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第162話 白館札の馬車には、声のない荷があった

白館札。


 その札は、ただの通行許可ではなかった。


 白鴎館関係。

 外客対応。

 商務評議会。

 夜間急ぎ。


 そうした言葉が、一枚の札にまとめられていた。


 門番や巡回兵は、中身を細かく確かめない。


 御者も余計なことを聞かない。


 荷運びは、言われた場所へ運ぶ。


 その札があれば、布も、紙も、人も、少しだけ見えにくくなる。


 ハーゲン補助官が消えた夜。


 巡回兵の日誌には、こう残っていた。


 夜半前、礼道より小型馬車一。灯一。御者二名か。荷あり。声なし。


 欄外。


 黒手袋、白館札。


 声なし。


 荷あり。


 その馬車にハーゲンが乗っていたのか。


 それとも、彼の持っていた「控三」だけが荷として運ばれたのか。


 そこを分けなければならなかった。


 クラリスは、顧問室の机に二つの名前を書いた。


 ラザル・メイ。

 白館札付き小型馬車。


 ミレーヌは、前日の札を見上げていた。


 約束と違う、と言った声を消してはいけない。


「ラザルさんは、ヴィクトルさんが名前を出した人ですね」


「はい」


 クラリスは頷いた。


「濃色外套、黒手袋、白館札を扱える人物として名が出ました」


「でも、まだ待ち合わせ相手かは分からない」


「ええ」


「馬車に乗っていたのがハーゲンさんかも分からない」


「その通りです」


 オスカーが、白鴎館と商務評議会の臨時荷係記録を並べた。


 ラザル・メイ。


 商務評議会の臨時荷係。

 白鴎館の夜間荷を扱うことがあった。

 黒革手袋の貸与歴あり。

 白館札を持って南門外を通過した記録あり。


 そして、失踪当日の欄に短く。


 L.M. 夜外。礼道。白札。


 ミレーヌの筆が止まる。


「礼道……」


「旧礼拝堂道の略である可能性があります」


 クラリスは言った。


「ただし、断定はしません」


 ミレーヌは頷き、慎重に書いた。


 ラザル・メイ臨時荷係記録:失踪当日“L.M. 夜外。礼道。白札”。旧礼拝堂道・白館札の可能性。


 イリスが茶を置きながら、静かに言った。


「“荷係”という肩書きは便利でございます。人を運んだ時にも、荷を運んだと言えてしまいますから」


 部屋の空気が少し冷えた。


 ミレーヌが顔を上げる。


「人を……荷として?」


「そういう意味で言ったのではありません」


 イリスは静かに首を振った。


「ただ、荷係が馬車を出した時、中に誰がいたかより、“荷あり”とだけ書かれることがございます」


 クラリスは頷いた。


「今日は、荷の中身を見ます」


 ラザル・メイは、午前のうちに呼び出された。


 四十代半ばの男だった。


 背は高くない。


 肩はしっかりしている。


 目は細く、口元には硬い皺がある。


 部屋に入ってきた時、彼は黒い手袋をしていなかった。


 しかし、手には荷綱を扱う者特有の硬さがあった。


 ヴィクトルよりも、もっと現場寄りの手だった。


 カレル調査官が尋ねる。


「ラザル・メイ。二年前の冬、商務評議会および白鴎館の臨時荷係をしていたか」


「していました」


「白館札を扱ったことは?」


「あります」


「黒革手袋は?」


「冬の夜間荷では使います」


「失踪当日、旧礼拝堂道へ行ったか」


 ラザルは、すぐには答えなかった。


 ほんの少し目を伏せた。


「行ったと思います」


「何のために」


「白館関係の荷を引き取るためです」


「誰からの指示で?」


「連絡卓です」


「K筋連絡卓か」


「そう呼ぶ者もいました」


 ミレーヌの筆が動く。


「指示内容は?」


「礼道手前で若い財務官から紙束を受ける。現物は礼拝堂で確認。白札で戻す」


 部屋の空気が止まった。


 若い財務官。


 紙束。


 現物は礼拝堂で確認。


 白札で戻す。


 クラリスは、声を変えずに尋ねた。


「若い財務官とは、ハーゲン補助官ですか」


「名前は書かれていませんでした」


「しかし、H宛ての赤茶小折紙が出ています」


「私は、その紙は届けていません」


「それは分かっています」


 クラリスは頷いた。


「あなたは、礼拝堂道手前で若い財務官と会いましたか」


 ラザルは、口を閉じた。


 それから、低く言った。


「会いました」


「何を話しましたか」


「紙を先に預かるよう言われていました」


「誰に」


「連絡卓の指示です」


「あなたは何と言いましたか」


「先に紙を、と」


 ミレーヌの筆が一瞬止まる。


 茶売りエナの証言と一致した。


 クラリスは続けた。


「彼は何と?」


「現物はどこですか、と」


「あなたは?」


「礼拝堂にある、と答えたと思います」


「彼は“それでは約束と違います”と言いましたか」


 ラザルは、少しだけ顔を歪めた。


「言いました」


 部屋の空気がさらに重くなる。


 ラザル証言:旧礼拝堂道手前で若い財務官と会い、“先に紙を”と告げた。相手は“現物はどこですか”“それでは約束と違います”と反応。


 ミレーヌは、その言葉を丁寧に書いた。


「その後、どうしましたか」


 カレルが尋ねる。


「礼拝堂へ案内しました」


「無理やりか」


「違います。彼は自分で歩いた」


「不安そうだったか」


 ラザルは答えに迷った。


「怒っていました」


「怒っていた?」


「ええ。怖がっているというより、納得していない顔でした。何度も、紙と現物を同時に見る約束だ、と言っていました」


 クラリスは、胸の奥が締めつけられるのを感じた。


 ハーゲンは、最後まで実務官だった。


 約束が違うと抗議し、紙と現物を同時に見るべきだと言っていた。


「旧礼拝堂には、誰がいましたか」


「中には入っていません」


「入っていない?」


「私は道案内と馬車の札係です。礼拝堂の手前で、別の者に引き継ぎました」


「誰に」


「名前は知りません」


「特徴は」


「黒い外套。顔は隠していた。手袋も黒。ただ、私より細い男でした」


 黒い外套。


 黒い手袋。


 細い男。


 ヴィクトルか。

 別の者か。

 それとも、また新しい影か。


「エリック・ヴォルンですか」


 ラザルは首を振った。


「違います。あの裁断師ではありません」


「ヴィクトル・レーンは?」


「違うと思います。ヴィクトルはもっと書記寄りの歩き方をする」


 書記寄りの歩き方。


 妙な表現だが、荷係らしい観察だった。


「では、誰です」


「分かりません。ただ、商務評議会の内側の者だと思います」


「なぜ」


「俺たち荷係に命じる側の立ち方でした」


 ミレーヌが記録する。


 ラザル証言:礼拝堂手前で黒外套・黒手袋・細身の男に引き継いだ。エリックではなく、ヴィクトルとも違う印象。商務評議会内側の者の立ち方。


 クラリスは尋ねた。


「その後、あなたはどうしたのですか」


「小型馬車を用意しました」


「巡回兵の日誌に、夜半前、礼道より小型馬車一、荷あり、声なし、とあります」


「私が出した馬車でしょう」


「荷とは何ですか」


 ラザルは、明らかに答えに迷った。


 沈黙。


 カレルが低く言う。


「ここが重要だ」


「……紙箱です」


「紙箱?」


「小さな箱です。書類箱か、道具箱か。布包みではない」


「人は乗っていましたか」


 ラザルはすぐ答えなかった。


 ミレーヌの筆が止まる。


 クラリスは、ただ待った。


 ラザルは低く言った。


「少なくとも、私が見た時は乗っていません」


「見た時は?」


「礼拝堂の裏で、黒外套の男が箱を積ませました。私は馬車を出しました。中に人が横になっていたかどうかまでは……見ていません」


「声なし、と巡回兵は書いています」


「声は聞いていません」


「ハーゲン補助官はどこにいましたか」


「分かりません。引き継いだ後、見ていません」


「それを不審に思わなかったのですか」


 ラザルは苦い顔をした。


「思いました」


「では、なぜ確認しなかったのですか」


「白館札が出ていました。K筋の仕事で、黒外套の男が“ここからは聞くな”と」


 また、聞くな。


 問無。


 白館分、端済、問無。


 この運用の中心には、いつも「問うな」がある。


 ミレーヌは、静かに書いた。


 ラザル証言:小型馬車には紙箱らしき荷を積んだ。人の有無は確認していない。ハーゲンは引継ぎ後見ていない。黒外套の男が“ここからは聞くな”と指示。


「その紙箱はどこへ運んだのですか」


 クラリスが尋ねる。


「南倉の仮置き場です」


「商務評議会の?」


「はい。外客用の荷をまとめる場所です」


「そこから先は?」


「知らない」


「また外客用ですか」


「そうです」


 ラザルは、もう抵抗しない声で言った。


「外客用なら、中身を聞かない。白館札なら、通す。K筋なら、急ぐ。そういう仕事でした」


 その言葉は、事件全体を簡単に言い表していた。


 中身を聞かない。

 通す。

 急ぐ。


 だから、布も人も紙も見えなくなった。


 午後、南倉の仮置き場が確認された。


 商務評議会が外客用の荷を一時的に置く場所である。


 白鴎館から近く、南門への移動にも便利だ。


 古い台帳には、失踪当日の夜半後にこうあった。


 外客箱一 白館札 K筋済 朝便へ


 外客箱一。


 白館札。


 K筋済。


 朝便へ。


 箱の中身は書かれていない。


 ミレーヌが顔を青くした。


「控三でしょうか」


「可能性があります」


 クラリスは言った。


「ただし、箱一つが控三だけとは限りません。ハーゲン本人の可能性も、まだ完全には消せません」


 「人」を箱と書くか。


 考えたくない。


 だが、考えないわけにはいかない。


 カレルは、南倉の元管理人を呼んだ。


 彼は高齢で、記憶は曖昧だったが、白館札の箱は少し覚えていた。


「小さい箱でした。人が入るような大きさではありません」


 その言葉に、ミレーヌの肩がわずかに下がる。


 しかし、安心するには早い。


「どれくらいの大きさですか」


「書類箱より少し大きい程度。片手では重いが、二人なら軽い」


「声は?」


「ありません。箱ですから」


「中身は?」


「開けていません」


「朝便とは?」


「外客荷の朝便です。港へ出して、そこから商務便に載せる」


「行き先は?」


 管理人は首を振った。


「台帳にあれば」


 台帳の次の欄には、行き先がなかった。


 ただ、短く。


 西海筋


 西海。


 西海交易団。


 もう一梱が私物扱いで出た先でもある。


 クラリスは、線がまた西海へ向かうのを見た。


 南倉台帳:外客箱一、白館札、K筋済、朝便へ。次欄に“西海筋”。中身不明。元管理人は人が入る大きさではなく書類箱より大きい程度と証言。


 これで、少なくとも夜半前の小型馬車にハーゲン本人が箱詰めされた可能性は低くなった。


 しかし、控三を含む紙包みが箱に入れられ、西海筋へ送られた可能性は高まった。


 では、ハーゲン本人は?


 礼拝堂手前で黒外套の男に引き継がれた後、どこへ行ったのか。


 夕方、ラザルへの追加確認が行われた。


「あなたが最後にハーゲン補助官を見た場所は?」


「旧礼拝堂道の途中です」


「礼拝堂の中ではない」


「手前の木立のところです。黒外套の男が来て、そこから先は自分が案内すると」


「ハーゲン補助官は抵抗しましたか」


「抵抗はしていません。ただ、“現物と紙は同時だ”と何度も言っていました」


「鞄は持っていましたか」


「はい」


「その鞄は、黒外套の男に渡しましたか」


「見ていません」


「小型馬車の紙箱は、その鞄でしたか」


 ラザルは首を振った。


「違います。箱は別に用意されていました」


「どこで」


「礼拝堂裏の小屋です」


 ミレーヌが書く。


 ラザル証言:紙箱はハーゲンの小型鞄ではなく、礼拝堂裏の小屋に別途用意されていた。


 つまり、控三はハーゲンの鞄から出され、別の箱へ移された可能性がある。


 ハーゲン本人は、その場に残されたか、別方向へ連れて行かれたか。


 まだ分からない。


 夜、顧問室で報告書がまとめられた。


 表題。


 ラザル・メイ聴取および白館札付き小型馬車確認報告


 主な内容。


 一、ラザル・メイ臨時荷係記録に「L.M. 夜外。礼道。白札」。

 二、ラザルは、失踪当日、旧礼拝堂道手前で若い財務官風の人物と会ったことを認める。

 三、ラザルは「先に紙を」と告げ、相手は「現物はどこですか」「それでは約束と違います」と反応したと証言。茶売りエナ証言と整合。

 四、ラザルは相手を旧礼拝堂道へ案内したが、礼拝堂手前で黒外套・黒手袋・細身の男へ引き継いだと証言。

 五、当該黒外套男はエリック・ヴィクトルとは違う印象で、商務評議会内側の者の立ち方だったと証言。

 六、ラザルはその後、小型馬車を用意。礼拝堂裏で黒外套男が紙箱を積ませたと証言。

 七、巡回兵日誌の「夜半前、礼道より小型馬車一。荷あり。声なし。黒手袋、白館札」はラザルの馬車である可能性。

 八、南倉台帳に「外客箱一 白館札 K筋済 朝便へ」。次欄に「西海筋」。

 九、元管理人証言では、外客箱一は人が入る大きさではなく、書類箱より大きい程度。

 十、ラザル証言では、紙箱はハーゲンの小型鞄ではなく、礼拝堂裏の小屋に別途用意されていた。

 十一、以上より、小型馬車で運ばれたのはハーゲン本人ではなく、控三を含む可能性がある紙箱であった可能性が高まる。

 十二、ハーゲン本人は黒外套男に引き継がれた後、足取り不明。黒外套男および西海筋外客箱の追跡が必要。


 クラリスは最後に一文を書いた。


 白館札の馬車に積まれたのは、声のない人ではなく、声を奪われた紙だった可能性が高い。だが、ハーゲン本人はその場で別の影に引き渡されていた。


 ミレーヌは、壁の前で筆を取った。


 少し迷い、こう書いた。


 紙だけが運ばれたなら、紙を持っていた人はどこへ行ったのか。


 イリスが、それを貼った。


 国際案件の箱に、報告書が入る。


 ハーゲンの控三は、西海筋へ流れた可能性が出た。


 そして、本人は黒外套の男に引き継がれた。


 待ち合わせ相手だったラザルは、最後の相手ではなかった。


 次に追うべきは、黒外套の男。


 灰色ではない。


 黒。


 商務評議会の内側の者の立ち方をした、細身の男。


 ケインの周囲で、命令を書かず、人を動かし、紙を外へ流す者。


 K筋は、まだ奥に人を隠していた。

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