20話 シルトの男衆(虹耀暦1288年2月:アルクス15歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
時は、飛竜船の初飛行が行われた日の夜にまで遡る。
ぼんやりと浮かぶ暖かい幾つもの光源と、鋭利な三日月が落とす煌々とした青白い銀光が隠れ里を不思議な色合いに染め上げていた。
里の外はすっかり真っ暗になっていて、淡雪がハラハラと降り始めている。しかしあまり風は強くないのか、緩やかに吹き抜ける冷風が家々に垂れ下がる風除けや干し物を柔らかく揺らしていた。
「うおぉ……さっむぅ」
夕餉を終えたアルクスは、いつの間にやら二階建てとなっていたルミナス家の玄関から外へ出てくるなり呟いた。
すぐに龍鱗布を首にグルグル巻き付け、両手に白い息をフーフーと吹きかける。
骨身に凍みる帝都のジクジクとした寒さとは種類が違うものの、やはり寒いことに変わりはない。
さっさと蒼炎を2つほど浮かべる。
(前世の火の玉ってこんな感じ?)
月明かりがあるとは云え暗い里に浮かぶこの完全燃焼の炎は屍者を導く灯りと言われればそう見えなくもない。
そう考えれば”鬼火”との二つ名は案外的を得ていたのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えながら赤褐色の視線をどこへ定めることもなく巡らせる。
随分と賑やかな夕食の時間だった。
ルミナス家には今6人の客人がいる。『不知火』の一党に所属するラウラとソーニャに、父ユリウスと同じシルト姓を持つ4名だ。
ユリウスの両親であり、アルの祖父母に当たるランドルフ・シルトとその妻メリッサ。
そしてユリウスの弟で現・武芸都市〈ウィルデリッタルト〉の領主トビアスとその娘イリス。こちらはアルの叔父に当たり、一つ年下のイリスは従妹に当たる。
そこにルミナス家の家長でアルの母トリシャ・シルト・ルミナスとアル本人を加えた8名で夕食の時間を過ごしたのだ。
数ヶ月の間、シルト家の屋敷で世話になっていたのでランドルフ達やラウラ達がいることに今更違和感はなかったが、それでも魔族の里の実家に彼らがいるというのは奇妙な感覚だった。
またトビアスの方は明日の朝には武芸都市へ帰るそうだ。アルのもう一人の従弟に当たる生後1年も経っていない赤ん坊と妻が待っているのだから納得の理由である。
だが祖父母と従妹の方はアル達と同じだけ滞在するそうで、イリスはハイテンションのままアルやラウラとソーニャへ嬉しそうに甘えていた。
今もきっと天真爛漫にその輝くような笑みを見せていることだろう。
「本当の兄妹みたいねぇ」とはトリシャの言だが、アル自身否定する気はない。好奇心に満ちた素直で可愛い妹だと思っている。
その時、里の中央の方で「がははは!」と笑い声が弾けた。きっとあの鉱人族がやっている呑み屋だろう。
遠くに聞こえる笑い声の方へぼんやりと視線を流す。
アルが外に出ているのは、なんとなくだ。否、率直に云えば宥めているのである。
何を宥めているのか?
答えは焦燥感。つまり焦り。
ではなぜ焦燥感を感じているのか?
里帰りからこっち未だに日課以外での稽古は行っていないからだ。あえて自ら遠ざかっていたのだがそのせいで定期的にソワソワと落ち着かない感覚に襲われる。
しかしそんな己を無理に押し留めてでも、アルは休養を取ることにしていた。
無意識からくる危険信号だったのか、師匠であるヴィオレッタや〈ターフェル魔導学院〉のシマヅ・誾千代学院長の忠告だったのかはわからない。きっとその両方だったのだろう。
このまま進むとどこかで大きな間違いを犯しそうで――……戻ってこれない一歩を踏み出す、そんな予感がして恐ろしかった。
「いつ頃からだっけ……?」
焦りから鍛錬を積むようになったのは。少なくとも里を出る数年前まではもっと心に余裕があった気がする。
『プロのアスリートだって休養を大事にするだろ? でもってお前はまだまだ半人前。少なくとも課題は何にも片付いてねえ。だったら少なからずプロの真似事からしてみろよ。ほれ、鬼のおっちゃんなんてクソ強えのに普段は呑んだくれだろ。あそこまでとは言わねえけど、せっかく実家に帰ってきたんだ。配線ぶっこ抜く時間も取れよ』
里帰りした初日、寝落ちしてしまったアルに前世の己は電子タバコをプカプカやりながらそう言った。
その言い方は極めて粗野で適当であったが、一理もあった。
『俺の経験上だけどな、兄弟。いつでもキリキリ真面目やってる奴ってなァ確かに評価されるし、良いとこ行くんだけどな。想像もしてなかったすげーことやんのって、そこにユーモアと余裕も兼ね備えたヤツなんだよ』
そうも言っていた。だからアルは素直に休養を取ることにしたのだ。
おかげで随分と余裕も出てきた。そうじゃない。取り戻してきた。
ただ時折「こんなに止まってて良いのか?」と焦りが鎌首をもたげる。そういうときはなんとなく一人で何も考えずにぼーっとすることにしていた。今もその真っ最中だ。
だとしても――。
「さすがにそろそろ稽古やんないとなぁ」
アルは何もない夜空へ向かって白い息と共にぼやく。また少しずつ積み上げていかなければ。
「じゃあ次会ったときはまた強くなってるね」
後ろから返事が届いた。
アルが振り向くと、そこには自身と色合いの違う黒髪にほんの少し赤ら顔の叔父トビアスがいた。
その背後には彼よりほんの少し背の高く、これまた酒精によって血色の良くなった祖父ランドルフもいる。
「そうしてると、トビアスさんとランドルフさんは似てますね」
特に驚くこともなくアルはのんびりと返事を返す。虚空へと押しやっていた意識の遠くで玄関の開くような音を認識していた。
「そうか? まぁ確かに此奴はわし似、ユリウスはメリッサ似と言われていたからな」
「中身は逆なんだけどね」
トビアスとランドルフは肩を竦め、おもむろにそれぞれ懐から喫煙具を取り出す。前者は紙巻き煙草を、後者は魔獣の牙と木で作られた年季のあるパイプだ。
何でも領主のような仕事をしていたら必需品だそうで、少量の煙草葉と柑橘系の葉を魔導薬に漬け込んだ『平静』効果のあるものらしい。
「どうぞ」
アルは慣れたように”鬼火”から細腕を2本生えさせる。周囲に喫煙者は案外いたので慣れたものだ。
「ありがとう」
叔父が紙巻き煙草をスウーっと、
「すまんな」
祖父がパイプをスッ、パッ、スッ、パッとやって火を付け、それぞれ「ふぅー……」と夜空へ向かって白さの入り混じった紫煙を吐き出した。
独特の爽やかな匂いが漂う。片方はバニラのような甘さが、もう片方からは肉桂のような香ばしさが薫った。混合葉が違うのだろう。
「父さんは煙草、吸ってましたか?」
父についてアルはほとんど何も知らない。それゆえ問うてみると、
「いつの間にやらな。メリッサからよく咥え煙草を注意されておったよ」
ランドルフが懐かしむように答え、
「士官学校に行くとどうしてもね」
トビアスは苦笑を返した。
「じゃあ俺もいつか吸うようになるかもしれませんね」
確か父親が喫煙者の家庭では子供も喫煙者になる確率が高い、とかなんとか聞いた気がする、とアルが言う。
月華を浴び、幽世の炎を揺蕩わせる青年。トビアスはあまりに特殊な生い立ちの甥に夕餉の際に聞くことになった驚愕の話題を思い起こしつつ、訊ねてみた。
「前世ではそういう統計が出てたのかい?」
「出てたっぽいですよ」
「そうか、ならアルクスもいずれ喫煙仲間になるやもしれんな。しかし、まさか転生者だとは思わなかったぞ。それも異世界」
ランドルフもそんな言葉をかける。先ほど初めてアルが転生者だという事実を知った時は、眼球が飛び出るほど仰天した。
半龍人で異世界の記憶を持つ孫。驚かない方がどうかしている。
ラウラとトリシャが前世絡みの話題をアルに振ったことで露見したのだが、当の本人は「あれ? 言ってなかったっけ?」と呆れるほどに軽い反応であった。
シルト家の4名からすれば寝耳に水も良いとこである。イリスなど「ほえええっ!?」と貴族令嬢の出してはダメそうな声で魂消ていた。
「どこかで言った気はしてたんですけど、勘違いだったっぽいです」
やはりアルはあっけらかんとしている。人格も引き継いでいない為かとことんどうでも良さそうだ。と云うより真実どうでも良いのだろう。
本人がこの調子だし、とトビアスは前置いて、
「ところでアルクス君、将来は武芸者として身を立てていく予定かい?」
と訊いた。魔導学院への入学は出郷条件だからと聞いていたし、今のところ順調そうなのできっと魔導士の資格は取れるだろう。その先がトビアスは気になっていた。
「ええ、今のところは…………でも、どうなんでしょう? 大人しく武芸者をやっていられそうな気はしてないです」
一瞬口ごもったアルは素直に心情を吐露する。
「それは……」
トビアスもランドルフもなんとなく彼の言いたいことはわかった。それでもあえてランドルフは孫へと問う。
「……なにか、夢はないのかね?」
「夢……らしい夢は特にありません。ラウラ達のこともあるし、どうなるかわからないっていうのが率直な実情だと思います」
アルは誤魔化すことなく口にした。
「「…………」」
嘆息するように紫煙を吐き出して沈黙する祖父と叔父。
「二人とも、正直たった一年であそこまで戦えるようになるとは思ってもみませんでした」
アルは静かな口調で一度区切る。シルト家の成人2名は顔を見合わせ、「……確かに」と唸った。
出会った頃の少女らはまだまだ良いとこの令嬢然としていたが、今は武家の跡取り娘のような雰囲気を漂わせている。
「たぶんそれって共和国の……生まれ故郷の交易都市に戻ることを考えてるからなんだと思います。その為に力と知恵を蓄えてる」
アルはそう続け、三日月を見上げた。銀月は淡雪を射抜くように冷たい輝きを落とし続けている。
「だからきっとその時は来るんじゃないか、って思ってます。悠長に武芸者活動を熟す日々はいつか終わるって」
ランドルフは重々しく軋むような声を漏らし、トビアスは赤褐色の瞳を見つめて沈黙する。そんな2人へ微苦笑を零したアルは、
「でも戦いますよ、俺」
ハッキリと決意を口にした。祖父と叔父がハッと息を呑む。
「戦います、二人がそのつもりなら。そう決めてるのはたぶん俺だけじゃない」
彼の言っている意味がわからない者はこの場にいない。
今更あの幼馴染達――マルクガルム、凛華、シルフィエーラが、ラウラとソーニャを見捨てるような真似をするはずがない。長い付き合いだ。確信すらしていた。
あの人間の少女らはもう……アル達の仲間として馴染んでしまっている。
ゆえにきっと動くであろう仲間達をアル自身、止める気がない。きっと自分だって躊躇いもなく飛び込むだろうから。
そんな覚悟を秘めた赤褐色の瞳は透き通り、静かだが確かな光を湛えている。
その眼を見て、息子の熱い血を受け継ぐこの孫は決して意見を翻したりはしない、と感じたランドルフは鋭い鷹を彷彿とさせる視線で彼の覚悟を問う。
「彼女らがもし交易都市を真実奪還せしめんと頼まれたなら、手を貸すと?」
するとアルは落ち着いて「いえ」と頭を振り、
「頼まれる気はありません」
と答えた。あまりにキッパリとした物言いにシルトの男は嘆息し、困ったように細く長い紫煙を吐き出す。
つまり徹頭徹尾同じ立場で戦う、とこの青年は言っているのだ。
「そりゃ勿論、本当にどうしようもない状況なら泣かれようが、嫌われようが引っ張ってでもどこかへ逃げ出しますよ? でも、あの二人は強い」
アルは知っている。
でなければ現在地もわからないなか、たった2人で聖国の追手から逃げ延びようとするはずもない。戦う術を教えてくれ、などと言うはずがない。
何より、努力し続けられるはずもないのだ。
鍛錬なんて実際に技量がメキメキ上昇するのは最初の方だけ。あとは薄紙を一枚一枚積み重ねるように一つ一つの努力を積み上げていくしかないので相当な根気を要する。
しかし彼女らが「もう無理。やりたくない」と投げ出したことは一度だってない。
「あの二人は刀みたいな芯を持ってる」
青年は腰に差さった柄に触れる。
「きっとその時は待っちゃくれない。だから俺達も進み続けてないといけないんです。折れないようしなやかに、強かに、鋼の心で。正直…………いつ、どこで、何と戦わなきゃいけないのかは全然わかりません。でもハッキリさせて、道を照らすのも俺の役目だと思ってます。俺は『不知火』の”鬼火”ですから」
アルは月華を帯びた黎い髪を遊ばせ、揺蕩う”鬼火”に涼しげな顔を照り返されながら、極々当たり前と云った風情で夜天を見上げる。
「……そうか」
それが、甥が止まろうとしない理由。彼が自身に課す鋼の誓い。
トビアスは納得すると同時に己の手には収まりきらない彼の――否、彼らの覚悟を感じ取った。口にしていないだけできっと皆同じ想いなのだろう。
「ええ。何もかも終わって、もっと未来のことが考えられるようになったその時は…………どうしよう? またその時に相談しても良いですか?」
龍とシルトの両方の血を継ぐ青年は「明日は明日の風が吹くって言いますしね」と屈託なく笑う。
愉快そうにイタズラっぽく細められた瞳に、シルト家の男達は亡き長男を幻視した。
ランドルフは紫煙が滲みたような仕草を取って瞳に余分な光を湛え、
「良いとも。幾らでもこの祖父が力となろう。なぁに、領主の座を退いたおかげで暇でな。困ったらすぐこの爺を頼ると良い」
と孫と似たイタズラっぽい微笑みを見せる。
「僕にも構わないからね。何せ君が戦うかもしれない敵は僕らの仇でもある」
トビアスは鋭い刃のような光を瞳に宿して、まだ少し自分には背の届いていない甥の髪をクシャクシャとかき混ぜる。
くすぐったそうにしたアルはされるがままになった後こう答えた。
「はい。使えるものは何だって使う主義ですから。異世界の知識だって手札として切ったばっかりですよ」
その余りにもアッサリとからから笑う様はユリウスを――明け透けなシルトの血に共通する性質。
「ふっはっはっはっ!! それで良いのだ!」
「僕の士官学校時代を思い出すよ。ああ、久々にライナーと呑みにでも行きたくなってきた」
武芸者発祥の地シルト領の元領主と現領主は揃って笑い声を上げ、
「そうだ。このまま夜の里を案内しますよ。昼とはまた違う風情があって好きなんです」
「ほほう、それは良い。ぜひ頼もう」
「だね。僕は明日の朝には帰らなきゃいけないし」
「鉱人族のやってるすっごいテキトーな呑み屋なんかもあるんですよ。何でも良いからおつまみを置いてったら酒を出すんです」
「ははっ! そりゃまた趣味人だね」
アルの案内でそのまま夜の隠れ里へと足を踏み出す。
だんだんと澄んでいく夜気によって冷え込んできたものの”鬼火”を提灯にした3人は名残惜しむように日が変わるまで夜の里を練り歩いて回るのだった。
一方、厄介になっていると云うことでトリシャの手伝いをしていたラウラは、たまたま換気の為に開けた二階窓からこの会話を聞いてしまい、溶けるような温かい気持ちとアルへの想いを更に募らせて決意も新たに翌朝から動き出す。
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