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【10.9万PV 感謝!】日輪の半龍人  作者: 倉田 創藍
第3部 青年期 魔導学院編ノ壱 入学編

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断章4  ラインハルト、初めての一日

2023/10/10 連載開始致しました。


初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。


なにとぞよろしくお願い致します。

 帝立〈ターフェル魔導学院〉の冬季休暇が始まった次の日のこと。


 帝国北部にある侯爵家(じっか)に帰らなかったラインハルト・ゴルトハービヒトは、早朝に男子寮を出た。


 活動を始めたばかりの帝都には重たい夜の冷気がどんよりと残っているし、夜都を照らす魔導灯も消えているものの方が少ない。


「フゥ――……」


 ラインハルトは冷たい空気を肺一杯に満たし、一瞬で冷え始めた拳に己の吐息を吹きかけた。


 あまり膨らんでいない防寒着の下には、まだちっとも馴染んでいないガチガチの革鎧、足には同じく少しも柔らかくなっていない黒の長革靴(ブーツ)、太ももの革帯(ベルト)に差し込んであるのは申し訳程度の短剣(ナイフ)


 これでも、少なすぎる仕送りから自由に使える金と武芸者活動によって少しだけ稼いだ金すべてを使って整えた装備だ。


 足りていないことはわかっているが、納得はしている。


「よし、行くか」


 ほんの少しだけ切っ先が湾曲している軍刀(サーベル)の柄に軽く触れ、ラインハルトは気合も充分と武芸者協会・帝都南支部へと歩き始めた。



 * * *



 ラインハルトにとって、今日は記念すべき日だ。


 なぜなら――――今日、初めて腰の軍刀を実際に振るうかもしれない依頼を請けるつもりだったからである。


 と、云っても八等級から昇級したわけじゃない。


 そうそう簡単に等級は上がらない。ましてや一人(ソロ)では積み重ねられる実績もそうそう多くないというものだ。


 今まで熟してきたのは、除雪作業や川舟を渡す水路の一部が凍結したのでそこの氷を砕く手伝い、積み下ろし作業中の商会員の守衛や警備、荷の詰まった倉庫の立哨などなど。


 アルクスの前世で言えばアルバイトがやるような仕事や、良く言ったとしても警備会社の新人仕事くらいなものばかり。


 それでもラインハルトは腐らずに仕事を熟し、時には支部の訓練場で鍛錬を熟し、図書館や武芸者協会に置いてある魔獣図鑑、賊の定石(セオリー)など――身になりそうなものを片っ端から読み漁り、少しずつ金を貯めて装備を整えた。


「では、依頼の説明になります。場所は帝都から南東三km(キリ・メトロン)にある村、内容は餓狼の群れが最低でも二つ以上の駆除になります。それぞれ出現場所が異なるそうで、村の狩人だけでは対応が難しいそうです。何か質問はありますか?」


 群れが最低でも2つ。餓狼は群れても5、6匹が最大だ。それ以上は仲間割れする。そう書いてあった。


 つまり最低でも10匹と少し。そして様々な病原菌を持っており、獰猛で食いでもない――害獣と呼ぶしかない魔獣が餓狼だ。


 ラインハルトは受付嬢の説明を聞きながら魔獣図鑑で読んだ内容を思い返しつつ、


「村の狩人はそれほど少ない、ということか?」


 と、呟くように問うた。


「村自体が小規模ですから、代々狩人の家系が一つあるくらいが普通ですね。特に餓狼は牙猪に較べて動きが軽いですし、細身ですから村の柵をくぐってくる可能性があります」


 割とよくある依頼ですよ、と受付嬢は言う。


 ひょっとすると目の前の彼女は村出身なのかもしれない。


 ラインハルトは北部の侯爵領と帝都しか知らない。


「そうか。なら、質問はない」


 ゆえに恥じ入るように目を伏せる。


「あ、ラインハルトさんは初の討伐依頼でしたか。こちらでは把握できていない情報もあるかもしれませんので、重々気を付けて下さいね?」


 彼より幾らか年上の受付嬢は、どこか親身な雰囲気を漂わせてニッコリと笑った。


 緊張している新米武芸者の肩の力を抜いてくれようとしているのだ。


 その受付嬢の優しさが唯一己を大事な家族として扱ってくれた姉を彷彿とさせて毒気を抜かれる。


「承知した。行ってくる」


 ラインハルトは素直に頷き、依頼票を手に踵を返すのだった。



 * * *



 吹き荒ぶ寒風に襟を立て、ラインハルトは帝都から南東3kmにある村の前に降り立った。


 その背後でパシィッと鞭打つ音が聞こえ、ガタガタという車輪が砂利を踏みつけて駕籠を2つ繋いだ乗合馬車が走り出す。


 帝都から出ている乗合馬車に乗って来たのだ。


 長い金属製の駕籠が2つに馬が4頭。


 魔導列車ほどではないが、乗員数はかなり多い。それでも馬4頭で済むのは、駕籠に搭載された魔導具が車両駕籠の重量を軽減しているからだ。


 また金属発条(スプリング)を搭載し、数百年前に主流だった馬車とは形態も大きく違う。


 それでも、乗り心地は最悪の一言に尽きた。


 幾ら金属発条(スプリング)が入っていて、街道が整備されていたとしても、舗装まではされていない。


 傾斜もあれば起伏もある。


 妙に揺れ、時折跳ねる車内、ぎゅうぎゅうに座る乗客達の発する汗や呼気などの臭気、閉塞感と圧迫感で吐く寸前だった。


『余裕があるなら馬車を借りた方が良いぞ? バネさえ入っていれば幌で充分だ』


 魔導学院でできた友の一党であり、先達武芸者の騎士然とした少女ソーニャ・アインホルンはそう言っていた。


「こういうことだったか」

 

 スー、ハー、と肺を突き刺す冷気を取り込み、属性魔力で水を出して顔を突っ込むようにしてグビグビと飲む。


「少し、落ち着いた。行くか」


 胸のムカムカを飲み下し、ラインハルトは数十m(メトロン)先の門前で警備をやっている中年男性の方へと歩き出した。




 寂れてもいなければ派手でもない――どこにでもある、といった印象の村だ。

 

 通してもらったラインハルトが認識票と依頼票を見せるとそのまま狩人の家へ通された。


 火を焚いているのか屋内は暖かく、部屋の奥には奥方と思わしき女性の姿が見える。


「おお、武芸者が来てくれたのかい。ありがとよ。手が足りなかったんだ」


 玄関に座っている熊のような体躯に魔獣の毛皮を纏う中年狩人は、いそいそと弓を担ぎ、槍を背に備え付けているところだった。


「八等級のラインハルトだ、よろしく頼む。餓狼の群れが最低二つと聞いた」


 ラインハルトが認識票を胸元から引っ張り出す。


 と、その時ガラリと家の戸が開いた。


 そこには彼とほぼ同い年に見える青年が狩人と同じく毛皮を着て立っている。


 敏捷な印象の青年は一瞬鼻白むと、


「武芸者か?」


 と、質問を投げかけた。


「あ、ああ。依頼で来た八等級のラインハルトだ」


「新兵級か。餓狼、狩ったことあんのか?」


 青年狩人がジロリと睨む。


「いや、ない」


 ラインハルトは正直に首を振って否定した。


「大丈夫なのかよ?」


「こら、せっかく来てくれたのにそういう口を利くもんじゃない」


「けどよ、親父。噛まれりゃタチの悪い病気になっちまうし、お偉いさんのガキが遊びで武芸者になって依頼で怪我したって村に文句言いに来るってことも昔はあったんだろ」


「今も絶対にないとは言わんが、そういうのは協会がちゃんと止めてくれる」


 ポンポンと交わされる親子の会話にラインハルトは口を挟む余地がない。


「お前、貴族だろ。顔見りゃわかる」


 青年狩人は警戒心を隠しもせず、ラインハルトに疑念を叩きつけた。ほぼ当たりだとわかっているかのような質問――否、確認だ。


「父親が貴族というだけだ。俺とは関係ない」


 侯爵家(じっか)のことを思い出して、無意識にラインハルトの眉間に皺が寄る。


「隠し子ってやつか?」


 青年狩人が尚も訊ねてくる。


「こら、やめろ」


「そういうわけじゃない。実家とは仲が悪いんだ」


 ラインハルトが低く呻くように答えると、青年狩人は彼の装備に視線をやった。


 軍刀は実戦向きで華飾もなく、防寒着や長革靴(ブーツ)はとても貴族が着るものには見えない。


「そうかよ。オレは先に行ってるぜ」


 青年狩人はそれだけ言うと家を出て行った。


「息子がすまないね」


「いや……」


 中年狩人にラインハルトはゆるゆると首を横に振る。


「難しい年頃でね。武芸者になりたいけど、村のことも好きだから迷ってるらしい。って、カミさんに相談してるみたいでね。こういう時、父親ってのはどうにも不器用なことしか言えないから困ったもんさ」


 そう言った中年狩人の瞳には息子への深い愛情と懐かしさが同居していた。


 もしかすると彼もかつてそんな悩みを抱えていたのかもしれない。


「そうか」


 いるのか、こういう父親も。


 ラインハルトはしばし衝撃を受けたように立ち竦み、ブンブンと頭を振った。


 侯爵家(うち)のアレが狂っているのだ。


 そう結論付けて意識を依頼に向けた。


「もう動くのか?」


「武芸者がどれくらいで来てくれるかはわからなかったけど、少しでも群れを潰しておきたい。君、直ぐに行けるかい?」


「ああ、問題ない」


 ラインハルトが切れ長の瞳を細める。


「それなら村の東を頼む。どうも東西から別々の群れが来てるみたいでね。村の中で縄張り争いでも起こされちゃ堪らない」


 切れ長の瞳に気合を感じ取った狩人は、ラインハルトに荷物を置くよう仕草を取りながら立ち上がった。


「わかった。そちらは西か」


「うん、俺と息子で西をやる」


「承知した」


「じゃあ、またあとで」


「ああ」


 玄関にトサッと荷物を置いたラインハルトと息子の後を追う中年狩人は、短く頷き合って行動を開始した。



 ~・~・~・~



 やることは魔獣の討伐、とはいうものの相手は餓狼だ。もっと言えば餓狼()()()()()


 その生態は知り尽くされているし、平均的な武芸者からすればなんてこともない相手だ。


 数の多さと牙が病原菌の宝庫であることくらいで、群れると数の多さを頼りに襲ってくると云う点で面倒がられている。


 大抵草藪の中に潜んで獲物と見れば昼夜問わず襲ってくるのだが、どちらかと云えば夜行性の為、狩人親子もラインハルトも動くことを躊躇わなかったのだ。


『好き好んで人を襲う魔獣は夜襲してくる分、昼は寝てるのが多いのよ』


 友人の武芸者一党『不知火』の美しい鬼剣士はそう言っていた。


 ラインハルトは村が見えるか見えないかといったところで、それらしい痕跡を見つけてしゃがみ込む。


「これか」


 足跡に糞。薄汚れた体毛が草むらに引っかかっていた。


 ザッ……!


「っ!? 見つかった……!?」


 草藪を走り抜ける音を捉えたラインハルトは中腰になって軍刀をサッと引き抜く。


「匂いか……!」


 おそらくもう魔獣(てき)に補足されている。そう直感――否、確信した。


『魔獣と張り合える目や鼻を持ってんのは獣人族くらいなもんだ、魔法使ってる俺らならまだしもな。普通にやってりゃ、風下に立って遠距離から狙撃するくらいしか取れる先手はねえ。なんか変だと思ったら見つかってると思った方が良い』


 魔族の友――あの野性味と愛嬌が奇妙に相まって不思議な魅力を靡かせる人狼マルクガルム・イェーガーはそう言っていたのだから。


 ザ――ッ!


 ラインハルトは草の擦れる音を聞きながら周囲に目を配り、左手に魔術を組む。


 その瞬間、視界の端を斑模様の何かが動いた。


(来る……!)


 ラインハルトが生唾を嚥下したかどうかわからぬ瞬間、草むらから爛々と眼を輝かせた狼がガバァッと飛び出してくる。


「ふ、『風切刃』っ!」


 咄嗟に後ろに跳び下がりつつ、ラインハルトは起動待機状態の魔術を解き放った。



 ギャウ――ッ!?



 飛びついてきた餓狼の鼻から耳が、不可視の風の刃によって大きく削がれる。


『襲ってくるのに合わせて、動き出す寸前で鼻先に術でも当てれば、魔獣でも人でも一瞬怯みますよ』


 『不知火』に所属する、同じ貴族待遇の少女とは思えぬほど凛々しい朱髪少女ラウラ・シェーンベルグはそう言っていた。


「はァッ!!」


 ラインハルトは気炎を上げ、バタバタと鼻を押さえて跳ね回る餓狼の首に軍刀を突き込み、そのまま斬り裂いた。


 狙うなら首か、心臓。特に太い血管が流れてそうな部位を狙うこと。


 協会の本にもそう書かれていた。


 ガギュ……ッ!?


 餓狼はジタバタと藻掻き、そう時間も掛からずにその体躯から力が抜けていった。絶命したのだ。


 腥い血臭が鼻をつく。


『斃した! と思っても油断しないことかなぁ。ボクらそれで一回痛い目見てるんだよねぇ』


 ラインハルトは『不知火』の一党に所属する可憐な森人少女シルフィエーラ・ローリエの言葉を思い起こして、ハッと身を固める。


 危ない。気を抜くところだった。


 グウゥゥゥ……ッ!


 草むらを駆けずり回る音が止み、代わりに唸り声が聞こえる。


 ――そうだ。何も終わっちゃいない。


 相手は群れなのだ。ラインハルトはじっと中腰を維持し、重心を下に下に落としながら草むらに目を凝らす。


 魔獣は本能で獲物を狩る。つまり、首筋に噛みつくのが餓狼にとっての定石(セオリー)


 曇り空の下、遮蔽物もなく寒風が吹き荒んでいるのにも関わらず、いつの間にかラインハルトの額に汗が浮かんでいく。


 その時だった。


()()()()()()()()()()


 等級審査で言われた言葉がラインハルトの脳裏を雷の如く駆け抜ける。


 それは紛うかたなき閃きだった。


(そうだ。どこにいるのかわからないのなら――)


()()()()()()()()()()()! 『風切刃』!」


 ラインハルトは一声上げ、風の刃をそこかしこに撃ち放つ。

 

 ギャウ…………ッ!


 餓狼の鳴き声が響いた。驚愕と痛みに思わず上がったような声だ。


「見えたぞ!」


 ラインハルトは周囲の草むらを根こそぎ刈ったのだ。


 残ったのは、狩られた草を被って呻くように威嚇する餓狼が数匹。


 怒りに目を爛々と燃やす餓狼の中には足から血を流している個体までいる。運悪く術が直撃したのだろう。


「来い! 来ないのならこちらから行くぞ!」


 ラインハルトは気合と共に駆ける。重心は低く、しかし餓狼には大きく見えるよう軍刀を振りかぶって。


 バウ――ッ!


 餓狼は一つ吠え、ガパァッと大口を開いてラインハルトを襲う。


「う、おおッ!!」


 ラインハルトは飛び込んでくる餓狼に合わせ、軍剣術に則って左足で蹴りを見舞った。


 低い重心から運動エネルギーを余すことなく乗せた――突きのような蹴りが餓狼の口腔に突き刺さり、すぐさま大地へと叩きつられた。


 ア、オ……ッ!?


 下顎をグシャリと踏み潰された餓狼がジタバタと暴れる。


 しかし厚い靴底と分厚い革に阻まれ、おまけに下側の牙を砕かれたせいで文字通り歯が立たない。


「てあァッ!」


 即座にラインハルトは軍刀を餓狼の首にザシュッと叩き込んだ。


 ブシュウッと血を吹いて一匹が沈む。


 ガォウ――ッ!


 好機(チャンス)と見たのだろう、もう一匹が仲間の屍骸も気にせず迫って来た。


「予測はしていた!」


 ラインハルトは殺したばかりの餓狼の屍骸を、飛び掛かかろうとしたもう一匹へ宛がうように蹴り付ける。


 ギャウ――ッ!?


 咄嗟に跳び上がって避ける餓狼。しかし、それは己の意思や本能で跳んだのではなく、跳ばされたのだ。


 跳躍距離はラインハルトの首を捉えるには遠く、高さも半端。


 八等級と云えどそんな隙を見逃す武芸者は――否、狩人もいない。


「お、おおおッ!」


 ラインハルトは圧し掛かるように踏み込み、大地を削り取るつもりで軍刀を大きく右に薙いだ。


 ギャン……ッ!


 餓狼は運悪く目を真一文字に斬り裂かれ、


「はアッ!!」


 首を大きく振るって痛みに吠えたところで袈裟斬りにされた。


「お前で最後だ、『風切刃』!」


 ラインハルトは振り向きざま、風の刃を擲つ。


 ギャアッ、ウ……!


 足に術を食らい、それでも尚武芸者(てき)に噛みつこうとしていた最後の一匹がもんどり打って倒れ込んだ。


 周囲にはもう、餓狼の影はない。


「ふう、ふぅ…………!」


(これが、命のやり取りか)


 ラインハルトは額に掻いていた汗を拭い、心中で独り言ちる。


「戻ろう。討伐証明は耳だったな」


 そう言うと、倒した5匹の餓狼に歩み寄り、耳を切り取った。


「……汚れ物を入れる袋もいるな」


 血腥く、急速に冷えていく討伐証明を手に、ラインハルトは再度独り言ちて歩き出す。



 ~・~・~・~



 戻ってきたラインハルトは餓狼の耳(討伐証明)を片手に、予想外の事態に目を白黒させていた。


「だぁからよ、餓狼の群れが今お前らの村の近くにいるんだろぉ? オレらが討伐してやるから先に報酬を寄越せっつってんの」


 卑しそうな眼つきの男が村長らしき老人に言い寄っている。後ろには男と似たような眼つき、汚らしい恰好で笑う男が2名。


「先に認識票と依頼票を見せてくれんか?」


「はぁ!? 認識票だ? 見せる必要ねぇだろ! 見兼ねて善意で助けてやろうってんだからよぉ! おいジジイ、まさかオレらに騙りを疑うつもりか!?」


「そうではない。それに、確かに依頼は出しておるが」


「だからその依頼を熟してやろうってんだろが! ええ!?」


 見ていられない。どう見てもチンピラだ。


「その必要はない」


 ラインハルトはスタスタと村長の方に歩み寄りながら警戒心を高める。


 こいつらはどうにも臭い。


「あんだてめぇは」


 チンピラがすかさず威嚇するように噛みついた。


 しかし、武芸者協会に通うラインハルトを怯えさせるには些か武威が足りていない。


「餓狼の討伐依頼なら俺が済ませてきた。証拠もある」


 村長とチンピラ3名に見せつけるようにラインハルトは餓狼の耳を見せる。


「うげぇえっ!?」


「う、ウソだろ!? あんなにいたのに……!?」


「も、もう五匹いたはずだ!」


 生々しい血肉に怯えるチンピラと、余計なことを口走る2名にラインハルトは眉をピクリと上げた。


「西の群れならこの村の狩人が行ってる。もうすぐ帰ってくるはずだ」


「そ、そうかい。そんならオレらは――」


「待て」


 そそくさと背を向けようとするチンピラへ、ラインハルトは斬りつけるように言葉を発して動きを止める。


「な、なんだよ?」


「武芸者ならまず認識票を見せる、怪しまれるからな。お前達はそれをしなかった」


「だ、だから何だよ? 今度から気ィ付けるって」


「ここいらの村なら直近の支部は帝都南だ。朝一で依頼を請けた俺以外にその依頼を見た者はほとんどいない。そのはずだ。だというのに、なぜ、この村の周囲に餓狼の群れがいることを知っていた? 狩人でさえ、正確な数を知らなかったぞ」


 ラインハルトは切れ長の瞳に激情を滲ませて詰問した。


「そ、それは……」


「貴様らがけしかけたのか」


 その一言で、遠巻きに見ていた村人達や村長が怒りを滲ませる。手に農具を構えた者までいた。


 八等級とは云え、真っ当な武芸者と村人達の怒りに小遣い稼ぎをしようと企むチンピラ3名程度が耐えられる道理もない。


「答え――」


「う、うるせェぞ!!」


 ラインハルトの声を遮ってチンピラは怒鳴り、腰の剣を引き抜いた。


 後ろの2名も斧と剣を構える。周囲からの圧力に激昂することで何とか切り抜けようとしたのだろう。


 だがその選択は誤りだ。


 尻尾を撒いて、捨て台詞の一つでも残して逃げれば――あるいはとことんまで白を切ってしまえば良かったのだ。


 そうすればカマをかけたラインハルトや村人達も限りなく黒に近い灰色として捕らえあぐね、彼らが逃げ出す時間ぐらいは稼げただろう。


 だが、賊とすら呼べぬ――精々チンピラ程度でしかない彼らの浅慮さと、どうしようもなく下らないプライドだけが鎌首をもたげてしまった。


 それが、自身らの運命を決定づけるとも知らずに。


「下がれ!」


 ラインハルトは鋭く叫んで村長を下がらせると軍刀を引き抜き、半身になって構える。

 

「新兵級ごときが調子に乗りやがって! 死にさらせや!」


 魔力を昂らせ、切れ長の瞳に怒りを湛えたラインハルトにチンピラは怖気づき、身勝手な怒鳴り声と共に剣を大きく振りかぶった。


 しかし――。


(本当に……それで本気か?)


 と、疑いたくなるほどに剣速は遅く、メチャクチャな体勢で放たれているのであまりにも拙過ぎた。


 ラインハルトは一瞬躊躇するも、待ってやる義理もないとサッと一歩下がり、代わりにチンピラの顔面へ向けて餓狼の耳をベチャっと投げつけた。


「ぎゃっ!?」


 チンピラが血腥く、ヌメヌメとした耳に悲鳴を上げる。


(ここだ!)


「であああッ!」


 ラインハルトは村中に響くほどの大音声を発し、軍刀の柄頭をチンピラの顔面と首筋に叩き込んで気絶させた。


「こ、こんのクソガキがぁ!」


 と同時に、自身より10歳は若そうな青年武芸者に仲間を倒されたチンピラの一人が、怒りと共に剣を突き込んでくる。


『ヤバいかもって殺気を感じたら、術じゃなくて良いから前に置くと良いよ、それこそ風属性魔力とか。軽傷で済むこともある。まぁやっても肩外されたことあるけどさ』


 新たにできた半魔族の友――見慣れぬ洒脱な恰好に、怒れば龍の如き覇気を纏わせる妖異な青年アルクス・ルミナスはそう言っていた。


「くっ!」


 ラインハルトは咄嗟に風を生みだし、自身とチンピラの間に置く。


 次の瞬間、軍刀と剣がぶつかって火花を噴いた。

 

 ヂッと剣が掠る感覚。次いで左手に灼熱の痛み。逸れた剣先が掌を斬り裂いたのだ。


(だが浅い!)


「死ねやコラ!」


 チンピラが大仰に剣を振りかぶる。ラインハルトも軍刀を握り込む。


 が、誰もが予想しなかったことが起こった。


「ぐぼぇあっ!?」


 チンピラの身体が横にくの字に折れたのだ。


(っ! 何が起こった?)


 ラインハルトが眼を見開くと、チンピラの脇腹に矢が生えていた。


「おい、武芸者! 今だっ!」


 聞き覚えるのある声が響く。あの若い狩人の声だ。


 彼が敵を射貫いたのだと察したラインハルトの反応は素早かった。


「はああッ!」


 一気にチンピラの懐に潜り込み、傷口と顔面、鳩尾と首筋に軍刀の柄頭を一気に叩き込む。


「あぎぃっ、がぼっ、げぇっ――かぺっ!?」


 倒れ込んだチンピラが意識を失い、糸の切れた人形のように頽れる。これで2人だ。


「貴様はどうする?」


 軍刀の切っ先を向けるラインハルトと駆けてきた狩人親子、農具を構える村の男衆に囲まれたチンピラが斧を取り落とす。


「ご、こ、ここ降参する……」


 そして両手を上げて跪いた。


「良い判断だ」


 酷薄に見下ろすラインハルトにチンピラは顔をすっかり土気色にして縮み上がった。


 周囲では「この野郎、どうしてやろうか!」、「縄だ、縄持ってこい!」と、農作業で鍛え上げられた男達が拳をぽきぽき鳴らし、「身包み剥いで街道に転がしとく?」と実にえげつないセリフを吐く奥様方が平鍋片手にバタバタと忙しなく動き回る。


「助かりましたぞ」


「あ、いえ……仕事、ですから」


 己の何倍も生きているであろう年老いた村長ににこやかに礼を告げられたラインハルトは、ソワソワと落ち着かなそうに視線をさ迷わせ――……やがて謙遜するように答えた。


 こんな風に見知らぬ他人から礼を言われるのは初めてのことだった。


 他人の命に関わることで己が貢献した、などと信じられない。


 なんだかポカポカと暖かく、爽快感が身体中を駆け巡っている。


(……ああ)


 これが武芸者の慶びなのだ。きっとそうだ、とラインハルトは思った。


「おい」


 不躾な呼び声がする。ラインハルトが振り返ると、そこにはきまり悪そうな顔の青年狩人がいた。


「ああ、さっきは助かった。良い腕なんだな」


 どれほど遠くから射ったのかはわからないが、村の中で動いている的に中てるなど相当の腕が無ければできない。


 青年狩人は毒気を抜かれたような顔になって「お、おう。まあな」と応え、


「じゃない。あー……その、悪かった。オレと変わんない年頃だったし、大丈夫なのかよ? って突っかかっちまった。けど違った。お前、お上品そうな顔して根性あんだな」


 と、屈託なく笑う。その朗らかな笑みにラインハルトは虚を衝かれた。


「…………俺も怒ってたし、必死だっただけだ」


 そう応えるので精いっぱいだった。


「それでもああやって戦えるヤツはそんなに多くない。狩りしてるから知ってんだ。なぁ、でよ。あー、その、武芸者ってさ……楽しいか?」


 青年狩人の質問に、ラインハルトは彼の父親が言っていたことを思い出した。


 武芸者になりたいが、村も好きで迷っている。そう言っていた。


「俺は……まだ新米だ。等級の高い武芸者がどんな活躍をしているかは知らない」


 ラインハルトはそう区切り、


「だが、悪くない。そう思う。いや、今日そう思った」


 と、言って村人達に視線をやる。


 きっとあのチンピラ達が全力で暴れてもいずれ取り押さえられただろう。


 それでも何人か怪我はするだろうし、下手したら誰かが死んでいたかもしれない。


 餓狼をけしかける何らかの手段を持っているようだし、ラインハルトがこの村に来なければ誰かが何かしらの被害を被っていたはずだ。


 それを防いでみせたのだ。


「そっか」


「ああ、悪くないぞ」


 青年狩人に頷き、左手の傷を手当しながらラインハルトは微笑むのだった。

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