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【10.9万PV 感謝!】日輪の半龍人  作者: 倉田 創藍
少年期ノ參 血の覚醒編

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4話 怒れるヴィオレッタ、動き始める運命(アルクス12歳の冬)

2023/10/10 連載開始致しました。


初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。


今回以降お話のトーンが暗くなりますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

 ヴィオレッタは激怒した。


 それはもう里の誰一人として見たことがないほどの猛々しい怒りだった。


 移民の人虎族を受け入れるに当たって煩雑化した事務処理をこなしていたところ、森人の癒者リリーから『自分の手には負えないから来てくれ』との伝言が届いた。


 もしや大型の魔獣でも出てしまったかと焦れば「命に別状があるわけではないが里長様くらいにしか元に戻せそうにない酷い状況だ」と彼女の息子ゼフィーが応える。


 危険な大型魔獣ではない? というかそもそも誰が怪我をしたのか?


 ヴィオレッタがそう問うと、「人虎族の族長の息子カミル・ノワクとその親戚に当たる副族長の娘ニナが大怪我をしている」とのこと。


 なぜ里に来て早々の彼らが、しかも子供がそんな怪我を負ったのか?


 ヴィオレッタが頭に大量の疑問符を浮かべたところで、『鍛冶屋通り』からその纏め役である鉱人族キース・ペルメルと巨鬼族の源治がやってきた。


(まったく次から次へと)


 一体お前達の方はどうしたというのか? と、問うヴィオレッタに2人が語る。


 彼女の愛弟子アルクスが人虎族の子供2人をボコボコにして癒院送りにした、と。



 そこでヴィオレッタは一連の騒ぎが繋がっているのだとようやく理解した。


 そしてすぐさま事情を問うことにした。


 授業と稽古中以外は比較的のほほんとしているアルがなぜ新参者とやり合う事態になったのだ?


 新人いびりをするような子ではない。


 一体全体何があればそんな事態になるというのか? と。


 ヴィオレッタがそう訊ねたところで、事の始まりを知ることとなった。


 キースが徹頭徹尾、第三者として目撃したことを述べ、時折源治が補足を入れ、そのたびにヴィオレッタの眉間に皺が刻まれていく。


 そしてアルがカミルを殴り飛ばしたと言い切る前に、彼女の怒りが最高潮に達してしまった。



 ゴォォォォォ…………ッ!



 手間を掛けて作られた里長宅の窓枠が軋みを上げ、家全体がガタガタと揺れる。


 死者の冒涜に続き、愛弟子と親友まで虚仮にされたヴィオレッタの深みを帯びた魔力が濃紫の霊気(りょうき)となって撒き散らされたのだ。


 キースと源治はでかい図体を縮み上がらせたものの懸命に説明を続ける。


 その後アルが一方的にカミルとニナをブチのめしたと聞いたヴィオレッタは即座に立ち上がった。


「追い打ちをかけてくれるわ……!」


 気焔を吐き、怒髪冠を衝いた大魔導は怒りの炎を消さぬまま目撃者2人を率いて、人虎族の族長とその従弟――つまりニナの父親である副族長の首根っこを引き摺るようにして癒院へと向かったのだった。



 ~・~・~・~


 

 最低限の治癒は施したものの族長の息子の方は危うくて手が出せなかった、という癒者リリーの言葉を無視して2人を見たヴィオレッタは、怒りを忘れるほど呆気にとられていた。


 ――これをあのアルがやったのか……?


 片方は少女だと聞いていたが髪は焼け落ちてほとんどなく、顔も体もケロイド状の火傷痕まみれで痛々しい。


 そしてもう片方は元の形がわからないほどに顔が火傷と打撲で膨れ上がり、目は失明寸前で床に落ちそうになっていた。


 有り体に言って酷い惨状だ。


 人虎の族長(ベルクト)と副族長オーティスも仰天して「何があった!?」と訊ねるが、カミルとニナは「アイツにやられた」とガタガタ怯えるのみ。


 ニナに至っては悲鳴が五月蠅いからと火傷しているところを蹴り飛ばされ、引き摺られてきたのだ。


 アルへの恐怖と痛みは尋常なものではない。


「リリーが儂を呼んだ理由はわかったが……」


 ここまで酷いとは思っていなかったヴィオレッタはすぐさま独自魔術を使ってカミルとニナを癒す。


 瞬く間に2人はアルと争う前の状態にまで戻った。


 しかし、事態は何も解決していない。


「ヴィオレッタ様、これは一体……!」


 疑問と憤怒を滲ませた人虎族の族長と副族長をヴィオレッタが座らせる。


 そして再度キースと源治に事の顛末を聞き直した。


 一方的にブチのめしたにしても普段のアルと2人の大怪我がどうしても結び付かない。


 もっと詳しく聞く必要があった。



 * * *


 

 アルの暴れ方まで詳細に聞き直したヴィオレッタにとって僥倖とも言えるが、良い収穫が一つだけあった。


 それは、人虎族の族長筋2人が真っ当な精神性の持ち主であったことだ。


 アルの父ユリウスについて尋ねられたヴィオレッタが「真実のみを口にしよう」と宣言し、彼の里での貢献から死んだ経緯までを語って聞かせた。


 すると族長ベルクトと副族長オーティスは似ている顔に大きな青筋を立て、憤怒の表情を我が子らへと向けたのだ。


「こ、の……貴様らァ!! 事情も知らぬくせに半端者だの出来損ないだの案内をしてくれている子供によくもそんな口を叩けたな!! どこまで性根を腐らせている!? そこまで言われても殺さなかったその少年に感謝しろ! 私が彼ならその場で貴様らの首を引き裂いていたところだ!!」


 激昂したベルクトは快復した息子カミルの胸倉を掴み上げて吠えた。


 怒鳴りつけられたカミルとニナがビクッと身を竦ませて怯える。


 こんな剣幕で怒鳴られたことなど一度もなかったのだろう。


 小さな声で「どんなところか不安で怖かった」だの「ナメられたら終わりだと思った」だの囁くように言い訳を述べる。


 しかし今度はオーティスがそれを叩き斬った。


「歩み寄ろうと差し出された手を蹴り飛ばして何を言っているのだ? 話を聞いてみれば出来損ないなどと言われても彼は激怒せず、愚かなお前達の敵意を自分に集めて場を収めようとすらしているではないか。なぜそこまで愚かな選択をした?」


 最後は問いかけるとも独り言ちるでもなく発された言葉にカミルが反応した。


「それは……あいつらが俺らと同じくらいなのに見習いとして任されたって。魔法も使えないのに優秀なんて言われて、俺らは色んなとこ点々としてきたのになんでそんな恵まれてるんだって…………」


 子供の嫉妬だ。


 アルを名指しするような言い草はその証左だろう。


 ――しかし、それもやはり事情を知らぬがゆえ。


 と思ったヴィオレッタは反論しようとした。


 優秀なのは恵まれた環境をしっかり生かして努力してきたからだ、と。


 その前にベルクトが寝台へカミルを投げやった。


「お前の言う少年はそこのヴィオレッタ様から魔術の指導を受けている。貴様は魔法を使ったうえで魔術も使わなかった彼に負けた。その意味もわからんのか?」


「……ぇ」


「話を聞く限り魔術は使っていない。合っているだろうか?」


 ベルクトが目撃者2人へ訊ねる。キースはリリーに葉巻を取り上げられながら頷いた。


「おう、魔術は使ってねえな。結局闘気もその坊主の爪砕く以外にゃ使ってねえ。使ってたのは属性魔力だけ……まァ魔法使ってる人虎に素手じゃ厳しいからよぅ。それでも刀を抜く素振りはちっとも見せなかったぜ。見てるこっちゃ焦っちまったがな」


 振り向いたベルクトはカミルとニナを睥睨して続ける。


「わかったか? 武器も魔術もあったのに使わなかった。激怒していても手加減していたからだ。どれだけ血の滲む修練を積めば、魔法を使える相手に魔法が使えぬ者がそこまで出来る? お前らに想像がつくか?」


「……そ、れは」


 カミルはゴクッと唾をのみ、適当にあしらわれて瀕死になったニナは顔を青褪めさせた。


『邪魔』


 ニナの脳裏にアルの言葉が()ぎる。


 羽虫を払うような言い様。


 あれが自分に対してあいつの感じた全て。


 それほど価値のないモノとして映っていたのか。


「恵まれていると言ったな? もし同じ環境にいたとして、お前らはそこまで積み上げられるのか? その少年の仲間達も彼と同水準だから組んで仕事をしているんじゃないのか? それらを知りもしないで否定したから怒ったのではないのか? そこまで考えられなかったのか?」


「「…………」」


 今度こそ、ぐうの音も出ない。


 あまりにも浅はかさで情けなかった。


 2人は「……う、ぐすっ」と泣きながら「ごめんなさい」と口から溢していく。


 だが謝罪を向けられるべき少年はそこにいない。


 言いたいことを全部言われ、ベルクトとオーティスが烈火の如くブチギレたおかげですっかり冷静になってしまったヴィオレッタは宙ぶらりんな気持ちを持て余して周囲の魔力を探る。


 件のアルがいない。


「リリーよ、アルはどこじゃ? 聞く限りじゃ大きな怪我はしておらぬようじゃが」


「アルクス君なら二人の治療をお願いしますって言ってすぐどこかへ。怪我もなかったみたいです」


「無傷でこれだけのことをしでかしたのか……あやつ何か変ではなかったか?」


「私のところに来たときはいつも通り冷静――でもなかったですね。落ち込んでました」


 頬に手を当ててリリーはそんな風に所見を述べた。


「他には?」


「他に、ですか。いいえ? 特には」


 首を傾げるリリーにヴィオレッタは少々もどかしさを覚える。


 普段のアルなら仮令(たとえ)怒っていたとしてもここまでのことはしない。


 そもそもそんな風には怒らない。そこは幼い頃から見てきたので断言できる。


 ヴィオレッタのもやもやとした不安を察して巨鬼族の源治が口を開いた。


「里長殿よ、アル坊がおかしかったのはそこな坊主を赤熱岩混じりの拳で殴りつけておった時だけ――あ、まぁ嬢ちゃんに炎をぶち込んだ時もおかしかったわいの。稽古でも凛華嬢ちゃんの顔に残りそうな攻撃は絶対にせんのに、変だのぅとは思ったぞい」


「やはりいつもと違っておったか」


 その証言にヴィオレッタは確信を得る。


「応さ。あの時はまるで憑りつかれておるようじゃった。のぅ、キースや?」


 源治が確認するとキースも頷いた。


「そうだなぁ、憑りつかれてるっつーか別の何かで動いてるっつーのか。そもそもアル坊が殺気を出して闘うなんざ稽古でもまずねえ。邪魔だからって子供相手に魔力を込めた腕なんて絶対向けねえしな」


 剣気や闘志は発しても自身が殺気を出すことはない。


 強くなる為の稽古と相手を殺す為の訓練は似て非なるものだ。


 八重蔵は雑な性格をしているがそういうところは非常に厳しい。


「子供相手にじゃと? 儂はそんなこと絶対せぬようきつく言うておるぞ」


 ヴィオレッタは驚いて眉を吊り上げる。


 アルがその言いつけを破ったことはない。


 それこそ華やかな光球や、子供用の砂場とアスレチックコースを混ぜたような遊び場をシルフィエーラと作ってあげるくらいで、攻撃用の魔力を向けるような真似は絶対にしない。


 だからこそ里の子供たちにも懐かれているのだ。


 そんなことをチラとでも考えていれば敏感な子供はすぐに気づく。


「けど撃ちこそしやせんでしたが、しっかと構えてやしたぜ」


 キースはアルの真似をするように右手を掲げた。


「ならばアルを探すべきじゃ。何かがおかしい」


 そう言って立ち上がるヴィオレッタにオーティスが待ったをかける。


「お待ち下さい。処遇を決めて頂きたい」


 処遇。つまり早々にやらかしたカミルとニナについて何か罰を、ということ。


 それが筋なのだろう。


 ヴィオレッタは黙考する。


(…………業腹じゃが、初めは甘くで良かろう)


 ここまで大事になったのはアルが負わせた怪我が酷すぎたというのもある。


 これでダメなら完璧に上下関係を叩き込むしかない。


「……ならば其方らが里を見て回るときにもう一度その者らを連れて行け。時間帯は――そうじゃな。朝方が良かろう。それで考えを改めなければそのとき何か考えよう」


「朝方? いえ、承知致した」


 オーティスは疑問に思いつつ、ベルクトに確認の視線を向ける。


 ベルクトも甘いと感じつつもやはり我が子は見捨てられない。


 いい機会を与えてもらったと考えるべきだろうと考え、いまだ啜り泣く子供の代わりに礼を述べた。


「ヴィオレッタ様のご寛恕に感謝を」


「よせ。儂の弟子がやり過ぎたこととお相子じゃ。それと、其方らは少々堅苦しすぎるぞ」


 そう言うとヴィオレッタが癒院を出て行く。


 キースと源治はどうすべきかと視線を合わせ、とりあえず鍛冶場へ戻ることにしたのだった。



 ☆ ★ ☆



 ところ変わって訓練所(そうげん)の一角。


 もうすぐ日暮れだ。


 里の子供達は元気にその辺を走り回っている。


 今はまだ森の方だけだが、そのうちこの草原も白い布団を被るようになるだろう。


 件のアルはそんな光景を現実逃避に使いながら膝を抱えて座っていた。


 結局、マルクガルム達幼馴染3人の元へは戻れなかった。


 よくわからなかったのだ。


 あの時の自分はどうしてしまったのだろうか、と。


 カミルを痛めつけることに集中してそれ以外がどうでもよくなっていた。


 ――痛めつける?


 違う、そうではない。


『これなら殺せる』


 あの時の(おの)が思考に背筋を凍らせる。


 なぜあんな風に考えたのか。


 それが自分の本質だとでも言うのだろうか?


 それとも別の……いや、結局これも現実逃避なのだろう。


「はぁ……どうしよ」


 ぽつりと発した呟きが子供達の喧騒に紛れて消えていく。


 自分でもやるべきことくらいは承知している。


 いろんな人達に謝罪に行かなければならない。


 まずは師匠のヴィオレッタ、次に人虎の2人、幼馴染達、最後に母トリシャ。


「はぁ…………」


 気が乗らない。行きたくない。動きたくない。


 あの2人の顔を見るとまたぞろ暴れ出しそうだ。


「はぁぁ~…………」


 何度目かわからないタメ息を吐きつつ、アルは寒空の下、寝転がることにした。


 何も考えたくなかった。


 流れていく雲を()おっと眺めていると、不意に声がかかる。


「アールっ!」


 よく知っている声だ。


「え……母さん? あれ? 仕事は?」


「今日は抜けていいってヴィーから言われてね。聞いたわよ? 喧嘩しちゃったんだって?」


 にっこり笑いかけてくる母トリシャにアルはぎこちなく頷く。


「うん。でも、やりすぎちゃって。カッとなって気付いたら血まみれのカミルがいた」


「そっかぁ。でもお父さんのこと悪く言ったんだもん。しょうがないよね?」


 息子の言葉を聞いたトリシャは笑顔でそんなことを言った。


 その笑みに一遍の曇りもない。


 しかし、アルは首を横に振る。


「しょうがなく……ないよ。あんなの、違う。喧嘩って言わない」


 するとトリシャはフッと軽やかに微笑んだ。


「なぁんだ。ちゃんとわかってるじゃない」


 うりうりと息子の頭を撫でる。


 どうやらワザとあんなことを言ったらしい。


「だったら、どうしてアルはここにいるの?」


 しかし不意に飛んできた鋭い母の言葉に、撫でられるがままになっていたアルは思わず身体を固くした。


「え……?」


「喧嘩したらその後、やることってあるでしょう?」


 ――ああ、そうか。


 アルは母の言わんとすることを理解する。


 頭ではきちんとわかっていた。だが、感情が従わない。


「うん……わかってる。でも行きたくない」


「どうして?」


 静かなトリシャの問いかけにアルは答えた。


 さっきからぐるぐる自分の頭の中を駆け巡っている答えだ。


「また、暴れちゃいそうだから。あの時みたいによくわからなくなりそうだから」


「暴れちゃってもいいのよ?」


「よくないよ」


 アルはかぶりを振る。


 謝りに行ってまた喧嘩なんて笑えない。


「いいのよ。気に入らないなら気に入らないって、ぶつかるべきなのよ。それで仲良くなれることだってあるわよ?」


 あくまでもトリシャの言葉は優しい。


「仲良くなりたくない」


 あまり聞かないぶっきらぼうな息子の返答にトリシャは暴れた理由を持ち出した。


「どうして? お父さんを馬鹿にしたから?」


「父さんも、母さんも、師匠もだよ。そんなやつらと仲良くなんて、やだよ」


 伏し目がちな息子は頑なに行きたくないと応える。


 トリシャは話題をズラしてみた。


「でもあっちにだって言い分はあるかもしれないわよ?」


「……どんな?」


「アル達が自分らと同い年くらいなのに見習いとはいえ、任務を任せられてて嫉妬しちゃったとか」


「それなら、そう言えばいいじゃん。母さんや父さんを馬鹿にする必要なんてないじゃん」


「そう言えるような子たちなら、もっと素直でもう仲良くなってると思わない?」


「……わかんないよ」


 アルはぶすっとしたまゴロンっと母に背中を向ける。


 珍しい態度を見せる息子へトリシャは目を細めて語りかけた。


「わからないなら聞いてみなきゃ。話してみなきゃわからないことって意外と多いのよ?」


「……母さんたちを馬鹿にするようなやつらと話したくないんだもん」


「アル? そんなんじゃ狭い世界でしか生きられないわよ?」


 自分の嫌いな人のいる世界も、認めてくれる場所もどちらも知らなきゃいけないのだ。


 アルだって母の言いたいことは理解している。


 でもやはり嫌なのだ。感情が否定しつづけている。


「何も今すぐじゃなくてもいいのよ。するつもりがあるか、それが重要なのよ」


「………………あるよ」


「本当に?」


 力ない息子の返答にトリシャはすかさず訊き返した。


「…………うん」


 先ほどよりは短い間で返事が返ってくる。


 トリシャは穏やかな声で問うた。


「お父さんみたいな優しさと、それを貫き通せるだけの強さが欲しいんでしょ?」


「うん」


 今度は即答だ。


「何が必要かわかる? いっちばん、とびっきり、重要なもの」


「……わかんない」


 また少し沈黙を挟んだがそれでも答えが返ってくる。


 トリシャはアルの肩に優しく手を置き直した。


「勇気よ。嫌でも、辛くても、何かを抱えてても『やらなきゃ!』って思った時に飛び込めるだけの勇気。誰だって最初から少しは持ってるけど、見えたり見えなかったりするもの。自分にしか扱えないとっておきの切り札」


 そう言って息子の胸をポンポンと叩く。


「……」


 アルは己の胸を見た。


 勇気。今の自分には見えないもの。


 父だって嫌だったのかもしれない。いや、きっと嫌だったはずだ。


 ――……けど握り締めたから結果(いま)が残ってる。


 それは紛れもない事実。


「……むぅ」


 アルはグッと上体を起こした。


「アル?」


 いつもより弱いが紅い瞳に輝きが戻ってきている。


「……わかった。仲直りはムリだけど、謝ってくる。師匠にも。マルクと凛華とエーラにも。仕事そのままサボっちゃったし」


 自分で口にしたことで、覚悟も固まったようだ。


「ふふ、さすがお母さんとお父さんの子よ」


 トリシャは微笑みながらそんな息子を見つめる。


「母さんにも謝っとく。心配かけてごめんなさい」


 母はくすくすと笑ってぺこりと頭を下げた愛息子の頭を撫でた。


「いいのよ、お母さんは。お母さんが言われてたら間違いなくシバき倒してたしね」


「母さんはそうかも」


 調子の戻りつつある息子に温かく笑みながらトリシャが急かす。


「こらお母さんはそんなに暴れん坊じゃないわよ。さっ、チャチャッと謝ってきなさい」


「うん、行ってくる」


 頷いたアルは西門に向けて走って行った。


 息子を見送ったトリシャは「世話が焼けるわねぇ」と笑いながら、ずっと後ろで隠れていた2人に声をかける。


「凛華ちゃんもエーラちゃんもごめんね。アルが心配かけちゃったみたいで。あの子が謝ってきても素知らぬ顔してあげてちょうだいね?」


 凛華とエーラはこくこく頷きながら頬を紅潮させていた。


 あら、どうしたのかしら? と、思ったトリシャが問おうとすると、


「トリシャおばさま、今のカッコよかった!」


「ねー! あれが男の尻を叩くってやつだね!」


 少女らが憧れるような眼でそんな風に褒める。


 トリシャとて褒められるのは嬉しいが、少々――いや非常に不本意だ。


「ちょ、ちょっと二人とも。そこはカッコよかったじゃなくて美しかったとか、聖母のようだったとかね? いい表現があるでしょう? ていうかエーラちゃんダメよ、男の尻なんて言っちゃあ。ファリスが悲しむわよ?」


 慌ててそう言ってみるものの凛華とエーラは「ほわぁ~」とトリシャへ憧れの眼差しを向けたままだ。


「アルがまたあんなになったらあたしが尻引っぱたいてあげる!」


「ボクもトリシャおばさまみたいにアルを立ち直らせたげる!」


 大人の注意を無視して2人はそんな宣言をした。


 一瞬ぽかんとしたトリシャは次いで笑みをこぼす。


「アルったら幸せ者ね。じゃあ期待してるわ。でも言葉遣いは直しましょう? 私が怒られちゃうからね」


 ふっとイタズラっぽく笑ってウインクをかますと、少女らはまた「ほぉ!」っと見入った。


「「トリシャおばさま今のカッコいい!!」」


 そして口を揃えて誉め言葉を贈る。


「だからぁ、もっと違う表現あるでしょお~……」


 がっくし肩を落としたトリシャに少女達は首を傾げるだけだった。



 * * *



「ではアルは大丈夫なのじゃな?」


「ええ、あの子らしくないと思って不安になっちゃったけどいつも通りだったわよ。ていうかあんなにむくれるなんて初めてだわ。やっぱり我が子のそういう姿も見とくものねぇ。ぶす~っとしちゃって可愛かったわ。もっとちっちゃいときに見たかった」


「呑気じゃのう。ふぅ、まぁ……頭に来すぎた、で収まる代物であれば良いのじゃが」


「何かあの子に不安があるの?」


「具体的な不安要素がないことこそが一番の不安じゃ。物事への集中力が高かったり、あの歳でやたらと意志が強いのは性格と言えよう。それ以外はどちらかと言えば呑気な部類じゃ。日頃稽古もしとるから鬱憤が溜まりすぎておったということも可能性としては低い。どれをとってもあの二人への仕打ちに繋がらぬ。加減できなかったとしても精々があのニナとかいう娘のようになるだけじゃ」


「もう一人は違ったの?」


「目が落ちかけておった。幾らあやつが怒っておっても加減は利く。目の前で殴っておるのじゃから気づかぬわけもない。それが止められるまで止まらなかったそうじゃ」


「……んー、気づいたら血まみれのカミルがいたってアルは言ってたわよ」


「カッとなっただけ……なら良いのじゃが」


「何をそんなに心配してるのよ?」


「あやつの性格の一面にそういう暴力性がある、というのならまだどうにでもなる。酷ければ矯正すれば良い。じゃが……そうでなかったとしたら? 儂が危惧しておるのはそっちじゃよ。アルの性格とはまったく関係のない”ナニカ”が潜んでおった場合が怖いのじゃ。あやつの人生を狂わせてしまわぬか、とな」


「それは……確かに怖いわね。私も注意しておくわ」


「ん、それが良かろう」


「ありがとうね、ヴィー。いつもいつも助かるわ」


「なぁに儂と汝の仲じゃろう。アルは儂の可愛い愛弟子でもあるしのう。将来を憂いてやるのも師の役目というやつじゃ」



 * * *



 その後、アルが概ね滞りなく謝罪を済ませた2日後。


 いつもの見習いの見習い任務。


 人虎の住む新しい区画へ行くと、その子供達から謝罪を受けることになったので関係も少しは好転しつつある。


「今日はサボんなよー」


 マルクがニヤニヤと茶化してきた。あえてそう言っているのだろう。


「サボったことあったっけ? 俺が戻ったらみんな仕事終わらせちゃってただけだよ?」


 すっとぼけた顔で憎まれ口を叩くアルもいつも通りだ。


「はいはいさっさと行くわよ。もう日が暮れるのもだいぶ早くなってきたし、さっさと子供達回収して戻るわよ」


「そだね~。アドルフィーナも待ってるし」


 凛華とエーラもアルが普段通りに戻ったのでホッとしたのかマルクをいじる。


「フィーちゃんになんで早く帰るように言わないんだよ、マルクは」


 アルもそこへ加勢した。


「誰がフィーちゃんだ、そんな呼び方許さねからな。ちゃんと言っても帰ってこねーんだよ。誰に似たんだか」


「「「ツッコミ待ち?」」」


 3人の息の合った言葉にマルクがうがーっと声を上げる。


「ちっげーよ!! 大体いつもいつも帰りが遅くなってたのはお前らが『まだ遊ぶ』とか『まだ終わってない』とか無茶苦茶言うからだろうが! いっしょに叱られてたんだぞこっちは!」


「そーだねマルク。さ、行こーか」


 ぽんぽんと肩を叩いてアルはすたこらと西門へ歩き出す。


「おい流すなよアル。一番つき合わせてたのお前だろ。おい、こっち向けよこら」


 顔を向けないアルに、


「西門とーちゃーくっ、そしてしゅっぱーつ!」


 マイペースなエーラ。


「お前らってやつは……!」


「ちょっと、あたし含めるのやめてもらえる?」


 そして我関せずの凛華。


「いやお前も大概だったじゃねーか!」


 自由人3人へマルクだけカロリーを消費しながらアドルフィーナらの遊ぶ草原へと歩いて行く。


「おーいみんな、もう帰る時間だよー」


 アルの呼びかけに子供達がパッと顔を上げ、すぐにアドルフィーナが駆け寄ってくる。


 4人は『お、今日は早く終われそうかな』と顔を見合わせた。


 しかし、次いで紡がれたアドルフィーナの言葉で事態がまずい方向へ動いていたことを知ることになる。


「お兄ちゃん、アルにい! 大変なの! もう帰ろうかって言ってたら新しい子たちが二人いないって!」


「なんだって!?」


 かくして歯車は回り出す。


 アルに潜む”ナニカ”が目覚め、それが4人の運命を大きく変えることになってしまうとは、この時の誰も予想すらついていなかった。

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