3話 『不知火』の野営飯(虹耀暦1288年5月:アルクス16歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
帝都から北東24km地点。
都会然とした景色はすっかり鳴りを潜め、辺りは茫洋とした草原が広がっている。
また周囲に人気はなく、乗合馬車がギリギリすれ違える程度とどちらかと云えば幅の狭い街道が伸びている。
この街道は魔導列車が都市を結ぶようになる10数年前まで主線となっていた国道とは別の路だ。
国道の方はこちらと違ってもっと幅も広く整備されているし、人里近くなれば一応は魔導灯も設置されている。
対してこちらにそんなものはない。
そもそも大抵の者が懐中電灯などなくとも光属性魔力も使えるし、火属性魔力も取れるので困るというわけでもないのだろう。
そんな街道に4頭立ての幌馬車が一台停まっていた。
道の端に寄せられているが、追い越す馬車もいなければ、すれ違う馬車も一台としていない。
なぜなら――……。
「もぉ~、鬱陶しいなぁ」
普段より幾分かボリュームの増した赤い癖っ毛の鉱人娘アニス・ウィンストンが灰色の空を見ながらぼやいた。
残念ながら現在しとしとと雨が降っているからである。
ただでさえ視界と路面が悪いなか、人通りの少ない通りを往く者はやはりそう多くい。
雨脚も酷くはないが長く降り続きそうだ。
真っ黒い雲は分厚く、どんよりとしている。
「んしょっと。荷物持ってきたよ、これで合ってる~?」
幸いなことにちゃんとした幌馬車を借りたので荷台の中は濡れていない。
アニスがやや大きめな木箱を街道横の大きな木の根元にドサリと置いた。
「合ってるわ、ありがと」
慣れたように木箱の蓋を開いた小綺麗な美鬼が頷く。
中身は9人の食材一食分だ。
根菜類や芋、葉野菜や果菜に茸、大きな塊肉、並のものより少々水気の少ない保存が効く麦蒸餅。
更に使い切り大の大瓶に入っている植物油に塩や胡椒といった調味料類が区分けされて詰め込まれている。
「ふぃ~、まだまだ降りそうだよ~」
そこに上から声が降ってきた。
直後、蔦をスルスルと伸ばしたシルフィエーラが軽い動作で着地した。
「エーラもう終わったの?」
「うん、簡単なお願いだったからね。すぐ済んだよ、ほら」
凜華に頷いた耳長娘が上を指差すと、丁度枝がギュルギュルと動いて生い茂る葉が掌のような形を取っているところだった。
俄に薄い影が射す。
ただでさえ枝葉で遮られていた雨が一切届かなくなった。
軒先を借りた樹木が、エーラの『精霊感応』で訊き届けてもらったお願いの対価として葉傘もとい屋根を作ってくれたのだ。
「さっすが森人だね! でも幸先悪くない? アタシの髪こんなんなっちゃうしさ」
くりくりとした己の癖毛を指差すアニス。
「ここらへんもうすぐ雨季なんでしょ? しょうがないんじゃない?」
涼しげな目元を細めて凜華が言う。彼女の艶やかな黒髪は湿気とは無縁だ。
「あの子達は喜んでたよ~」
雨を喜ぶ植物の精霊の陽気が移ったのか、エーラはクルクルと舞うように準備を整えている。
彼女らが進めているのは昼食の支度だ。
今日は週の初め。
今朝、『不知火』の6名と1羽、そして同級生の3名は課外実習先である〈グリュックキルヒェ〉へと出立した。
他の7組の生徒達と担任のコンラート・フックスも貸し切りの乗合馬車でそろそろ出発している頃だろう。
4泊5日を予定しているせいか日程がかなり緩いようで、初日は到着ないしは合流して宿泊先に泊まるだけだそうだ。
「馬達のお世話は終わりましたよ~。怪我をしている子もいませんでしたし、飼葉も足りそうです」
そこへ幌馬車の方から大きな葉っぱを傘にしたラウラがやってきた。
灰色の空の下、草原に浮かぶ手入れの行き届いた朱髪は相応に目立つ。
「荷台の方も問題ない。二〇km以上は走ったはずなのに車輪の損耗もほとんどない。アル殿の掛けた『変動式重力低減術』だったか。さすがの効果だな」
義姉の隣を歩くソーニャは金属手甲を外しながら言う。
それこそが総勢9名もの人員を載せても4頭で済んでいる理由だ。
以前、辺境の街ヴァルトシュタットで幌馬車を借りた際は6頭立てだったが、飛竜船にも用いた術のお陰で今回はかなり負担を減らせている。
「魔導荷台と同じ効果を一つの魔術で再現するって相当だよね、アルクス君」
若干引いた顔をするアニスにラウラがクスッと微笑む。
「元々アルさんは『念動術』を多用しますから。普段使いしてるのも原型に手の加えられた『念動術・改』と呼んで差し支えないものですし」
「ほぇ~」
彼ら『不知火』の面々にとって頭目が魔術狂いなのは今更過ぎる事実だ。
授業で指定でもされない限りは定型術式を用いようとしない。
尤も、最近はそれも7組の面々には周知されつつある。
「そのアル殿やマルク達は? まだ戻らないのか?」
ソーニャが胸甲についた雨粒を拭いながら訊ねると、
「そろそろ戻って来るんじゃないかしら?」
凛華がひょいと肩を竦める。
戻ってきてもらわねば作業が進まない。
彼女ら5人の足元は下草が綺麗な長方形型に避けられ、即席の土間のようになっていた。
また中央には焚き火を置けそうな石で囲まれた炉がある。中にはまだ何も入っていない。
これはエーラと鉱人族であるアニスの【精霊感応】によるものだ。
魔法を深化させていくと全く別系統のものになる森人族と鉱人族だが、最初に覚える魔法は共に【精霊感応】である。
なぜなら、両種族の祖先は同じ一族だと目されているからだ。
遥か古代――……精霊を視ることができた一族がおり、彼らが生活圏を伸ばしていく際に土中や坑道を好む種と草原や森と共に生きる種に分かれていった結果、現在の種族形態になっていったと云うのはこの大陸でもあまりに有名な話。
一応、研究者の間では通説とされているが、前述の要因により半ば定説化している。
「あ! 戻ってきたみたいだよ~」
風の精霊に聞いたのか、自前の優れた聴覚で拾ったのか、エーラが尖った耳をヒクヒクさせて唐突に顔を上げた。
すると間もなく待ち人4人がやってきた。
先頭を歩くのは青黒い髪と真紅の龍鱗布を靡かせるアルクスと水気を含んだワインレッドの髪を鬱陶しそうに掻き上げるマルクガルムだ。
2人共慣れたように足場の見えない草の海を歩いてくる。
またアルの背後には太めな枯れ枝の山がぷかぷかと浮いており、黒濡れ羽の三ツ足鴉がその上で楽しそうにゆらゆらと揺れていた。
そしてそのすぐ後ろには人間の青年2人。
生真面目そうに眼鏡を掛け、息を切らせながら眉を八の字にしているのがヘンドリック・シュペーア。
ヘンドリックほどではないが少々荒めの息を吐いているのがラインハルト・ゴルトハービヒトだ。
「翡翠ったらあっちに行ってたのね」
「クァ? カァー」
凛華の声に反応した夜天翡翠はふわっと舞うと、彼女の腕に「ただいまー」とばかりに止まる。
「ただいまー。枝はこんくらいで良かった?」
「戻ったぞー、異常なーし」
アルとマルクが揃ってゆるい帰還報告を行う。
別れた時にはなかった土間や炉を見ても無反応。慣れているのだ。
「こ、これが魔法か」「少し出てた間に……驚いた」
対照的にヘンドリックとラインハルトは目を白黒させて狐に抓まれたような表情を浮かべている。
アル達4人がやっていたのは枯れ枝集めと周囲の安全確認だ。
人気のないところには魔獣が巣食っていたり、賊が隠れ潜んでいたりする可能性がある。
と云っても帝都付近なので可能性はそう高くもないのだが、やっていて損はない。
そういった理由で幌馬車から離れたのが10分と少し前だ。
街道沿いのどこにでも生えている平坦な木の根元が、戻ってきたら屋根付きの素朴な野営地に変わっていたのだから、魔法に馴染みのないヘンドリックとラインハルトが驚くのも無理はないだろう。
「充分よ、貸して」
凜華が伸ばした手にアルは枯れ枝の束を手渡すと、一握り分だけ残しておいてボッと火を点けた。
生木ほどではないものの濡れた枝も燃えにくいのだが、アルの蒼炎なら別だ。
白い煙をあげながら瞬く間に火が上がる。
「ほいっと」
アルが炉の方へ火を投げ込むのと、
「こんなもんかしらね」
凜華が枯れ枝から器用に水分を抜いてポイポイと無造作に放り入れたのはほぼ同時だ。
「今日は寒いから丁度良いくらいだねぇ」
すかさずエーラがパチンと指を鳴らして風を送り込む。
あっという間に炉の火は白煙混じりに大きくなり、寒々しい土間にじんわりとした炎の熱が広がっていく。
「炭置きますよ~」
そこへ煙が薄らぎ、焚き火から熾火状態へ変じたのを確認したラウラが木箱の底から炭袋を引っ張り出してゴロゴロと転がし入れた。
ただの焚き火でもできないことはないが、やはり調理には火力調整の利きやすい炭の方が何かと便利だということで少々奮発して購入してきたものだ。
「んじゃ五徳と――」
「鍋も置くぞ」
更にマルクとソーニャが背嚢から4本脚の丸い五徳と厚みのある深い鉄平鍋を手早く置いた。
ちなみにこの鉄鍋と五徳だけは武芸者活動の際、魔獣の革で出来た包みに入れて必ず誰かの背嚢に入れているもので、この鍋一つで6人分の食事を賄えるくらいには容量もある。
また五徳の方は非常に簡素ながら賢い構造で、使わない時は脚の付け根の固定具を外して可動させ、一箇所にまとめて折り畳めるようになっている。
「やはり手慣れてるな」
大したことはないのかもしれないが、卒のない、誰が誰の邪魔をするというわけでもない連携だった。
ラインハルトが興味津々といった様子で切れ長の瞳を細める。
彼はつい先週8等級から7等級武芸者に昇級したばかりだ。
「ラインハルトは野営――ってか泊りがけの依頼は?」
請けたことある? とアルが問うと、彼は困ったようにほんの少々整った眉を寄せて首を横に振る。
「いや、まだだ。一度も経験がないせいで正直踏ん切りが着かない」
「ま、個人だしなぁ。俺らはエーラのお陰で楽できっけど一人で野営ってのも危ねえわな」
ぐっ、ぐっと五徳の脚を固定しながらマルクがぼやく。
「ああ。何か必須なものとかあったら教えてくれ」
「それこそ五徳と鍋はあると便利だぞ。煮る、焼くさえできりゃ大抵のモンは食える」
「鍋か。油の染みない容れ物が要るな」
ふむふむと頭にメモするラインハルト。
「かさばらない食器もあると便利よ」
背嚢からまな板を取り出してササッと洗い流しながら凜華が言えば、
「調味料もあるとかなり違いますね」
ニンニクや根菜、茸を両手に抱えたラウラも助言した。
「お茶っ葉もね!」
いつの間にか炉から小さく熾火を分け、自在鉤まで作って薬缶を引っ掛けたエーラがのたまった。
「そこだけは絶対譲らないね、エーラは」
「そうだよ? いつも食後にまったりできるのはボクのお陰なんだから!」
「カァ!」
「ははっ、感謝してるって」
使い魔と揃って可愛らしく胸を張る耳長娘に、アルがからからと笑って応える。
「とマルク達は言うが今のは獲物を簡単に狩れて、野草なんかの正しい知識がある前提だぞ。ないなら食料も買って凍らせておく方が無難だ」
ソーニャの意見はおそらく最も新人武芸者の立場に寄り添ったものだろう。
「あ……そうか。知識も要るのか。覚えることが多いな」
言われて気付いた、とばかりにラインハルトが腕を組む。
野営と現地調達及び消費は似て非なるものだ。
隣では凍った生の塊肉を手渡されたアニスが「ふん!」と豪快に断肉刀を振り下ろしていた。
「ア、アニス、僕がやろうか?」
ヘンドリックがそわそわしている。
自分達より頭ひとつ以上に小柄な少女が9人分の肉の塊を捌く姿はそこそこ危なっかしく見えないこともない。
が、アニスは人間と筋密度が異なる鉱人族。
「へ? 全然大丈夫だけど? ていうかほら! そっちも働いた働いた!」
食堂の肝っ玉母ちゃんのような雰囲気を滲ませて、だんっ、だんっと肉を淀みなく一口大より少々大きめに切り分けている。
ちなみに脂身の少ない鹿肉の後脚部2頭分で、昨夜の内に仕込みがされたものだ。
「お、ああ、わかった。僕は何をすれば良い?」
迫力に呑まれてヘンドリックが思わず頷く。
彼は彼で辺境伯家の次男なのでラインハルトよりは眼にした機会もあるが慣れているわけではない。
「俺らは無心で食材を刻むだけだぞ」
「力仕事とか道具の手入れとか、呼ばれるとしてももうちょっと後だよ」
答えたのは熟れた動きで根菜をサッサッサッと薄切りにして網容器へと放り入れるマルクとアルだ。
「アル、これもお願い」
「あい」
「マルク、剥かなくて良いから芋を四つ切りにしてくれ」
「了解だ」
「「…………」」
凛華やソーニャから食材を手渡されながら唯々諾々と従っている姿は何とも哀愁を誘う。
が、『不知火』の女性陣からすればこれは致し方ないことなのである。
この2人ときたら料理とは何たるかをちっとも理解していない。
なまじ幼い頃から簡易狩猟場の方へ遊びに行っては狩りの真似事をして、獲った獲物は解体してもらうなり串に刺して火に焚べるか、適当に切って炭火の上に転がしていただけに味付けを怠る困った癖があるのだ。
精々塩胡椒を振るとかそんなもんである。
獲りたての肉や魚であればそれで充分過ぎるほど美味いのだが、何でもそれが通用するわけではない。
そういった理由でアルとマルクの両名は野営中における食材切断魔導具役と雑用を申し付けられているのである。
尚、両名とも抗弁する気も起きない程度には納得している。
「あー、僕も具材を切るよ」
「俺もだ。味はアニス達に任せよう」
ヘンドリックとラインハルトは何かを察した顔で調理用の小刀片手に、大人しいアルとマルクの背に並ぶのだった。
そうこうする内に、第1関節ほどの深さに油を引いていた鉄平鍋の方から薄っすらと煙が上がってきた。
「アニス、肉をお願いします」
「りょーかい!」
ギリギリ一口で食べ切らないくらいに切断された鹿肉を鉱人娘がひょいひょい鍋に入れていく。
ジュウウウッと美味そうな音が上がり、溶け出した脂と残っていた血がパチパチと爆ぜ、細かな泡が上がる。
「ちょこっとだけ強火にして~……っと!」
エーラが風で火力を上げ、表面を強めに焦がすように菜箸で焼き揚げていく。
鼻唄でも歌いそうな具合だ。
数十秒ほど経った頃だろうか。
「そろそろ入れるわよ」「はいはーい」
凛華がスライスしたニンニクをはじめ、小玉赤茄子や茸に芋、根菜類を投入して、すかさず塩と鷹の爪、黄金色の植物油を鉄鍋にたっぷりと注ぎ足した。
あとは弱火で加熱していくだけだ。
ゴロゴロ入った鹿肉とその他の具材から気泡が浮いては弾けるのを眺めながら凜華が時折かき混ぜて蓋をする。
「待ち遠しいね!」
「あは、だねぇ~」
それから30分ほど経った頃には食欲を誘う良い匂いが漂い始め、食べ盛りの男衆の腹を刺激した。
「……美味そうだな」
「あれにありつくには俺達も仕事しなきゃいけないんだよ、ほら」
思わず眼が釘付けになるヘンドリックの肩を叩いて、アルが平たい麦蒸餅を手渡した。
黒麦蒸餅ではないので硬くはない。が、食堂でよく供されているものとも違う。
どちらかと云えば屋台などで見られるタイプのものだ。
中に具材を詰めて食べることが多いのでアルの前世で言うピタパンに近いだろう。
野営の必要がある武芸者や軍人の心強い味方として愛されている。
「どうすれば良いんだ?」
「マルクがやってる。焦がさないようにね」
ヘンドリックとラインハルトが見てみれば、マルクが串を利用して麦蒸餅を焼き直していた。
「なるほど」「ああするわけか」
「余ってる平鍋があんぞ」
頷いた2人はマルクから手渡された小さめの平鍋を手に、慣れない様子で作業に取り掛かる。
ふと隣を見てみればアルは『念動術』を使って一気に3つほど浮かせて炙っていた。
((そこも魔術でやるのか…………))
ラインハルトとヘンドリックの呆れた思考が合致するもアルに届く気配はない。
そうこうする内に平たい麦蒸餅は焼き上がり、
「はいはい、じゃ野菜詰めてって~」
それとほぼ同時にエーラが千切った葉野菜入りの容器を持ってきた。
「あい」「おう」
言葉少なにアルとマルクがほかほかの麦蒸餅を開いて中に葉野菜を敷き詰めていく。
「あ、ああ」「わかった」
ラインハルトとヘンドリックも見様見真似だ。
男衆が黙々と作業しているなか、熾火の方では丁度ソーニャが両手に持った肉叉を鍋に突っ込み、鹿肉を大胆に引き裂いているところだった。
「うん、良さそうだ」
少し濃い黄金色になった鍋の中には細く引き裂かれた鹿肉、柔らかくなっていそうな芋、揚げられたように微細な衣を纏う根菜類がぎっしりと詰まっている。
「うわ! ちょー美味しそうじゃん!」
アニスがはしゃぐ。
「そろそろですね。アルさん達の方、終わってますか?」
ラウラがニッコリと微笑みながら問いかけると、
「ばっちり」「終わったぜ」
アルとマルクがグッと親指を立て、ラインハルトとヘンドリックがどうにかといった風に頷く。
「じゃあ完成よ。さっさとよそいましょ」
「ボクもお腹減ったー! 早く早く!」
鬼娘と耳長娘が木製の平たいおたまを持って催促する。
「はいはい」「俺らも腹減ったぞ」
アルとマルクがそこへ先ほどの葉野菜入りの麦蒸餅を持っていき、鍋の中身を詰めてもらい、仕上げに黒胡椒をぱらりとかけてもらう。
「あ……」「なるほど」
ああするものだったか、と半ば機械的に作業を進めていたせいでラインハルトとヘンドリックが今更気付く。
「ほら、二人も急ぐよ!」
背の小さなアニスにグイグイ背中を押され、葉野菜入りの麦蒸餅を差し出してよそってもらう。
「あ、椅子作ってなかったね」
エーラがひょいと指を動かすと近場の植物や軒先を借りている木の蔦がスルスル伸びてきて熾火を囲むように長椅子を象った。
「ありがとエーラ」
アルを筆頭に銘々に礼を述べて腰掛ける男性陣4名。
その間に女性陣は姦しく口を動かしながらも、ささっと鍋の中身を麦蒸餅に詰めていく。
彼女らが作ったのは、新鮮な植物油とニンニクを使ったアヒージョのような煮込み料理だ。
王国由来の料理だそうで、今回はメインの具材を鹿肉にし、おまけに最近帝都の屋台でよく見られるようになった低温調理で柔らかくした肉を細かく裂いて食感とボリュームを楽しむというやり方を取ったらしい。
尤も、当日に数時間も煮込んでいる暇はないとわかりきっていたので、前日に骨を取り除いて筋を断ち、叩いたうえで酒に漬け込んでいたそうだ。
今アル達の手に握られているものを前世風に名付けるならば、Semi pulled venison(鹿肉のこと) sandwichといったところだろう。
「行き渡った?」
アルが問うと隣にやってきたラウラは、
「アルさんアルさん、実はこれも持ってきたんですよ」
と言って彼女の掌より一回りほど大きな乾酪を見せた。
「おっ? 良いねぇ、そいじゃまずはラウラから~っと。他に欲しい人はー?」
蒼炎でとろりと溶かした乾酪をラウラのセミプルドヴェニソンサンドの上にかけてやってアルが顔を上げると、
「全員みたいですよ」
7人共、真っ直ぐに手を上げていた。
「はは、だよねぇ」
アルは可笑しそうに笑って乾酪をトッピングしていく。
そのすぐ後。
「早く食べよ!」
「だね、そいじゃあいただきまーす!」
「「「「「いただきまーす!」」」」」「カア!」
「日々の糧に感謝を」
「美味そうだ」
「絶対美味しいよこれ。アタシにはわかるもん」
食欲に押された9人が昼食にかぶりつく。
途端にニンニクの香りが鼻を抜け、柔らかくも最初に表面を揚げ焼きしたお陰でザクザクとした食感も残る鹿肉とその肉汁が乾酪の濃厚さ、新鮮な葉野菜のシャキシャキとした爽やかさを纏って口いっぱいに広がった。
またプチュッと潰れる赤茄子が良いアクセントになっており、最も硬めな根菜類も不快さはなく、むしろパリパリとした食感が楽しい。
そしてそれらのエキスが滲み出ているであろう黄金に染まった油は、ピリッとした辛さとほんの少し強めの塩気、暴力的な旨味が渾然一体となって麦蒸餅にしみ込んでいる。
「「うんっ……ま!!」」
「そうでしょアル。驚いたかしら?」
「下拵えにかなり手間が掛かったからな」
「ボクらの腕も順調に上がってってるねぇ。あ、翡翠おいで~。ちゃんと翡翠のもあるよ~」
「カァ? カアッ!」
「まだ鍋にも残ってますからおかわりもできますよ~」
『不知火』の6名がそんな具合に言葉を交わし、
「めっちゃ美味しい! え、アタシも手伝ったけどなにこれ!ヤバいよ!」
「美味いじゃないか! うちの兵に野営飯とはもっと雑なものだと聞いてたが」
「ああ、驚いた……ここまで強く美味いと思ったものもないくらいだ」
アニス、ヘンドリック、ラインハルトが三者三様に感想を述べる。
そこからは早かった。
食べ盛りの男衆が言葉少なにガツガツと食い始め、女衆が火を囲んでお喋りに興じる。
こうして『不知火』の面々と同級生3名は自分達しかいないだだっ広い雨の草原で枝葉を屋根に、熾火で暖を取りながら昼食の時間を過ごしたのであった。
* * *
その1時間半後。
最後の一滴まで麦蒸餅にひたして鍋を空にし、まったりと食後のお茶も楽しんだ9人と1羽は、
「いよーし! そんじゃ昼も堪能したし、移動再開だ!」
「「「おー!」」」「おう」「うむ」「カァカァッ!」
「行こー!」「ああ!」「出発だ」
暗い空と止みそうもない雨の齎す陰気を蹴飛ばすようにして〈グリュックキルヒェ〉行きの旅路へと舞い戻っていく。
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