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【10.9万PV 感謝!】日輪の半龍人  作者: 倉田 創藍
武芸者編ノ伍 鋼業都市アイゼンリーベンシュタット編

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17話  運河の戦い  (虹耀暦1287年4月:アルクス15歳)

2023/10/10 連載開始致しました。


初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。


なにとぞよろしくお願い致します。

 鋼業都市アイゼンリーベンシュタット西部。都市の隣接している運河は他都市との物流を行う為の重要な流通経路の一つだ。


 魔導列車が帝国に普及するまでは物資の輸送と言えばこの大運河が連想されるほど、昔から船の行き来が盛んである。


 ラウラ達が陸でばったりミリセントと鉢合わせしていた頃、運河の一部はまばらに青白く透き通る冰で覆われていた。


 また冰が張ってある中心部には、中の船員が立っていられないほど傾き、大穴の空いた貨物船が一隻と後方の搬入口が開いた貨物船の計二隻が浮かんでいる。


 そこから少し下流では大砲による砲撃を行っている同型貨物船もあった。狙われているのは主に冰によって傾けられている一隻の方だ。


 他の商船や貨物船も当然あるにはあるのだが、砲撃に気付いたようで慌てて距離をとろうとしている。


 そして、後方搬入口がぽっかり空いた一隻では人間態のマルクガルムとグリム氏族へ協力していると見られる黒紋豹人族の三等武芸者ヤニクがぶつかり合っている真っ最中だった。


「どうしたどうしたァ!威勢が良いのは最初だけか!?」


 ズパァン!と鞭のようにしなる蹴りが防御姿勢を取ったマルクを打ち据える。


 黒紋豹人族の発達した獣脚に蹴り飛ばされたマルクがザザーッと滑っていく。


 劣勢なのだ。


 自らの手で優位性アドバンテージを捨てたのだから至極当然の理屈ではある。


 しかしマルクの戦意は一切落ちていなかった。


 激情に彩られた灰紫の瞳がその証明だ。


「・・・」


 ヤニクは生意気を言った人狼族の若者を睥睨して一言。


「小僧、さっさと”魔法”を使え。もう充分であろう?その姿で吾に勝てる道理が何処にある?」


 傲岸不遜に告げる。しかし急所を守るように掲げていた腕を下ろしたマルクは鼻で笑った。


「やなこった。聞いてなかったのか?てめえ相手に”魔法”は勿体ねえってよ」


 マルクはこの純血至上主義の獣人族との戦闘で『人狼化』する気が毛ほどもない。


 『部分変化』すらしないと心に決めている。


 なぜなら眼前のヤニクが知りもしないくせして混血種であるアルクスを悪し様にするような発言をしたからだ。


 プツンときたマルクはアルクスと同条件でこの獣人族を打ち倒す気でいた。


 ―――――このジジイに現実ってもんを教えてやる。


 その為なら多少の怪我などどうということはない。


「何の意地かは知らんがその強情さが命取りになるぞ」


 ヤニクはマルクの態度が気に入らなかった。


 いくら殴りつけようとも、どれほど蹴りつけようとも戦意を失わず、切り札(”魔法”)を使わない。


 使う気配さえ滲ませない。


 ”魔法”を使っていない魔族と純血たる獣人族の戦士同士が戦えば軍配は獣人族側に上がるのが世の道理。それを覆すのが”魔法”だ。


 ヤニクにとっては不利になるはずと踏んでいたからこそ猫獣人であるグレースへ奇襲を仕掛け、場を掻き回したはずだった。


 それがどうしたことだろうか?


 グレースとその半獣人の娘を逃がし、あろうことか”魔法”を縛って挑んでくるとは。


 ヤニクからすれば愚かの一言に尽きる。己の手で不利な環境に身を置くなどおよそ戦士とは程遠い。


「そんなことは俺に少しでも痛手を負わせてから言え。てめえの拳も蹴りも軽過ぎんだよ」


 しかしマルクは馬鹿にするような顔で痛烈な皮肉を浴びせかけた。


 事実、ヤニクの持つ鋭い爪によってその腕や頬には幾つもの切創が刻まれているが身体の芯に残るような打撃はこれっぽっちも受けていない。


 相手が父マモン・イェーガーであれば今頃はもう立てなくなっているだろう。


「・・・良かろう。ならばこれではどうだね!」


 癇に障ったらしい。


 唇をヒクつかせたヤニクは太くしなやかな獣脚で船倉の床を踏み切り、一直線に平手突きを見舞ってくる。身体的特性を生かした一撃だ。


 ―――――迅えな。これがいつもアルが見てる景色か。


 ”魔法”を使えば身体能力や動体視力が飛躍的に上がる傾向にある魔族は”魔法”が使えぬアルからすればさぞや脅威だったことだろう。


 ―――――けど、あいつは臆したりなんぞしねえ。前に前にっていつも突っ走って行きやがる。


 思い返すのはやはりあの時のことだ。マルクの意識が変わったあの出来事。


 高位魔獣”刃鱗土竜”との戦い。


 あの時だってアルは知恵と勇気を振り絞って誰よりも戦っていた。


 ―――――だからこそ我慢ならねえんだ。


 マルクにとってこの戦いは新鮮の一言に尽きた。


 普段は高い機動力を誇る狼脚も、人間態では獣人族に大きく劣り、鋼の剣すら受け付けない毛皮も今は発現してない。


 魔力以外では有利な面が見当たらないのだ。


 ―――――親父はどうやってたっけ?


 一瞬で目前に肉薄してきたヤニクが平手にした指先に闘気を纏わせる。


 魔力の多い魔族の闘気による防御を貫く為の秘策。


「ずえあッ!」


「ちっ」

 

 マルクはスレスレで見切り、肩口の表面を引き裂かれながらも半身になってどうにか躱した。


 即座に左手でヤニクの手首を掴み、腰を落としつつ身体を一回転させて投げ飛ばす。


「どおりゃっ!」


 一本背負いの要領だ。しかしヤニクは空中で身体をしならせ、華麗に着地すると同時蹴りを叩き込んできた。


「その程度!ずあッ!」


 パァン!という破裂音染みた衝撃音が咄嗟に闘気を纏ったマルクの左腕から上がる。


 すぐさま右手で雷をバチイッ!と放射して返すマルク。


 ヤニクは獣脚で一気に後退し(バックステップ)貨物用軽金属箱コンテナに跳び乗った。


「ふむ。吾への怒りを感じるぞ、人狼族の若者よ。貴様の言う半魔族とやらは実在しているし、余程親しいらしい」


 黄褐色の長髪を靡かせてヤニクは嗤う。


「・・・・・」


 マルクは答えない。


「当たりか。貴様の怒りはその者を侮辱されたことに起因すると見える。どこの魔族か知らぬが愚かなものだ。己の手で一生庇護しなければならぬ存在を生み出すとは」


 ―――――コイツ、今なんつった?


 マルクは初めて嚇怒というものを覚えた。


 知りもせずに好き勝手なことをほざくヤニクへの殺意が止まらない。


 ヤニクはマルクが発した魔力の波動と鋭くなった殺気を感じ取ってせせら笑う。


「ほうほう。悪くない殺気だ。だが吾に勝つ手はなかろう?魔力の多い人間並の力では。

 ふむ・・・もしや貴様の言う半魔族とやらもそうなのかね?まさか”魔法”が使えんとは言うまいな?」


「てめえ・・・!」


 ―――『ムキになるな、マルク。こと闘いにおいて感情とは、利用するものであって流されるものではない』―――


 怒りに身を任せかけたマルクの脳裏に幼い頃に受けたマモンの言葉が走った。


 ―――――そうだった・・・・・落ち着け。


 無理矢理怒りを抑え込んだマルクは父からの教えを反芻する。


 感情とは消さず、吞まれず、戦意に繋げるべき己の大事な武器。


 そして敵の感情すら利用してみせるのが一流の戦士というものだ。


 ヤニクはマルクの反撃手段が乏しいと指摘した。


 それは紛れもない真実。脚力では敵わず、動体視力もあちらの方が今は上だ。


 しかしまだマルクは殺されていない。負けていない。


 それは今まで培ってきた戦闘勘と強者や同格相手との戦闘経験のおかげに他ならない。


 そしてそれは、ヤニクにも少しずつマルクの体力を削るという手立てしかないということを指し示す確たる証拠。


 先程の一撃でそこそこ広い損傷を負う羽目になったが、深くもない。


 闘気の一極集中によって薄く展開していた闘気こそ破られたものの、もう少し分厚く展開すれば《《吞めないこともない》》だろう。


 あとは何か一つ。


 ―――――ヤツの感情を利用して一気に崩す。


 マルクはヤニクを睨めつけながら思考する。


 そのうえで手っ取り早く感情を乱すなら怒らせるのが最適だと判断した。


 ―――――コイツの神経を逆撫でするようなこと・・・・


 グレースと彼のやり取りを思い返してマルクは閃くとすぐさま口を開いた。


「・・・聞きてえことがある」


「何だね?」


 僅かに鼻白んだ様子のヤニクが問い返してくる。


「グレースさんが『焼きが回った』って言ってたのはどういう意味だ?

 あのルドルフって野郎の使いっ走りはそんなに屈辱なのか?」


 ヤニクは忌々し気に舌打ちを漏らし、すぐさま表情を消した。


 しかしマルクは黒紋豹人族の顔に浮かんだ負の想念を見逃さない。


「・・・ルドルフ・グリムは四半獣人。あの女は純血種たる吾があの男の下についていると皮肉を言ったつもりなのであろう。まったく勘違いもあそこまで酷いと笑えてくる」


 ヤニクは感情を感じさせぬ平坦な声音で告げる。しかし言葉とは裏腹に少しも笑っていない。


「四半獣人?あの野郎が?」


 ―――――香水のせいで気付かなかった。アルやソーニャ達とぶつかってねえといいが・・・


 マルクは心中で仲間を慮る。


 情報と言うのは重要だ。こと1秒にも満たない猶予で選択を強いられる殺し合いでは。


 おそらく仲間内の誰もルドルフが四半獣人だとは気付けていない。


 山岳都市ベルクザウムにレオナールという知り合いの武芸者がいるが、彼はなかなか鋭い感覚と剛力を持っていた。


 そしておそらくルドルフはこの《《ヤニクという男より強い》》。


「そうだ。吾はヤツに協力しているに過ぎん」


「へぇ、けどそいつはたぶん嘘だろ?」


 マルクの返しにヤニクは眉を吊り上げた。


「何だと?」


「協力なんつってたがただ扱き使われてるだけだろ?って指摘してんだよ」


「馬鹿なことを」


「てめえよかあの野郎の方から得体の知れねえ何かを感じた。詳しいことなんて知りもしねえが、ボコボコにされたから従ってんだろ?純血が強いなんてよくも寝言ほざけたもんだぜ」


 マルクがそう嘲った途端、怒りの形相を浮かべたヤニクが踵を叩きつけてくる。


「危ねえな」


 ドガァン―――――!


 些か単調過ぎる一撃だ。難なく躱したマルクは心中でほくそ笑んだ。


「寝言をほざいたのは貴様だ、小僧」


「てめえは船の警備担当なんだろ?あれ?なんで従ってんだ?」


「黙れ!」


 怒りを込めた鎌の一振りを連想させる蹴りが飛んでくる。


 ズパァン!と吹き飛ばされるマルク。


 しかしあまりに読み易かった為、防御は間に合っていた。


「吾の目的と合致していたから力を貸しているに過ぎん!」


 怒声を浴びせかけるヤニクにマルクはすぐさま口を開いた。


「なんでそんなまだるっこしい真似してんだ?

 あのルドルフって野郎をぶん殴って従わせりゃあ良いじゃねえか。

 混血は従者にでもすれば役に立つって言ってたろ。なんで逆転してんだよ」


「黙れ小僧!吾は氏族集団を采配するのが面倒だったというだけだ!憶測でほざくでないわ!」


 痛いところを突かれたのかヤニクは言い返しながら獣脚による蹴りを放ってくる。


 今度は槍の突きのような連撃だ。


 だがこの攻撃も迅いというだけ。


 マルクは直撃しそうなものだけ選び取って闘気を纏った両腕でいなす。


 そして更に言い返した。


「面倒ね・・・そりゃおかしな話だ。グレースさんに昔純血主義者の派閥に入れって誘いをかけたんだろ?

 つまり人手はあっても困らねえってことじゃねえか。

 だったら丁度いただろ?ルドルフっていう氏族を束ねてる野郎が。

 そいつに連中を纏めさせて、てめえはふんぞり返ってりゃいい。違うか?」


 煽り散らし、ニヤリと笑って見せるのも忘れない。


「ぐ・・・小僧ォ!いい加減黙らんか!」


 ヤニクは憤怒の形相でマルクを引き裂かんと爪撃を繰り出す。


 稚拙に過ぎる攻撃だ。


 マルクは頬を削られながら雷撃を浴びせ、トォンと後退した。


「《《当たりか》》」


 そして憎たらしく先程のヤニクの言い方を真似る。


「貴様・・・!もう容赦はせんぞ・・・!」


 目を血走らせて唸るヤニク。


「ほざけよ。してなかったくせによくもまぁ言えたもんだ。むしろまだ上があるってんなら見せてもらおうじゃねえか」


 マルクはハンッと笑って挑発した。


「生きては返さん」


「やってみな」


 重い獣脚がドン!と金属床を蹴りつけて加速する。


 マルクはスウッと左半身を前出して構え、フッと息を吐いて踏ん張った。


 ブオッ!と振り回された獣脚がマルクを襲う。


 ヤニクが狙ったのはマルクの首だ。


 鎖鞭のような一撃で蹴り折ろうと迫るが、マルクは闘気を左腕に纏ってほんの少しだけ上に軌道を逸らした。


 ヤニクはすぐさま身体を一回転させながら、バヒュッ!と回し蹴りを放ってくる。


 しかしマルクは左腕だけでその蹴りを払った。


 それに怒りを増長させたヤニクは回転を上げ爪撃、蹴撃を浴びせかける。


 黒紋豹人族は紛れもなく武闘派の獣人族だ。


 その中でも武芸者として戦いをやめなかったヤニクの乱撃。


 振るわれる拳と獣脚をハッキリ視認できる者の方が少ない。


 マルクの肩や腕、頬が削がれ、血飛沫が巻き起こる風に乗って船倉の壁をピピッと汚していく。


 近くに入れば豪風のような風圧すら感じただろう。


 ヤニクは苦しんでいるような、笑むような歪んだ表情を浮かべている。


 しかしそれは・・・・・・正しく前者の表情だった。


 苦しんでいるのだ。


 なぜなら自慢の爪にも、誇りある獣脚にも眼前の人狼族の若者を打ち据えた手応えが一切ないからだ。


 確かに血は派手に飛び散っているが直撃はしていない。


 それどころかマルクはその場から()()()()退()()()()()()()()


「ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・・・小僧、貴様・・・!」


「それが本気か。やっぱてめえに”魔法”は勿体ねえ」


 血塗れながらマルクは平然と言ってのける。


「小僧ォ!」


 ヤニクが苦し紛れに繰り出した胴蹴りをマルクは肘でゴッと打ち捨てた。


「さっきも言ったろうが、てめえの攻撃は軽過ぎるって。派手な割に大した威力もしてねえから不思議に思ってたが、やっとわかったぜ」


「何を・・・!」


 カッとなるヤニクにマルクは冷淡な目を向ける。


「てめえは怯えてんだ。だから最後の最後で竦んじまって身の入ってねえ一撃しか打ててねえ」


「な、にを・・・!?」


 無自覚の真実を告げられて後ずさりするヤニクにマルクは核心を告げた。


「怖がってんだよ、てめえは。自分てめえより弱いと思ってる奴に負けるのを。純血だのなんだのって下らねえ誇りがてめえの弱さの根っこになって巣食っちまってる」


「貴、様・・・!言うに事欠いて・・・!」


 息を荒げながらも否定しようとするヤニク。しかしマルクは無情に続ける。


「ルドルフって野郎に唯々諾々と従ってんのが良い証拠だ。もう反抗する気もねえんだろ?手を貸してやってる?笑わせるぜ」


「だ、まれ!貴様にあの男の何がわかる!?あの恐ろしさを貴様は―――――!」


 ヤニクは薄ら笑いを浮かべるルドルフに切り刻まれかけた過去をフラッシュバックして怒声とも悲鳴ともつかない叫びを上げた。


「知らねえな。わかってんのはてめえの主義主張があべこべだってことだ。四半獣人に飼われてる獣人が純血主義だとか、なに寝言ほざいてやがんだ?」


 ヤニクの怒声も涼しい顔でいなしてマルクは淡々とぶった切る。


「こ、小僧ォ・・・!」


「純血だろうがそうじゃなかろうが強え奴ってのはいるんだよ。それを認められねえてめえなんざその程度だ。身体的特性に縋った強さなんざ一定のとこで頭打ちになる」


 これはマルクではなく、マモン()隠れ里(ふるさと)で言われてきた言葉だ。


 古くは種族間で戦をしていた時代に生まれた概念。


 強力な”魔法”を行使できる魔族が他の魔族を圧するのに必要だった知識であり、技術でもある。


 いくら強力だろうが対策を立てられないモノなぞこの世にはそうそうない。


 魔術同様、”魔法”とて万能のシロモノではないのだから。


「吾がこの、程度だと・・・!?」


「ああ。種族でしか強さを測れねえてめえにこれ以上はねえよ。

 ルドルフの野郎に再戦する気もなけりゃ寝首掻く気もねえ。

 しょうもない主義すら折られて、己より弱いヤツを見下してるだけの三下に成り下がったのさ」


「わ、吾はそんな弱者ではない!吾とていつかルドルフ・グリムを――――――!」


「それがてめえの限界なんだよ。てめえ自身がよくわかってんだろ?」


 灰紫の瞳が冷ややかにヤニクを貫く。


「だ、だまれっ」


「てめえの言う純血がてめえ自身を弱くして縛り上げてきたことに気付かなかったとは・・・・・とことん哀れな野郎だ」


「だ、黙れと言っておろうがあああああっ!」


 冷めた視線を向けるマルクにヤニクは足に差していた大振りの爪を思わせる曲線をした短剣を取り出した。


 本能的に勝てないと悟ったがゆえの行動だろう。


 自慢の爪すら使おうとしない哀れな純血至上主義者の末路だ。


「あああああああああッ!」


 獣のような雄たけびを上げ、ヤニクが一足飛びに間合いを詰めてマルクの喉元に爪剣を突き立てようとした瞬間だった。


「『影狼』」


 ざわっと鱗のように蠢いたマルクの左腕にある墨色の闇が左掌に集中する。


 マルクはそのまま突き込まれた爪剣に宛がうと一気に衝撃を《《相殺した》》。


「な、あッ・・・!?」


 そしてすかさずヤニクの右手首を掴むと、畳んでいた膝を素早く伸ばしつつ腰の捻りと共に膝蹴りをドッゴオッ!と叩き込む。


「ゴぉ――――ばぁッ!?」


 闘気を込めた鋭い膝蹴りの衝撃がヤニクの腹部を貫き、その恵まれた体躯を浮かせる。


「ゔっ・・・あ゛っが、ハッ・・・!」

 

 頽れるように膝を折ったヤニクは、身体中の力を搾り取るような芯に響いた攻撃によって胃液とよだれを吐き出し、顔を青褪めさせて「ヒュ・・ハッ」と藻掻くように息を吸う。


 酸素が足りない。


 そこに声が届いた。


「おい、クソったれ。覚悟はいいな?」


 メキィ―――――!


 景色が歪む程の闘気を滲ませ、右拳を握りしめたマルクだった。


「・・・・や、やめ」


「やなこった。散々虚仮にしてくれやがって、ちったぁ世の中見て回って来やがれ!この引き籠り野郎が!おらァッ!!!」


 ヤニクは己の顎からパ、キ・・・という音を聞くと同時にドグシャアッという轟音が身体中で鳴り響く感覚に襲われる。


 直後、衝撃。狭く明滅する視界。


 わけもわからず目を開くと青白い冰と夜空より暗い水面が高速で流れていく。


 違う。流れているのではない。


 ―――――ヤニク()が飛ばされたのだ。


 そう知覚した時には水切りをするように岸沿いを吹き飛んでいた。


「ゴッ・・・ガッ・・・ぃギッ・・・ぅボォッ・・・!」


 そのまま数十m(メトロン)堤防や河壁に身体中を折られ、倉庫街の河端に激突する。


「・・・ガ・・・・あ、カッ・・・・・・」


 ヤニクは激痛と定まらない視界と思考の中、気を失った。


「ふうっ!スッキリしたぜ!」


 右拳を振り抜いた姿勢でヤニクを見届けたマルクは独り言ちる。


 そしてすぐさま左腕を『部分変化』させて背後へ告げた。


「やるってんなら遠慮なく”魔法”を使わせてもらうけどよぉ・・・・どうすんだ?」


 数人だけ残ってこちらを窺っていたグリム氏族の構成員達が全員跳び上がる。


 あわよくばと思っていただけに心底肝を潰した。


 そして顔を見合わせる。


 あのヤニクに”魔法”なしで勝てる魔族。こんな数人で勝てるワケがない。


 誰ともなしにブンブン首を振った。


「そうかい。んじゃ武装解除してその檻ん中入りな。抵抗したら刎ねる」


 マルクは船倉に残っていた檻へ雷撃をパチッと当てる。狼爪を見せるのも忘れない。


 グリム氏族の武芸者達はすんなり檻へと入っていくのだった。


「さてと、砲撃は止んだらしいけどあいつらはどうなってんのかね」


 格子扉を力任せに嵌め込んでグシャリと固定したマルクの呟きが船倉内より暗い運河へと流れていく。



☆★☆



 マルクが黒紋豹人族ヤニクと戦闘を開始して少しした頃、もう一隻から強引な手段で虜囚を解放した凛華とシルフィエーラは下流側の一隻から砲撃を受けた。


 船を傾けるなんて手段を取ったのが主な原因だが簡単に気づかれたらしい。


 判断は一瞬。頷き合った凛華とエーラは別行動で砲撃してくる貨物船を落とすことにしたのだった。


 凛華は適宜生み出した冰を足場に一直線に敵船へと駆けていく。今は既に夜。敵戦までは数百mといったところか。


 凛華はチラリと振り返った。明かりも持たない虜囚を狙い撃つのは至難の業だろう。あまり気にしなくて良さそうだ。


「っと!」


 そんな風に思考していた凛華の足元に衝撃音と共に砲弾が飛んでくる。しかし、突如として飛来した閃光によってパァン!と砕け散った。


「エーラね!良い仕事してるわ」


 凛華は快哉を上げる。幼馴染の森人なら緩やかな放物線を描いて飛んでくる砲弾を撃ち落とすくらいわけないだろう。それでも見事な腕だ。


「あたしも仕事しないとね!」


 そう言うと軽い拍子リズムで冰を生み出しては跳ぶように駆けていく。


 数十秒後、貨物船に辿り着いた凛華は冰を足元に吹きつけることで冰柱つららを逆向きに生やし、ヒュオッ!と身軽な動作で甲板へ着地した。


「魔族だ!敵襲!敵襲だ!」


「クソ!あの砲撃を潜り抜けて来るなんて聞いてねえぞ!」


「あんなの当たるわけないじゃない」


 ストンと舞い降りるように着地した凛華は尾重剣を抜きざま、近場にいた武芸者を殴り飛ばす。


「ぶげェッ!?」


 錐揉みしながら吹き飛んでいった武芸者は甲板上に設置されていた大砲に良い音をさせてぶつかった。


 大砲自体は船に備え付けのものではなく、移動式のようだ。おまけにかなり型が古い。前世日本で言えば幕末から明治にかけて戦場で活躍していたような形をしている。

 

 駐退機はついているので発射の反動を砲身の後退で吸収する為、精度自体はそれほど大きなブレは発生しない。それでも帝国軍が用いる最新式の火砲に較べたらやはり骨董品扱いされる代物だろう。

 

 何せ現行の帝国式火砲は砲弾の形状も違えば、発射機構も違う。発射には火薬を必要としないのが現行の帝国式火砲である。それは艦砲とて変わらない。


 グリム氏族の貨物船に搭載されている大砲が旧時代のものである理由は非常に単純だ。そもそもの造りが戦闘を考慮していない貨物船だからである。


 軍艦と違って艦砲など設置してしまえば発射の反動で船体が歪んでしまうし、何よりそんな最新鋭の火砲をただの武芸者組織が持っていれば間違いなく検査の際にお縄を頂戴することになるだろう。


 グリム氏族を束ねるルドルフとしてもそれは避けたい。しかしながら積荷が積荷だ。武装は必要。


 そういった理由で軍の目も然して厳しくない骨董品を用いているのだがそんな事情、凛華には関係のないことだ。


 満月の光を反射する金環の浮いた青い瞳が甲板上のグリム氏族構成員達を睥睨する。


「二度は言わないわ。砲撃を止めなさい」


 堂々とした物言いに船員や武芸者達は呆気に取られ、その後激昂した。


「フザけんじゃねえ!仕掛けてきたのはそっちだろうが!」


「誰が止めるか!言い触らされちゃこっちの商売上がったりなんだよ!」


 人身売買に手を染めておいて自分勝手な理屈を捏ねるグリム氏族。凛華は冷たく言い放つ。


「そ、じゃあぶった斬るわ」


「やってみろやァ!」


「テメエも売り飛ばしてやんよ!」


 魔族に手を出せばどうなるか、知っていても彼らとて後には引けない。武芸者達は凛華へ殺到した。


 


 その数百m上流。傾いた貨物船の帆柱マストに驚異的なバランス感覚で立っていたエーラは鮮緑に輝く目を細める。


「砲撃が緩くなった。凛華だね」


 下流の貨物船から降り注いでいた砲弾の数が一気に数を減らしていた。きっと凛華が甲板で大暴れしているからだろう。


 ―――――今ならいける。


 決断するや否やエーラはカッと目を見開き、自身の”魔法”である『精霊感応』を行使する。鋼業都市とはいえ運河沿いには樹木達もいるし、何より草木の一つ一つが森人の友だ。


 半ば無意識に矢を射って、貨物船からの砲撃を迎撃し、流れ込んでくる情報に意識を集中した。


 河岸の樹木、水草、建物の隙間から生えている雑草。そういった植物達の聞こえぬはずの声、共有されぬはずの視界を想念としてエーラは受け取り、統合していく。


 精霊から知り得た多角的な情報スキャンデータを脳内で処理し、正確にくみ上げる―――これこそが森人の真髄だ。


「うん、大体わかったよ。案外多かったね」


 そう呟くと矢筒から残っていた矢を《《ほとんど》》引き抜く。次いでその矢が数本ずつ捻じれるように纏まっていき、太矢となっていった。


 更に太矢同士を束ねると、今度はギュルギュルと長く伸びていき、最終的にエーラの身長の3分の2ほどに達するほど長い太矢へと変化する。矢尻は鏑のような形状だ。


 それを確認したエーラは帆柱マストの頂点近くで足場を確かめ、ゆったりと息を吸いながら和弓を彷彿とさせる複合弓の弦を大きく引き、動きを止めた。


 ほんの数秒。エーラは瞳を鮮緑に輝かせて、細く、細く息を吐き続ける。


 そして放った。『燐晄縫駆・枝垂柳』と同じ、エーラだけの絶技を。


「『燐晄驟墜(しゅうつい)舞香花もうかばな』」


 キィンッ・・・・・!


 独特の弦音と共に放たれた長矢は、これまた独特なヒョロロロロ―――――ッ!という甲高いホイッスルのような音色を響かせて夜空を翔け上っていく。


 そして、高空まで到達すると滑らかな『燐晄』の尾を残して落ちてきた。




 エーラが天へ射た長矢の鏑音を聞いた凛華は、ニッと鬼歯を剥いて不敵に笑むと眼前の武芸者が大槌を振り下ろすより先に尾重剣で胴を薙ぎ払う。


「ぐぎゃあっ!?」

 

「畜生!相手はたった一人なんだぞ!」


「それより今の光はなんだ!?」


 騒ぐグリム氏族と彼らを乗せた貨物船の直上に迫る『燐晄』を纏った長矢。

 

 長矢は高度を落とすごとに段々と弾け解けていき、次の瞬間―――パッ!と破裂したと錯覚させるほど眩い『燐晄』の華を咲かせ、大量の矢をあらゆる方向へバラ撒いた。まるで何千倍にも大きくなった線香花火のようだ。


「んなあっ!?」


「おいおいおいおいおい!」


 色を失う敵武芸者達を横目に凛華だけは平然としている。それはシルフィエーラという少女をよく知っているから。


 それを証明するかのように凛華は一歩たりとも動かない。甲板上に闘気から生成された貫通力の高い光の矢が雨のように降り注ぐ。


「う、う、おわああああああっ!?」


「お、お、お、あああああああっ!?」


 阿鼻叫喚とはこのことだ。しかし凛華の目前で繰り広げられているのは殺戮などではない。


「な、な、え・・・?嘘だろ・・・?」


「た、大砲が・・・・!」


 グリム氏族の武芸者達も気付いたらしい。エーラの狙いは甲板上にいる敵を射貫くことではない。

 

 大砲を潰すことだったのだ。旧時代の骨董品とは言え、威力は本物。いまだ陸まで辿り着けていない虜囚がいる以上、脅威の排除を最優先にするのは当然のことである。


 甲板上に設置されていた移動式大砲は止むを得ない事情で古かったのだが、それでも整った砲列は壮観ですらあった。


 それがいまや無残に砲身を貫かれているものもあれば、薬室部を灼き消され完全に機能しなくなっているもの、砲身の支えである砲架を熔かされて無様に倒れ掛かっているもので溢れている。


「エーラ、あんたやっぱ凄いわ」


 凛華は届いているといいなと思いながらエーラの絶技に惜しみない称賛を贈った。そして尾重剣を腰に構えて甲板をダンっと踏みつける。


 敵の注目が集まるのを確認した凛華は傲岸不遜にこう告げた。


「あんた達の負けよ。もう諦めなさい。抵抗しないなら斬らないであげるわ」


 普段はアルがやる最後通告だが今はいない。都市の争乱を収める為にも下手人の検挙が必要なのは凛華も理解している。


 その為の通告だったが、まだ成人もしていない美鬼に上から物を言われたグリム氏族の構成員達は憤怒の表情を浮かべ、おもむろに倒れ掛かっていた大砲に駆け寄って砲身を凛華へ向けた。


「ふざけんじゃねえぞ!クソ魔族が!」


 ド――――――――――ンッ!


 間髪入れず、至近距離で放たれる砲弾。しかし、凛華は落ち着き払って尾重剣の刃を甲板に突き刺し踏ん張っていた。


 カッ・・・・キィィィィン―――――!


 金属特有の高めの音が響いたかと思えば次いで甲板上で火の手が上がる。豪速で放たれる砲弾だからこそ凛華は少しも尾重剣を振ることなくいなしてみせた。


「化け物が・・・!」


「く、くそぉ・・・!」


「それが答えで良いのね?」


 凛華は武芸者達の罵倒に眉一つ動かさない。人でなしにどうのこうの言われたところで傷つく精神性など元より持ち合わせちゃいないのだ。


 平然と問い質す凛華に無駄な尊厳プライドを発揮させた武芸者達は武器を構え直す。


 この魔族の女だけでも始末して吠え面をかかせてやる。彼らの思考が一致した。


 凛華は「ふぅん」と呟き、尾重剣を左手で逆手持ちして後ろ腰に構える。


 ―――――あれを試す良い機会ね。


 心中でそう溢しつつ、


「『流幻冰鬼刃』」


 魔術を発動した。尾重剣が一回り大きな冰気に覆われる。しかし今回は更に手を加えなければならない。


「このくらいかしらね」


 そう言って凛華は尾重剣を纏っていた冰気の量を10倍ほど増やす。剣身が1.8倍ほど伸び、厚みが1.5倍ほどにまで膨らんだ。アルの『蒼炎気刃』に近い。剣より冰気の方が幅を取っている。


 これで準備は完了だ。


 凛華は今にも襲い掛からんとする武芸者達へ一言だけ忠告しておくことにした。


「あんまり動かない方が良いわよ」


 その一言で武芸者達は完全にブチ切れる。なんて言い様だろうか、と。真顔で言われたことにも腹が立った。一拍の後、


「ナメてんじゃねえぞテメエ!」


「切り刻んでやんよォ!」


「「「「「「オオオオオ――――――ッ!」」」」」」


 誰ともなしに雄たけびをあげ、侵入者へと駆け出す。


 ドドドドッと武芸者達の走る振動が甲板に伝わってきた。


 しかし凛華は落ち着いた様子で尾重剣の長い柄に右手をかけ、カッと目を見開くや否やダァン!と一歩踏み出して《《独自剣術》》を放つ。


 初めて創った凛華の独自回転剣技。


 ゴオオオオオオ・・・・・ッ!


「「「「「ッ!?」」」」」


 三度みたび瞬く剣閃。


 武器を手に迫っていたグリム氏族の構成武芸者達は駆け抜けた何かを感じて、思わずビクリと竦んでしまった。


 荒れ狂う魔力と凄まじい剣風が冰嵐を呼び起こしたのではないか?


 そう考えずにはいられない程の何かが通り過ぎた気がしたのだ。慌てて己の身体を確認し、仲間を確認する。


 しかし、何も起こっていない。誰一人として斬られた者はいなかった。


 ―――――なんだ?不発か?それとも虚仮脅しの類だったのか?驚かせやがって!


 グリム氏族の武芸者達はそんな思考に陥り、ニヤニヤと笑いながら凛華を見る。


 ―――――今ので相当魔力を消費したはずだ。こちらは多勢に無勢。これだけの数がいれば負けはないだろう。


 だが、剣技は失敗していない。


 《《冰気の消えた》》尾重剣を右手で振り抜いた姿勢で残身をとっていた凛華はおよそツェシュタール流とは思えぬ剣技名を呟く。


「『夢幻ノ銀華』。咲きなさい」


 その瞬間。


 パキ・・・・・・パキッ・・・ブチィッ・・・!


 押し寄せていた武芸者達は異変に気付いた。


 ―――――身体が・・・?


 視線を向ければいつの間にやら身体中に《《霜が走っている》》。


 否、彼らの身体だけではない。凛華の周囲20(メトロン)ほどがすべて凍てつく銀世界へと変わっていた。


「な、にが・・・あ?」


 困惑と恐怖で混乱する武芸者達。月光に照らされた凛華は、


「もう仕舞いよ。大人しくしとくことね」


 そう言って華麗に背を向ける。だが、混乱の極致にあっても一人だけ抵抗しようとする武芸者がいた。


「ざけんな、ァ!?待ち――――あ・・・?」


 無理に動こうとしてコケる。しかし立ち上がれない。足を見てみれば凍結した己の足が半ばから砕け、千切れていた。次いで、灼熱に焼かれたような激痛に襲われる。


「あぎぃああああああぁぁッ!あ、足がァ・・・!」


 半狂乱に陥り腕を上げようとして右肩が《《崩れ》》、それでも尚藻掻いたせいで今度は左手首がもげた。


「ああッ、がぁッ、た、たすけ・・・・・・」


 そのまま倒れ伏した男はピクリともしない。流れ出した血が霜の下りた甲板に赤い華を象るが、それすらもピキピキと凍っていく。


「「「「「・・・・・」」」」」


 他の武芸者達は動けない。動けば《《こうなる》》のだと悟った。今でさえ凍てついていく身体が激痛を訴えているのだ。


 『夢幻ノ銀華』。凛華が生み出した独自剣技だ。しかし同じ剣士のアルが普段使用する剣技とはアプローチの仕方がかなり異なっている。


 この剣技はツェシュタール流の理念に基づいて生まれた技ではなく、エーラの弓術である『枝垂柳』と『舞香花もうかばな』に近いプロセスを経て―――つまり彼女専用に創られた『気刃の術』を最大限生かすべく考案されたものであるということだ。


 アルの剣技で言えば少々特殊な剣技である『飛焔烈衝ひえんれっしょう』や『蒼爪衝裂破そうそうしょうれっぱ』が立ち位置は近い。


 『流幻冰鬼刃』によって生み出された超高圧縮・高純度の冰気を尾重剣の剣閃を飛ばして広範囲に《《散らす》》のだ。

 

 これによって雪粒より小さくなった冰気は周囲を漂い、更にその《《冰気を破裂させる》》ことで広範囲を凍てつかせる。


 敵武芸者達は塵のように変じた冰気を浴びたせいで、肉体表面が凍てつき、無理に動いたせいで皮膚が破れ、そこから侵入した冰気によって血液まで凍ってしまったのだ。


 高位魔獣”羅漂雪”と戦い、アルの『蒼爪衝裂破』、エーラの『燐晄縫駆・枝垂柳』の存在を知った凛華が考えに考え創り出した剣技である。



 血華を咲かせる武芸者の死体を尻目に美鬼は告げた。


「だから動くなって言ったのに。ま、今のでわかったでしょ。死にたくないなら動かないことね。凍傷で済むかもしれないわよ」


 無情にもそのまま言い置いて甲板を飛び出していく。敵を無力化した以上ここに用はない。

 

 残されたグリム氏族の構成員達は生きたまま地獄の苦痛に苛まれることになるのだった。




 傾いだ貨物船の下まで戻ってきた凛華にエーラが駆け寄ってくる。


「凛華ー!おつかれー!ね、ね、最後のあれ何?凄かったよ。鬼気?冰気がブワーッて!」


 どうやらしっかり見ていたようだ。


「新しい剣技よ。ぶっつけ本番だったけど、うまくいって良かっ・・・・いや、ちょっとやりすぎちゃったかも」


 凛華は今まで戦っていた貨物船の方を見て苦笑する。甲板から伸びた霜は船の金属板を大きく歪ませているし、凍結してしまったのだろう。青白く凍結している船体には亀裂が入っていた。


「でも凄い威力だよ」


「魔力結構使っちゃったもの。ていうかあんたこそホントに弓なの?ってくらいの技だったじゃない。新手の魔術かと思っちゃったわ」


 凛華が素直に褒めるとエーラはニコニコと嬉しそうに胸を張る。


「ふっふーん、そうでしょ。アルの、あの~、何だっけ?『蒼爪・・・・なんとか?』ってやつ見て閃いたんだ~」


「『蒼爪衝裂破』でしょ?あたしはあんたとアルの技、あとは”羅漂雪”の使ってた吹雪を真似たのよ」


「あ!それかぁ!どこかで見たことあると思ってたんだ~!え、てかあの狼のやってることを再現したの?よく魔力保ったね」


「範囲もやってることも結構違ったからできたのよ。それでも魔力は四割切っちゃってるわ」


「あ、やっぱ魔力使うんだね。アルの術は基本魔力がアル基準だもんねぇ」


 とそんな風に幼馴染同士のやり取りを仕掛けたところで凛華がハッとして問うた。


「捕まってた人達は?」


「凛華が戻って来る直前にみんな陸についたみたい。ボクは他に残ってないか探してたけど敵以外残ってなかったよ」


「そう。あ、マルクは?」


「あっ」


 二人して気付く。もう一人一緒に運河へ出た幼馴染がいたんだった。そこへ後ろから声が掛かる。


「あっ、じゃねえよ。なんてやつらだ」


 マルクの声だ。二人は慌てて取り繕うような笑みを浮かべて振り向き、そして仰天した。


「えっ・・・マルク、大丈夫!?」


「どうしたのよ、それ!そんなに強い相手だったの?」


 マルクは人狼だ。毛皮は防御力に優れ、敏捷性は馬を凌駕する。その彼は今顔を含めた上半身に大量の切創を作り、まだ乾いていない血も見受けられた。


 凛華とエーラに驚くなと言う方が難しいのだ。誰よりもその硬さを知っているのだから。


「あー、大丈夫だ。派手に見えるだろうけど大した怪我はしてねえ。ちょっと意地張っただけだ」


 マルクは何でもないという風に手を振る。すでに『治癒術』もかけているので放っておけば傷も塞がっていくだろう。


「意地ってどういうことよ?」


「純血主義の獣人に絡まれたんだよ」


「純血主義?」


「おう。簡潔に言うと、混血の獣人は弱いから存在すべきじゃねえとさ」


「はぁ?何ソイツ?」


「ボクがぶっ飛ばしてあげるよ」


「もう思いっきりぶん殴ったから心配ねえ」


「ならいいけど、それでマルクの意地とどう繋がるの?」


「魔族も純血種ばかりだろう。きっと半魔族は生まれても役に立たないから消されてるんだ。半魔族なんて見たことがない。どうだ、正しいだろう?ってほざきやがったんだよ」


 マルクが吐き捨てると、凛華とエーラから並々ならぬ怒気が湧き上がった。凛華の青い瞳が物騒な光を湛え、エーラに至っては矢を取り出そうとしている。


「だから、”魔法”なしで戦ってやったのさ。てめえなんぞに『人狼化』は勿体ねえっつってぶっ飛ばしてやったぜ。今頃・・・・・あいつ最後どこ飛んでったかな」


 マルクの言葉に凛華とエーラは意地と言う意味を理解した。つまりアルと同条件で戦って勝ったということだ。


「そういうことね。やるじゃない」


「うんうん!」


「いててっ!ま、でもなんとなくあいつが俺らと戦ってるときの気持ちがわかったぜ」


 ペシペシと背中を叩かれて労われたマルクはしみじみとした様子でそんな感想を漏らす。


「「どういう意味()?」」


「獣人もそうだけど”魔法”ってずりぃわ」


「昔、アルが言ってたわね」


「凛華がイジメてたときだよ」


「ちょっと、失礼ね。いじめてないわ」


「って待て。アルはまだ連中の拠点にいるのか?」


「わかんない。翡翠も見てないし、ラウラとソーニャも見てないよ」


「ディートフリートとレイチェルもよ」


「急ごうぜ。あのルドルフって野郎とぶつかってたらちょっとマズいかもしれねえ」


 マルクは先ほどまでの穏やかな雰囲気を消してそう溢した。


「マズいって?何かあるの?」


 エーラが少々不安げな顔をする。


「俺と戦った獣人はあのルドルフって野郎にボコボコにされてんだ。そんでもってな、あのルドルフってのは四半獣人らしいんだよ」


「えっ、うそ?アルのことだから大丈夫だとは思いたいけど・・・・急ぎましょう」


 凛華はそう言うと少なくなってきた魔力を惜しまず冰を水面に吹きつけながら駆け出した。


「うん!行こう!」


「おう!」


 エーラとマルクがすぐに後を追う。陸には虜囚達の姿が見えた。問題は山積みだ。彼女らを放っておくわけにもいかない。弱っている者も多かったのは覚えている。


 それでも助け出すことはできた。運河での戦闘は終了したのだ。



 しかし、アルとルドルフによる血みどろの闘争はいまだに終わりそうになかった。

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