断章1 故国への便り
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
帝都から南におよそ3,600km。
共和国領に位置する〈交易都市ヴァリスフォルム〉。
国内で上から4番目に広く、幾つかの街や村を挟むものの帝国領と直接国境に接しているラウラとソーニャの生まれ故郷だ。
虹耀暦1287年も10月末を迎え、市内に息づく樹々のある種は紅や黄色の、またある種は緑色のまま葉を落とし始めていた。
そのヴァリスフォルムの北西部に都市内でも有数の規模を誇る屋敷がある。
ラウラの生家でもある交易都市の藩主の屋敷だ。
日が暮れ始めた現在は住み込みの家人とこの主しか屋敷にはいない。
二階にある執務室の窓にチラリと目をやった深みのある朱髪の藩主――――ノーマン・シェーンベルグは「もう日暮れか」と呟いて、せっせと勤しんでいた執務机の上で眉間を揉んだ。
続けざまに右眼の片眼鏡を卓上に放り出す。
―――――こんな生活がいつまで続くのか……。
思わず弱気になる己を嘲笑い、「いかんな」と呟く。
反聖国派として長年強がってはいるものの、精神的な踏ん張りが効かなくなってきた。
聖国の実効支配下に置かれている共和国。
帝国と王国のおかげで軍こそ引いてはいるものの聖国軍は動こうと思えばすぐにでも動き出せるだろうことは確実だ。
そこまで温い国ではない。
共和国では北の方に位置することと、偶然拾ったチャンスを利用して噛みついたからこそ今の絶妙な立場にいるがそれもどこまで保つのやら。
深くなってきた皺を無造作に揉み、娘より濃い朱髪をグイッと後ろに流して背もたれにもたれかかる。
そんなノーマンのいる執務室の扉がコンコンとノックされ、「失礼致します」と言いながら初老の家令が入ってきた。
一日の終わり掛けにも関わらず、執事服をキッチリと着こなし、白く染まり始めた髪を後ろにしっかりと撫でつけている。
歳はノーマンより10と少し上で、ノーマンが藩主になる前からの付き合いだ。
聖国軍が交易都市にやってきた際も自身で剣を取り、先代藩主とノーマン、そしてその妻を守り抜いた忠義に厚い男である為、ノーマンも全幅の信頼を置いている。
「クラウスか、どうした?」
「旦那様への郵便物です。月末の請求書もございます」
主人の問いに、家令は淀みなく答えて抱えている紙束を見せた。
「ああ、もう月末か。ご苦労」
―――――年々、月日が経つのが早く感じる。
「お疲れのようですな」
「なに、少し弱気になっていただけだ」
何でもない、と手を振るノーマンに家令クラウスは目を細める。
「お嬢様方は今頃どうされているのでしょうな……」
間違いなくノーマンの心労の一つであろうことを口にしつつ、クラウス自身も表情に翳りを見せた。
仕えるべき主の娘達として彼だって心配であることに違いはないのだ。
「追手から逃げ切ったということだけは帝国の辺境伯殿より報せを貰ったが、それ以降はどうにもわからん。 帝国印が使える貴族と懇意にでもならなければ、国を渡って書状を出そうなどとはしてくれんだろうしな」
ノーマンはシガレットホルダーに煙草を差し込んで火をつけ、煙と共にそんな言葉を吐き出した。
帝国南東部の丘陵と平野で構成されている辺境伯領は王国と共和国の国境に面しており、また帝国では外様の最高爵位として例外的に帝国印が使用できる。
シルト伯爵家より伝手で回され、辺境伯家が帝国印を押した書状がこの藩主屋敷に届いたのは昨年の11月。
書状には、9月頃、聖国の騎士達がが帝国領に不法侵入したので1名を残して殲滅したことと、その際追われていたと見られる2名の娘をシルト伯爵家が保護したと云うものであった。
砕けた表現を使えば『そちらの娘二人は無事だから安心してくれ』と云う手紙である。
それ以来、娘達の動向については知らされていない。
心労でそろそろ倒れそうだ、とノーマンが溢しても不思議はないだろう。
「無事を祈るばかりですな。ではいつも通りに」
「頼む」
頷いたノーマンへクラウスが差出人の名を読み上げながら一つずつ郵便物を渡していく。
聖国に首根っこを押さえつけられているとは云え、ノーマンは交易都市を預かる藩主。
送られてくる書類も多い。
今回は特に緊急を告げるような手紙や書状はなかった。
「では、ここからは請求書の方ですな。帝国領事館の方からです」
「今月は分厚いな。季節の変わり目だからか?」
「おそらくそうではないかと」
そう言ったクラウスも不思議そうな顔で請求書の束を一つずつ卓上へと置いていく。
本来であれば仕入れた帝国の各商会から直に送られてくるのだが、帝国もさるもので領事館宛てに送るようわざと申し付けている。
過去痛い目に遭わされた聖国が検閲し辛い状況を作っているのだ。
また〈ヴァリスフォルム〉の住民達も聖国軍の蛮行に強い反感を持っているので、聖国産の製品は買わない。
要は不買運動だ。もしくはとことんまで買い叩いてしか買わない。
一応〈交易都市〉は王国とも面しているので、藩主の方針に賛同した住民達がもっぱら買うのは帝国や王国産の製品ばかり。
そして立地的に帝国産の製品シェアは7割を占めている。
ゆえに帝国領事館から来る請求書の束はどうしても分厚く成り易いのだ。
「ふむ、買い付けは例年通りのようだが……」
慣れた様子でパパッと請求書の封を開け、目を滑らせていくノーマン。
「次を――――どうした?」
目録と請求金額に問題がないことを確認して次の請求書を貰おうとしたノーマンは、顔を上げて怪訝そうな表情を浮かべた。
差出元を読み上げていたクラウスが最後の請求書の封筒を目にして固まっていたからだ。
「クラウス?その厚いのはどこからのだ?」
「はっ……あ、旦那様、こ、これはもしや……!」
常にない様子で掠れ声を上げたクラウスは、まるで硝子細工でも扱うような丁重な手つきで封筒を卓上へ置いた。
差出元は〈帝立ターフェル魔導学院〉。
「魔導学院、だと……ま、まさか……っ!」
ノーマンはもどかしくなるほど手を震わせて封を開ける。
中身を取り出すと、最初に指が切れそうなほど整った厚い紙が数枚。
合格通知2枚だった。そして学費の請求書。
他国からということで四分の一減免され、更に上位15名の成績優秀者として合格している為、更に四分の一減免され、合計二分の一ずつ減免された請求額で2人分。
その2人の名もしっかりと記載されている。
”ラウラ・シェーンベルグ”と”ソーニャ・アインホルン”。
血を分けた娘と娘同然の義娘。
「だ、旦那様!」
「あ、ああ……ああっ!無事で、いてくれたか……良かった……!」
ノーマンの視界が滲んでいく。最後に共に過ごしたのはいつ頃だっただろうか?
2年以上は前だったはずだ。
「ラウラお嬢様もソーニャお嬢様も努力なさったのですな……ずずっ、も、申し訳ありません。歳を取ると、涙腺が緩くなって…………かないませんな」
クラウスも愛すべき主の娘達の無事を知り、涙が溢れていた。
「構わん…………なっ!?こ、これは!!」
「ど、どうされました?」
ノーマンは請求書の後から出てきた手書きの何かに仰天し、慌てて封をひっくり返す。
出てきたのは学院の魔導印刷技術を用いて印字されたものではなく、手書きの便せん3通だった。
かなり膨らんでいる。
宛名は”ノーマン・シェーンベルグ”。
丁寧に封を切り、ガササッと中身を開けると、何枚にも渡る手書きの長文が出てきた。
片方の便せんからは可愛らしく整った字で、もう片方は大き目だが丁寧な字体で。
一番上にはあえて砕いて書いているのだろう、それぞれ『お父様へ』、『義父上へ』と書かれている。
「ラウラとソーニャからの手紙……!」
「ま、真でございますか!?」
「ああ。クラウス、お前にもあるようだぞ」
「私にも!?お、お見せ――――」
「渡すに決まっているだろう、これだ」
ノーマンが大きめの一通の便せんを手渡すと、クラウスはそれはもう丁寧に封を切り、震える手で中身を読み始めた。
早々に彼から視線を切ったノーマンは文面に目を落とす。
『お父様へ。ラウラです。突然のお手紙で驚かれたことかと思います。
しかし機会を得て、居ても立っても居られず、学院の請求書に同封して貰う形でこの手紙を送って頂きました。
私は今、帝都にいます。請求書が届いた通り、〈ターフェル魔導学院〉に合格したのです。勿論、ソーニャも一緒に。
大きな怪我も一度だってしていません。助けてくれた方々がいたのです。
私達が馬に乗って神殿騎士から逃れるべく――――…………』
そこにはノーマンの警告を受け取ってからのことが全て書かれていた。
ノーマンの父、先代藩主の私兵が命を擲って自分達を助けてくれたこと。
逃げる途中でソーニャが敵の麻痺毒矢に倒れてしまったこと。
そこを通りがかった同年代の魔族達が助けようとしてくれたこと。
すぐに運悪く神殿騎士に追いつかれ、彼らを巻き込んでしまったこと。
しかし彼らが神殿騎士達を打ち倒し、親切にも自分達を助けてくれたこと。
その時の自分の不甲斐なさ、悔しさから彼らの強さに魅かれ、行動を共にしたいと願い出たこと。
そして帝都まで彼らと一党を組んで武芸者活動をするようになったこと。
その後、準聖騎士率いる神殿騎士の本隊から武芸都市まで逃げながら戦ったこと。
そこで仲間になってくれた彼らの真の強さを目の当たりにしたこと。
逃げ延びた先の〈武芸都市〉の領主親子が非常に温かい人達で、まるで親戚のように親しく自分達を受け止めてくれて心から安心したこと。
それから魔族の彼らに師事してもらいながら〈山岳都市〉、〈鋼業都市〉、〈芸術都市〉を経て〈帝都〉に辿り着いたこと。
精力的に稽古を熟し、依頼を片付けて功績を積み上げ、四等級武芸者になったこと。
彼らの目的であった〈ターフェル魔導学院〉へ、自分達も”奪わせない”為の力と知識を求めて入学することにしたこと。
正式に一党を組んだ彼らと家を借りたこと。
入学した後、頭目が〈ターフェル魔導学院〉の学院長と交渉して庇護を得てくれたこと。
そのおかげでこの手紙が出せたこと。
そして最後に――――…………。
『だから、私達は大丈夫です。力をつけてきっとお父様の力になってみせますから。
お父様もご自愛下さい。
それと、可能ならで構いません。
何もできなかった私達を守って下さった私兵の方々を丁重に弔ってあげて欲しいのです。
彼らがいなければ、私達は今の仲間達に出会うことすらできませんでしたから。
最後にもう一度。お体に気を付けて下さい。
元気なお姿で再び会えることを信じております』
と綴られていた。
ノーマンは顔が鼻水と涙でぐちゃぐちゃになるのも構わず、ソーニャからの手紙にも目を通す。
こちらはラウラからの手紙とはあえて中身をズラしたようで、どんな仲間達なのか、どういった活躍をしているのか。
ラウラが書こうにも収まりきらないと省いた部分を補足するように詳らかにしている。
まるで、同じ机で仲睦まじく顔を突き合わせながら書いたかのような手紙だった。
ノーマンは洟をすすりながらもう二度三度と読み返し、深く深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。
視線を上げるとクラウスもノーマンと同じく男泣きしていた。
「……たくましくなったのだな、二人は」
「ええ……ええ、そうでしょうとも」
常になく声音を上下させてクラウスは強く、強く頷いてみせる。
「娘達を守り、かの建国の雄に庇護まで取り付けさせた傑物にはいつか必ず礼を言わねばならんな。こんなに心を揺らす手紙は初めてだった、家宝にしても良い」
ノーマンは冗談でも何でもなさそうな雰囲気でそんなことを言った。
「私は常に懐に忍ばせておきたいと存じます」
「俺もそうしよう」
目元を真っ赤に腫らした男達は頷き合う。
「旦那様、私の方への手紙には旦那様宛てのものには書けなかったから、と彼らの武芸者活動を追うことが出来る雑誌について書いておられました」
「なんという名前の雑誌だ?」
「『月刊武芸者』という帝国では有名な武芸者向けの雑誌だそうです」
「それとなく調べておいてくれ」
「承知致しました」
素早く意思疎通を交わす二人。
「それとラウラお嬢様は”炎髪の乙女”、ソーニャお嬢様は”姫騎士”という二つ名があるそうでございます」
クラウスがそう言うと、
「なんと、二つ名まであったか……あの愛らしかった二人が、そこまで……」
ノーマンは再度涙腺を緩ませる。
本当は彼女らの成長を傍で見ていたかった。
穏やかな時間を共に過ごしたかった。
そうできなくなったのは?
無論、聖国のせいだ。
ノーマンの瞳に炎が湧き立つ。
クラウスの瞳にも物騒な光が宿った。
「少し疲れた、なぞ言えなくなったわ。連中への牙を尖らせておくぞ、クラウス」
「無論でございます。たとえ那由他の彼方であろうと、旦那様の背中はお守り致しますぞ」
心火を轟々と燃やすノーマンとギラついた殺気を見せるクラウス。
「ああ、心強い。しかし、今日のところは……」
物騒な笑みを交わした後、ノーマンはふっと肩の力を抜いて言葉を一度区切る。
「何でございましょうか?」
クラウスは疑問符を浮かべた。
「とっておきの古酒があったろう。お前も付き合え」
「フッ、御意にございます」
そうして琥珀色の古酒を酒杯に入れたノーマンとクラウスは、
「お嬢様方の無事に」
「娘達の成長に」
と乾杯するのだった。
その夜は冷え込み、強めの風が枯れ葉を散らしていたが、二人は寒さも寂しさも微塵も覚えなかった。
* * *
その夜より、ひと月近く前。
『歪曲転移陣』によって送られてきた手紙を見たヴィオレッタは、
「うんうん、あやつら見事合格したのじゃな。 さすがは儂の愛弟子と教え子…………じゃないわい! 『帝都着きました。魔導学院も満点合格しました。万事順調です。元気です』 て短過ぎるじゃろ!?」
ぺしーん!と机に手紙もとい簡易報告書を叩きつける。
「まったく……満点合格は、むぅ、まぁ儂の愛弟子じゃし? 当然じゃが? 褒めちぎってやらねばならぬが……にしてももうちょっと書くことあるじゃろうて。 これは説教じゃな、うん。 あ、そうじゃ。無茶ばっかりせぬよう誾千代の方に手紙を書いておくとしようかのう」
そう言いつつ、いそいそとアルクス達からの手紙を纏めた棚に丁寧に差し込み、筆を取るヴィオレッタであった。
尚、ターフェル魔導学院・学院長であるシマヅ・誾千代からの返送に、アルが異世界の知識を取引材料にして啖呵を切り、人間の少女達の庇護を取りつけた件を知らされて頭を抱えることになるのだが、それはそこからほんの少し未来の話である。
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