く「来たばかりで勝手が分からぬだろうから、里を案内してやってくれ」とのこと。
「アルクス・シルト・ルミナスだ」
「マルクガルム・イェーガー、人狼族」
「鬼人族のイスルギ・凛華よ」
「ボクはシルフィエーラ・ローリエ、森人だよ」
「今日は里の案内を頼まれてる。一つずつ紹介していくからついて来てくれ」
思ったより早く引き合わされたなぁ、などと呑気に挨拶をしたアルクス達の先導で里の案内がはじまった。
敢えて、アルクスは半龍人とは言っていない。
どういう反応を返されるか不明だったし、わざわざ言うこともないだろうと思ったからだ。
「「「「「「「……」」」」」」」
ゾロゾロと不揃いな足取りでついてくる人虎族の子供らは、里にいる年少の子らと違って随分とよそよそしい。
そもそも、目つきがどうも違う。
訝しむような、こちらを見定めるような。
なんとも落ち着かぬ視線だ。
妙に大人しいのも気掛かりである。
このくらいの子供ならもう少し騒いでいてもおかしくない。
初伝とはいえ、六道穿光流を修めているため、気配や敵意、害意といったものに敏感なアルクスは余計に気味が悪い。
他の3人も居心地の悪さ自体はしっかり感じているようだ。
時折チラリと視線をやってはやりにくそうにしている。
そうして、4人が里の北部から北西にかける『鍛冶屋通り』を案内していたときだった。
それまで沈黙を保っていた人虎族――その族長の息子が口を開いた。
「なぁ、なんでお前らみたいなのが案内なんてするんだ? 俺らと変わらないくらいだろ?」
「見習いの任務として任されたからだ。文句があるなら師匠に直談判しろ」
――たしか……カミルだったか。
質問に込められた敵意の量に反応して、アルクスがムッとしながら言い捨てる。
彼らと馴染むのは思ったより時間が掛かりそうだ。
「師匠?」
「ここの里長、ヴィオレッタ様だ」
マルクガルムが半ば吐き捨てるように返した。
こちらものっぴきならぬ彼らの敵意に気付いたらしい。
すると今度はカミルの横――明るい黄土髪の、これまた同い年っぽい少女が口を開く。
「へぇ……なーるほど。じゃあんたが魔法も使えないハンパ魔族なのね」
「なんですって?」
あんまりな物言いに凛華が一瞬でカッとなった。
尖った鬼歯も剝き出しにして睨む。
「君らさ、もうちょっと言い方考えた方が身のためだよ。名前は?」
シルフィエーラの態度も珍しく怒気を孕んでいた。
「ニナよ。副族長の娘」
肩ほどまで伸ばした髪を振りながら少女が名乗る。
後ろの子供らの半数は戸惑ったような、残り半数はニナやカミルと同じ目つきでこちらを見ていた。
この2人の取り巻きなのだろう。
数の多さで気が大きくなっているのか、カミルは更に馬鹿にするような目で続ける。
「俺たちと同年代が見習いなんてこの里は大丈夫なのか? おまけに魔法も使えない出来損ないを見習いにするなんて。聖国の連中が来た時、守れんのか? なぁ、お前らもそう思うだろ?」
「テメェ!」
途端、マルクガルムが吼えた。
族長の息子の胸倉を掴み上げ、威嚇するように唸り、怒りを込めた目で睨みつける。
カミルは一瞬怯み、しかし、直ぐに気を取り直したようで「ハンッ!」と鼻を鳴らした。
「事実だろうが。あの里長は魔法も使えねえ出来損ないを里でも優秀なんざ言ってやがったが、耄碌してるんじゃねえの?」
これにはシルフィエーラも凛華もブチ切れ寸前だ。
後者に至っては訓練用の重剣に手をかけている。
彼女らの視線の先では、カミルとニナの取り巻き共も小馬鹿にしたような目をしている。
一触即発だ。
そこで『鍛冶屋通り』の職人達も気付いたらしく、「なんだ?」「どした?」「おい喧嘩か?」と集まり始めた。
アルクスは観衆にハッとすると、
「俺が半龍人なのは否定しない。けど里長であるヴィオレッタ様の判断を疑うのはやめろ。気に入らないやつの周りの人達まで槍玉に挙げて、あることないこと言って廻るのが人虎って種族だったのか? そんな恥知らずだとは知らなかったよ」
冷静に事を収めるべく、然れど諭すような口調で喧嘩を売った。
彼も大概、頭に来ているのだ。
もう一人の母と呼んでもいいほど親愛し、また敬愛している師を耄碌しているとまで言われてプツンと来ない弟子など居ない。
「なんだって?」
人虎族の少女――ニナがイラッとしたような顔を向けてくる。
しかし、アルクスはわざとらしくそれを無視して、幼馴染達を宥めにかかった。
「マルクも凛華も落ち着いて。案内が仕事だろ。愚痴なら後で言えばいい」
さっさと仕事終わらせよ。と、続ければマルクガルムが「ちっ」と突き飛ばすようにカミルから手を放す。
凛華も鼻を鳴らしながら重剣の柄から手を離した。
シルフィエーラは視界にすら入れたくないのか、彼らに背を向ける。
「なんだお前ら。半端者の言うことに従ってるのか? 大した事ねえな」
そこに再度カミルが余計な一言を投下した。
が、仲間達が再びカッとなりかける前にアルクスが即座に口を挟む。
「黙って悦に浸ってろ、恥知らず。俺を扱き下ろすのに仲間まで貶す必要ないだろ。マルク達はお前らみたいなチンピラより冷静なんだ」
いちいち突っかかって来られてはいつまで経っても終わらない。
幼馴染達が激昂する前に敵愾心を自分に寄せてしまおうと考え、大いに煽った。
「あ?」
「なんつったこいつ?」
カミルとニナがこちらを睨めつける。
「実力もわからず噛みついて、気に入らなければ文句をつけて数で威圧する。チンピラのやりそうなことだろ。案内が終わったら親にでも泣きつけ。こっちは一向に構わない。その代わり、終わるまでその減らず口を閉じてろ。キーキー、キーキー耳障りだ」
アルクスは更に追撃を重ねて叩きつけておいた。
「てめえ……!」
カミルが怒りで顔を真っ赤に染める。
効果は上々だ。今の一言で幼馴染達の溜飲も多少下がったらしい。
――まったく、ようやくだ。
心中で溜め息をついたアルクスが案内を再開しようとしたところで、
「裏切者同士に生まれたガキが」
カミルがボソッと呟く。
「何だって?」
さすがに今の一言は聞き逃がせなかった。
呆気にとられたような顔でカミルの方を振り向く。
「てめえの父親は人間のくせに人間に殺されたって聞いたぜ。つまり人間の裏切者だろうが」
「は? 人間に殺されたの? 同じ人間なのに?」
すかさず小馬鹿にしたような顔のニナが便乗した。
アルクスの手が一瞬ぎゅっと握り締められる。
ドクン……!
心臓が大きく脈打った気がした。
(落ち着け。こんな下らない罵倒、いちいち聞いてやる必要ない)
それでも冷静さを保とうと息を吸う。
だが、周囲の反応はザワッと一変した。
先刻までは、子供同士の喧嘩なら『させておくのも勉強の内』と考えて見守っていた彼らだったが、今の一言はダメだ。
この里にいる者達なら誰一人として、言いもしないどころか考えもしない。
そんなことを言う恩知らずは居ない。
観衆が静まり返ったなか、アルクスはもう一度息を吸って口を開く。
「違う。何も知らないやつは黙ってろ。それ以上言うなら」
忠告と警告を多分に含んだ言葉――は、しかしやはりカミルによって遮られた。
「あ? それ以上言うなら何だってんだ? 何度でも言ってやるよ。人間に殺された裏切者とそんなモンに身体を売った」
だが、言えたのはそこまでだった。
どっ、ごぉんッ!!
重い打撃音が通りを奔り抜ける。
カミルは最後まで言葉を発する前に資材の山へと突っ込んでいた。否、吹っ飛ばされていた。
アルクスが間合いを一瞬で詰めて殴り飛ばしたのだ。
観衆は呆気に取られていた。
人虎の取り巻きを含めた子供らも唖然としていた。
だが、幼馴染達は彼ら以上に驚いている。
こんな怒り任せな行動を取るアルクスなど見たことがない。
静まり返るなか、誰よりも先に抜け出したのはニナだった。
隣に居た従兄が殴られたのだと気付くや、
「アンタぁっ! こんのぉっ!」
と、怒りも露わに殴り掛かる。
が、アルクスはそちらに一瞥もくれることなく、ぱしっと左手でその拳を弾き、そのままニナの顔面に掌を向ける。
「え――?」
人虎少女の瞳が困惑に彩られ切る前に、
「邪魔」
酷薄、とさえ言えない、感情の一片も乗らぬ声がアルクスの口から発せられた。
ぼッ、ごおおおおッ!!
次の瞬間、空気を叩く轟音を響かせ、タガの外れたような爆炎がニナを呑み込む。
正しく全身が包まれるほどに巨大な火焔だった。
「ギャアアアアアアッ!? あづ、熱いぃッ! アヅィッ! だずげ……っ!」
火達磨になったニナが地面を転がりながら悲鳴を上げる。
容赦の一欠片もない。
稽古でさえ撃ち出さぬような、少女がどうなろうと何とも思っていないかのような豪炎だった。
「「「っ!?」」」
幼馴染の3人が思わず息を呑む。
彼らとは対照的に、アルクスは火達磨の少女を見ることもなく、悲鳴を耳に入れている節すらなさそうに見えた。
否、正しく関心がないのだ。
そんな瑣末事、どうでも良い。
アルクスの頭の中にあるのはただ一つ。
突き動かされるようなハッキリとした怒り。そしてカミルへの殺意。
「どけ」
と、一言。巻き込まれて転けた取り巻きと、突っ立っているしかない残りの子供らへ右手を向ける。
「「「「「「――……」」」」」」
恐怖で微動だにできぬ彼らを睥睨して、更にもう一言。
「邪魔」
右手に煌々と炎が揺らぐ。
「「「「「「「~~~~っ!?」」」」」」」
転瞬、人虎の子供らが慌ててバタバタと這いずる。
恐怖で涙が流れている子が殆どだったが、眼前の少年には泣くことすら許されていないような気がしていた。
裂けたような瞳孔と紅い虹彩――龍眼もどきは自分達のことなど羽虫程度にしか感じていない。邪魔だと判断されれば火達磨にされる。
本能がそう告げていた。
「グオオオオオオッ! テメエ!」
そこで、カミルが資材置き場から跳び出すや、魔法を発動して駆けてきた。
虎と人型の混成。人虎の姿だ。
普段なら興味が湧いて根掘り葉掘り訊くはずのアルクスは、黙ってカミルを観察していた。
(魔法を使ってその捷さか)
どう見ても修練不足だ。
――これなら殺せる。
「よくもォ!」
迫りくる人虎はアルクスよりも頭二つは大きい。
脚力を生かして跳ねるような勢いをつけたカミルがその拳を叩きつけてくる。
しかし、アルクスは一歩も動かず。
太い虎拳がその額に直撃した。
見ていた者達が息を呑む。
「うっ、ぐぉぉ……!?」
しかし呻き声をあげたのはカミルの方だった。
拳を押さえて唸っている。
「お、おい闘気じゃねえかあれ」
観衆の誰かが即座に絡繰を看破した。
アルクスは闘気――龍気を頭と足に集め、拳に向かって頭突きをかましていたのだ。
ニナに火消砂をかぶせて鎮火させた鍛冶師らや、冷静になりつつあった幼馴染3人も「人虎の拳をまともに受けるなんて」と泡を食っていたが、カミルの反応を見て瞠目していた。
――闘気? もうまともに使い熟せるようになったのか?
「フザけやがって!」
痛みと怒りに目を剥いたカミルが今度は虎爪を伸ばして振り下ろす。
しかし、あっさりとアルクスに止められ、めきゃめきゃ……ッという音ともに握り潰されてしまった。
「ガアアアアッ! クソが!」
乱暴に爪を圧し折られた痛みに悶えつつ、「こんな半端者にィ!」とカミルが右の虎脚で蹴りを放つ。
だが、やはりアルクスの反応は怖気が走るほどに冷徹で……冷酷だった。
スッと半身になって躱すと同時、龍気を纏わせた左の龍爪をカミルの右脚に突き立て、潰すように握り込むなり、残った左脚に炎弾をバウッと速射した。
「グオぉッ!?」
立て続けの痛みと衝撃にカミルが倒れ込む。
そこへアルクスが鳩尾狙いの膝蹴りを叩き込みながら馬乗りになった。
「ガッ!?」
と、呻き声をあげたカミルであったが、
「テ、テメ……――ッ!?」
次いで両目を大きく見開く。
優位を取っていたアルクスの両腕に何かが嵌めらていたからだ。
土属性魔力で練られた岩の拳に炎が纏わりつき、しゅうう……ッと白煙を立ち上らせており、表面がドロドロと熔けている。
それは、岩漿だった。
「待っ――!?」
がんッ!
「やめ――」
めきゃッ!
「や゛、め――」
ごッ、がッ! じゅうぅぅ……!
「ごべ――」
どがッ! べぎゃッ!
殴打する音だけが通りに響く。
「ご――」
めちゃ、べちゃ……!
「っ……」
が……ッ! ぐちゃッ……! じゅッ!
だんだんと水っぽい音が混ざり始めてきた。
異様な光景に誰もが声を発することが出来ない。
アルクスは一心不乱で殴り続けている。
冷え切った表情で、【人虎化】も解け、意識もないカミルの顔面に拳を叩き込み続けていた。
そこで幼馴染達がようやくハッとして、慌てて駆け寄る。
「アル! もうよせ!」
「死んじゃうよ!」
「アル!」
そこでようやく呼び掛けに反応したアルクスがゆるゆると首を振り向かせると、
「「「――っ!?」」」
3人はギョッとした。
彼の龍眼もどきは、間違っても虹彩に細かなヒビ状の模様など入らない。本物のそれとは違う。
しかし今は、そのヒビが割れ、虹彩の更に奥まで見えていた。
奥に覗くのは真っ黒い墨色。普段の紅い瞳とは対照的なまでに光を一切反射していなかった。
と、そのように3人が驚いている前で、いつもの龍眼もどきへと戻っていく。
「あ……」
ぽつりと一言。
よやく我に返ったらしいアルクスが見下ろせば、火傷と痣で血塗れのカミル。
「……やりすぎた」
そこでようやく己のやってしまったことに気付き、発動した覚えもない龍眼もどきを解除して立ち上がった。
次いで『鍛冶屋通り』の観衆や人虎の子供らを見やって、アルクスは大きく溜め息をついた。
(今すぐ逃げ出したい)
だが、そうもいかない。
「……リリー先生の癒院に行ってくるよ。二人を渡してくる。ごめん、あと頼んでいい?」
「あ、ああ、おう。アル、大丈夫か?」
心配そうな3人へ一方的にそう告げると、気絶しているボロボロのカミルを引き摺り、何事か喚いているニナも蹴飛ばして黙らせ、首根っこを掴んだ。
「……うん。終わったら戻る」
そのまま言葉少なに2人を引き摺って行く。
観衆一同は不安を覚えたが、先ほどまで彼から発せられていた猛烈な危うさはすっかり消え失せていた。
「ひとまず……仕事、終わらせるか」
「そう、ね」
「……うん」
3人は『癒院ならそんなに時間もかからないはずだ』と思い、気も漫ろに下らない任務を続行することにした。
観衆の中から数人がヴィオレッタに「事の顛末を報告しに行く」と言ってくれたので「お願いします」と頭も下げておいた。
「「「「……」」」」
人虎の子供らは黙りこくっている。先ほどまで向けられていた敵意に似た視線も今はない。
が、代わりにすっかり怯えてしまっている。無理もないだろう。
――だが、本を正しゃあ自分らのせいだ。
鬱陶しくなったマルクガルムが唸った。
「おい何もしやしねえよ。お前らがあいつの親父さん達のこと悪く言ったからキレたんだろうが。被害者面してんじゃねえぞ」
自業自得のくせにビクついている彼らへ優しい言葉を掛けるほど、残り2人も甘くない。
「そうよ。里のために亡くなった英雄なのに。アルが怒るのも当然よ。あんなに怒ってるのは……あたし達も初めて見たけど」
「うんちょっと、いつものアルじゃなかった。大丈夫かな……?」
すると、3人の言い様と”英雄”という単語に反応した子供らの一人が、
「……あの、さっきの人のお父さん……”英雄”って」
意を決したようにぎゅうっと手を握りしめて訊ねる。
「そうよ。里の人達だってお世話になった人はたくさんいるはずよ。うちの兄貴だって、アルのお父さんがいなきゃ今頃墓の下よ」
凛華は胸を張りながらそう言った。
「ぼくたち……その、ごめんなさい」
「……別に構わねえよ、知らなかったんだから。ただし、二度と言うな。俺らだって頭にはキてんだからな」
マルクガルムのキツい視線に子供達が慌てて、こくこくと頷く。
「あの人のお父さん…どうして、えと、その、何があったの?」
さっきの子供がまた訊いてきた。
「……ねえ、どうせ里の案内するならアルのお父さんのことちゃんと知っといてもらおうよ。今度また移住者が来た時、またあんな騒ぎ起こってほしくないもん」
シルフィエーラが心配そうにそんな提案をする。
「そうね。知ってたらあんなこと、口が裂けたって言えないもの」
「……ああ、異議なしだ」
凛華とマルクガルムも賛成した。
根底にあるのは同じ、『あんなに凍てついた表情のアルクスはもう二度と見たくない』という思いだ。
そうして3人は、ユリウスが里で”英雄”と呼ばれている理由を、人虎の子供達に語って聞かせてやりながら案内して廻った。
それが終えた頃には、人虎族の族長の息子と副族長の娘がアルクスと喧嘩して大怪我を負わせられたという噂が流れてしまっていた。
が、人虎の子供達が3人に対して友好的な態度を示し始めていたので、里の大人達は何も言わないことにしたようだ。
子供達もアルクスへの謝罪の念に駆られていた。
彼の怒りようにも子供心に納得がいき、後悔に苛まれる。
実際に酷いことを言ったのはカミルとニナだが、自分達の態度にも問題は大いにあった。戻ってきたら謝ろう。
誰ともなくそう決める。
しかしその日、癒院にカミルとニナを届けたアルクスは彼らどころか、幼馴染達の元へも戻ってこなかった。
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