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【10.9万PV 感謝!】日輪の半龍人  作者: 倉田 創藍
第3部 青年期 魔導学院編ノ壱 入学編

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21話 龍と鬼の刃牙(虹耀暦1288年2月:アルクス15歳)

2023/10/10 連載開始致しました。


初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。


なにとぞよろしくお願い致します。

 時刻は早朝。まだまだ冬らしい灰色の空は一筋の陽光すら通さず、寒そうな裸の木々の合間を冷風が縫うように吹いている。


 また澄み切りすぎている空気は肺いっぱいに吸い込むとまるで氷の浮いた湖に飛び込んだかのような錯覚に陥るほどに冷たい。


 植物達はきっとその氷気を吸いすぎたのだろう。シャリシャリとしたシャーベット状の霜を張り付かせていた。


 しかしながらそんな寒空の下、武闘場は妙な熱気に支配されていた。


 無論、巨大な篝火(かがりび)がある、などと云った物理的な熱が存在しているからではない。


 向かい合う2人の剣士から発される闘志が、武闘場の空気を一変させているのだ。


 片方は無精髭こそ生やしていないものの野武士を彷彿とさせる印象の鬼人族。


 鍛え上げられた筋肉は、最低限と云った風情の防寒具越しにもわかるほど膨れており、適当に後ろへ流された黒髪を掻き分けて太い一本角が生えている。


 凜華の父イスルギ・八重蔵だ。肩に担いでいるのは身の丈とそう変わらない大太刀。そこに普段の呑んだくれな雰囲気は一切と云って良いほどない。


 それは現在の彼が剣士としてここにいるからだ。その鋭い視線の先には、自身が中伝までにしか至っていないと告げてもその剣――否、刀術を教えてくれと請うた弟子の姿。


 アルクス・シルト・ルミナス。修めるは師と同じく六道穿光流、中伝。


 八重蔵と対峙する彼の”灰髪”は風に揺られ、本来の瞳の色である真紅の龍鱗布は発せられる魔力に小さくはためいている。


 実に一年半ぶりの立ち合い。八重蔵の胸中に去来したアルの姿は今よりもう少し背も低く、顔付きも幼かった。


 あれから旅をして随分と成長したようだと――帰郷した彼らを出迎えた戦士団の者達や彼らをよく知る者達は口々にそう言ってきた。


 だが、そんなことは教えてもらわなくったって誰よりもわかっている。


 むしろ誰に言ってるんだ? と、さえ思ったほどだ。


 今も緋色の瞳に静かな闘志を湛え、見習い達ではまだまだ到底出せないであろう武威を身に纏うようになったアルと娘の姿に最も歓喜し、最も心躍らせたのは八重蔵自身なのだから。


「そんじゃアル、わかってんな? 前と同じで何でもあり、気絶するか『参った』っつった方の負けだ」


「はい!」


 八重蔵の確認にアルは力強い返事を返し、微かな音をさせて刃尾刀を腰から引き抜く。こちらはこちらで剣の師へ今の実力を見てもらうべく気合が入っていた。


 俄にピリッとした覇気がアルから滲んでいく。


 八重蔵は呼応するように大太刀をスラリと引き抜いた。刃尾刀よりも少々長く、肉厚な刀身は剣鬼の昂揚を表すようにギラついている。


 刃を晒したことで剣士同士の見えない闘志が空間を軋ませ、ギチギチと圧迫していく。


 両者から少し離れた位置にいたヴィオレッタは確認の必要性も感じなかったが、


「良いかの? では、始め!!」


 パッと手を振り下ろし、そのまま『短距離転移術』で観戦席へと跳んだ。


「アルさん、最初から凄い気魄ですね」


 ヴィオレッタが席に座ると新しく弟子になった少女がすぐに声をかけてくる。琥珀色の瞳は武闘場のど真ん中で対峙する剣鬼とよく知る頭目の青年へと注がれていた。


 今日の観戦席は大所帯だ。


「八重蔵はアルに剣を教えた張本人じゃし、実際強いからのう」


 それでも儂が呼ばれるとは思わんかったが、と呟くようにヴィオレッタは答える。今回の彼女は自主的に来たのではない。


 そもそも早朝はあまり得意な方ではないのだが、真面目腐った顔の八重蔵から「すんませんが里長殿、稽古についてきてくれませんか?」と頼まれたのである。


 激化する可能性がある、もしもの時は『時限逆行術式(とっておき)』を頼むと頭まで下げられればついて行かざるを得なかった。


 つまるところ、八重蔵はアルがそれほど成長していると感じ取ったということに他ならない。


(しかしじゃ、八重蔵よ。(なれ)ほどの強者が加減すらできぬほどとは思えぬぞ……?)


 心中で呟いてみるものの、目前の剣鬼が弟子に感じ取ったものは剣士の嗅覚でしか拾えないもの。如何な大魔導のヴィオレッタでも想像がつかない。


「もうすっかり戦士の顔ねぇ~」


 隣で炎を浮かべたトリシャがのほほんと息子の顔付きを褒める。観戦席にいる者達や別口で武闘場にやってきていた戦士達の視線は彼女の愛息と氷鬼の剣豪に向いていた。




 アルは開始の号令と共にカッと龍眼を発動し、右足を下げて左半身を前へ。


 そのまま流すように刃尾刀の切っ先を背後へ、然れども柄頭は真っ直ぐに八重蔵の喉へと向け、更に左肩をぐっと突き出すように前傾姿勢を取った。


 少々亜種寄りな脇構えだ。後ろに突き出した刃が尻尾のように見える。


 対して八重蔵は左足を前に出し、アルと同じく左半身を前へ。


 更に大太刀を掲げ、柄を顔の右側へ、切っ先を弟子の喉元に向けた。基本的な霞の構え。


 六道穿光流・光の型【迅閃】とは出す足や太刀の持ち方が真逆になるが、右半身を前に出す【迅閃】が特殊形である。


「いつでも来い」


 そう告げた剣鬼の目元に朱色の隈取がスゥー……と浮かんでいく。鬼人族の魔法【戦化粧】。その初期段階に発現する基本形――【無垢の相】が完成するかしないかと云ったところで、


「はい! お願いします!」


 アルは重心を滑らかに前へと移し、一気に最高速(トップスピード)へと至った。


 迷いのない動きで一直線に駆ける。


(ハッ! 随分(はや)くなった!)


 内心でニンマリ笑った八重蔵は、


「けどな!」


 霞の構えから反撃を放つ。音もなければ振り上げるような動作すらない、迎撃択として非常に合理的で読みにくい大太刀の突き(カウンター)


(さあ、どうでる?)


 以前のアルなら刀の峰で鎬ぐか大きく躱していただろう。


 しかし一年半越しの弟子はそのどちらも選択しなかった。駆ける勢いを落とさず、前方へ飛び込むようにして体勢を更に落とし、スレスレで首を捻って大太刀を躱しざま、


「でぇあああッ!」


 気炎を上げて柄頭に掛けていた左手を疾走らせる。


 刃尾刀が右から左への一文字斬りと、右の逆袈裟斬りの中間軌道を蛇のような複雑な軌跡を描いてヒュイッと薙ぎ上げられた。


 回避と反撃に隙間がほぼない。アルがこの一年半に多用し、先鋭化させてきた後の先を取る戦闘型(バトルスタイル)


 ギャリィィ――ィィィ……ッ!


 引き戻しざまに叩きつけられた大太刀と刃尾刀が甲高い金属音を上げて火花を散らし、アルと八重蔵がすれ違う。


 だが、そこで止まる両者ではない。


「ハッ!」


「だあッ!」


 八重蔵が笑い声とも気炎ともつかぬ声を発して袈裟に斬り下ろし、アルもまたザ、ザ……ッと疾走の勢いを殺して返す刀で一文字斬りを放つ。


 ガ…………ッ!


 今度は鈍い音。火花が上がらず、最初から鍔迫り合いとなった。互いに最も威力の乗る剣先を避けるべく、間合いを一歩詰めていたのだ。


 ググググッと押し合うが”魔法”を使っている上にそもそも体重差がある八重蔵にアルが膂力で勝てるはずもない。判断は一瞬。


「っつ……! はあッ!」


 アルは一気に脱力し、わざと大太刀を振り下ろさせる間に一歩踏み出しながら腰をグリンと左へ回転させ、反動と共に両手の逆袈裟斬りを放った。


 が、これで取れるなどとは思っていない。


 それを証明するように八重蔵は軌道を見切って右半身を前に出し、ヒラリと躱すと同時に体重を乗せ、踏み潰すような蹴りを入れてくる。


 以前のアルならこれもまたパッと跳び退るか防御を選択していたであろう。だが踏み越えてきた場数がその選択肢を取らせなかった。


 ゴ……ッ!


 逆袈裟斬りを放つ途中で柄頭から放され、左の逆手でサッと引き抜かれた鉄拵えの鞘が重たい鬼の蹴りを弾き逸らす。


 そのまま斜め前方へ抜けたアルは鞘を振り抜いた勢いを利用して右に一回転し、口から蒼炎弾をボウッ! と、放った。


 瞬時にぶくりと膨れ上がった蒼い鬼灯は八重蔵の上半身を包み込めるほどに巨大だ。


 とことん攻撃的な一手。後の先を狙いつつも常に先の先を狙う攻勢。八重蔵は己の口の端が吊り上がったのを自覚する。


「悪くねえ、な!」


 魔力を込めた大太刀を右へと真一文字に振るってゴ……ッと蒼炎を掻き消す。だが掻き消した先にアルはいない。


 かと云って距離を取ったわけではない。その正反対。


 地を滑るように駆けて間合いを詰め、振り抜かれた大太刀の影を隠れ蓑に刃尾刀を構えていた。切っ先は八重蔵から見て右斜め下、緋瞳には眩い闘志。


「だ、ぁあああッ!」


 アルが振るうは最も得意とする片手の逆袈裟斬り。大地から伸び上がるように放たれる剣閃が天を裂かんばかりにヒュオッ!と閃く。


 ――――六道穿光流・独自剣技『雲居裂(くもいざ)き』。


(ハハッ! そうでなっくちゃあッ!)


 鬼歯を剥いた八重蔵はチャッと右手首を翻し、太い刃と腰から左手で引き抜いた鞘を交差させてその一太刀へと叩きつけた。



 ガッ……ギィィィィ――ン!



 刃尾刀と大太刀が火花を散らし、けたたましい衝突音が武闘場の大地を奔り抜ける。


 鬼の膂力を乗せた大太刀と運動エネルギーを乗せた刃尾刀の起こした衝撃に、腕を跳ね上げられた八重蔵と後方へ弾き飛ばされたアルは、即座に得物を握り直し――共に勢い良く踏み込んだ。


「はああッ!」


 右へ振るい直すように一文字斬りを放つアル。


「づぇあッ!」


 左上段から颶風を纏って唐竹割りを繰り出す八重蔵。


 両者は互いの刃の死角へ跳び込むように大地を蹴り、意地を通すかのように刃を振り抜いた。


 背筋の凍るような風切り音が奔り抜け、薄皮一枚を隔てて袖を掠め合った両者の剣閃が空を切る。


 刹那の残心。直後、アルと八重蔵は互いの右肩を激しくぶつけ合って密着し――、ザ……ザザッ……ザザザッ……ザザザザザッ! と、円を描くように廻る。


 離れれば互いに刃が飛んでくることを承知しているがゆえの主導権争い。より良い体勢から一撃を見舞う為の意地の張り合い。


 だが拮抗は長く続かない。【戦化粧(まほう)】はそこまで甘くない。それはアルとて骨身に沁みるほど理解しているし、現に押し込まれている。


 以前ならマズい体勢になる前に距離を取っただろう。


(けど……!)


「『蒼炎羽織』ッ!」


 アルは意地を押し通し自身の成長を示すべく、極悪燃費を誇るものの頼りにもしている独自魔術(とっておき)を発動させた。


 次の瞬間、背中から噴き出すように現れた二枚の蒼い炎翅が、アルを押さえつけるような角度で轟ッ、轟ォォッ! と、爆発。急激な加重に筋肉からミシリと悲鳴が上がった。


 だがほんの一秒。数え上げられないほどの刹那ではあるものの【戦化粧】を使った八重蔵の膂力を上回った。


(今!)


 ここ! と、ばかりにアルは低い姿勢からグイッと力を込めて剣鬼をどんっと押す。密着状態の解除。拮抗が崩れる。


(! コイツ……!)


 ほんの僅かな間とは云え、押し合いで引くことになった八重蔵は内心で驚嘆した。


 だが、そのまま刃を受けてやるほど甘くはない。


「てぇあッ!」


「しッ!」


 離れざまに引き胴のような軌道で振るわれた刃尾刀と、ほぼ同じ軌道で振るわれた牽制の大太刀がチュイン! と、火花を散らす。


 開く間合い。それでもやはり剣は届く至近距離。


 ザ……ッと互いに大地を踏みしめた両者は、相手の出方を伺うようにゆらあっと構え直していく。


 立ち合い当初と同じでアルは亜種寄りの脇構えへ、八重蔵は霞の構えへと。


 次いで弾けるように両者が激突。ただし聞こえてくるのは半数以上が風切り音。先程とは打って変わって火花もほとんど散っていない。


 剣閃を紙一重で躱し、太刀筋を見切って被せるように反撃を置き、更に返し技を放つ。同流派の剣士かつ師弟だからこそ呼吸が合う刀術の応酬だ。


「【無垢の相】だとは云え、八重蔵(あいつ)とあの距離で打ち合えるなんて戦士団の若手にはいないよ」


 シルフィエーラの父ラファルは緑の眼を真ん丸にしている。彼も里の戦士団の一員として弓も剣も扱っているが、今のアルの域に達したのはあそこまで若い頃ではなかった。


 それを証明するかのように、大所帯の彼らとは別に武闘場へやってきていた者達の中にいた年若い戦士達がポカーンとしている。視線も釘付けだ。


 ゆえにラファルは呆れ半分、驚き半分に称賛したのだが、彼の前方に座る『不知火』の他5名の反応は妙に鈍かった。


「うん? どうし――」


 訝しむラファルが疑問を投げかける前に、


「ラファルはちくーっと早計だの。あらぁまだアル坊の全力じゃあないわい」


 その背後で葉巻を吹かしていた鍛冶師の巨鬼――源治が口を挟んだ。


 矢鱈と確信めいた言い方で、彼の視線は武闘場に固定されている。


「え? だが、もう『封刻紋』だって解いてるじゃないか?」


 あれで全力のはずだろう、実際にとんでもない技量に成長したではないか? と、ラファルは主張する。


「いんや、あれくらいじゃなかろうて。でなけりゃあの龍牙刀の説明がつかん」


 ところが、源治は大きな頭を振ってキッパリと言い切った。


「ラファルおじさま、もうそろそろわかるわよ。アルの魔力が変わったもの」


 凜華までも武闘場から青い眼を逸らさずに言う。


 ――魔力?


 『不知火』の5名とマモン以外は頭に疑問符を浮かべた。そして言われたままアルの魔力を感じ取り、揃って奇妙な表情になった。


 なぜなら目前であんなに激しく動いているのに、昂っていた彼の魔力がいつの間にか澄み切って落ち着き始めていたからだ。


 今や滾々と湧き出す清水のようで、とても戦闘中だとは思えない。


 そこでヴィオレッタがハッとする。


「魔力が……やけに広がっておる」


 その瞬間、灼熱の剣気が爆発した。


 湧き出していた魔力は燃え上がったのではないかと思うほどに熱気を帯び、急激に暖められた空気が渦を巻いて昇る。だというのに剣気そのものは恐ろしいほど静かで鋭い。


「な……あっ!?」


 ラファルが愕然と目を剥き、


「なんと……!」


 源治が「こりゃ……魂消たわい」と葉巻を口から落とす。


「本当に壁をぶっ壊しやがったのか。トリシャ、お前さんの息子は大したもんだぜ」


 キースは嬉しそうに唇を歪め、眩しそうにアルを見ていた。


 あの無邪気な悪戯坊主がここまでの剣士になるだなんて誰が予想していただろうか?


 愉快な気分でならない。


「びっくりしちゃったわよ。そりゃ灼剣なんて言われるわよねぇ」


 しみじみとだが嬉しそうにトリシャが言えば、


「うぅむ、蒼炎の刃を突きつけられた気になるのう」


 ヴィオレッタも紫紺の瞳をパチパチさせて唸った。


 雰囲気が変わった、などでは決してない。もっと明確に弟子の纏う武威が変じている。


 最も近くでその剣気を浴びた八重蔵は衝撃に口を半開きに、眼を見開いて幼い頃から知っている弟子を見つめていた。


(これか……!)


 これだったのだ。剣を交えるうちにアルがまだ底を見せていないことは理解していた。しかし、この灼熱の剣気は想定外だ。


 限界と死線を超えて掴んだ理の一片。それが剣気となって現れる。つまり弟子は何かを掴んだのだ。


(マモンの奴め、黙ってやがったな)


 人狼族の鉄面皮へ視線をちらりと向けると、マモンはニヤッと笑ってみせた。


(……野郎)


 だが良い。そんな些末なことはどうだって良い。弟子がたった一年と少しでここまで大きく成長したことが愉快で痛快でたまらない。


「ふっ……くくく、だあはっはっはっはっはっはっは!」


 ゆえに鬼歯を剥き出して笑う。


「構えな、アル。お前の掴んだ(もん)を見せてみな」


 そしてスタンスを広く取り、大太刀の切っ先を”灰髪”を揺らめかせる弟子へゆらゆらと向けた。


 アルは緋色の瞳を軽く見開く。八重蔵が六道穿光流の構えを取ったからだ。


 唯一定型の構えがない水の型【雲水】。雲や水のように絶え間のない流れそのものを表す型。師が使えば激流にも掴みどころのない霧のようにもなる。


 「はい! ……っと?」


 アルが緋色の瞳に気合を込めると龍牙刀の鯉口がスッと切れた。鋼業都市でルドルフと戦ったときも似たようなことがあったはずだ。


 物言わぬ主張を受けて龍牙刀をするりと抜いてみる。空色の刀身は鈍色の空を物ともせずギラリと光っていた。


「…………」


 逡巡は数秒。顔を上げたアルは「先生」と呼びかける。


「なんだ?」 


 成長を見せてくれると思っていた八重蔵は怪訝そうな顔をした。


「まだ未完成で上手くいってないとこもあるんですけど、正真正銘の本気でやっても良いですか?」


「未完成?」


「はい。まだ掴みかけなんです」


 その剣気が? と、八重蔵は問おうとしてやめた。そうじゃないと直感したのだ。


「良いぜ、やってみな」


 ゆえに唇の端を吊り上げて鬼歯を見せる。


「はい!!」


 アルは気合の籠もった返事を返し、右足を前に出してぐぐっ……と体勢を落とした。


 そして右手に持った龍牙刀を左肩に引っ掛け、左手に逆手持ちした刃尾刀を前に突き出す。


(六道穿光流にはねぇ構えだ)


 八重蔵がそう思っていると、灼熱の剣気に別の何かが混じり始める。


 何が? と云われれば難しいが、あえて形容するとすれば凶暴性。それも並の魔獣では比較にならないほどの。


 観戦席の方でも様子が変わったアルに事情を知らないトリシャ達がざわめいている。


 すると、やにわにアルの魔力が()()()()()轟々と立ち昇った。


 八重蔵は――否、あの場にいたヴィオレッタ達はその立ち昇り方を知っている。


「まさかあの子!」


「うむ。あの魔力の昇り方、三年前に暴走した時と酷似しておる」


 トリシャが不安そうな声を上げ、ヴィオレッタが思わず立ち上がりかける。芸術都市で観たあの演目の演出は何一つ過剰ではなかったのだと実感させられた。


 マモンやラファルの反応も2人と似たようなものだ。


「うん、でも暴走してるわけじゃないよ。アルなりに向き合おうとしてるんだって」


 しかし、エーラが落ち着いた様子でやんわりと止めた。


「”闘争本能の限定開放”。今のあれで二割くらいなんだとさ。けどちっとも安定しねえって最近焦ってんだ」


 ついでとばかりにマルクガルムが言う。


 ”闘争本能の限定開放”。たった一年半でそんなことまでやるようになったのか、とヴィオレッタ達は呆然とする。


「だが『蒼炎羽織』まで併用してるのは見たことないぞ」


 腕を組んでそう言ったソーニャに、


「相手が父さんだから思いっきりやるつもりなんでしょ」


 凜華は父を心配した風もなく答える。


 彼らの眼前ではアルが四枚の蒼い炎翅を出現させたところだった。


(……なるほどな。その構えはお前なりに解釈した()だったってか)


 八重蔵はようやく得心がいった。


 カッと開かれたアルの龍眼は暴走状態とは違って緋色のまま、縦に細い瞳孔は金色(こんじき)に縁取られている。


 また、揺蕩い尾羽根を散らす蒼炎翅と灼熱の剣気が混ざり合って異様な武威が滲んでいる。


「良いぜ、来な!」


 八重蔵は初めて大太刀に鬼人族の闘気――鬼気を纏わせる。


「往き、ますっ!」


 その瞬間、束ねられた4枚の蒼炎翅から轟ォォッ! と、蒼炎を撒き散らしてアルが突喊した。先程とは桁違いの捷さに八重蔵が眼を見開く。


「う、ぉおおおおおあッ!」


 低い姿勢で間合いを一気に詰めたアルは、左肩に乗せていた龍牙刀に翅を一枚纏わせて振り下ろす。


 厳密に云えば多少違いのある『蒼炎羽織』は、『蒼炎気刃』と同じく闘気から生み出された高出力の属性魔力を生成する。今のアルなら最大6枚までなら自在に扱っても問題はない。



 ズッ、パァァァ――ン!



 初速に驚き、それでも跳び退って八重蔵は躱してのけた。しかし、そこから1(メトロン)もない大地には深い熔断痕が残っている。


 まるで伝承にしか存在しない龍種が長い尾を大地に叩きつけたかのような一撃だ。


 おまけにアルは動体視力が更に上がっているのか、躱されたと判断するや否や、左半身に寄せた蒼炎翅から轟ッ!と 、爆炎を吹き出して逆手の刃尾刀による斬撃を放つ。


「捷え……ッ!」


 八重蔵は鬼気を纏わせた大太刀を振り下ろし――。


「ンな……!?」


 異様な重みに眉を跳ね上げた。


 ――【無垢の相】とは云え、上段と打ち合って拮抗しやがった!


「膂力まで上がってやがる……!」


 鬼気と蒼炎翅が斥力を生み、バヂィッ! と、弾け合う。しかし今度はアルも後退しない。


 紅と金の残光を靡かせ、逆手の刃尾刀を無理矢理振り抜いた勢いを利用して右足を振り上げた。変則的な回し蹴りだ。


 ゴ、ガン……ッ!


 ダイナミックな動きに目を剥いて掲げられた八重蔵の大太刀に、重そうな蹴りが衝突する。


「八重蔵が、守勢(まもり)に入っただって……!?」


 ラファルはその事実に驚愕の声を上げた。


 轟ォォ――ッ!!


 蒼い爆炎が噴出。アルは止まらない。


 大地にズザァァッ! と、足跡を残して後退した八重蔵を追って、蒼炎翅を噴き上がらせ、左へ弧を描くように間合いを詰めながら龍牙刀と刃尾刀を閃かせる。


「でぇええあああああッ!」


 ――――六道穿光流・異説『双薙龍尾(そうていりゅうび)』。


 翅から一枚ずつ蒼炎を纏った二振りの刃が轟轟! と、大気を斬り裂いて八重蔵へと迫る。


 伝承上の龍がその凶悪な尾に幽世の炎を宿し、大地に生きる一切合切を刈り取るが如き二連で一つの攻撃。


 鬼気を分厚く流し込んだ大太刀を逆さに構えて八重蔵が踏ん張る。高霞の構えからそのまま大太刀を押し出したような、反撃と防御を絡めた構えだ。


 ゴガッ、ギィィィィィ……ン!


 衝突した双刀と大太刀が悲鳴染みた音を響かせる。がそれも長くは続かない。


「どっ、おりゃあ!」


 受け止めると同時、八重蔵は大太刀を斬り上げてアルの勢いを利用するように上へと弾き飛ばしたのだ。


 自身の捷さを利用されて弾き飛ばされたアルが(くう)で錐揉みする。


(眼が……アイツ!)


 だが、紅い残光は揉みくちゃになって吹き飛んでいる最中であっても八重蔵を捉えていた。


 やにわに龍眼がギラリと輝き、灼熱と龍の暴威が入り混じった剣気が弾ける。


 轟――ッ! と、空中で姿勢を執ったアルはいつの間にか順手持ちしていた刃尾刀と龍牙刀に蒼炎翅を二枚ずつ纏わせ、更に二枚の翅を出現させると――。


 爆炎を靡かせて縦回転を掛けながら落下剣技を繰り出した。


 巨体の〈樹霊〉ですら三枚卸しにした双刀剣技。


 ――――六道穿光流・火の型『蒼爪環閃撃(そうそうかんせんげき)』。


「うぉおおおおおおおッ!」


 蒼い二輪の円刃が異様な圧力を伴って大地へと叩きつけられるのと八重蔵が跳び退いたのはほぼ同時。


 バッ……ガァンッ! と、大地に亀裂が奔る。


「八重蔵はこれを感じ取っておったのか」


 ヴィオレッタは溜め息混じりに納得した。


 慣れている大人達でも、烈火の如く蒼炎を噴き上げて刃を振るう彼に度肝を抜かれてポカンとしている。


 直後、着地したアルがその一瞬の隙を衝かれて容赦のない横薙ぎをもらう。鬼気の混じった一撃だ。刃は間に合っても衝撃までは殺せない。


 またもや反っくり返るように空へと吹き飛ばされる。しかし、今度はアルとて考えがあった。


「ぐ……ッ! うぉおおおッ!」


 龍鱗布をぎゅばっと伸ばして龍牙刀を掴ませるや否や足に絡ませ、オーバーヘッドシュートのようにブウンッと空を蹴りつける。


 龍鱗布に掴まれ、足の延長線上にまで伸びていた龍牙刀は、然ながらムチの如きしなりをつけてズザザザァ――ッ! と、大地を削り取りながら振り上げられた。


 これではいよいよ龍の尾だ。


「んなっ……!?」


 然しもの剣鬼でもギョッとする。ギリギリ大太刀を掲げたがしなりのついた龍牙刀は、舐めるように八重蔵へとぶつかり、その頬に一筋の傷跡をピッと残した。


「っ! 八重蔵に、傷を……!?」


「あの子、龍鱗布をあんな使い方してるの?」


 唸るマモンと何かを察して呆れたような声を上げるトリシャ。


 当の八重蔵は頬についた傷に触れ、心底から嬉しそうに唇の端を吊り上げる。


(お前がどんな場所で戦ってきたのか、(しっか)と理解したぜアル。よくこんだけ強くなった)


「だが、まだだ。まだ止まったりしてくれんなよ? そこで終わりなんかじゃねえ。まだまだ先は長えんだぜ」


 呟くように言うと、すぅぅ~と息を吸い……カッと眼を開く。


 途端、無数の刃風を思わせる剣気が爆発した。


 アルが緋瞳を見開く。


「これが、先生の剣気……!」


 触れただけで斬り刻まれそうな刃の嵐を確かに見た気がした。


「往くぜ、アル」


 ぽつ……と呟く八重蔵は【無垢の相】のまま、だというのに先程と纏っている武威が違う。重みが違う。大太刀が更に太く長い野太刀にすら見える。


 まだまだ剣には、強さには先があるのだ。剣鬼の師はそれを教えてくれようとしている。


「っ! ……はいッ!!」


 ゆえにアルは緋瞳に闘志を滾らせ、吼えるように応える。

 

「上等ォ!!」


 刃風を纏った八重蔵が大上段に構えて一気に詰め寄った。


 そこからは乱撃戦だ。


 灼熱と龍の暴威を綯い交ぜにした剣気と、入り込んだだけで無数の刃に抉り取られそうな剣気が地を割り、空を裂いてせめぎ合う。


 火花が幾筋も散り、空気に鉄火すら入り混じる。それでも六道穿光流の剣士達は刃を振るうのをやめない。


 龍の血を引く青年と剣の鬼は、共に尖った牙を剥いて戦い続ける。


「まるで高位魔獣同士の食い合いじゃねえか」


 おっかねえ、とキースはこぼす。


「死線に慣れ過ぎとるな、アル坊は。龍牙刀が妖刀化するわけだわい」


 源治も葉巻に火を点け直しながら同意した。


「強くなってくれるのは嬉しいんだけど、ねぇ……」


 トリシャは不安8割、喜び2割と云った、何とも言えぬ困った顔だ。


「そうじゃの……」


 ヴィオレッタとしても言葉が見つからない。


 『不知火』の5名は食い入るように剣士のぶつかり合いを観ていた。


 あれが今のアルの全力だ。あれと共に戦うのだ。だからこそ不安や心配と云った感情を押し潰す。


 アルが止まらないなら追いつけば良い。肩を並べれば良い。突っ走っていくアル見失わないように。


 彼らの瞳にも熱が籠もっていた。


 そうこうする内にアルと八重蔵の立ち合いは終焉を迎える。


 土塗れで傷も多数、ボロボロで息も荒らげているのがアルで、頬に一筋の切創を残すのみなのが八重蔵だ。


 これが最後の一撃。


 アルは闘志を漲らせた。緋瞳が今日最大の輝きを放つ。


「ハッ、ハッ……ぐっ! い ぇ え え え あ あ あ あ あ ッ!」


 アルは刃尾刀を咥え、六枚の蒼炎翅をすべて絡ませた龍牙刀を一気呵成に振り下ろした。


 ――――六道穿光流・火の型『蒼爪衝裂破(そうそうしょうれっぱ)』。


 怒れる龍が剛爪を大地に突き立てるが如き剣技。今のアルが放てる最大の一撃。


 フッと鬼歯を見せて笑った八重蔵はあえて正面から大太刀を構え、


「があああああああッ!」


 咆哮を上げて真一文字に薙ぎ払う。


 蒼い龍爪と鬼気を纏う大太刀が轟音を上げてぶつかり合った。


 衝撃波が大地を砕き、空気を揺らし、森が激震する。


 やがて蒼い龍の剛爪は千々の熱へと大気に溶け消え、大太刀を振り抜いた剣鬼だけが残った。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」


 アルも残心を取っているが、もう動けなかった。体力も魔力も底を尽き、瞳孔にあった金縁も消え去っている。腕一本動かせない。


(やっぱ……強いなぁ)


「仕舞いだぜ、アル」


 首筋に置かれた大太刀にも反応できず、ゼェハァと肩で息をしていたアルは、


「はぁ、はぁ……参りました」


 と言って崩折れるように尻餅をついた。


「よし、よぉし! 悪くなかったぜ。この一年ぽっちでよく練り上げた! 正直ぶっ魂消ちまったぜこんにゃろう!」


 八重蔵は心底嬉しそうに鬼歯を剥いて屈託なく笑むと弟子の”灰髪”をぐしゃぐしゃと撫でる。


 アルはその大きな掌に温かさを感じ、年相応にふにゃりと笑み崩れるのだった。

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