3話 入学式と巨鬼族の学院長 (虹耀暦1287年9月:アルクス15歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
アルクス達魔族と人間の混成一党『不知火』の6名は現在、どこかの貴族城も斯くやと言わんばかりに荘厳なターフェル魔導学院の正門前にいた。
なぜここにいるのか?
理由は一つ。今日は9月の初日、魔導学院の入学式だからだ。
「おお……受験者として来たときとはまた違う印象を感じるな」
ソーニャが正門に入っていく生徒らしき者達を見て感想を溢した。
らしき、と表現しているのはこの学院には一見して学生だと判別できるような統一された学生服はないためである。
その理由は入学者の種族が人間だけではないからだ。
入学者には獣人族もいれば魔族もいる。
そのすべてに対応できる制服を作るとなればコストだって相応にかかるだろう。
ゆえに学生服はなく、配布されるのはターフェル魔導学院の紋章がついた刺繍数枚と学生証しかない。
学生は襯衣や上着に刺繍をつけて登校するのだ。
『不知火』の6名も左腕の上腕部につけている。
「全員学生……ってわけでもねえな。教員っぽいのもいる」
マルクは年配のいかにもなローブを着た人を見て気のない返事を返した。
「今日は入学式と教室に行くだけ、でしたよね?」
朱髪を耳にかけて流したラウラが確認を取ると、
「うん。ま、俺達はそのあと学院の魔族ってかあの巨鬼のおねーさんのとこに乗り込む予定だけどね」
アルは首肯しつつ軽く振り向く。
合格発表の翌日から連日のように協会から呼び出されたせいで些か疲れた顔をしていた。
「あ、見て見てアル!森人族がいるよ!やっぱり魔族の中でも森人族は結構多いんだねぇ」
と言いながら龍鱗布をクイクイ引っ張るシルフィエーラ。
彼女の言う通り、長く細い耳の森人族らしき生徒がチラホラいる。
肌の色はマチマチだが、エーラと同じ金系統の髪色をしていた。
「”魔法”使ってもあんまり見た目が変わんないからかな」
「確かにマルクさんや凛華は結構変わりますもんね」
「アル殿も意味合いは違うが変わりはするな」
歩いているエーラ以外の森人族を見てアル、ラウラ、ソーニャが三者三様に反応を示す。
「単純に多いんじゃない? 確か森人族って一番か二番に魔族同士の阿呆らしい戦争から身を引いたんでしょ? 鬼人族なんて父さんみたいなのがほとんどなせいで、いまだに大陸じゃ絶滅危惧種よ。 極東の島国ってとこにはもう少しいたりするのかしらね?」
凛華の語る通り、民族間の血で血を洗う紛争から真っ先に離脱したのは森人族だ。
戦闘民族が半数を占める魔族との闘争に飽いたというのもあるのだろうが、きっと先見性が高かったのだろう。
「いつか行ってはみたいんだよなぁ、その島国。六道穿光流、中伝止まりだしってか、八重蔵おじさんより凛華の方が血の気は多いだろ」
「あぁん?なんて?」
「そういうとこだよ」
アルに頬をぷくりと膨らませる凛華は大変可愛らしいが台詞はチンピラのようである。
その時アル達6名の前に停まった馬車から蹴り出されるようにして青年が降ろされた。
思わずアル達の視線がそちらへ向く。
「チッ、グズグズしやがって。休暇中も帰ってくるなよ!わかったな!?」
「……承知致しました」
薄い金髪に灰青色の瞳をしたその青年は、投げかけられた乱暴な言葉に低い声で返した。
ラウラやソーニャのように品の良さそうな、如何にも上流階級の子息らしい顔立ちと服装だ。
腰に提げている細剣も安物ではあるまい。
「なんだ、その態度は!?」
しかしその青年の返答が気に食わなかったのか、彼を蹴り出したと思われる者が馬車から降りてきた。
金髪を後ろに固めた体格の良い青年だが、目鼻立ちが似通っている。
かっちりとした軍服のようなモノを身に纏っているあたり、こちらは生徒ではないのだろう。
「俺は別に、そんな……」
蹴り出された方はそう言ったが、
「別になんだ?俺が受からなかった魔導学院に自分が合格したからと内心で嘲笑っているんだろう!」
激昂しているオールバックの金髪は怒鳴り散らす。
「そんなことは!」
「ふん、母殺しがふざけた……何を見ている貴様ら!」
しかしようやく状況が俯瞰できたのか、オールバックの金髪は遠巻きに見ていた魔導学院の生徒達に噛みつくように怒鳴り声を上げた。
「兄上!どうか矛を収めて下さい!俺はすぐに行きますし、休暇も帰りませんから!」
縋りつくように蹴り出された方が言い募る。
だが兄の方は腹の虫が収まらなかったようだ。
「そこの貴様ら!侯爵家の長男である俺に物言いか!?」
一番近かったアル達に難癖をつけてきた。
「ほぃ?俺達?」
「カァ?」
キョトンとする『不知火』の6名と1羽。
「そうだ!とぼけた顔をするんじゃない!」
「兄上!」
アル達からすれば他の生徒達同様遠巻きに見てただけである。
ついでに言えば凄まれたところでちっとも怖くもない。
ラウラとソーニャですら不思議そうな顔をしているくらいだ。
「特に物言いはないよ。強いて言うなら、邪魔になるから馬車どかした方が良いんじゃない?ってくらい」
アルは平然と返す。他の生徒達は「そりゃそうだ」と云う顔で頷いている。
すると兄の方の金髪は羞恥と怒りに顔を染めた。
「貴族である俺に――――」
「知らん。邪魔は邪魔だろ。騒ぐのは勝手だけどよそでやれ、迷惑だ」
こういうタイプは言っても聞かない。
即座に面倒になったアルは後ろ手に手を振り振りさっさと歩き出した。
仲間達も追従する。こういうやり取りは支部でも何度もあった。今更である。
「貴様!」
「兄上、よせ!」
兄の方が腰の剣に手を掛けようとしたが、
「やめとけ」
「相手になんねーぞ」
その前にアルとマルクが一瞬だけ魔力を昂らせて鋭い声を投げつけた。
チャリっと首元の金属板を見せるのも忘れない。
銅のガワに中心が銀の武芸者認識票。
「さ、三等級だと……!」
「武芸者…………」
冷や水を浴びせられた兄の方は慄き、弟の方が目を真ん丸にする。
アル達は特段投げかける言葉もなく、さっさと歩いていく。
「……もういい!さっさと出せ!」
一顧だにもされていないことに羞恥で顔を赤く染めた兄の方は逃げるように馬車へ跳び乗って御者に指示を出した。
「へ、へえ!」
ピシリとやった御者の指示を受けて馬車が動きだす。
弟の方は立ち尽くしてそれを見送った後、
「彼らは一体……?」
と呟くのだった。
~・~・~・~
入学式が行われる体育館のような広大な空間に入ってすぐにソーニャが口を開いた。
「ああいう手合いは久々だったな」
ソーニャが言っているのはきっと先ほどの金髪兄弟のことだろう。
武芸者協会支部では時折あのような手合いに絡まれることはあったが、腕の立つ者ほどアル達の実力をしっかり測ることができるし、何より日々大なり小なり命を懸けて依頼を熟している武芸者達だ。
しょうもない諍いでそんなリスクを負おうとする愚か者は少ないし、そういった愚か者は大抵7、8等級の者達である。
兵士級と評される6等級や入りたてのぺーぺー扱いされる9、10等級は諍いを敬遠する傾向にあるし、アル達の首かかっている認識票を視界に入れない愚か者はやはり少ないのだ。
「大した使い手でもなかったわね」
ふん、と凛華は鼻を鳴らした。
数の減った魔族は家族や兄弟を非常に大事にする。
普段兄の紅椿に憎まれ口を叩いている凛華だって、心底から兄を嫌ったりしているわけではない。
ゆえにあの金髪兄弟の兄の方への印象は最悪だ。
およそ血を分けた弟に対する顔ではなかった。
「周りも見えてなかったもん。守衛さん、本気で動きそうになってたよ」
あれじゃ剣を抜いた瞬間に取り押さえられていただろう。
エーラの表情も冷たい。
「何か確執があるんでしょうか……?」
ラウラは訝しむような表情で呟く。
ソーニャは肩を竦め、
「さぁな。ま、爵位を傘に着る貴族なんぞロクでもねえってトビアスさんも言ってたし」
マルクも「どうでもいい」と返した。
「弟の方がそうでないことを祈るとしよう。同学年だろうしね……っと始まるっぽいよ。翡翠、静かにしてるんだぞ」
アルはそう言って視線を前に向ける。
「カァ~」
左肩の三ツ足鴉は「あいあーい」と言いたげに鳴いてアルの頬に羽根をすり寄せた。
凛華達5名がいそいそと壇上の方を向いている内に会場内が暗くなっていく。
ついで壇台に現れたのは2mを軽く超す、灰色の肌をした巨躯の女性だった。
瞬く間に会場が静まり返る。
(……まさか)
アルの予想を肯定するように、巨躯の女性――――巨鬼族の色々な部分が豊かな女性は口を開いた。
「これより、〈ターフェル魔導学院〉入学式を開始する! 僭越ながら式進行はこの己れ、初代魔導学院学院長にして現学院長――――シマヅ・誾千代が務めさせてもらおう!」
『拡声の術』も用いず、それでも尚響き通る大音声。
まるで戦の名乗りだ。
「おいアル……」
「ああ、まさか学院長だったとは……聞いてないですよ師匠」
前を向いたまま口をあまり開かないようにしてマルクとアルはぼやき合う。
「まずは新入生! 合格の言祝ぎを贈らせてもらおう! おめでとう! 諸君らは立派な魔導師の卵だ! これから自身の望む道に進むが為、様々な事柄をこの学院で学んでいくことだろう! だが歩む道、学びは人それぞれだ! ゆえに具体的なことは言わん! 己れ達学院の教員は全てが魔導師、諸君らの先達に当たる! 彼らからよく学び、己が糧としてみせよ!」
学院長シマヅ・誾千代はどちらかと言えば低い声質をしているがその声量のおかげか非常によく通り、ビリビリと新入生の腹を揺らした。
シィンと静まり返る新入生達。
勇敢な戦士を彷彿とさせる誾千代にすっかり呑まれてしまっているようだ。
「す、凄い迫力ですね……あまり共和国では見たことのない類の挨拶です」
「う、うむ。勇ましいな」
「どう見ても魔族の名乗りよ、あの挨拶」
「だねぇ、ボクらは少し懐かしいかも」
女性陣も顔を前に向けたままそんなことを言い合う。
「あれと交渉すんだよな?」
「……自信なくなってきちゃったかも」
壇上では学院長シマヅ・誾千代の案内の下、在校生と新入生代表が順に挨拶をしようとしている。
しかし、在校生の方はともかく新入生代表の眼鏡をかけた短髪の生徒は哀れなほどに顔色を悪くしていた。
然もあらん。
「ありゃあ学院長に呑まれたな」
「……気の毒に」
「あの眼鏡やつ、お前の代わりに挨拶してんだろ?」
「そうだった。今度会ったら謝っとこう」
アルとマルクが呑気にボソボソと言い合うなか、在校生代表と新入生代表の挨拶は少々滞りつつも進行していくのだった。
~・~・~・~
入学式が終わり、組分けされた教室に案内された『不知火』の6名。
安心したように胸を撫で下ろしたラウラが口を開く。
「皆同じ組で良かったです。違ったらどうしようかと思ってました」
そう。彼女の言う通り『不知火』の6名は全員同じクラスだった。
1年7組。それが彼等の所属する組だ。
どこかのバリバリ和名な学院長がチラつかないこともない組み分け結果だ。
「うんうん、ボクもバラバラになっちゃったら大変だと思ってたんだぁ~」
エーラもぴこぴこと忙しなく長耳を動かしながらニコニコと笑う。
「確か……四年間この組自体は変わらないんだったかしら?」
キョロキョロと同じクラスの面子を見回しながら凛華がアルへ問いかけた。
「らしいよ。基本はこの組で、学年が進んで科が変わってもここから別の教室に行くんだって」
やはり前世とは違うもんだなぁ、とアルは内心で溢しつつ頷く。
前世日本の小中高校と違って、毎年の組み分けはなく、またこの教室で授業を受けるのは最初の2年まで。
それ以降は大学の講義のように別の教室に向かうそうだ。
そして拠点になるのが今いるこの教室。
学年が変わっても変わるのは建物の階数だけで、学年で何かしらあるときの単位がこの組であるとのこと。
先ほど教科書の購入案内や購買部について事務員がそう説明していった。
担任は翌日の授業開始時が初挨拶になるそうだ。
「とりあえず、っと。ちょっと行ってくる」
「うん?どこに?」
「挨拶にだよ」
訊き返すエーラにアルは手をぷらぷら振って立ち上がった。
もう今日の予定は終わりだ。あとは寮なり下宿なりに帰るだけ。
その前にと、アルは教室の前の方に座る茶髪を短めに刈り込んだ眼鏡の生徒へ声をかけた。
「や、さっきの挨拶見てたよ」
声を掛けられた生徒は驚いたようにアルを見た後、恥ずかしそうに口を開く。
「あ、ああ。その、お恥ずかしい。急に来た話だから僕も緊張して舞い上がってしまったんだ。忘れてくれたら嬉しい」
どこか真面目そうな印象の生徒に、今度はアルの方が申し訳なさそうな顔を見せた。
「ごめん。その話、俺のせいなんだ」
「?どういうことだい?」
「ホントは挨拶頼まれてたの、俺なんだ」
「えっ!?じゃあ、君が一次試験も二次試験も満点合格だったっていう」
驚愕する眼鏡の生徒。
「あー、点数までは知らなかったけど、うん。一応首席合格はした。でもちょっと武芸者協会から呼び出しが掛かっちゃって、予定が立たなそうだったからすぐに断りを入れに行ったんだ」
バツの悪そうなアルに、
「え……協会に?」
眼鏡の生徒は驚愕から一転、少々訝しむような目を向ける。
「うん。あ、悪いことしたわけじゃないよ?依頼の話で、ちょっと上の方と情報の共有をしてたっていうか、あんまり言えないんだけど」
「あ、ああ、そういうことか。いや疑ってすまない。しかし、そうか。じゃあ君は上位の武芸者なのか?」
武芸者協会と国はズブズブにならないよう独立はしているが、協力関係は築いている。
その可能性に至った眼鏡の生徒は言いにくそうにしているアルを遮ってそう訊ねることにした。
「あー……うん。一応個人で三等級、一党は四等級だよ」
「三等級!?――――っと、す、すまない」
眼鏡の生徒は素っ頓狂な声を上げ、静まり返った教室内に気付いてペコペコと同級生に頭を下げる。
「うん、まぁそれはどうでも良いんだけど。とにかく壇上で大変そうだったから謝っとこうと思って」
「いやどうでも良くはないと思うが……まぁ、わかった。僕も良い経験をさせてもらったからな」
「そっか。あ、俺はアルクス。アルクス……ルミナスだよ、よろしく」
意図的にシルトを省いてアルは名乗り、手を差し出す。
「僕はヘンドリック・シュペーア。その、君はもしや――――」
手を握り返してきた眼鏡の生徒――――ヘンドリックが訊ね切る前にアルは頷いた。
「うん、魔族だ」
「やっぱりそうか。あー、えー……ようこそ、帝国は歓迎しようと言うべきだろうか?」
真面目腐って問うてくるヘンドリックにアルはからからと笑う。
「もう色んな人に言われたよ」
「そうか……それで、彼らは君の仲間か?」
「うん?ああそうだよ。『不知火』って名前の一党を組んでるんだ。もうすぐ一年くらいになるかな」
マルク達の方を見たヘンドリックにアルは首肯した。
「『不知火』……すまない、あまり武芸者に詳しくなくて」
「いや、良いさ。名前はつけたばっかりだからね」
「そうか。あ、ああ……じゃあ」
「うん、これからよろしく」
申し訳なさそうなヘンドリックに「じゃあね」と声をかけてアルは『不知火』の仲間達の方へと戻って行った。
実はこのヘンドリック・シュペーアという青年。
帝国南部、国境沿いに位置する辺境伯家の次男坊である。
彼が訝しんだのは、辺境伯家当主である父から自分と同い年くらいの6人一党が200を超える魔獣の群れを退けたと聞いていたからだ。
要はアル達が”鬼火”の一党なのではないか?と考えたのである。
しかしアル達はようやく『不知火』と命名したばかり。
周りの生徒達は「シュペーア?」と疑問を覚えたり、アルの認識票をチラ見して「銀!?まじかよ」となったりしていたが、二人は気付くこともなく挨拶を交わし終えたのだった。
「よ、結構話せる感じだったな。もっと固いがり勉かと思ってたが」
席に戻り早々マルクが声をかけてくる。
「だね。そもそも首席合格してる俺がこんなだし」
アルはそう言っておどけた。
「あははっ、アルはがり勉って感じはないもんねぇ。もっとこう……」
「もっと何だい、エーラ?その先を聞かせてもらおうか?」
うりうりとエーラの頬をつまむアルと嫌がっているんだかいないんだか、はしゃぐ耳長娘。
「もう解散ということだが、アル殿。そろそろ行くのか?」
そわそわしていたソーニャがそう問いかけてくる。
「だね、もう行こうか」
「い、いよいよですか」
「良い返事が聞けると良いけど、一筋縄じゃいかなそうよね」
アルが頷くと、緊張したラウラがゴクリと生唾を呑み込み、凛華が柳眉を軽く皺立てた。
彼らが今から赴くのは学院長室。
シマヅ・誾千代と名乗った巨鬼族へラウラとソーニャの庇護を申し立てに行くのだ。
交渉材料は二つ。
鋼業都市の領主パトリツィア・シュミットから120万ダーナで買う形となった嘆願書とアルが用意している秘策のみ。
『不知火』の6名は些か気合が入り過ぎたように見える様子で席を立つのだった。
* * *
ターフェル魔導学院がやたらと広いせいで移動に手間取ったが、職員に訊ねたりしてなんとか辿り着いた『不知火』の6名は今、学院長室前にいた。
扉がすでに普通のものより1.8倍ほどデカい。
明らかにあの巨鬼族に合わせて設えられたものであることは一目瞭然だ。
「さて、じゃあ交渉のお時間といきますかね」
アルはそう言ってコンコンと云うよりドンドンと扉をノックした。
「……ん?ほう、開いとるぞ。ささっと入りやれ」
果たして返答がすぐに返ってくる。壇上で聞いたあの声だ。
「失礼します」
アルがそう言って扉を開け、5名も続く。
「おう、挨拶に来ると思っとったぞ。ヴィーの直弟子と教え子らよ」
学院長の椅子にふんぞり返って座る巨鬼族――――シマヅ・誾千代はアル達の姿を認めるとそう言ってニヤリと笑った。
「俺達のこと、やっぱりわかってたんですね?」
「わからいでか。 筆記満点な上、最終問題に無属性魔力と書く若い魔族。 ヴィーが散々自慢して、そちらに向かうからよろしくと手紙で言ってきやった弟子に違いない、と思わぬ方が間抜けと云うものよ」
クク、と誾千代は笑う。
「して、何用で来やった?成績ならこれ以上ないってぇくらいに上澄みにおるだろう?」
「生徒として便宜を図ってくれるよう頼みに来たわけではありません」
「ほほう?ではそちらの人間の娘二人についてかね?”鬼火”の」
ニマニマ笑う誾千代にアルは目を見開いた。
「知ってるんですか?」
武芸者活動をしていることを。
幾らヴィオレッタの弟子とは言えど、そこまで知られているとは思っていない。
「建国の雄と言われる己れだぞ?耳がないわけあるまいて」
面白くもなさそうに誾千代は言った。
「建国の雄……じゃ学院長、やっぱあんた」
「おう、帝国史を齧ったか”狼騎士”――――いや”黒腕”だったか。その通り、初代皇帝と友誼を結んで兵を率いたはこの己れよ」
まったく早々に逝っちまいやがって、と誾千代は葉巻を取り出してゆらゆらと燻らせる。
森にいるかのような爽やかな匂いが漂う。
「演目で見たあの魔族が学院長殿だったのか……」
目の前にいるのが大それた人物だと気付いたソーニャは呆然としたように呟いた。
「うん?ああ、あの演劇か。まったく、随分な美女にやらせるもんだからしばらく外を歩けなんだぞ。知り合いには笑われるし」
困ったもんだ、と誾千代は煙を吐き出す。
「その建国の雄ならば、それ相応の権威をお持ちですよね?」
アルはえいやっと斬り込む。
ジロリとアルを見た誾千代は、
「あるが……”鬼火”の小童よ。なんぞ己れと取り引きでもしようと思っとるのか?」
呟くように問うた。
魔力なぞ発しなくとも視線だけで大変な重圧を伴っている。
ラウラはゴクリと唾を飲み下す。
しかし、アルはその重圧を真正面から受け止め、引きつりそうになる頬を気力で押さえつけて懐から書状を取り出した。
「まずはこれを」
侯爵家の家紋入り嘆願書を矯めつ眇めつした誾千代はスッと封を開け、内容にサッと目を通した。
「ふむ?侯爵家の……ほう、娘っ子二人は共和国の人間であったか」
「……は、はい」
「……う、うむ」
「なるほど。それで庇護が欲しい、とな」
「……はい」
誾千代の金の瞳に睨まれ、あえぐようにだがラウラは頷く。
しばしの沈黙。睨み合い。瞼を一度も閉じられないせいでラウラの瞳がうるむ。
どれほどの時間沈黙が支配していただろう?
「ほう、大人しい見た目の割に気骨はある……ま、構わんぞ。聖国のクソ共から守るならば喜んで手を貸してやる」
誾千代はアル達が驚くほどアッサリとそう言った。
「あ、ありがとうございます」
「感謝します」
ラウラとソーニャが揃って頭を下げる。
しかし誾千代はニヤリと笑って金の瞳をアルへ向け、
「けども、だ。”鬼火”の、お前、何か持っとるだろう?」
そう問うた。
「……ええ、喜んでと仰いましたがどれほど手を貸してくれますか?」
アルは『気付かれたか』と思いつつ、不躾にも問い返す。
どの程度庇護してくれるのか?と。曖昧には済まさないぞ、と。
「クク……お前を見ていると、『策がある』なんぞとほざいて敵陣で自爆してった兵共を思い出すよ。 礼儀を弁え、しかれども我を通すためならば骨すら斬らせる生意気さ。 ”鬼火”の小童よ……悪くないクソガキっぷりだ。 ヴィーの苦労がよくわかる」
カカカ、と誾千代は笑う。
まるで悪鬼のような形相にラウラとソーニャは立ち竦んだ。
「お褒めに与り光栄です」
しかしアルは涼しい顔で言ってのける。
「褒めておらん。それでお前は何を対価に差し出し、この己れから何を巻き上げるつもりだ?言うてみい」
葉巻を灰皿にこすりつけ、誾千代が問う。
「いついかなる時でも求められれば物理的、権力的庇護を行ってくれるという確約を欲しています。有事の際は共和国への連絡もお願いしたい」
アルは傲岸不遜に述べた。
「して、対価は?」
誾千代は表情を動かさず、目を細めるだけ。
そこでアルは生来の悪戯坊主らしい笑みをニヤリと浮かべてのたまった。
「異世界の知識、要りませんか?」
そしてトントンと己の側頭部を叩いてみせる。
「「「「なっ……!?」」」」
「……そういうことかよ」
女性陣が言葉を失い、マルクが愉快そうに笑う。
「異世界の知識、とな?どういうことか、申してみよ」
思ってもみなかった提案に誾千代は表情を動かさずに訊ねた。
「師匠から俺が半龍人だっていうのは知らされてると思います」
「知っておる。お前が生まれる少し前なのであろう。そちらに半魔族はおらぬか?と文が届いたゆえな」
その回答にアルはさすが師匠、とほくそ笑む。
「ええ、俺は半龍人…………そして転生者です」
「なに……?ヴィーのやつ、言うておらんかったぞ」
誾千代の瞳がほんの少し揺れた。
「だと思います。 まぁ師匠にはすぐに言ったんで知ってますけどね。 そこはいいんです。 肝心なのは俺の転生が普通の転生と違って異世界からの転生ってことなんです」
「異世界……本当にあったのか」
誾千代の興味は大いにそそられたようだ。
「ええ。前世の俺がいた世界では魔力も魔素もありませんでした」
「なんと!」
今度こそ誾千代は驚いた。
300年以上この世界で生きているからこそ、そんな世界があることなどとてもではないが信じられない。
「ですが、この世界より発展しているところもあったし、劣っているところもありました。少なくともどちらが文明としてより優れているのか、俺でも見当がつかないくらいに発展しています」
「……なるほど。続けてみよ」
「前世の俺が過ごしていた二千年を超える歴史を持つ国、そしてそれを更に上回る時のなか存在し続けている異なった世界。その知識の一端を知りたくありませんか?」
アルと誾千代の視線が交錯する。
「……騙りやも――――」
「師匠が新しく開発した『長距離転移術』。 今までなぜ『短距離転移術』しか扱えなかったのか? 座標を幾ら計算しても狙い通りにいかなかったのか? 原理は御存知ですか?」
唐突なアルの問いに、誾千代は鼻白みながら頷いてみせる。
「知っておる。あやつに散々自慢されたゆえな」
今までの『短距離転移術』は目視可能距離までしか行えなかった。
どうしても見えない位置にまで行くと座標がズレる。
具体的には上空へ飛ばされてしまうのだ。
「その理由は、今俺達のいる大地がおおよそ球形をした惑星だからです。 師匠はどうやってその結論に至ったと思いますか? いや、どうやってそれに気が付いたのだと思いますか?」
アルの怒涛の質問に、誾千代は「まさか」という顔をした。
「俺の前世は科学で発展した世界です。前世の俺が生きた時代より400年も前に”地球”という概念も、”地動説”という考え方も、”万有引力の法則”という重力に関わる法則も見つかっていました」
誾千代が驚愕の目をアルに向ける。
―――――ヴィーの『転移術』の飛躍はこやつの……。
「立証は難しかったですし、拙い説明だったでしょうけど師匠は形にしてみせましたよ」
悪そうに笑うアルは止まらない。
「それと魔導列車、あれも学院長が開発に従事されたと読みました。 ですが前世の俺がいた世界では、”新幹線”と呼ばれるものが街と街を最高時速三〇〇km以上で結んでましたよ」
「クッ……ハハハハハッ!ガッハッハッハッハッハ!」
そこまで聞いた誾千代は呵々大笑し、
「良い!良かろう!”鬼火”の小童!お前の言う条件、呑んでやろうではないか!」
と心底愉快そうに笑い声をあげた。
「取引成立ですか?」
フッ、と安心したように笑うアル。
「おうさ!まったく、良い度胸しておる!己の脳を切り売りする覚悟まで持っておったとは気に入った!」
「あ、でも軍事に繋がりそうな情報は出しませんからね」
ここはアルにとって譲れない一線でもあり、昨日前世の自分からようよう注意を受けていたことだ。
「構わぬ!己れも馬鹿な戦争なぞしとうもないゆえな!」
そう言うと誾千代は立ち上がり、ガシガシとアルの頭を撫で繰り回す。
「ヴィーから自慢はされておったが、愚痴も聞かされておってな。理由がわかったわい!この生意気坊主め!」
「えぇ?心外です。師匠はそんなに愚痴ってましたか?」
おわわ、と声を上げながら不満そうにアルが問うと、
「おうよ、三回に一回は愚痴だったぞ。何か思いついたらすぐ突っ走っていって困る、と」
豪快に笑いながら誾千代が頷いた。
「ふむ。師匠に抗議しとかないと」
「仲間の顔を見てみぃ、よーく物語っとるぞ」
「ん?」
くるりとアルが振り向くと仲間達5名はみな一様に「聞いてないぞ」と云う表情を浮かべていた。
「あっ」
この後即座に仲間達から突き上げを食らうアルだったが、語るまでもないことだろう。
誾千代はしばらくは愉快なことになりそうだ、と内心で独り言ちるのであった。
評価や応援等頂くと非常にうれしいです!
是非ともよろしくお願いします!