第88話 正しい布は、商会倉庫にもなかった
リーヴェ商会は、任意の倉庫確認を受け入れた。
返答は丁寧だった。
だが、その丁寧さは歓迎ではなく、防御に近い。
弊商会としては、積み間違いの可能性を確認するため、同日通常外套用毛織物八梱の現物確認に協力いたします。ただし、確認範囲は当該八梱に限り、商会内部帳簿全体の閲覧はご遠慮願います。
クラリスはその文面を読み、静かに頷いた。
「当然の範囲ですね」
オスカーが言った。
「ええ。商会としては、内部帳簿全体を開くわけにはいかないでしょう」
「ですが、八梱は見せる」
「積み間違いと説明した以上、見せないわけにはいきません」
イリスが茶を置く。
「積み間違いには、相手がいるのでございましたね」
「はい」
クラリスは、昨日ミレーヌが書いた札を思い出した。
積み間違いなら、正しい相手がいる。
その相手を探しに行く日だった。
リーヴェ商会の王都倉庫は、港湾区から少し離れた商業区の端にあった。
港の倉庫よりは乾いている。
王宮よりは雑然としている。
木箱、布包み、仕立て前の布束、商会印のついた棚札。商売の匂いがする場所だった。
同行者は、クラリス、オスカー、エリオット、ボルク、王弟府調査官カレル。
慈善記録官室からはセリア。
そしてミレーヌも来ていた。
彼女は開封確認表の控えを抱えている。
怖がってはいる。
けれど、来ないとは言わなかった。
リーヴェ商会側からは、商会主サムエル・リーヴェと、代理人マルティン・ケイルが対応に出た。
サムエルは相変わらず細い笑みを浮かべていたが、目の奥は笑っていない。
「クラリス顧問。本日は、弊商会としても誠意をもってご協力いたします」
「ありがとうございます」
クラリスは礼を返した。
「確認対象は、同日通常外套用毛織物八梱ですね」
「はい」
サムエルはすぐに答えた。
「すでに別棚へ分けております」
その言葉に、ボルクが少しだけ眉を動かした。
「いつ分けましたか」
サムエルは一瞬だけ間を置いた。
「昨日の照会を受けた後です」
「分ける前の棚記録はありますか」
「もちろんです」
マルティンが横から急いで答える。
その急ぎ方が、少しだけ気になった。
クラリスは何も言わず、記録するようオスカーへ目で合図した。
商会倉庫の奥に、八梱は並べられていた。
外装はどれも整っている。
木札はない。
商業用だからだ。
ただし、商会内管理札がついている。
L-204からL-211。
通常外套用毛織物。
クラリスは、まず確認手順を読み上げた。
「一梱ずつ、外装番号、商会内管理番号、封印状態、開封者名、立会者名、現物等級、端印を記録します。目的は、NVT-S-007と入れ替わった可能性のある正規施療院保温布が含まれているかの確認です」
サムエルは頷いた。
「承知しております」
だが、その声は少し硬かった。
一梱目が開かれた。
通常外套用。
低等級ではないが、施療院病床用には足りない。
端印は、NVT-S-007に入っていた布と同じ簡略印。
二梱目。
通常外套用。
三梱目。
通常外套用。
四梱目。
通常外套用。
どれも似ている。
そして、どれも正規の施療院保温布ではなかった。
ミレーヌの表情が、少しずつ硬くなっていく。
六梱目まで確認しても、見つからない。
七梱目。
同じ。
八梱目。
同じ。
沈黙が落ちた。
商会倉庫の中で、布だけが静かに積まれている。
エリオットが、財務院側の控えを見つめた。
「八梱すべて、通常外套用ですね」
ボルクが低く言う。
「少なくとも、この八梱の中に正規施療院保温布はない」
サムエルは、すぐに口を開いた。
「まだ、他の棚に一時移動した可能性があります」
クラリスは彼を見た。
「積み間違いの相手は、この八梱ではなかったということですか」
「可能性としては」
「では、どの梱ですか」
サムエルは黙った。
マルティンが額に汗を浮かべている。
「確認中です」
その言葉は便利だった。
だが、もう便利な言葉だけでは進めない。
「確認中であることは記録します」
クラリスは言った。
「ただし、リーヴェ商会が昨日回答した“同日通常外套用毛織物との積み間違いの可能性が高い”という説明は、この八梱確認では裏づけられませんでした」
マルティンが慌てて言った。
「裏づけられないだけで、否定されたわけでは」
「その通りです」
クラリスは遮らずに受けた。
「否定もされていません。だから、さらに確認します」
カレル調査官が静かに口を開いた。
「八梱を分ける前の棚記録を見せてください」
サムエルは表情を動かさなかった。
だが、ほんの少しだけ指先が動いた。
「用意させます」
待つ間、クラリスは八梱の端印を見ていた。
NVT-S-007に入っていたものと同じ簡略印。
つまり、間違って入っていた布は、この通常外套用毛織物群と同系統のものではある。
だが、正しい保温布が見つからない。
積み間違いなら、どこかに正しい布がなければならない。
その布がない。
では、どこへ行ったのか。
倉庫係が持ってきた棚記録は、思ったより薄かった。
記載はある。
だが、移動理由が簡単すぎる。
照会対応のため別置。
その前の棚番号はあるが、同じ棚に何が置かれていたかは書かれていない。
エリオットが眉を寄せた。
「同棚併置記録はありますか」
倉庫係はサムエルを見た。
サムエルが答える。
「通常、同棚併置までは細かく記録しておりません」
「では、この八梱が昨日まで何と隣り合って置かれていたかは?」
「棚番号から推測はできます」
「記録としては?」
「ありません」
クラリスは、静かに息を吐いた。
「記録が薄いですね」
サムエルの表情が固くなる。
「弊商会の倉庫管理を責められているのでしょうか」
「いいえ」
クラリスは答えた。
「ただ、積み間違いを確認するには薄い、と申し上げています」
サムエルは黙った。
その違いは大きい。
責めるのではない。
だが、不足は不足として書く。
ミレーヌが、小さな声で言った。
「隣に何があったか分からないと、間違えた相手が分かりません」
サムエルが彼女を見た。
公爵令嬢であり、補佐見習いでもある少女。
以前なら、その場で黙っていたかもしれない。
だが今のミレーヌは、開封確認表を握ったまま、ちゃんと顔を上げていた。
「積み間違いなら、入れ替わった相手がいるはずです。その相手を探すには、隣にあった荷や、同じ日に動いた荷が必要です」
サムエルは、少しだけ苦笑した。
「なかなか厳しい補佐見習いでいらっしゃる」
ミレーヌは一瞬だけ怯みかけた。
だが、すぐに答えた。
「怖いですが、書かないと届かないので」
その言葉に、クラリスは胸の奥が少し熱くなった。
サムエルは、返す言葉を探し損ねたようだった。
ボルクが低く言う。
「リーヴェ商会主。港なら、隣の棚記録がないことは珍しくありません。だが、今回は商会内で“積み間違い”と言ったのです。なら、商会内で追える程度の記録が必要です」
サムエルはゆっくり頷いた。
「理解しました。追加で、同日搬入・搬出の棚記録を確認します」
「いつまでに」
クラリスが尋ねる。
「三日以内に」
「明日中に一次回答を」
「それは」
「現物不一致は、すでに共同調査の追加照会手順に入っています。施療院用の正規布が見つかるまで、代替手配も判断できません」
サムエルは口を閉じた。
そして、短く答えた。
「……明日中に、一次回答を出します」
確認はそこで終わらなかった。
八梱の中に、ひとつ妙なものがあった。
L-209。
外装は問題ない。
中身も通常外套用。
だが、外装の紐の一部に、結び直した跡があった。
ダンがいれば、すぐに気づいただろう。
今日はボルクが気づいた。
「この結び、商会の通常結びと違いますね」
倉庫係が顔をしかめる。
「運搬中に緩んだのでは」
「緩んだなら、緩み記録があるはずです」
ボルクは言った。
「港でも倉庫でも、結び直しは揉める原因になります」
クラリスは、その部分を確認した。
紐の色も材質も同じ。
だが、結び方が違う。
小さな違いだ。
しかし、用途追跡木札の試作で学んだ。
紐は重要だ。
荷は、紐で語ることがある。
「L-209について、結び直しの記録を提出してください」
クラリスは言った。
サムエルは眉を寄せる。
「それも必要ですか」
「必要です」
「ただの緩みかもしれません」
「その可能性も含めて確認します」
カレル調査官が静かに袋を出した。
「紐部分の写しを取ります。現物は商会管理のままで構いませんが、状態記録を残します」
サムエルは、抵抗しかけた。
だが、王弟府調査官の静かな視線を受けて、言葉を飲んだ。
「……どうぞ」
帰りの馬車の中で、ミレーヌはずっと黙っていた。
手元の開封確認表に、何度も目を落としている。
クラリスは声をかけた。
「疲れましたか」
「はい」
正直な返事だった。
「でも、見てよかったです」
「何を?」
「正しい布が、そこにないことを」
ミレーヌは窓の外を見た。
「積み間違いなら、見つかると思っていました。どこかに正しい布があって、ああ、間違えたんですね、で終わるのかと」
「終わりませんでしたね」
「はい」
彼女は、少しだけ唇を結んだ。
「ないものを探すのは、怖いです」
「ええ」
「でも、ないと分かったことも記録なんですね」
クラリスは頷いた。
「とても大事な記録です」
王宮筆頭実務顧問室へ戻ると、すぐに報告書が作られた。
表題。
リーヴェ商会倉庫任意確認報告――積み間違い説明の未裏付け
主な内容。
一、同日通常外套用毛織物八梱を確認。
二、八梱すべて通常外套用であり、正規施療院保温布は含まれず。
三、NVT-S-007との積み間違い説明は、現時点で裏づけられていない。
四、八梱を別置する前の同棚併置記録なし。
五、L-209に結び直し跡あり。記録提出要請。
六、同日搬入・搬出棚記録の一次回答を翌日までに求める。
七、積み間違いの可能性は否定しないが、相手未特定。
クラリスは最後に一行加えた。
正しい布は、商会倉庫にも確認できなかった。
イリスがそれを見て、静かに言った。
「重い一文でございますね」
「はい」
「でも、必要です」
「ええ」
ミレーヌは、自分の札に新しい言葉を書いた。
ないことも、記録する。
それは短い言葉だった。
だが、今日のすべてがそこにあった。
正しい布は、商会倉庫にもなかった。
積み間違いという説明は、まだ消えたわけではない。
だが、少なくとも簡単には成立しなくなった。
次は、ない布がどこへ消えたのかを探すことになる。




