10話 不気味なルドルフと氏族のケジメ (虹耀暦1287年4月:アルクス15歳)
2023/10/10 連載開始致しました。
初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。
なにとぞよろしくお願い致します。
”荒熊”ロドリックは今、僧侶を彷彿とさせる柔和な顔つきに憤怒を浮かべ、仁王立ちのまま問い直した。
「なんだって? もう一度言ってみろ」
「そう怒るな、ロドリック。私はただ留置場に囚われた部下の保釈金を払って引き取って、その上で詫びを入れに来たのだよ。裁判にされると私の商売に支障が出るのでね、なんとか示談にと。いるのだろう?”鬼火”と『紅蓮の疾風』の八名は」
対するは魔猫の如く三日月形に目を細めて笑うグリム氏族の長、三等級武芸者のルドルフだ。彼の後ろには保釈されたばかりと見られるグリム氏族の武芸者達29名がいる。
『黄金の荒熊亭』入口に屯している彼らのせいで一般客達はすっかり怯え切っていた。
武芸者と言えば帝国では一目置かれる存在だが、この鋼業都市アイゼンリーベンシュタットではより武芸者の暴力性について危険視される傾向にある。
なぜかと問われれば、無論のことだが氏族という互助組織が多数割拠しているからだ。なんとなく入った店が氏族の溜まり場だったなどこの都市ではよくある話。
戦う能力の低い一般人に手を出すような、程度の低い武芸者は当然少ない。しかし少ないだけなのだ。あるところにはあるし、地元民の中では近寄ってはいけない場所と言うのもそこそこある。
返却された武器を身に着け、数十名で押し寄せるように来た武芸者達に怯えない者などいなかった。
「ほら、お客が怯えているぞロドリック。店に入れてくれないか?酒場もやっているだろう?」
薄暗い金髪を後ろに撫でつけ、薄く笑うルドルフ。
「去れ」
ロドリックは強硬に拒む。今は宿兼食堂の主人だが元は二等級武芸者。木っ端武芸者が何人集まったところで大した脅威も感じない。
「ロドリック、私は何も襲われた新米武芸者ともう一度事を荒立てさせようなんて思っていない。ただ、氏族の長として詫びを入れさせに来たんだ」
ルドルフは大仰な仕草でそんな風にのたまった。
「大人数を引き連れてか?恐喝でもするつもりか、ルドルフ?」
激情でさらに目を細めるロドリック。
「ならば私に一人で来いと?それこそ恐喝だろう」
薄い笑みを絶やさずニイッと笑うルドルフ。『黄金の荒熊亭』にはロドリックを始めとした元武芸者達が働いている。そのことを言っているのだろう。
「何度も言っているが部下と彼らを焚きつける気はないんだ。この通り首謀者は大怪我をしてるし、実力差も嫌と言うほど理解しただろうからね。話が済めばすぐにでも退散しよう。なぁに、ケジメというやつさ。武芸者同士ならよくあること。元武芸者ならわかるだろう?」
ロドリックは嫌そうに息をついた。この氏族同士のケジメというやつが面倒なのだ。荒事の多い武芸者は一般人より揉め事が多い。
言ってしまえば武芸者流の示談である。金銭からその氏族の有する権利までを天秤にかけ、落とし前をつける。
誰が始めたのかもわからない因習だ。しかし面倒なのはここからで、氏族と言うのはこの”ケジメ”や”落とし前”にやたらと拘るのだ。
欲しい利権なんかを奪うためなら抗争にまで発展するのだから極道者と変わらない。他の都市にも氏族はいるそうだが、ここほど多くはないだろう。
「なら首謀者とお前だけなら入れてやる。他のは帰らせろ、客の邪魔だ」
しばし沈黙していたロドリックがそう言うと、
「話のわかる者で助かる。礼を言うよ、ロドリック」
ルドルフは薄い笑みの口角を吊り上げる。不気味だ。
「お前からの礼など要らない。さっさと話を済ませて帰るんだな」
「そうさせてもらおう。ああ、護衛を数人ばかり残しても構わないかな?」
「護衛だと?」
「最近は物騒でね」
「好きにしろ。ただし五名以下だ」
「良いだろう。ではその五人は残り、あとは帰るといい。養生しろ」
ルドルフは無造作に5人を指さし、この騒動の首謀者―――頭と顎に包帯をグルグル巻きにされているチンピラ武芸者の背中を押すのだった。
***
アルクス達”鬼火”の一党と『紅蓮の疾風』が護衛するアウグンドゥーヘン社の記者カーステンとミリセント・ヴァルターがグリム氏族の襲撃を受けておよそ5日。
あの後捕縛した武芸者29名をアイゼンリーベンシュタットの衛兵に引き渡したり、襲われた経緯や状況を事細かに訊ねられたり、支部に呼び出されたりで忙しかった。
死者まで出た武芸者同士の諍い。傍目に見ればそう取れる騒ぎになってしまったせいか帝国軍の取り調べは長くかかり辟易していたアル達だがカーステンとミリセントが非常に協力的であったためお咎めはない。当然である。
むしろ護衛対象を連れた状態で32名中29名を殺さずに打倒したことの方に驚かれた。
また『黄金の荒熊亭』にいたロドリックやその妻グレース、そして古株従業員のライモンドは大層心配をかけていたらしい。聞けばグリム氏族の長が厭味ったらしく探りを入れに来たと言う。
8名と1羽が宿に戻った際、左肩を剣で貫かれたディートフリートと右手の甲を踏みつけられたレイチェルが共に包帯を巻いていることに気付いた大人3名は慌ててやってきて襲撃があったのかと訊ねてきた。
3名とも怒りの形相であったため、とりあえずこの3名から情報が漏れたようなことはなさそうだとアルは冷静に判断し、そこで経緯をサッと話すことにしたのだ。
「依頼中の武芸者を徒党を組んで襲うとは・・・見下げ果てた連中め」
吐き捨てた”荒熊”ロドリック。
「ですね。これでは王国に屯している武芸者と変わりゃしません」
辛辣な表情のグレース。
「情報が逐一洩れてたみたいだからな。うちの従業員じゃねえだろうが・・・」
ライモンドはアルの疑念を口にした。
「それはないだろうね。宿泊者名簿や書類は夜には金庫の中に入れてるし、開けられるのは私とグレースだけだ」
「武芸者かそうでないかはあくまで俺の目で判断してる。そういうニオイを消されて紛れ込んでたらわからんぞ」
「手前も気付きませんで。申し訳ございません」
「ああ、すまなかった。まさか君らが依頼に出た時間や出て行った方角まで漏れているなんて思いもよらなかった」
三者三様で謝ってくる大人達へ、
「いえ、匿ってくれとは頼んでませんでしたから謝罪は要りません」
アルはそう言って首を横に振る。
そんな光景をロドリックとグレースの娘マリオンは不安そうに尻尾を揺らして見守っていた。
***
そして現在。『黄金の荒熊亭』の中ではカウンター以外では最も長い卓を差し挟んでグリム氏族の長ルドルフと”鬼火”の一党頭目アルクスと『紅蓮の疾風』頭目ディートフリートが対面していた。
少し離れたところでは、マルクガルム、凛華、シルフィエーラ、ラウラ、ソーニャ、レイチェルが見つめている。
アル達にとっても、また縁が遠いということでディートにとってもこういった後始末は初めてだ。
「やあ、”鬼火”のアルクス君、そして『紅蓮の疾風』のディートフリート君。私はグリム氏族の長、ルドルフ・グリムと言う。此度はうちの部下が失礼したということで詫びを入れに来たのだよ」
―――――同じ糸目でもロドリックさんとは印象が随分違うな。
「謝罪の件なのは理解しました。ですが、なぜその男がいるんですか?」
心中で不気味な男だと思いつつ、おくびにも出さないでアルは問う。
ルドルフの隣に立っているのはアルとマルクが気絶させた際に喋ることも難しくなったはずの失禁武芸者だった。
ディートはルドルフとこの場の雰囲気に呑まれて手汗をソッと拭う。
彼の直感が告げていた。目の前に座っているこいつは紛れもなく自分ではまだ勝てない強者だ、と。
「うん?謝罪なのだから主犯に詫びを入れさせるのが物事の筋というものだろう?」
すっとぼけたようにルドルフは答える。
「そうじゃありません。なぜ、ここにいるのかを訊ねてるんです。経緯はどうあれ、民間人を襲った賊でしょう」
鋭く目を細めるアルにチンピラ武芸者は身を竦ませた。数日前に手も足も出ないほど打ちのめされたせいで、あのときの恐怖を思い出してか勝手に身体が動いてしまう。
そしてアルの指摘も正しい。拘置所に入れられていたのは刑を待つため、ではあるが被害者は生きていて証言までしている。
有罪確定の犯罪者がこの場にいる理由がわからないとアルは指摘したのだ。
「ああ、なるほどそういうことか。いやなに私は仕事に忙しくてね。大事な部下を失うのは痛手なんだ。だから保釈してもらっている。これで良いかな?」
「保釈だって?どう考えたって犯罪者だろ!?」
ディートが素っ頓狂な声で驚いた。武芸者だけじゃ食えなくなって犯罪者に身を窶す者もいるらしいが、そういう連中がわざわざ認識票を捨てるわけがない。
あるときから犯罪者として生きるのではなく、民間人へ襲撃した時点で有罪確定の犯罪者なのだ。
「ふむ・・・?何やら、不幸な行き違いがあったようだ。部下は皆、氏族の面子のため果し合いに行ったと聞いている。その場に民間人がいたのは事故。そう言われたら私も一肌脱がねばならん。そうだろう?」
―――――コイツ、わかってて言ってやがる・・・!
ぬけぬけと暗い笑みを深くしてそう言ったルドルフにディートは怒りの形相で立ち上がりかける。しかし、アルが肩を掴んで無言で制止した。
「忙しい、とは?大規模な依頼でも抱えてるんですか?」
「うん?ああ、そういう意味ではないよ。我々氏族というのは互助組織。彼らに有利な依頼や纏まりやすい組を宛がう、その代わり運営資金として彼らから毎月ほんの少しずつ金を納めてもらっている。しかし、そんな微々たる金では組織運営などとてもできはしない。そうは思わないかね?」
「・・・・・」
「・・・そういうもんか」
続けろという視線のアルと納得しかけるディート。
「そうなのだよ。我々グリム氏族の構成人数は現時点で二百と余名。とてもではないが人手も金も足りない。だから事業をやっているのだよ」
「事業、ですか?」
アルは注意深く問い返す。この場にはロドリックもライモンドもいてくれているが余計な口出しはしないようだ。
「そう、このアイゼンリーベンシュタットの西端には大河が流れているのは知っているかな?」
「ええ」
「結構。我々はそこで海運業を営んでいてね。依頼のない日は部下達もそこで働いてくれているんだが、この時期、まあ季節の変わり目だ。当然何かと入用で忙しい」
「その人手が足りないから保釈して示談を申し出てきたわけですか」
アルは確認するように訊ねた。糸目になったルドルフは好々爺のように穏やかな表情で笑う。
「ふむ、君は頭が回るようだ。話が早い」
ディートはもう成り行きを見守ることにした。余計なことを言って拗れたくないし、頭の中で警鐘が鳴り響いている。得体が知れない、と。
「それで、そちらの提案は?」
アルは静かに問う。普段ならこういう交渉では出来うる限りもぎ取ってやろうとするがどうにも気が乗らない。なにせ、コイツの強さがわからないのだ。
強そうにも見えるのに弱そうにも見える。アルは己の感覚に従ってロドリック並には戦える男だと評価しておいた。
「ふむ。示談金を”鬼火”の一党一人につき六十万ダーナ、『紅蓮の疾風』の二人には七十万ダーナ。しめて五〇〇万ダーナでどうだろう?」
わざとらしく顎を擦ったルドルフは、すべての指に同型の指輪を嵌めた手で数字を示す。そしてパチンと指を鳴らしてチンピラ武芸者に持っていた革鞄を開けさせた。
「七じゅっ―――――うおっ!?」
ディートは飛び上がらんばかりに驚く。六等級が目にする光景ではない。鞄の中にはたっぷりの大金貨が入っていた。本当に500万ダーナあるのだろう。しかしアルは首を横に振る。
「足りないかね?こちらも部下を三名ほど失っていてね」
「っ!?」
―――――・・・こいつ、今度は当てこすりか。
アルがそう思うのとディートが顔を強張らせたのはほぼ同時だった。
「な、なあ。もうこの金額で―――――」
ディートは後ろめたさからその金額で充分だと言おうとしたが、アルはさせない。
「その示談金を受け取ったとして、後で回収に来る可能性はどれくらいありますか?」
その問いにルドルフは魔猫の如き笑みを深くする。今には口の端が切れそうだ。
「くくっ・・・・いやはやそんな発想、私にはできなかったな」
―――――ウソだ。
直感的にアルは悟る。
「それで、どうなんです?」
「お、おい回収ってなんだよ?」
「こんな大金普通預けに行くだろ。そこを不意打ちでもされれば」
「丸々払った示談金も返ってくるってか?そんなのアリかよ」
「払い終わった金を俺達がどこで落としたかなんて関係ない。そう言いたいんでしょう?わざわざ現物を持ってきたのもそれが狙いですか?」
ディートが青褪め、チンピラ武芸者が身体を強張らせる。
―――――やっぱり図星か。
「いやいや私はそんなことは考えていなかったがね。部下の中には惜しいと思う者もいたかもしれない」
―――――この狐野郎。
アルは心中で毒づきつつ、提案金額を蹴り飛ばすことにした。それよりこちらの安全を買うべきだ。
「これ以上、そちらの氏族からの関り合いを無くしてくれるというのならその金額の半分、いやその更に半分でも構いません」
「半分の半分?まさか一人十五万で構わない、と?」
ルドルフは驚いたような仕草をとった。しかしわざとらしすぎる。品定めでもしているような視線だ。アルは真っ直ぐに見つめ返した。
「そちらの氏族の武芸者が俺達の邪魔をしない、ないしは視界に入らない、と約束して頂けるのなら」
「ふぅむ。しかしこれでも我々は氏族の中では大規模でね。まったく視界に納まらないというのも難しいな。ほら、仕事があるだろう?」
「ではそちらの主犯格だけでも我々の前に出てこないようには?」
「ふぅむ・・・ディートフリート君も同意見かね?」
アルが金を突き返す選択肢を取ったことに驚いていたディートはたじろぐ。
「えっ?ええっと、オレは―――――っつ!?」
慌てふためくディートの後頭部に軽い殺気が刺さった。ビクッとしてそちらを見ればマルクが殺気を当ててきたらしい。ディートが視線で「なんだ!?」と問うとマルクはレイチェルの方に視線を送る。
彼女はこちらを見つめてソワソワしていた。ディートはハッとする。
「どうかしたのかね?」
「い、いえ」
「それで?君も”鬼火”と同意見かな?十七・五万ダーナつまり十七万五〇〇〇ダーナだが・・・?」
ルドルフのほんの少しだけ見える瞳が問いかけてきた。70万をドブに捨ててはした金で良いのか?そんな視線だ。
「は、はい。俺も”鬼火”と同じ条件にしてほしいです」
しかしディートはそれで良いと答える。金額に目が眩んだが、70万で己とレイチェルの命を狙われるのでは天秤が吊り合わない。
「そうかそうか・・・それは困った。こっちの部下は担当箇所が中央、要はここらへんでね。支部でもよく見かけただろう?経理もわからないから我々のやっている仕事もあまり熟せないし、かと言ってそれでは君らにケジメがつかんな。ふぅむ、どうしたものか」
ルドルフは然して困ってなさそうに顎を擦る。アルとしてはこれ以上このチンピラに因縁を吹っ掛けられたくないだけだ。チンピラの六等級武芸者は居心地悪そうに身動ぎをした。何かを訴えかけているように見えるが、顎と頭をグルグル巻きにされているためロクに口も開かないらしい。
「配置を変えれば良いのでは?荷運びとか」
アルはそう提案した。都市の中央を河岸にしていなければ頻繁に出くわすこともない。運河を使った輸送業ならいくらでも肉体労働があるだろう。アルの言葉には一理ある。
しかし、ルドルフは思ってもみない行動に出た。
「ふぅむ、なるほど。しかし荷をちょろまかされても困るのでね。いっそのこと消えてもらおう」
―――――は?
アルがそう思った瞬間、ルドルフは懐から何かを出して引き鉄を引く。パァン!と乾いた音と共にチンピラ武芸者は後頭部から血を撒き散らしながら長卓に突っ伏した。
三等級武芸者が抜き手もほとんど見せずに密着状態で放った弾丸に六等級武芸者が反応出来るわけもない。
「なっ!?あんた!」
「な、にを!?」
ギョッとしたアルがルドルフを見ると、その手には短銃が握られている。レイチェルが持っているような機構のついた拳銃ではなく、もっとシンプルな一発だけ撃てればそれでいい、そんな雰囲気の短銃だ。有効射程も短いだろう。
「なにとは?ケジメだよ、最初から言っているだろう。君らの言う条件に当てはまるのはこれしかなくてね」
「だからって!」
「これが氏族の落とし前をつける、というやつでね。さ、金を渡そう」
ディートが我に返って抗議したが、ルドルフは何でもないことのように革鞄から金額を取り出していく。
「これで丁度だ。では、私は失礼しよう。四名も欠けて更に忙しくなることは目に見えているのでね」
ルドルフは125万ダーナを置いてサッと立ち上がった。
「ふむ・・・なるほど、おもしろい。では新米武芸者の諸君、また会おう」
咄嗟に女性陣の前に飛び出していたマルクと、グレースとマリオンの前で腕を構えていたロドリックとライモンドを一瞥したルドルフは全員に視線を送ったあと、そんな言葉と共に出て行った。
残されたのは頭からドス黒い血を流して死んでいるチンピラ武芸者と金。
「何なんだよアイツは!」
わけのわからないルドルフに怒りと困惑を滲ませた声を上げるディート。
「まさかあんな大昔の銃持ってるなんて・・・」
レイチェルは困惑頻りで呟く。
「グレース、マリオンを。それと店を閉めてくれ。私は憲兵のところへ」
「はい、お前様。道中気を付けて」
「ああ、行ってくる」
ロドリックはそう告げて宿の扉をくぐって出て行った。
「すまねえアル、香水の臭いがキツ過ぎて火薬の匂いに気付かなかった」
「たぶん最初からコイツを消すつもりで来たんだ。しょうがないさ」
警戒を解いて謝罪してくるマルク。アルは哀れな死体を見つつ、そんな返しをする。眉間には皺が寄っていた。
「妙だとは手前でも思っていたのですが・・・・・」
店の看板を下ろして戻ってきたグレースもそんな風に難しい顔をしている。マリオンはさっさと引っ込ませたようだ。
「あの外道が・・・店汚しやがって。畜生」
ライモンドが怒りを露わにした。どうやらグリム氏族の長が非道だというのは知っていたらしい。
「アル達はあんな意味で言ってたんじゃないのに・・・後味悪いことしてくれたわね」
凛華がフンッと鼻息を荒くする。
「しかし・・・アル殿、あの男は”また”と言ったよな?」
ルドルフの視線と言葉がソーニャには引っ掛かっていた。アルは頷く。
「安全を買おうと思ったけど条件を最後の最後で有耶無耶にされた」
淡々と答えたアルは感情を排して思考を優先していた。やられたと気付いたときにはルドルフは去ってしまっていて取れる手段がない。
「あのルドルフという男はまだ何か企んでいるということでしょうか?」
ラウラはアルとは対照的に難しい顔で唸っている。
「やっぱり狙いがわからないとどうしようもないよ、アル」
最初からずっと胡散臭い男だとはエーラも思っていたが、あそこまで突拍子もないことをするとは想像だにしていなかった。
「ま、まだ何かあるのか?」
「ラウラちゃん達はお金とこの人の命でケジメがついちゃったせいで、結局氏族がまた私達に手を出さないとは確約してないって言ってるんじゃないかな?だよね?」
「はい。規模が大きいから関わらないのは難しいと言われたアルさんが主犯を近づけるなと言いましたよね。たぶん、そちらを主軸にして示談に持ち込んだんだと思います」
「結局、口約束だしね」
「だからそれも守られるかわかんないってことよ」
レイチェルが確認すると三人娘がそう答える。ディートは思い切り顔を顰めた。
「なんだってんだ、あいつら。なんでそんな風に持ち込んできたんだよ」
「それがわかりゃあ苦労しねえよ。どっちにしろ警戒に越したことはねえ。ディート、レイチェルと外出るときは気ぃ付けてた方が良いぜ」
「わかってるよ。ちくしょう、そのつもりで示談金四分の一にしたってのに」
マルクの忠告にディートは素直に頷く。物はあまり知らなくても頭の回転は速い方なのだ。
「お前さんら、本当に気をつけろよ。あのルドルフって野郎は三十年近く前からずっとあんな陰険なヤツだったからな」
ライモンドは心配そうな表情を浮かべている。
「とりあえず、単独行動は禁止だ。特に外を歩いてるときは。良いな?」
アルは頭目として指示を出した。用心に越したことはない。
「おう」
「わかった」
「了解よ」
「わかりました」
「承知」
「カアッ!」
「翡翠、悪いけどアイツらが出入りしてる建物を探ってきてくれ。見つかりにくい夜に行くんだ。あっちの長はたぶん、お前のことも知ってる」
「カアカアッ!」
「気を付けるんだぞ。絶対朝方には帰って来い」
「カアッ!」
了解!と返事をする三ツ足鴉をアルはひと撫でする。
「このまま何事もなく終わってくれりゃあいいんだけどな」
「そんな気がしない」
「だよな。キナ臭え」
アルとマルクのやり取りにディートは緊張感を露わにしつつ問うた。
「こっちも同じようにはするけどよ、お前らどうするんだ?」
「どうもこうもねえよ」
「情報を集めておくしか手がない」
マルクとアルの返答は端的に過ぎる。しかしディートにとってはそれでもありがたい。こんなことに巻き込まれたことなど一度だってなかったのだから方針があるだけマシだ。
「なんかボク、あのときのこと思い出すよ」
「あの連中を相手してたときね。あたしもそう思うわ。ほんと、やな感じ」
エーラと凛華の言うあの連中とは、聖国の神殿騎士達のことである。このジワジワとした不穏な気配には馴染みがあった。
「アルさん、どうしますか?」
「都市を離れたいっていうのが本音だね」
「うむ。わかるが、この件で足止めを食いそうだぞ」
ソーニャは死体を見つつ眉間に皺を寄せる。事情聴取されてようやく解放されたかと思えばまたこれだ。今度は民間人もいない。諍いを起こした武芸者の一人が都市内で殺された。何もやましいことをしていないのに逃げるわけにもいかない。
「そう思うよ。とにかく今は休もう」
アルがそう言ったことで8名は足取りも重く部屋へと引っ込んで行った。
***
その翌日から都市を覆い始めていた暗雲から得体の知れない何かが触腕を伸ばし始めていく。
鋼業都市アイゼンリーベンシュタット全域が大混乱に陥ることなどこのときの誰も想像だにしていなかった。
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