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【10万PV 感謝!】日輪の半龍人  作者: 倉田 創藍
第3部 青年期 魔導学院編ノ壱 入学編
173/219

6話 星夜の誓い (虹耀暦1287年10月:アルクス15歳)

2023/10/10 連載開始致しました。


初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。


なにとぞよろしくお願い致します。

 アルクスがセルジュ・オリヴィエ率いる侍従2名を軽く伸し、その後マルクガルムと共に運動場で魔力を荒れ狂わせた日から1週間も経っていないある日の午後。


 ターフェル魔導学院。教職員室の一つ上の階。


 輝くような金の()()、見るからに豪奢な装いで典雅を体現したような森人族の女性は「おう、入りやれ」との声に従って学院長室の扉を開き――――……。


「セ、セルジュ!?どうしたというのです!?」


 悲鳴にも似た声を上げた。


 学院長室の長椅子に座っていたのは所在なさげに情けない顔をしている3人組の森人族。


 彼女の大事な息子とその侍従2名だ。


 なぜ驚いたのかと云えば、その息子の額から頭頂部が無惨にもまだら禿げとなっていたからである。


 どう見ても無理矢理毟り取られたとしか見えない愛息の頭部に、母たるオリヴィエ家の家長兼彼らの森の族長はとてつもない衝撃を受けたのだった。


「来やったか。まぁ、座りやれ」


 学長席にふんぞり返る巨鬼族の女性が鷹揚に語り掛けたものの、族長たる森人族の女性は金切声にも等しい声音を伴ってバン!と学長机に両手をついた。


「これは一体どういうことなのですか誾千代(ぎんちよ)様!?息子らが何を――――」


 しかし言えたのはそこまで。


「座りやれ、と言うたのが聞こえなんだか?」


 金色の瞳をギラつかせた誾千代がゾッとさせる声音を発した。


「っ……!?も、申し訳ございません」


 森人族の族長は背筋に泡立つモノを感じて慌てて引き下がり、手探りで探り当てるようにして長椅子につく。


「良ぉし。東の森を統べる族長のお前を呼んだのは、問い質したかったからだ」


 長髪を震わせてゴクリと唾を呑む森人族の女性。


 まだまだ若々しく見える彼女は帝都から東に少し外れた森に住む森人族たちの長だ。


「な、なんでございましょう……?」


 そう答えた森人族の族長には、目の前の英雄と称される巨鬼族が怒っているらしいことだけはわかった。


 普段はおっかなく牙を剥き出しにして豪快に笑っている誾千代がここまで無表情だったことはない。


「その前に、息子が禿げておる理由が知りたかろう?」


 唸るような低い声に東の森の族長は背筋を伸ばして「は、はい」とだけ掠れたような声で答える。


「であれば、そこの。何があったか母と()れに申してみい」


 そこで初めて誾千代の金眼がギョロリとセルジュに移った。


 彼は「う……っ、は、はい……」とおっかなびっくり口を開こうとして、


「ああ、己れはお前らの問答を初めから見ておった。嘘言を並べ立てたいなら別に構わんぞ。好きにしやれ」


 と、突き刺すような誾千代の一言がセルジュを硬直させる。


 生徒間では”生ける伝説”とまで称されている学院長と自身を心配している様子の母に嘘など言えようはずもない。


「わ、私は――――……」


 やがてセルジュはポツリポツリと言葉を紡いでいく。


 彼と同い年の男女の侍従達は黙して俯くばかり。


 それが肯定の意であることは誰の目にも明らか。


 ようやく事の顛末を聞き終えた東の森の族長は目の前が真っ暗になったかのような感覚を覚えた。


 聞いてみれば未熟な子供の稚気、もつれすらしていない痴情によるもの。


 しかし下級生を呼び出して3人で恫喝まがいなことをやったばかりか、実剣に”魔法”まで用いたなどと、信じたくないという気持ちが強い。


 そのうえ歯牙にもかけられず負けた。


 しかもその相手が……。


「……半魔族。そんな存在が…………」


 東の森の族長は思わずといったように呟きに、セルジュと侍従2人が身体をビクリと震わせる。


 まだ素直に言うだけマシか、と誾千代は心中で溢しつつ、


「その半魔族よ。使い魔を逃がしもせず、武器すら抜かず馬鹿な餓鬼共を蹴散らしてみせた半龍人」


 と巨鬼族にしては華奢な、人間大の種族からしては太い指を目前に座る森人達へ向けた。


「……な、何を、仰りたいのでしょうか?」


 震えた声で東の森の族長が問う。


手前(てめえ)の馬鹿息子は大勢の前であやつを半魔族だと喧伝するように扱き下ろした挙句、”魔法”を使えぬことを知った途端、勝ち誇った顔をしやった。ああ、そのことも大声で馬鹿にしやったな」


「…………」


 誾千代の言に東の森の族長は冷や汗を垂らしながら沈黙した。


 静かな物言いに魔力は少しも昂っていないのに誾千代から発される重圧が学院長室の森人達の胃を潰さんばかりに圧迫する。


「手前ら純血種を絶対だと信じ、混血や他種族を見下す。なぁ、どっかの国の考え方に矢鱈と似てねえか?ああ?」


 牙を剥いて悪鬼の如き形相になった誾千代に東の森の族長はガクガクと膝が震え出した。


「そ……れは…………!」


「おうさ。大戦が終わって方々に散ってった己れの後輩や親戚を殺しやった聖国(クソ共)と変わらぬ考え方よな?そうは思わねえか?」


「…………」


「おい百も届かぬ小娘、いつからそんな巫山戯た考え方するようになりやった? 魔導学院(うち)じゃ教えとらんぞ。 その証拠に数こそおらぬが、魔族も獣人族もおる。 うちでねえなら貴様(きさん)しかおらぬだろう? ()()()()で育ち、戦場いくさばも知らぬ身で何をほざきやった? ああ?」


 ジワリと湧き出す巨鬼の魔力に森人達は眩暈すら感じ、膝を握り込む。


「わ、私では……ありませぬ。 英雄たる(とと)様を、尊敬するようとは教えましたが……他種族をそのように排斥せよ、などとは……決して」


 か細い声で鳴くように答える東の森の族長。


「なれば何故貴様(きさん)らはそう考えた?答えやれ」


 ギロリと向けられた視線にセルジュは顔色を失くした。


「は、え……あ……っ」


 しかし言葉は出て来ず、出るのはまるで意味のない呼気だけ。


「……持ち上げられて、図に乗りやったか?」


 グルリと金眼を回した誾千代がつまらぬものでも見るように言うと、セルジュ達はコクコクと頷く。


「優越感に浸りやったか?」


 真っ青な顔で更に頷く3回生の森人達。


 きっと心底から叱られたこともないのだろう。


 だとすればこれが真っ当にモノを考える切っ掛けになってくれれば良い。


 誾千代はそう考えつつ、今回の――――下級生に実剣と”魔法”を使うという蛮行の沙汰を言い渡さんと呼び掛ける。


「おい小娘」


「っは、はい……!」


 東の森の族長は哀れなほどに顔色を失くして返事をした。


「若気の至りとして一度は許してやる。謝り方の一つも知らん、負けても嫌言だけは投げつけやったこやつらを教育し直せ。籍は残しといてやる」


「……っは、え、あ……はい……!ご寛恕感謝致します……!」


 言われたことが一瞬わからなかった東の森の族長は意味を理解するや否や即座に頭を下げる。


 セルジュ達もおそるおそる頭を下げた。


「但し、二度目は許さぬ。お前の(とと)様――――いや、己れの戦友の顔に泥を塗りたくるようなら、己れ自ら未来の族長首を挿げ替える。努々(ゆめゆめ)忘れでないぞ」


 そう告げた誾千代の魔力が、ズオ……ッ!と一気に広がる。


 学院長室全体を潰しかねない重圧に、森人達は顔色を真っ青にし、汗をボタボタ流しながら懸命に首を縦に揺らした。


「し、承知……致しました」


 気絶すら許さぬと云わんばかりの重みにセルジュの顔が死人も同然の色に変わっていく。


 たっぷり1分はあっただろう。


 痛いほどの沈黙の後、


「もう良い。さっさと行け」


 と誾千代が「用件は仕舞い」とばかりに手をブンブンと振るった。


 東の森の族長は真っ青な顔でフラつきながら立ち上がり、息子と侍従達を立ち上がらせて「・・・失礼致しました」と扉をくぐっていく。


 最後に侍従2名が金の視線に耐えられぬとばかりに泡を食って扉を閉めたのを確認した誾千代は葉巻に火をつけ、


「フゥゥゥ――――……豊かにせんが為の富が諍いを呼び、英雄の子孫と呼ばれた者が蔑視の色眼鏡を掛ける、か。 俺も初代(おまえ)と共にさっさとくたばっちまえば良かったぜ。 まったく、人の世はままならぬものよな」


 吐かれたぼやきは白煙と共に散っていくのだった。



 * * *



 時刻は夕刻に差し掛かろうとしている。


 平たく言えば時期に制限のない追放を受けたセルジュと侍従2名を伴なった東の森の族長は彼らの最低限の荷物を回収すべく移動中だ。


「あ……」


 ずっと沈黙を保っていた4名だったが、侍従の女子生徒の方が何かを見つけたのか声を溢す。


「……あ」


 セルジュは彼女の視線を辿って理由がわかった。


 1回生はもう授業を終えたのかアルクス達『不知火』の6名が帰宅しようとしていたのだ。


「……どうしたのです?」


 東の森の族長が問うと、もごもごと口ごもりつつセルジュ達が答える。


 赤い羽織を着ているのが件の半龍人だ、と。


 弾かれたように東の森の族長はそちらを見て「なんて愚かな真似を」と額に手をやった。


 彼から――――否、彼ら6人から自然と放たれている武威は瑞々しい若さこそ感じるものの東の森でも歴戦の勇士達が醸し出しているものと然して変わらない。


 それどころか件の半龍人からは彼女の言う(とと)様――――大戦時に活躍した英雄と同じ匂いを感じる。


『謝り方の一つも知らん』


 聞いたばかりの誾千代の言葉が東の森の族長の脳裏を駆け巡る。


「あなた達、彼に謝罪はしたのですか?」


 その問いにセルジュ達はモゾモゾと言葉を漏らした。


 どうやら絡んだ挙句、謝罪一つしなかったようだ。


 内心で頭を抱えつつ、


「来なさい。今しなければ次に謝る機会はないかもしれません。まずは礼儀の一つから学び直しなさい」


 東の森の族長が『不知火』の方に歩き出した。


 セルジュ達は怯え半分、後悔半分といった具合の顔をしてトボトボと追従していく。


「もし、そこな青年――――っ!?」


 反応は劇的だった。


 東の森の族長の呼び掛けに振り向きざま、セルジュを確認するや否やアルが刃尾刀の鯉口を切ったのだ。


「何の用だ?今、虫の居所が悪いんだ。それ以上近寄るな」


 ギロリと眼光を光らせて、柄に手を掛けたアルにセルジュ達が立ち竦む。


 『不知火』の5名は不安そうにアルの方を見た。


 昼休みの生徒が多く、室外を行き交うなかでセルジュが「半魔族」「半龍人」と声高に叫んだせいでアルが魔族と人間の混血だということはすっかり知れ渡ってしまっていた。


 人の口に戸は立てられぬのだ。


 7組の同級生達はヘンドリックや、ラインハルト、アニスを含めた数人のおかげで比較的同情的な視線を持ってくれているし、励ましの言葉もくれたのでまだいい。


 だが、他の組や学年の者は違う。


 特にあの時アルとマルクの魔力を直に感じていない者は珍獣でも見るかのような眼つきでアルを見ることもあれば、通り過ぎざまにコソコソと話し合う者もいた。


 六道穿光流を中伝まで体得しているアルにとってそれら有象無象の視線は容易に感知でき、また耳の良いシルフィエーラやマルクガルムがげんなりしている様子から不愉快になる話をしていることは想像にも難くない。


 ゆえにアルの胸中は酷く苛立ち、暗雲が立ち込めていた。


 学院に慣れた頃に自分から明かすのであればそう問題もなかったが、こうなってしまってはどうしようもない。


「子供の喧嘩に大人まで引っ張り出したか」


 低く唸るアル。


「ち、違う。待ってもらいたい!」


 東の森の族長が言い募るも、


「やかましい。違うんなら間合いに入るな。斬り捨てるぞ」


 アルは取り付く島もない。


「わ、わかった。だからまずは……う!?」


 東の森の族長が一歩下がった途端、アルはそのまま刃尾刀を引き抜いた。


「何の用だ。とっとと答えろ」


 カチカチカチカチッ!


 苛立つアルの頭髪が”灰色”に変わる。


「ひっ……!?」


 手酷くやられたセルジュと侍従達が実力を見せつけられたあの日を思い出して怯えながら後退りしだす。


「っ!?む、息子が――――」


「あんた、そいつの親か」


 今度こそアルの苛立ちは最高潮に達した。


 自分で仕掛けておいて負けたら今度は親を招聘するなど、どれだけふざけているのだろうか。


「アルさん!」


 ラウラの制止もむなしく、逆手で空色の刀身も眩い龍牙刀まで引き抜いたアルは構えたまま問う。


「金輪際手を出すような真似はしないとほざいておいて、一週間と経たずに掌を返すボンクラ上級生とその親が揃って何の用だと聞いてる。とっとと答えろ」


 アルの見立てではこの大人の森人族は殺し合いには慣れていない。


 魔力の質からしてそこそこの腕はあるが、殺し合い――――つまり加減を考えなければ殺せると判断した。


 苛立ったアルの殺気がぶわりと森人4名を押し包んでいく。


「っ!?」


「「「う、あ……っ!?」」」


 全身を膾斬りにしてくる()()()()()に森人の族長が瞠目し、若人3名はガクガクと震え出した。


「ど、魔族(どうほう)同士で殺し合う気はない!話を聞いて欲しい!」


 この者は己を殺せる、と判断した東の森の族長は距離を取りつつ両手を上げてみせる。


 しかしアルの殺気はどんどん増していく。


 鋭く、重い、幾重にも突き付けられた刃を連想させる殺気。


「俺はそいつが言い触らしてくれた通り半魔族だ。息子の理論で言えば、俺はあんたの同胞じゃない。残念だったな」


 突き放すような、ほんの少し自嘲するような物言い。


 東の森の族長は我が子をこれほど憎んだこともないと心中で溢す。


 実力さえ嗅ぎ分けられなかったのかと悲しくさえなってきた。


「『蒼炎気刃』、『蒼炎羽織』」


「ちょ、ちょっとアル!」


 小麦色の肌をした森人族の少女が慌てた声をあげるなか、半龍人の青年が持つ二振りの刃と背中から蒼炎が噴き出した。


「ひ……いっ!」


(なっ!?なんなのだこの圧力は!?)


 東の森の族長とて驚嘆せざるを得ない業を用いたアルは、金環に瞳孔を縁取らせ、蒼炎の翅を尾羽の如く2枚揺蕩わせながら再度問う。


「答えろ。お礼参りなら今すぐにでも斬る。あんたはどうか知らんが、そこの三人の首なら確実に獲れる」


 刀身を覆う蒼炎の刃を構え、今すぐにでも動き出さんとするアル。


 もういい加減うんざりだった。珍獣のように見られることも、その度に心の奥底で、何も成し得ず己と向き合えなかった未来に辿り着く自分を考えさせられることも。


 ほとほと嫌気が差していた。


「……謝罪に、来たのだ。 我が子らは無期限の学院追放処分を受けた。 次にこの学院を訪れた際、君達がいるとは限らない。 だから息子らの非礼を謝らせてほしい」


 伝承にある龍種の如き睨みだ、と思いつつ東の森の族長はそう言って頭を下げる。


 斬られるかもしれない、と脳裏を過ったがそんなことは些末な事だった。


 彼の――――アルの瞳には殺意と悲しみが見えたのだ。


 齢100歳にも満たないが、それでも彼の悲しみを見て取れるくらいの時間は生きている。


 腹を痛めて産んだ息子がそんな瞳にさせてしまったのだ。


 体格も顔つきも出来上がってきている息子と違い、まだまだ幼さの残る彼にそんな思いをさせた。


 母親として、我が子がそんな思いをしているとしたら耐えられなかったのだ。


 だから誠心誠意謝るしかない。そう思ったのだ。


 そこに東の森の族長としてだとか英雄の一族としてだとかはない。


 一人の母として謝る以外に思いつかなかった。


 そんな母の思いが伝わったのか、セルジュと侍従も恐れを抱きつつも、


「……申し訳なかった」


 と口々に頭を下げる。


「…………」


 ジッと視線を固定しているアルの龍鱗布をエーラがくいくいっと引っ張る。


 気遣うような手つきだが、そんなことをして許されるのは彼女らくらいだろう。


「ねえアル、剣は今要らないよ。ボクが保証する。だから、ね?」


 エーラの心配そうな顔を見たアルはしばし沈黙したのちに目を瞑り、一息吐いた。


 と、同時にアルを覆うように揺らめいていた蒼炎がスウッと消えていく。


 龍牙刀と刃尾刀を納め、『八針封刻紋』を閉じたアルは、


「…………謝罪は、受け取った」


 一言だけ呟くように彼らへ投げつけて正門の方へ踵を返した。


「……感謝する」


 東の森の族長はそう言って顔を上げ、背後を振り返る。


 そこには後悔で苦しそうに顔を歪めたセルジュがいた。


「母上……ご迷惑を、おかけしました」


 そしてセルジュは囁くように、泣きそうな声で今度は母へと頭を下げる。


「従者であれば諫言すべき、でした……」


「…………面目次第もございません」


 侍従2人も何かを感じたのか落ち込んだ様子でそう述べて頭を下げた。


「……一度は許してもらえたのです。次に繋げるようにしなさい。あなた達も、私も若輩なのですからやり直す機会は必ずあります」


「「「はい……っ」」」


 ほんの少しばかりだけ成長した森人の若者と気を引き締め直した指導者は頷き合って去っていく。


 その背を学院長室から眺めていた誾千代は、


「ま、そうそう捨てたものでもないか……それも初代(おまえ)の口癖だったな」


 と優し気に金眼を細めつつ呟くのだった。



 * * *



 その日の夜。帝都南区、川沿いの武芸者一党『不知火』の拠点家(ホーム)


 明日は休日ということでゆったりとした食事を摂り、アルを除く5人は居間で過ごしていた。


「アル殿は大丈夫か?かなり荒れていたが」


 すっかり湯上がりの肌が落ち着いてきたソーニャが何の気なしに呟くと、


「元々あいつにゃついて回る問題だ。だからってこれは想定してなかったろうがな。ま、あんまり荒れてるようなら少しばっかり休校すんのが良いかもしんねえけど」


「アルさんの性格上……それはないでしょうね」


 マルクと心配そうなラウラが反応する。


 アルは困難や苦難から口では「逃げる」と言いつつ真正面から対処しようとする傾向にあることはラウラも他の面子もよく知っていた。


 他学生の目が鬱陶しいから休む、などという選択肢はまず取らないだろう。


「アルだって本当にヤバいって状況じゃないとは思うよ……ただ、ちょっとね」


 エーラは特徴的な耳をピコピコと動かして上向かせた。


 先ほどからやたらと静かなアルの部屋の音を探っているのだろう。


「カァ~」


「きっとカリカリしちゃってるだけよ。明日明後日はお休みだし、協会にも行くわけじゃないからゆっくりしてもらいましょう」


 膝上の三ツ足鴉を撫でながら凛華も口ではそう言うが、気もそぞろだ。


 やはりここ数日の思いつめたような様子のアルを心配しているのだろう。


「まぁ謝罪もしてもらったし、アルとマルクのおかげで心配事もなくなったし、今日はもう寝ちゃおうか」


 エーラがよいしょっと縁側の扉を閉めながら言うと、


「だな」「うむ」「そう、ですね」「ええ」「カァ~」


 4人と1羽は誰ともなく頷き、自室へと上がっていくのだった。



 * * *



 その日と翌日の境。つまり夜中。


 ふと目覚めた凛華はアルの部屋の扉がほんの少し開いていることに気付き、そーっと覗いてみた。


 個人の部屋はそう広くもない。


 すぐに目につく机には何もなく、寝台(ベッド)にアルはいない。


 どころか寝る際には丁寧に置いてあるはずの刃尾刀も龍牙刀も、椅子に引っ掛けてある筈の龍鱗布もなかった。


「へっ?」


 ギョッとして急速に目が冴えた凛華は仲間達を起こさぬようそろりそろりと階下に降りてみるもののやはりアルはいない。


 その代わり縁側の戸がほんの少しだけ開いていた。


―――――まさか……!


 凛華はもどかしく思いながら抜き足差し足で縁側に移動し、やはり家の中にアルがいないことを確認しつつ外に目をやる。


 果たして、アルはいた。


 拠点家(ホーム)横の川。


 岸辺に打ち付けられた杭に引っ掛けるようにして停めてある川舟の上。


 流水か風かはわからないがゆらゆらと揺れる川舟の座席を枕のようにしてぼんやりと夜空を眺めていた。


 大抵のことにお供したがる使い魔の姿はなく、常なら強い輝きを放っているアルの瞳も今は星々と月の輝きに負けている。


 アルにどこか儚い印象を受けた凛華は痺れたように立ち尽くし、我に返るや否や慌てて川べりに降りて行く。


「っ……アルっ!」


 身軽な動きでひょいと川舟に乗った凛華は、アルの龍鱗布を掴んだ。


「……凛華?どうした?」


 ゆらゆらと揺れる川舟も寝転がっていれば大してバランスも気にならない。


 アルは驚いたような顔で幼馴染の少女を見上げる。


「あんたこそっ……あんたこそ、どうしたのよ?部屋いないし、びっくりしちゃったじゃない!」


 声を荒げ掛け、夜中だと気付いてすぐに声を落としつつ凛華はぎゅうっと龍鱗布を掴む。


 こうしていないと、アルがそのままどこかへ流れ消えてしまうような気がしたのだ。


「ああ……こないだ舟頭さんが大変そうにしてたから手伝ったら、別に個人の物でもないから舟が停めてある時は自由に使って良いって教えてもらってさ。丁度良いから寝っ転がってたんだ」

 

「そういうことを言ってるんじゃないわよ」


 どうにも惚けた反応を寄越すアルに凛華は「少し空けなさい」と言ってスペースを作ってもらった。


「……結構、静かなのね」


 アルがズレた座席に座った凛華は川面を見ながら呟く。


「うん」


 星光を硝子球に閉じ込めたようなアルの瞳が僅かに上下した。


 絶え間なく、しかし波音がうるさくない程度に黒くうねる川は時折どこかの光を拾っては煌きを川辺へ返している。


 しばし、ささやかな川音だけがその場を支配した。


「アル、膝枕してあげる。板切れじゃ首が凝るわよ」


「……ありがと」


 凛華が優し気な手つきで誘うとアルは素直に彼女の膝に頭を置き、代わりに龍鱗布を凛華に羽織らせる。


「ここ数日、カリカリしてたわね?」


 僅かに動いた凛華特有の甘い香りがアルの鼻腔をくすぐった。


「うん、まぁ見世物扱いされるとやっぱね」


 ばつの悪そうな顔でアルが答えると、


「それだけ?」


 と凛華は彼の青黒い髪を梳きながら問う。


「う、ん」


「嘘おっしゃいな」


「…………」


 完全に見透かされている。


 そう察したアルは白状することにした。


「……案外、堪えるもんだなぁってさ」


「アイツが言った言葉?」


「うん」


 ―――――『半魔族なぞ!誰が受け入れるんだ!?』―――――


 アルの耳に木霊するセルジュの声。


 それが気づけば己の声に変わっている。


 半龍人(おのれ)という存在と向き合おうとし続け、”本能の限定解放”という糸口を掴んだものの未だ未完成状態。


「ちょっと、疲れちゃったんだよ」


 永遠とその場で足踏みをしているような感覚ばかりが残ってしまう現状に。そんな己に。


 嫌気が差してしまったのだ。


 セルジュとの一件など切っ掛けに過ぎない。


「……そう。ねぇ、アルが言ってたのは、あれは本気?」


 アルの吐露を優しく受け止めた凛華は、少しだけ怖がるように問うた。


「あれって?」


「『その時はどこへなりとも潔く姿を眩ます』って」


 見上げた凛華の青い瞳が少しだけ潤んでいるような気がしたアルは慌てて言い繕うと口を開き、


「ああ、それは――――」


「あたしと約束したでしょ」


 彼女によって遮られた。


 約束。いつか銀髪に戻った姿を見せる。


 つまり半龍人(じぶん)と向き合って答えを得てみせると彼女と――――否、彼女達と約束した。


「うん、でもあの時も今じゃないって言っ――――」


「あたしは待つわよ。他は知らない。でも今みたいに鍛練を続けてたら父さん達みたいに百年や二百年は軽く生きるわ。だから……あたしは百年でも二百年でも、あんたのこと待っててあげる」


 またもやアルを遮った凛華は青い瞳に強い意志を乗せて宣言した。


 名は体を表すように、どこまでも強く、あまりにも凛とした誓いにアルは二の句が継げず凛華の整った顔を見上げたまま固まってしまう。


 そしてぽつりと一言。


「そっか。じゃあ、待っててくれ」


「ええ、勿論よ」


 即答だった。


 あまりの迅さにアルは目をぱちぱちした後、


「凛華って、やっぱり美人だね」


 とふにゃりと笑み崩れながら褒める。


「ふんっ、もう慣れたわ」


 そう言いつつもプイッと顔を背ける凛華。


「でも、それだけじゃないや。良い女ってやつだと思う」


 アルはそう言って「ありがと」と凛華の頬を軽く撫でた。


「っ……!もうっ、今頃気付いたの?」


 一瞬で顔を火照らせた凛華はそれでも嬉しそうにニッと笑ってみせる。


 アルの好きな、不敵なのに可愛らしい凛華の笑みだ。


「うん、今更気付いたよ」


 凛華はアルの顔から憂いがほとんど取り除かれていることに安堵してさらりと青黒い髪を撫で返す。


「ふふっ。ま、それでも気付けたんですもの。御褒美にもう少しこうしててあげるわ」


「そりゃ良いや。男冥利に尽きるってもんだねぇ」


 楽し気に、けれど抑えた笑い声はもう少しの間だけ、川面を翔けていくことになるのだった。


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