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【11万PV 達成❗️】日輪の半龍人  作者: 倉田 創藍
武芸者編ノ肆 山岳都市ベルクザウム編

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5話 襲われた者、襲ったモノ(虹耀暦1287年2月:アルクス14歳)

2023/10/10 連載開始致しました(編集済み)。


初投稿になりますのでゆるく読んで頂ければありがたい限りです。

 標高750m(メトロン)地点の切り立ったところに築かれている砦――ここは国境検問所で働く兵士らの兵舎兼この雪山の山岳警備隊本部だ。


 息をつきながら総計12km(キリ・メトロン)の登山道を経て何とか辿り着いた”鬼火”の一党を出迎えたのは、依頼者であり、山岳警備隊の隊長当人であった。


 ()ぐに隊員の待機室に通され、大量の冷えた湧き水を出される。


 こういう場合、冷えた身体を暖めるより水分補給の方が重視されている。身体を暖めるのは外的要因――つまり暖炉に任せる方が良い。


 汗を掻いていた6名と夜天翡翠はキンキンに冷えた湧き水をありがたく二杯、三杯と喉を鳴らして飲み、ようやくひと心地ついた。


「四等級が四名に、六等級二名の五等級一党か。感謝する。(わら)にも(すが)る思いで依頼を出したというのに、ここまで早く来てくれるとは思わなかった」


 落ち着いてきた6名と三ツ足鴉が座る長椅子の対面に座った警備隊隊長が、熊のようにガッシリした体格をしながらも丁寧な口調で礼を述べ、ゴツい腕を差し出す。


「い、いえ。その、依頼の詳細はこちらで聞くようにと言われてるんですけど……」


 アルクスが手を差し出し返すと、彼は軍人特有の厳格さにマルクガルムとまた異なる野性味を併せた風貌で握手した手を力強くブンブンと振る。地獄に仏とばかりの歓待ぶりだ。


 個人四等()級の魔族が4人もやって来た、というのは相当心強く感じたらしい。


「ああ、申し遅れた。私は山岳警備隊隊長バールと言う。諸君ら武芸者に依頼したのは、巡回警備隊の第一班に所属する三名が行方不明になったからだ」


「隊員が行方知れずに……いつ頃の話でしょうか?」


 軍人(プロ)が遭難している、と脳に書き留めながらアルが訊ねると、


「今日でもう三日になる。いつまで経っても帰投報告が来ないから心配していたところに、副隊長がボロボロの状態で帰ってきた」


 弱り切ったような表情でバール隊長は応えた。


「あ、帰ってこられた方もいらっしゃったんですね。その人から話を聞けば行方のわからない人達も――」


 と、言い掛けたアルであったが、大柄な軍人が首を横に振って遮る。


「一時間もしないうちに死んだ。内臓をやられていてな、手足の凍傷も酷かった。決死の覚悟で他の隊員を救ってくれと伝えに来てくれたのだ」


「…………すいません」


「いや」


 済んだことだ、とバール隊長は応じた。沈んで見える。ひょっとしたら、その副隊長とは仲の良い間柄だったのかもしれない。


 一瞬申し訳無さに口籠ったアルは、それでも他の隊員の命を優先すべく、些か緊張気味な口調で訊ねた。


「他の班の方はその三名を捜索中ですか?」


「通常通りの業務を行わせているのが二班。残り四班は総出で現在、標高四〇〇~八〇〇m地点を散開して捜索中だ。だが、昨夜の吹雪では痕跡も残されていないだろう。国境検問所の警備を行っている兵達の中には有志で探してくれている者もいる」


「それでも見つかっていない、と?」


「ああ。方々手を尽くしたが手掛かり一つ見当たらない。亡くなった副隊長のものと思わしい血痕や装備ばかりが見つかった」


 口調こそ確かだがバール隊長は見るからに(やつ)れていて、ロクに休んでいないのがありありと伝わってくる。きっと部下想いの良い上司なのだろう。


「それで、こちらも捜索に出向けば良いんでしょうか?」


「ああ。単純に手が足りないというのもあるし、我々とはまた違う観点を持っていそうな武芸者であれば、何か見つかるかもしれんと思ってな」


「なるほど、わかりました。じゃあ――」


 依頼に向かいます、とアルが立ち上がろうとしたところ、


「いや、捜索は明朝からにしてくれ。山の天気は変わりやすい。君らまでいなくなったとなれば、余計に心労が嵩みそうでな。それに警備巡回路もまだ見せていない。目途もつかないのではいくら五等級の君らとて難しいだろう?」


 バール隊長が引き留める。


 一党の面々は壁に掛かっていた時計に視線を向けた。


 時刻は午後2時過ぎ。確かにこの時間に出ても、捜索に大した時間も取れないだろう。当然、夜間に雪山を歩いて回るのも自殺行為だ。


「わかりました。ですが、警備の巡回路なんて見せてもいいものなんですか?」


 アルは了解の意を示しながら、至極真っ当な質問を投げ掛ける。


「巡回路は定期的に変えているからそこまで重要ではないのだ。ああ……それと言い忘れていたが山岳警備隊の官舎にある応接室を二部屋貸すつもりだから好きに使ってくれ。ただ、あまり制限を敷きたいわけではないのだが……」


 と、バール隊長は頷いて言う。


「軍の機密に触れる場所もあるから無闇に出歩かないで欲しい、で合ってますか?」


「うむ。すまんがそうしてくれると助かる」


 ――話が早い。


 バール隊長は信の置けそうな者達が来てくれた、と内心で胸を撫で下ろした。


 見てみれば、他の一党の面々も決して頭目任せにしているわけではなく、あえて黙っているのだ、というのが理解できる。


 ――都市(した)に住んでいる子供らにも見せてやりたいものだ。


 と、年若い彼らを見てついつい親目線で考えてしまう。


「わかりました、感謝します。こちらもまた今から降りるのはキツいと思ってましたから」


「非常事態だ。わざわざ来てもらったのだから胸襟を開いて頼むのが筋というものだよ」


「それが帝国軍の考え方なんですね。覚えておきます、いち魔族として」


 アルはにこやかに笑って礼を述べた。


「君も魔族だったか。不思議な気配だと思ってはいたが」


「ええ、よく言われます」


「そうか……あ、すまない、巡回路だったな。これだ。それは持っていってもらって構わない」


 バール隊長がそう言って、懐に入れていた巡回路の写しを手渡してくる。アルは受け取ってすぐに確認を取ることにした。


「他の班の方々はどちらから捜索されてますか?」


「副隊長の装備を確認した六〇〇メトロン地点だ。昨日、その周辺を血痕沿いに隈なく探したから今日は巡回路沿いだろう」


「わかりました」


「君らは明日どこを捜索する予定かね?」


 バール隊長は依頼者として当然の質問をする。ふむぅ、と顎を(さす)ったアルは、


「あの大型滑車を使った移動手段、使わせてもらえませんか? 検問所付近から巡回路を参考にして、下へ下へ探して行こうかと思います」


 と、訊ねた。


 少々厚かましいお願いだが、山の専門家が探していないのならその地点にはいないと考えるべきだ。


 そして検問所より上は人が安易に登れないような傾斜がある。ならばそこから下しかない。


鋼索道(こうさくどう)か。ううむ……いや、人命優先だ。構わん。他班には極力それ以外を捜索させよう」


 バール隊長は、軍機より部下の命を優先した。


 そもそも鋼索道(ロープウェイ)を見られたところで何も問題はない。帝国以外にも普及しているシロモノであり、その性質上、内部に物資を置かないようにしているのだ。


「助かります」


「いや、こちらこそ。明日は頼む」


「はい」


 アルと再度軽く握手を交わしたバール隊長が応接室へと案内すべく席を立つ。


 とりあえず今日のところは詳細な捜索方針を詰めて終わりだな、と”鬼火”の一党は規則正しく歩く大きな背中についていくのであった。



 * * *



 翌朝。昨夜は吹雪こそしなかったが、相応に雪は降っていたようだ。


 しんしんと降ったらしい雪が樹木を覆い、その上空を2本の太い鋼線(ワイヤー)と繋がれた大型の箱が移動していた。


 鋼索道(ロープウェイ)だ。昨日直談判した通り、”鬼火”の一党はその鉄の箱に乗り込んで移動中である。


 やや上方に取り付けられた窓から見下ろせる眼下では、鋭い葉を生やした針葉樹とその上に掛かった雪が濃緑と白のコントラストを描いていた。


「す、凄い高さですね」


 腰の砕けそうな高さにラウラが思わず羽織風にされた龍鱗布(りゅうりんふ)の裾をぎゅうっとつかむ。


「大丈夫だよ」


 のんびりと返すアルは手摺りに掴まって、前世に比べて幾分か狭い窓の外を眺めていた。


「万年樹の方が怖かったわね」


「あれは別格だよ~」


 安全対策のないジェットコースターを強いてくる長寿な大樹に較べたら可愛いものだ。凛華とエーラがにこやかに笑い合う。


「カアッ!」


 狭い! と言いたげに三ツ足鴉がアルの左肩で啼いた。


「もうちょっとだから我慢するんだぞ」


 宥めている彼の反対側の窓で、マルクがちょいちょいと手招きしながら後方へ呼び掛ける。


「ソーニャも見てみろよ、すげーぞ。昨日よりもっと〈ベルクザウム〉がちっぽけに見える」


「うむ、凄いな」


 搬器の中央で仁王立ちしているソーニャは威風堂々としていた。動く気など欠片もなさそうなほどに。


「お前な、そんなド真ん中突っ立ってちゃ見えねーだろが」


 マルクが半眼を向け、呆れた声でツッコむ。


「見えてる」


「嘘こけ。ほら見とけって。晴れてっから見晴らしいいぞ」


 しょうがねーなと彼が手を引っ張ろうとすると、騎士装束に身を包んだ少女は途端に騒ぎ出した。


「あっ! う、動くな! 揺れるだろ!?」


「このくらいで揺れっかよ」


 マルクが呆れながらそう言い返した時だ。



 ビュオオォォォ――――……!



 横からぶつかってきた冷たそうな山風によって搬器が大きく揺れる。


「のわっ」


「ひゃあっ!?」「きゃあっ!」「やだ!」「カアッ!」


 夜天翡翠が軽く羽ばたき、三人娘がアルにひしっと――――否、ぎゅううう~っと龍鱗布を握って身を寄せ、


「うおっ」


「ひいぃっ!?」


 ソーニャが万力のような握力でマルクの腕を引っ掴んだ。


「「…………」」


「「「「…………」」」」


 男衆も女性陣も無言。搬器のなかが一瞬水を打ったように静まり返る。


 揺れはそう大きくもなく、その間に落ち着いた。すぐさまアルが口を開く。


「二人は怖くないんじゃなかったの?」


「驚いただけよ! もう! いじわるっ!」


「ボクもびっくりしただけだもん!」


「こ、怖かったぁ……!」


 揶揄(からか)い口調の彼に凛華とエーラが噛みつくように抗議を入れ、ラウラだけは呟くように感想を零した。普段の丁寧な口調も崩れ去っている。


「大丈夫だよ。もし墜ちたって『念動術』の第一術式使えばゆっくりになるから」


 アルがカラカラと笑ってみせれば、


「「「そういう問題じゃない(の)(です)よ」」」


 三人娘は即座に口を揃えてツッコむ。


 一方、そこから少し離れたところにいたマルクも半眼のまま己の腕を掴んでいる少女に訴えた。


「ソーニャ、いてーよ。もういいだろ、揺れ収まったぞ」


「そうだな」


「そう思うんならこの手を離せ。人間態だから普通に痛えんだぞ」


 彼の二の腕は未だ万力のような握力で掴まれたままだ。


「あと少しなんだろう? 私が支えておいてやる」


「お前最近そうやって開き直ってくんの可愛くねーぞ」


 騎士少女の苦しい照れ隠しにマルクは剃刀のような返答を投げ返した。


「うっ、うるさい! いつもいつも自分だけ余裕ぶりおって! ズルいぞ!」


 途端、ソーニャが理不尽な怒りを飛ばす。”可愛くない”と言われたのもムカっ腹が立った大きな要因だ。


「余裕ぶってねーって。痛みでビックリしてたのがどっか行っちまったんだよ。だぁもうわかった、掴んでていいからせめて力を緩めろ」


 しょうがないやつだなぁ、とマルクが言ってやれば、


「ほ、ホントか!?」


 ソーニャは目を輝かせた。どうやら高所も揺れも相当な恐怖だったらしい。


「ああ、うん。緩めてくれるんなら何でもいいや」


「そうか。ふぅ~……その、ありがとう。助かる」


「おう」


 マルクは雑に応じながら、ほとんど抱えるように腕を掴み直してくるソーニャの口調や格好とチグハグな少女然とした顔つきに灰紫の瞳を向ける。


 ――普段からこうなら可愛いもんなのにな。


 と、思わないでもない。だが、言ってはやらない。言ったら言ったでまたうるさいからだ。



 呑気に観光しているアルと流れていく景色を銘々に楽しむ仲間達を乗せた鋼索道は、それから程なくして目的地の標高1,200m地点へと辿り着いたのだった。



 * * *



 開け過ぎた視界に映る雪景色には眩しさすら感じる。


 何事もなく鋼索道から降りた”鬼火”の一党は、国境検問所を尻目に山を下りながら捜索を開始することにした。


「今は午前七時四十……五分ってとこか。はー……魔導技術ってのは凄ぇもんだなぁ」


 懐中時計をパチンと閉じたマルクがいたく感心している。


 鋼索道に乗っていた時間はおよそ30分ほど。


 その短時間の内に標高750m地点の砦から標高1,200m地点の現在地まで辿り着いたのだから、彼が感心するのも理解できるというもの。


「普通に登ったら数時間は堅いはずですよね?」


 緩やかな斜面を覗き込んでいたラウラが振り返って訊ねれば、


「そのはずだよ。急勾配も増えるみたいだし、たぶんあの砦を基点にしたかったんじゃない?」


 アルは巡回路の載った地図に目を落としながら応えた。鋼索道の建設はあくまでも砦ありきなのだろう、と。


 その証拠に検問所は何と表現すべきか、質素というか簡素というか必要最低限というか、そのような印象が強い。


 昨夜、宛てがわれた応接室で山そのものの地図と()めつ(すが)めつしながらぼんやりと考えていた推測だ。


 一党の面々には推察する他ないが、実は正しかったりする。あの砦は悪天候になりやすい山の雪害を避けるのに丁度良く切り立った崖に建設してあるのだ。


「で? 昨日言ってた通り、ここから蛇行しながら降りてくってわけね?」


 腕を組む凛華の青い瞳は雪面からの反射で普段より透明度が高く見える。


 彼女の視線の先――普段から警備隊くらいしか通らぬと聞いた斜面は辺り一面真っ白で、登山道に較べてもこんもりと積もる雪が幾分か厚いし、足跡一つない。


「ここ歩いてくって結構しんどそうだねぇ」


 エーラが額に手をやって(ひさし)を作りながら当然の感想を漏らした。


 雪が深ければ深いほど足を取られるし、そうなれば余計に体力も消耗する。滑落の危険もあるのだから、慎重に行くべきだろう。


「うん。もっと緩やかだと思ってたけどキツそうだし、方針変更しようか」


 アルは昨日話し合っていた2つ目の策を講じることにした。


「と、いうと『陸舟(おかぶね)』を使うのだな?」


 ソーニャが生真面目な口調で確認する。


「そっ。捜索対象者も三名って言ってたからね」


 頷いたアルは何気ない動作で地面を掘り返すように指をひょいと動かして魔術を起動した。


 すると雪の下の土が地表へと吸い上げられていき、みるみる内に幅の広い土製のボートが出来上がっていく。『陸舟』だ。


「あたしの出番ね!」


「いつもより平べったいね?」


 斜面に対して斜めに出現した『陸舟』を前にふんすっと息巻いた鬼娘と、好奇心旺盛な緑瞳をくりくりさせた耳長娘がいそいそと乗り込んでいく。


「凛華。こう、斜めに降っていくつもりだから()()だけ作ってくれればいいよ」


「はいな」


 雪面を滑り降りる以上、ラービュラント大森林にいた頃より負担も随分と軽いだろう。頭目の指示に凜華は軽く応えた。


「エーラは精霊と一緒に行方不明の隊員を探ってくれ。マルクは鼻で頼む。副隊長は内臓をやられてたらしいし、魔獣がいると思ってて良い」


「わかったー!」


「あいよ、了解だ」


 索敵や捜索は森人の聴覚と自然そのものの化身たる精霊、そして人狼の鼻に頼るのが最も効率的だというアルの意図を正しく理解した2人が力強く頷く。


「ラウラとソーニャは巡回路と地図を見比べて、人が隠れられそうな場所があったらその都度止めてくれ。降りて探してみよう」


「はい!」


「承知した」


 人間組の少女らは手渡された巡回路の写しと地図を握って、頭目のすぐ後ろの席へと乗り込んだ。


「翡翠は上から頼む。先が崖になってそうだったり、何かいたらすぐに啼くんだよ?」


「カアカアッ!」


 最後に指示を受けた三ツ足鴉は「りょーかーい!」と言いたげにひと啼きすると、アルの左肩から大空へと飛翔する。


「そんじゃ、出発しよう」


「おうよ」


 マルクが向きを微妙にズラして跳び乗り、『陸舟』はザァァァ―――ッと滑走音を立てて進み出した。


 捜索が主目的である以上、あまり速度を上げるのも悪手だろう。


 凛華もそれがわかっているので、のんびりとした様子で軌道(コース)を修正するように湾曲した障壁(アール)を創るに留めている。この分なら操魔核の生み出す魔力と相殺できるほどだ。



 こうして”鬼火”の一党による山岳警備隊第1班、班員3名の捜索活動が始まった。



 * * *



 警備隊3名を捜索し始めておよそ4時間が経過した。


 6名を乗せた『陸舟』は山同士の繋ぎ目――深い裂け目があるところで転進し、折り返して進んでいる。


 ゆっくりと滑り降りつつ、時折止まっては音や匂いを探ってみたり、見つけた洞穴を覗いてみたり。


 その間あえて風下側に立ってみたりもすれば、エーラが木に登ってみたりしたのだが、(よう)として3名の行方は知れず。


 そうこうする内に標高1,200~1,000m地点までは隈なく探しきってしまった。胸を張ってそう言えるほどには散々回ってみた。が、やはり影も形もない。



 ザァァァ――――……。



「どうするよ? 一旦飯にしとくか?」


「だなぁ。もう正午だし」


 滑走音に紛れて届いたマルクの問い掛けにアルは頷いて、背後の席へ視線を向ける。するとラウラはすぐに彼の意図を汲んで、


「ここまで降りれば小川があるみたいですよ。昔使われてた登山道の近くみたいです」


 と、朱髪を耳に引っ掛けながら地図を指して見せた。


「じゃあそこまで捜しながら降りよう」


「了解だ」


 頭目の方針にマルクが特に異もなく了承する。


「それにしても……マルクとエーラでも手掛かりすら見つからんとなると」


「そうね。雪の下に穴でも掘ってたら流石にわかんないでしょうし」


 ソーニャと凛華が難しい顔で唸る。


 兎角(とかく)、雪は音を吸うのだ。


 人狼族の嗅覚と森人族の聴覚でも不可能であれば、探し直したところで見つかる気もしない。エーラと親和性の高い植物の精も雪山ではあまり情報を拾わないようだ。


「とにかく先に栄養補給だ。えー……九五〇m地点かな? そこで昼食にしよう」


 アルがそう結んだところで、凛華が指示に沿うような湾曲した障壁(アール)を創り始めるのだった。



 ~・~・~・~



 『陸舟』は意思を持ったソリのように斜面を滑り降りていた。


 雪を掻き分け、偶に生えている樹木や地表に迫り出した岩を器用に避ける。


 ラウラは出発時から急に曇り始めた空を見上げながらポツリと義妹に呟いた。


「だんだん風が強くなってきたね」


「ああ。酷くなる前にアル殿が打ち切るだろうな」


 なにせ彼にとって最重要なのは仲間であって仕事ではない。


 隠そうともしていないその事実を察しているソーニャは隣の義姉に応えながら萌黄色の瞳を周囲に向けた。


 地図によれば、もう少しで小川が見える頃合いだ。そう思った矢先、



 ビュウゥゥウゥ――――ッ!



 強い雪混じりの冷風が突き抜ける。


「うひぁ~っ! 冷えるなぁ」


 前方にいたエーラはふるふると尖り耳を震わせた。


「っ!? 待て!!」


 その瞬間、最後尾から上がった鋭い声が5人の耳朶を打った。


 声の主はマルクだ。先程とは打って変わって厳しい顔つきをしている。


「何か嗅ぎつけたのか?」


 彼のすぐ前の席にいた2人が驚いて振り向くよりも早くアルが端的に訊ねた。こちらもつい先程とは一転して緊迫感のある声音に転じている。


「血と泥の混じった匂いだ! それと獣の臭いも少し!」


「どっち方向!?」


 主語のない質疑応答を繰り返した末、マルクは鼻に(しわ)を寄せたまま風の吹きつけてきた方角を指差した。


「あっちだ!」


「皆、掴まれ! 予定変更だ! 急ぐぞ!」


 アルが『陸舟』の底に片側だけ土杭(ブレーキ)を出現させて針路を変える。幸いなことに降り方面だ。凛華の冰に頼らずとも進めるだろう。


「ええ!」


「わかった!」


「血の匂い……無事だといいんですが」


「どちらにしろ行ってみなければわからん。急ごう」


 人狼族の青年の誘導の下、表情を引き締めた舟上の面々が要救助者と思わしき者らのいる方へと急行する。


 その上空を、只事ではないと悟った夜天翡翠がピッタリと寄り添うように飛翔する。



 ☆ ★ ☆



 山岳警備隊第1班の隊員3名は入口の狭い雪洞に逃げ込んでいた。


 ここなら()()()も入ってこれない。


 ただし弊害もあった――否、生まれてしまった。


 一昨日から昨日今日にかけて降り続いた雪のせいで入り口が埋まり、外に出られないのだ。


 見えぬ毒、つまり一酸化炭素中毒で死ぬ可能性がある、ということをよくよく理解しているせいで火もロクに焚けない。気付いて空気穴を確保するだけで精一杯だった。


 そのうえ最悪なことに一名は重傷を負っている。男性隊員だが、女性隊員である2人を庇って負傷してしまったのだ。


 班長である山岳警備隊副隊長は囮になって自分達を逃がし、彼の背中には痛々しく血の滲む大きな裂傷。


「きっと……助けは、来るさ。副隊長……班長は……助けを、呼んでくれてる」


 うわ言のように呟く男性隊員に女性隊員は涙を浮かべて何度も頷きながら寄り添っている。彼らは同期でも気の置けない間柄であった。


 今更になって己の本音に気付いた彼女に現在できることは、縋るように男性隊員の手を握り続ける事だけ。


「先輩……」


 彼らの3つ下の後輩女性隊員は包帯の上から滲んでくる血を直視できずに目を背けた。


 寄生虫や蛆虫の類がいないのは寒さのおかげだが、その寒さは彼らの体温と体力をじわじわと追い詰める刃でもある。火を使えたのも最初の夜だけであった。


「もうイチかバチか脱出してみるしかない……彼の体力が、もう保たない」


「でも先輩は私達みたいに動けませんし、砦の場所だってわかりません」


「じゃあどうしたらいいのよ!? 私は見殺しになんてしたくない!」


「私だってそうです! 助けてもらったんですよ!?」


 とうとう精神の限界に達した女性隊員らは悲痛な声で言い争いを始めた。その時だ。


「マルク、ここで合ってるみたいだ。ホントよくわかるもんだなぁ」


「まーな。つか揉めてるっぽいぞ。とっとと助けようぜ」


 埋まってしまった雪洞の入り口から男の声が二つ、くぐもっていたが確かに聞こえた。


 女性隊員2人はハッとして動きを止める。


「そだね。おーい、山岳警備隊第一班の三名はいらっしゃいますかー? 捜索依頼を出されてきた武芸者です。いるなら返事をしてくださーい!」


 高過ぎず、然り とて低過ぎもせぬよく通りそうな若い男の声が、今度は空気穴の方から雪洞内に響いた。


 年長の女性隊員がバタバタと立ち上がって声を上げる。


「いる! 一人大怪我してるの! 助けて!」


 悲鳴にも似た声だ。彼女の声を拾った若い男らしき声は即座に反応を示した。


「わかりました! 入り口から離れて下さい! 一気に熔かしますから!」


「え、あっ、はいっ!」


「私も手伝います!」


 言われたことを脳が理解した途端、彼女が男性隊員を担ぐようにズルズルと雪洞の奥へ引っ張り始め、後輩女性隊員も同じく彼の足を掴んで持ち上げる。


「じゃあいきますよ!」


 声の主は移動した気配にどうやってか気付き――――。


 直後ジュ……ッという音と共に入口の真白い雪壁を蒼い刃形の炎が貫通した。炎のはずなのになぜか蒼く、突き立った端から雪が蒸発していく。


 瞬く間に熔けていく分厚い雪壁に女性隊員2人はしばし唖然とした。普通の炎ではこうはならない。通常であれば、もっと少しずつ蒸発していくものだ。


 そもそも疲労で眠ってしまい、閉じ込められたことに気付いてすぐに融かそうとしたのだ。


 ゆえに氷も混じっているというのに、一体どれだけの魔力とどれほどの熱量があればこんな真似ができるのだろうか。


 雪洞の入り口を塞いでいた雪塊がすっかり熔け切ったのに掛かったのは30秒かそこら。


 薄っすらとした光の差し込む入り口に立っているのは、彼女らより10歳近く若いであろう黎い髪の青年だった。


 後ろにいるのは仲間だろうか? 


 同年代の男女が顔を覗かせている。


「やっと見つけた! もう大丈夫ですよ!」


 明るい声を掛けてきた青年に後光が差したように見えた女性隊員2名は、男性隊員を抱えたまま思わず呆けてしまった。


 助かった、らしい。しかし現実味がない。


 しばらく呆然とする彼女らを前に、青年は困ったような顔で眉を八の字にさせたのだった。



 ☆ ★ ☆



 マルクの鋭い嗅覚が導いた先には、狭そうな雪洞があり雪で入り口が塞がっていた。彼の鼻と彼女らの口論がなければ絶対に気付くことはなかっただろう。


 雪洞の入り口を強引に()()()()()アルの背後にいたマルクが顔を(しか)めて後退(あとずさ)る。


「うっ……悪ぃ、アル。血の匂いがキツ過ぎて無理だ」


「俺でもわかるくらいだからね。下がってて良いよ」


 暖かい空気は上空へ昇るもの。つまり()せ返るような血臭が雪洞の外へ吐き出されたのだ。アルでさえ金臭さに鼻を覆い掛けたのだから、マルクにはキツくて当然だろう。


「すまね、飯の準備しとくわ。先に治療するんだろ?」


「うん、頼む」


 一歩下がって雪洞のすぐ外でいそいそと簡単な昼食の準備に取り掛かる彼を尻目に、アルとエーラが先行し、続いて凜華が中に入っていく。


 まだ『治癒術』を使い熟せないラウラとソーニャはテキパキとマルクの手伝いをし始めた。


「私達より彼をお願い!」


 酷く消耗している様子の女性隊員の一人がそう言ってしがみついていた男性隊員を見せる。


「ケガの具合見ないと治療も何もないね」


「うん、それに凍傷も怖い」


 エーラの真剣味を帯びた口調にアルは頷いて蒼炎球をボ……ッ!と4つ浮かせた。女性隊員らが目を瞠る。入り口を熔かした炎はこれだ、と気付いたようだ。


「あんた達二人とも、そっち行って座ってなさいな。こっちで治療するから」


 二本角を生やした鬼娘の有無を言わせぬ語調に彼女らはようやく男性隊員から手を離して、ゆるゆるとした動きで入り口の方へ向かい始める。


「包帯、外すよ」


 エーラがテキパキと横たわる男性隊員の包帯を剥がし、アルはもう2つほど入り口の方へ蒼炎球を送りながら意識を負傷者へ向けた。


「斬り裂かれてるわね。でも人の仕業じゃないわ」


「だね。魔獣だろう」


「それも結構大型だよ」


 3人で所見を述べる。傷は尖ったものを叩きつけるようにして二筋つけられており、傷口に近ければ近いほど太くなっていた。こんな大きな裂傷、尾重剣でも不可能だ。


「これ噛んでて下さい。傷口を洗います」


 散らばっていた毛布を手繰り寄せたアルが男性隊員の口に宛がう。


「……っう、ぐ」


「やるわよ」


 男性が噛むと同時、凛華は勢いよく男の肩口と背中に放水した。化膿してからでは遅いし、『治癒術』は万能ではない。きちんと下準備がいる。


「ぅぐうゥ……っ!?」


 声にならぬ悲鳴を上げて男性隊員がジタバタと藻掻く。


「耐えて下さい!」


「「っ!!」」


 背後で身動ぐ女性隊員らの視線を感じたが、アルは無視。放水が終わるまで男性の肩を掴んで押さえ込んでいた。


 構っている暇はない。急を要するのだ。男性隊員の傷口は水流に晒されたことで更に血が滲んできていた。


「エーラ、お願い」


「任せて」


 凛華が背嚢に入れていた清潔な布で身体をふき取り、後から後から血の滲む傷口にエーラが癒薬帯(いやくたい)と包帯を宛がいながら急いで巻いていく。


「すぅ~~……」


 アルは冷静に男性隊員との魔力を同調させ、右の五指に展開した『治癒術』を発動させた。


 途端、ぶわっと放出された彼の魔力に見守っていた女性隊員らが慌てて動き出そうと――したのをラウラがやんわりと止める。


「大丈夫です。『治癒術』をかけてるだけですから」


「『治癒、術』…………? 使ってくれたの?」


「凄い、魔力ですよ……?」


 止められた2人は、ややあってストン……と腰を下ろし直した。目に見えて同僚の呼吸が落ち着き始めたからだ。


「あれでも大して放出してねーよ。魔族だからな。あんたらは自分の心配をしろ」


 納得すると同時に力の抜けた彼女らへ、ソーニャが粥を手渡す。干し肉を砕いてふやかし、そこに蕎麦粉と麦と簡易出汁を入れて作ったものだ。


「そうだぞ。さぁ、貴女方も食べてくれ。彼に渡す分もちゃんとある。栄養を取らんと動けんぞ」


 女性隊員らは椀の温かさに驚いたような、泣き出しそうな顔をしてすぐに啜るように食べ始めた。


「ぷぅ~~……! 鎖骨は折れてたけど内臓は破れてないし、背骨も折れてないから後は安静にするだけだね!」


 エーラがやり切った! という顔でアルと凛華を見る。彼らもホッとした顔だ。男性隊員は疲労困憊で今にも眠りそうな風情で、肩口と背中を重点的に癒薬帯と包帯で覆われている。


「よいしょ……っと」


 最後に、残っている水気を拭ってやったアルが彼を背負った。


 ――食事をさせないと。


 無から有を作り出すことなどできない。つまり食事をさせなければ血も肉も作られない。身体自体も温めてやらなければならないだろう。


 治療していた付近の蒼炎球を動かして、輻射熱を背中に当ててやるように調節しながら入り口に向かう。


「……この恩は、一生忘れない」


 男性隊員の掠れた声を耳元で聞いたアルはフッと笑って返した。


「忘れていいよ、依頼だし。とりあえず食事を摂って。じゃないと治るものも治らない」


 雪洞の入り口に毛布を被せた男性隊員を壁にもたせ掛けて降ろす。


 そこへ、すぐさまソーニャが椀を持ってきた。


 彼の分は肉を更に細かくしてあるらしい。汁気も多い。


「さすが、気が利いてる」


 アルは彼女らの手際を褒めながら、男性隊員へ粥の入った椀を手渡した。


「ありが、とう……」


「自分で食べられますか?」


 木匙で食べさせようかと携行用の匙を手に取ると、年長の方の女性隊員が声を掛けてくる。


「それは私がやる。やらせて」


「そちらは大丈夫なんですか? お代わりはあるはずですよ」


「ちゃんと、食べたから。一応携帯食糧も摂ってたし、胃はそんなに弱ってないの」


「わかりました。じゃあお願いします」


 先程よりだいぶマシな顔つきになった彼女は、アルから木匙を受け取って食べさせ始めた。些か暖かすぎる蒼炎のおかげで彼の下履きもすっかり乾いている。


「あぁ……旨い。旨いなぁ……」


「うん、そう……そうだね。だからちゃんと食べて元気になろう?」


「ああ……」


 甲斐甲斐しく粥を口に運んでやる彼女と、疲労困憊ながらも口を動かし続ける先輩隊員を見つめていた後輩隊員の目に自然と涙が浮かぶ。


「良かった……先輩」


 昨日も、今朝に至っては携帯食糧すら受け付けなかった。しっかりとした戦闘糧食(レーション)ではない。行動食のような携帯食ですら、もう口にできなかったのだ。


「本当に……良かった」


 そんな彼らを見ていたアル達は顔を見合わせ、にっこりと笑い合って昼食を摂り始めたのだった。



 ~・~・~・~



 それからたっぷり1時間は経った頃だろうか。


 昼食兼治療を終わらせたアル達は放置していた『陸舟』を変形させ、被捜索者3名を乗せていた。男性隊員は静かに眠っている。


 『治癒術』によって魔力が急激に活性化して身体中を巡り、細胞を急速に修復しようとするので疲れるのだ。


 特に大怪我をしている場合などそれが顕著になる傾向にあるので、これは至って自然な反応である。


「きちんと彼を支えてて下さい」


 アルが女性隊員らに指示をした――――まさにその時だった。


「カアーッ! カアカアッ!」


 昼食を摂り終え、上空に舞い戻っていた夜天翡翠が黒濡羽をバタつかせて警告を発する。


「翡翠っ!?」


「どうしたの!?」


「っ!? 魔力!!」



 ドオォォ…………ッ!



 直後、行く手を阻むように一頭の大狼が重低音を響かせて着地。姿を現した。


 黒ずんだ血を彷彿とさせる濁った赤目。白く毛の長い毛皮。平均的な人間の成人男性よりも高い位置にある巨大な頭部とそこから繋がるこれまた巨大な体躯。


 首回りと足先だけは青み掛かった黒い毛並みで、それこそアルの黎い髪のような色をしている。



 グゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………ッ!



 大狼が獣らしい唸り声を上げた。明らかにこちらを獲物として補足している。


「血の匂いを嗅ぎつけやがったか……!」


 マルクが苦々し気に吐くと、年長の方の女性隊員が叫んだ。


「アイツだ! 私達を襲ってきた魔獣!」


「〈羅漂雪(らひょうせつ)〉です! 逃げてください!」


 もう一人の女性隊員も悲鳴染みた声を上げる。



 ア゛オオォォォォ――――ンッ!



 大狼が咆哮。空気がビリビリと揺れる。


「……無理みたいね」


 凛華がにべもなくそう言った。あの大狼はこちらを見逃す気など毛頭なさそうだ。


「ちぃっ、最後の最後で!」


 舌打ちを一つ、チリチリとした殺気をアルが纏わせる。


「無理です! 高位魔獣なんですよ!?」


 その殺気に気付いた〈羅漂雪〉が低い唸り声を上げ、後輩女性隊員は考え直せと叫んだ。


「高位魔獣かよ。久々に聞いたぜ」


 マルクもアルと似たような苛立ちの籠もった声で吐き捨てる。大狼――〈羅漂雪〉はそれに呼応して魔獣特有の濃い殺気の混じった視線を向けた。


「どうする?」


 複合弓(ゆみ)にササッと弦を張りながらエーラが問う。


 ラウラとソーニャだけならともかく、怪我人1名と疲労困憊の女性2名を庇いながら戦うなど到底無理だ。


「こうする」


 ゆえにアルは応えるや否や、『陸舟』の形状を隊員らがくっついてギリギリ納まるほどに小さく変形させ、こちらに顔を向けた年下の方の女性隊員へ背嚢の地図と巡回路を投げ渡す。


「ここは小川沿い標高九六〇メトロン地点。その大きさなら足を出せば方向転換も簡単なはずです。最悪倒れ込めば止まります」


「何を――っ!」


 するつもりですか!? と女性隊員が叫び切る前に、アルは〈羅漂雪〉に鋭い殺気をブチ当てて()()()向けた。



「こうするんですよ。おい……! そこを退()け、犬っころ」



 次の瞬間、彼の両手が爆ぜたように燦然と輝く。



 ゴオオォォォォ――――ッ!!



 直後、練り上げられた炎と雷の混合属性魔力――――即ち蒼炎雷が容赦の欠片もなく〈羅漂雪〉へと空気を引き裂きながら迸った。


 さすがに予期していなかったのか、大狼は驚愕したように赤黒い眼をやや見開くと慌てて横に飛び退く。


「マルク! 頼む!」


「おっしゃ! ってわけでじゃあな!!」


 頭目の呼び声に素早く反応したマルクがゆらりと『人狼化』してドン……ッと『陸舟』を蹴り押した。


 壊れぬギリギリの力の籠もった狼脚で蹴り出された『陸舟』がザザア――ッと勢い良く滑り出す。


 加速度に倒れ掛け、咄嗟に先輩に抱き着いた女性隊員は、


「ちょっと!? 待ってダメです!!」


 と、顔を青褪めさせて叫んだ。男性隊員を抱えていた方も、


「あなた達っ、囮なんて! 待ってすぐに私達も!」


 恩人達へ悲痛な声を上げる。


「もう遅いよ」


 しかし、エーラはそれをバッサリ切って捨てた。


 滑っていく『陸舟』に〈羅漂雪〉が首を向けた瞬間、いつの間にか放たれていた殺気混じりの矢が「そっちを見るな」とばかりにヒュイン……ッと獣眼を狙う。


 大狼が慌てて矢を回避したところで、


「高位魔獣相手じゃ庇えないのよ。ちゃんと砦に戻んなさいな」


 凛華が立ち塞がって冰柱(つらら)を数本ブッ放しながら【修羅桔梗(おにききょう)の相】を展開させた。二本角が淡い若草色に色づき、青い瞳に金の環が浮かぶ。


「あれが噂に聞く高位魔獣か! 並の魔獣が可愛く思えるな」


 ソーニャが盾を左腕で構えて剣先の広がった長剣を引き抜き、


「あの人達のところへは行かせません!」


 ラウラも杖剣を構えて切っ先を”羅漂雪”に向けた。


 高位魔獣とは、高い知能を持ち、”魔法”を操る特殊な魔獣。その強さは他の魔獣とは一線を画す。彼女ら2人にとって初めて戦う凶悪な魔獣だ。


 だが、ラウラとソーニャはそれほどの恐怖を感じていなかった。


 もちろん戦意や使命感を爆発させているから、というのも大きな要因だ。しかし、それ以上に――――。



 カチカチカチ……ッ!



 ”灰髪”になったアルと仲間達が魔力を滾らせているからだ。


 絶望を打ち祓う彼らの強さも、諦めの悪さも、その優しさもよく知っている。


 ゆえにこそ、唇を引き結んだラウラとソーニャは恐怖を勇気で乗り熟し、瞳に決意を(みなぎ)らせた。


「さぁて……行動開始だ。たかが高位魔獣一頭程度でここを突破できるなんて自惚れるなよ?」


 アルが偽悪的な笑みを浮かべて魔力の暴風を叩きつける。


 高位魔獣〈羅漂雪〉は利口にも虚仮(こけ)にされたと気付き、殺気を帯びた唸りを上げて彼らへと襲い掛かった。



 ☆ ★ ☆



 女性隊員2名は小さくなっていく6名と上空にいる黒い3本足の鴉へ残っている力の限りに叫ぶ。


「絶対味方連れてくるから! 待ってて! 持ち堪えててお願い!」


「早く砦に! 早く……っ!」


 3名を乗せた『陸舟』は、彼女らの願いを体現するように斜面を疾走した。

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