第87話 積み間違いという言葉は、便利すぎる
リーヴェ商会からの回答は、翌日の昼前に届いた。
早かった。
早すぎるほどだった。
王宮筆頭実務顧問室の机に置かれた封筒には、リーヴェ商会の印が押されている。薄い緑の封蝋に、二本の針と糸巻きを組み合わせた商会章。
仕立て場との中継取引を多く扱う商会らしい印だった。
クラリスは封筒をしばらく見つめた。
開ける前から、中身の匂いが分かる気がした。
もちろん、本当に匂いがするわけではない。
ただ、王宮で何度も似た書類を見てきた。
丁寧な言葉で包まれた、便利な説明。
責任を認めず、しかし完全には否定せず、次の確認を待たせる文面。
そういう書類には、独特の重さがある。
「お嬢様」
イリスが茶を置きながら言った。
「その封筒、かなり言い訳の顔をしております」
「封筒に顔はありません」
「ございます。これは、“誠に遺憾ながら”という顔です」
オスカーが横で小さく咳をした。
笑いを隠したのだろう。
クラリスは封を切った。
書簡は、予想通り丁寧だった。
そして、予想通りだった。
このたび確認された現物不一致につきまして、弊商会としても重大に受け止めております。現時点では、同日取扱いの同種北方毛織物との積み間違いの可能性が高いものと判断しております。故意または不正な意図によるものではございません。
クラリスはそこで一度、読むのを止めた。
「積み間違い」
オスカーが言った。
「来ましたね」
「ええ」
便利な言葉だった。
積み間違い。
悪意はない。
誰にでも起こり得る。
現場の混雑、似た外装、同日同種の荷。
それらを並べれば、たしかに説明としては通る。
だが、説明として通ることと、確認が済むことは違う。
クラリスは続きを読んだ。
リーヴェ商会は、同日、北方厚織毛布地を複数扱っていた。
その中に、通常外套用の低等級布も含まれていた。
NVT-S-007に混入した布は、その通常外套用の一梱と見られる。
商会としては、正規の施療院保温布用の一梱を探し、確認でき次第差し替える用意がある。
再発防止のため、内部確認を進める。
そう書いてあった。
文面だけを見れば、反省している。
協力姿勢も示している。
だが、肝心のものがなかった。
「内部保管記録がありませんね」
オスカーが言った。
「ありません」
「差し替え記録の有無も、“確認中”」
「はい」
「同日同種毛織物の一覧は?」
「一部のみ添付」
クラリスは、添付書類を広げた。
同日に扱った毛織物の一覧。
ただし、品目名は大雑把だった。
北方厚織布類。
北方外套布。
厚手毛織物。
毛織布。
等級欄がないものもある。
端印欄も空いている。
梱包番号と商会内管理番号の対応表は、添付されていなかった。
つまり、リーヴェ商会は「積み間違いの可能性が高い」と言いながら、どの荷とどの荷が入れ替わったのかを示せていない。
「積み間違いなら」
クラリスは静かに言った。
「本来の正しい一梱が、どこかにあるはずです」
オスカーが頷く。
「はい」
「そして、誤って入った低等級布の本来の行き先もあるはずです」
「はい」
「その二つが示されなければ、積み間違いとは言えません」
イリスが小さな札を置いた。
間違いにも相手がいる
クラリスは札を見て、少しだけ眉を上げた。
「鋭いわね」
「積み間違いとは、何かと何かが入れ替わることでございますので」
「ええ。その通りです」
クラリスは白紙を取り出した。
見出しを書く。
リーヴェ商会回答に対する追加確認事項
一、NVT-S-007に入るべきだった正規施療院保温布の所在。
二、現物不一致として入っていた低等級布の本来の行き先。
三、同日同種毛織物の全梱包番号一覧。
四、商会内管理番号と用途追跡木札番号の対応表。
五、等級・端印確認者名。
六、梱包時担当者名。
七、昨日の搬出変更要求の作成者名。
八、なぜ確認欄空欄のまま搬出変更を求めたのか。
九、正規品差し替えを申し出る場合の品目・等級・端印・確認者名。
十、積み間違いと判断した根拠。
オスカーがそれを見て、少しだけ息を吐いた。
「多いですね」
「多いです」
「減らしますか」
「減らせません」
イリスが、今度は何も言わなかった。
増やす前に減らす札は出ない。
今回ばかりは、減らしてはいけないと分かっているのだろう。
その時、ミレーヌが慈善記録官室から戻ってきた。
手には、仕立て場で使う開封確認表の写しを持っている。
「お姉様、リーヴェ商会から回答が?」
「来ました」
「何と?」
「積み間違いの可能性が高い、と」
ミレーヌは一瞬、ほっとしたような顔をした。
積み間違い。
その言葉には、人を安心させる力がある。
悪意ではない。
うっかりだ。
誰も悪くないかもしれない。
だが、次の瞬間、彼女の表情が変わった。
「では、正しい布はどこにあるのでしょうか」
クラリスは、少しだけ微笑んだ。
「よい問いです」
ミレーヌは、はっとしたように口元を押さえた。
「すみません、先に」
「いいえ。本当に大事な問いです」
クラリスは追加確認事項を示した。
「積み間違いなら、正しい布の行き先と、間違って入った布の本来の行き先を示す必要があります」
ミレーヌは頷き、自分の紙に書いた。
積み間違いなら、入れ替わった相手を探す。
その字には、以前のような怯えが少なかった。
現物不一致を見た日、彼女は震えていた。
今も怖さはあるのだろう。
けれど、怖いだけでは終わっていない。
次に何を確認するかを考えられるようになっている。
「この件、王弟府へも?」
ミレーヌが尋ねる。
「共有します」
クラリスは答えた。
「特に、昨日の搬出変更要求については王弟府の保全対象です」
リーヴェ商会代理人マルティン・ケイルは、用途追跡木札確認前に荷を動かそうとした。
結果として、その荷の中から現物不一致が見つかった。
この二つを偶然として扱うには、まだ早い。
しかし、断定するにも早い。
だから、記録でつなぐ。
午後、王弟府からレオンハルトが来た。
彼はリーヴェ商会の回答を読み、しばらく黙っていた。
「積み間違い、か」
「はい」
「便利な言葉だな」
「ええ」
レオンハルトは、添付資料の薄さを見る。
「梱包番号対応表がない」
「ありません」
「本来の正規品の所在もない」
「ありません」
「差し替える用意がある、と書いてあるが、何を差し替えるのか示していない」
「はい」
「これは説明ではなく、説明の形をした保留だ」
クラリスは頷いた。
「同意します」
エリオットも同席していた。
彼は財務院側で同日毛織物の関税・減免記録を照合している。
顔色は少し悪い。
「財務院記録では、同日にリーヴェ商会扱いの通常外套用毛織物が八梱入っています」
「そのうち一梱が入れ替わった可能性?」
「あります。ただし、通常外套用八梱の搬出記録がすでに出ています」
「搬出先は?」
エリオットは少し唇を引き結んだ。
「商会倉庫。そこから先は、まだ未提出です」
「商会倉庫」
また、そこで切れている。
港湾記録から商会内部へ入った途端、足跡が薄くなる。
レオンハルトがカレル調査官へ視線を向けた。
「ギデオン・マースとの関係は」
カレルは資料を開いた。
「リーヴェ商会代理人マルティン・ケイルは、過去にギデオン・マース経由で倉庫変更申請を複数回出しています。また、昨日の搬出変更書類の筆跡は、過去のギデオン関連書類と似ています」
部屋の空気が、一段冷えた。
「筆跡鑑定は?」
「まだ簡易比較です。正式なものではありません」
クラリスはすぐに言った。
「では、筆跡類似として補助記録に留めます」
「はい」
カレルは頷いた。
「ただし、搬出変更書類の作成者名が空欄だったことは事実です」
「リーヴェ商会への追加確認に入れています」
「よい」
レオンハルトは短く言った。
ミレーヌは黙って聞いていた。
商会、仲介人、筆跡、倉庫変更。
話が複雑になっている。
以前の彼女なら、途中で理解を諦めたかもしれない。
だが今は、紙の隅に簡単な図を描いていた。
NVT-S-007。
正規布。
低等級布。
商会倉庫。
搬出変更。
ギデオン。
線を引きながら、小さく首を傾げている。
クラリスはそれに気づいた。
「ミレーヌ、何が気になりますか」
「えっと……」
ミレーヌは少し戸惑いながら、紙を見せた。
「積み間違いなら、低等級布が本来行くはずだった先に、正しい保温布が入っているかもしれないと思いました」
「ええ」
「でも、通常外套用八梱はもう商会倉庫へ出ているのですよね」
エリオットが頷く。
「はい」
「では、商会倉庫で確認すれば、正しい保温布が混ざっているか分かるのではありませんか」
部屋が静かになった。
ごく当たり前の問いだった。
けれど、重要だった。
商会が積み間違いと言うなら、商会倉庫にある通常外套用の中に、正規の保温布が混ざっているはずだ。
なければ、どこへ行ったのか。
レオンハルトが静かに言った。
「リーヴェ商会倉庫の確認が必要だな」
エリオットが表情を硬くする。
「商会内部倉庫です。任意協力を求める形になります」
「拒否された場合は?」
カレルが答える。
「現時点では強制調査には弱いです。ただし、共同調査対象の現物不一致に対する原因確認として、倉庫内の該当八梱確認を求めることはできます」
クラリスはすぐに追加照会へ一項目足した。
十一、リーヴェ商会倉庫内にある同日通常外套用八梱の現物確認協力。
ミレーヌは、少し目を見開いた。
「私の質問が」
「重要でした」
クラリスは言った。
「積み間違いの確認には、入れ替わった相手の現物確認が必要です」
ミレーヌは頬を赤くした。
しかし今回は、ただ照れているだけではない。
自分の問いが、次の手順になった。
その重さを感じている顔だった。
その日の夕方、ノルヴァルト大使館からも速報が届いた。
セルゲイ大使の署名入りである。
内容は短い。
輸出元公認商会の梱包前記録では、NVT-S-007は施療院保温布用として梱包されたとされている。
ただし、現物確認者名は旧様式のため記載なし。
同日、通常外套用布も同じ輸出商会経由で発送されている。
端印違いの布は、ノルヴァルト側の別商会品である可能性が高い。
クラリスはその一文に目を止めた。
「別商会品」
オスカーが呟く。
「つまり、単純にリーヴェ商会内での入れ替えとは限らない」
「はい。輸出元側で混ざった可能性も残ります」
「ただし、現物確認者名がない」
「ええ」
ここでまた、署名と現物確認の問題が戻ってくる。
輸出元記録は美しい署名で整っていた。
しかし、誰が現物を見たかは分からない。
その空欄が、いま現物不一致の原因確認を難しくしている。
「セルゲイ大使は?」
「追加確認に応じるとのことです。ただ、ノルヴァルト側商会にも反発が出る可能性があると」
「でしょうね」
クラリスは目を閉じた。
アルヴィア側の商会だけではない。
ノルヴァルト側の商会も絡む。
輸出元、商会、港湾、倉庫、仕立て場。
一枚の違う布が、国境の両側の帳簿を開かせようとしている。
夜に近い時間、リーヴェ商会への追加照会文が完成した。
文面は慎重だ。
しかし、逃げ道は少ない。
積み間違いの可能性を確認するため、入れ替わった相手となる梱の特定が必要です。
正規施療院保温布の所在および低等級布の本来の行き先を、記録に基づきご提示ください。
同日通常外套用八梱について、任意の現物確認協力を求めます。
搬出変更要求書の作成者名を提出してください。
クラリスは最後の文を読み、少しだけ息を吐いた。
感情は抑えた。
だが、弱くはない。
これでいい。
イリスがそっと茶を置いた。
「今日は“積み間違い”という言葉が多いですね」
「ええ」
「便利すぎる言葉でございます」
「だから、分けます」
クラリスは答えた。
「本当の積み間違い。記録不足。差し替え未記録。故意の混在。そのどれなのか」
「名前をつけるのですね」
「はい」
ミレーヌが横で、自分の札に一文を書き足していた。
積み間違いなら、正しい相手がいる。
クラリスはそれを見て、静かに頷いた。
よい札だった。
今日の仕事は、たぶんその一文に尽きる。
積み間違いという言葉は、便利すぎる。
便利だからこそ、そのまま受け取ってはいけない。
間違ったなら、何と何が入れ替わったのか。
正しいものはどこへ行ったのか。
間違って入ったものは、本来どこへ行くはずだったのか。
それを示せて初めて、積み間違いと言える。
クラリスは、追加照会文を封筒に入れた。
国際案件の箱には、新しい紙が加わる。
積み間違い確認中
その札の横に、イリスが小さく別の札を置いた。
便利な言葉ほど、相手を探す
クラリスは何も言わなかった。
それは、今日必要な札だった。




