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第146話 客人の荷になった布は、王宮の外へ出た

残りは、二梱だった。


 C-3正温八梱。


 三梱は返却された。

 二梱は白鴎館北翼の常備布になっていた。

 一梱は補修場で膝掛け二つに裁ち直され、商務評議会控室へ入った。


 そして、二梱。


 白鴎館の片づけ日誌には、こう残っていた。


 北翼二室、上等保温布各一、客人荷へ。返却予定と聞く。洗濯場、未回収。


 客人荷へ。


 その一語が、厄介だった。


 王宮の中の布なら、まだ追える。


 白鴎館。

 施設局。

 補修場。

 商務評議会。


 名前を変えられても、王宮のどこかに台帳がある。


 しかし、客人の荷に入ったなら、布は王宮の外へ出る。


 商人の馬車。

 外国商務使節の随行荷。

 宿泊者の私物。

 帰路の荷札。


 そこから先は、王宮の紙だけでは追いきれない。


 クラリスは、顧問室の机に白鴎館の宿泊名簿を広げた。


 二年前の冬。


 北翼二室。


 上等保温布が客人荷へ入ったとされる二部屋。


 部屋番号は、北翼三号室と北翼五号室。


 宿泊者名は、どちらも個人名ではなく団体名で書かれていた。


 北翼三号室 リンド商会随員二名。

 北翼五号室 西海交易団補佐一名・通訳一名。


 ミレーヌは、少し眉を寄せた。


「個人名ではないのですね」


「はい」


 クラリスは頷いた。


「これもよくありません。部屋を使った人ではなく、団体名だけが残っています」


「責任がぼやけます」


「ええ」


 オスカーが、白紙に見出しを書いた。


 客人荷へ持ち出し二梱確認


 イリスが茶を置きながら、静かに言った。


「旅の荷に入ると、布は旅人の顔をしますからね」


「旅人の顔?」


「はい。誰も、元はどこの棚にいた布かなど見なくなります」


 ミレーヌは、その言葉を手帳に書いた。


 旅の荷に入ると、元の棚が見えなくなる。


 クラリスは頷いた。


「今日は、その元の棚を追います」


 最初に確認したのは、白鴎館の荷運び控えだった。


 客人が退去する際、王宮の荷運び係がどの荷を馬車へ積んだかを簡単に記録するものだ。


 北翼三号室。


 リンド商会随員荷。衣箱二、書類箱一、寝具包一。館布貸与分、後返と聞く。


 北翼五号室。


 西海交易団補佐荷。旅箱三、翻訳箱一、毛布包一。K紹介客につき急ぎ。


 ミレーヌの筆が止まった。


「K紹介客……」


「はい」


 クラリスは静かに言った。


「北翼五号室は、ケイン元参事補佐の紹介客だった可能性があります」


 オスカーが記録する。


 北翼五号室荷運び控えに“K紹介客につき急ぎ”。Kはケイン元参事補佐の可能性。要確認。


 北翼三号室には、Kの文字はない。


 だが、「館布貸与分、後返と聞く」とある。


 後返。


 つまり、後で返すと聞いた。


 誰から聞いたのかは書かれていない。


 また、声だけの処理だった。


 ミレーヌが小さく言った。


「どちらも、返すつもりはあったように見えるのに、返っていない」


「はい」


「借りたつもり、の続きですね」


「そうです」


 クラリスは白紙に書いた。


 後返未了


 定義。


 貸与・借用・一時持ち出しの際、後で返すと口頭または簡易記録で扱われたものの、返却期限・返却責任者・確認欄がなく、実際には未回収となる状態。


 ミレーヌは、自分の手帳に書いた。


 後で返す、は、返した記録ではない。


 昼前、白鴎館の元荷運び係が呼ばれた。


 名はダリオ。


 当時は若い下働きで、今は施設局の荷運び長になっている。


 大柄な男だが、話し方は慎重だった。


 荷運び控えを見せると、彼は少し顔をしかめた。


「この字、私です」


「覚えていますか」


 カレルが尋ねる。


「北翼五号室は、少し覚えています。急がされましたので」


「誰に?」


「白鴎館の上役と、商務評議会の使いです」


「K紹介客という言葉は、誰から?」


「商務評議会の使いです。“K顧問の紹介客だから、出立を待たせるな”と」


 ケインは当時、まだ参事補佐だった。


 しかし、荷運び控えには後年の書き換えではなく、当時のK紹介客という表現が残っている。


 顧問ではなく、K。


 強い名前だったのだろう。


「毛布包一とは?」


 クラリスが尋ねると、ダリオは答えた。


「客人が“道中寒いから借りていく”と。白鴎館の係が、後で返すなら構わない、と」


「誰が許可しましたか」


「はっきりは。私は荷を運ぶだけでした」


「保温布が王宮慈善のものだと知っていましたか」


「知りません。客室用だと思っていました」


「北翼三号室は?」


 ダリオは少し考えた。


「リンド商会の随員は、寝具包を持っていきました。あちらは“港の仮宿で使う。帰港時に返す”と聞きました」


「返却された記録は?」


「私は見ていません」


 ダリオは申し訳なさそうに目を伏せた。


 クラリスは、静かに言った。


「あなたが荷を運んだことと、返却確認がなかったことは別です。分けて記録します」


 ダリオは、少しだけほっとした顔をした。


 午後、商務評議会の紹介状控えが確認された。


 北翼五号室に泊まっていた西海交易団補佐。


 その紹介状には、ケインの署名はない。


 ただし、右下に小さく。


 K経由 白館泊可


 ヘレナが確認した。


「このKは、ケイン元参事補佐の筆跡に似ています。ただし、紹介状本文は別人の筆跡です。K経由のKだけが本人略記の可能性があります」


 また、本人が全文を書かず、端に略記だけを残す。


 ミレーヌは、もう驚かなくなっていた。


 ただ、静かに書いた。


 紹介状控え:西海交易団補佐、K経由、白館泊可。Kのみケイン筆跡可能性。


 クラリスは、リンド商会側の記録も確認した。


 リンド商会は王都に支店を持つ港湾商会で、ギデオン・マースと過去に取引があった。


 ただし、北翼三号室の随員二名とギデオンの直接関係はまだ不明。


 リンド商会の宿泊控えには、こうあった。


 白館より寝具借。港仮宿へ。返却はG席へ。


 部屋の空気が変わった。


「返却はG席へ……」


 ミレーヌが繰り返す。


 G席。


 また、ギデオンの名を借りた場所。


 返却先が白鴎館ではなく、G席になっている。


 これでは、白鴎館にも施設局にも戻らない。


 王宮慈善物資だった布が、商会の港仮宿を経由し、G席へ返すことになっている。


 つまり、王宮の返却経路から外れている。


 クラリスは白紙に書いた。


 返却先ずれ


 定義。


 貸与元・管理元へ返すべき物資について、返却先が別の連絡席・仲介経路・第三者へ指定され、元の台帳で未回収となる状態。物資の所在と責任が分断される。


 オスカーが低く言った。


「これで、リンド商会側の一梱はG席へ戻った可能性があります」


「はい」


 クラリスは答えた。


「戻ったとしても、王宮へは戻っていません」


 ミレーヌは手帳に書く。


 返したつもりでも、返す場所が違えば戻っていない。


 西海交易団補佐の毛布包一については、さらに別の記録が出た。


 出立馬車の控え。


 毛布包一、客人私物扱。寒地道中用。


 客人私物扱。


 これで、布は完全に王宮の管理から離れる。


 白鴎館の布ではなく、客人の私物になっている。


 誰がそう扱ったのか。


 馬車控えの右端に、小さな印がある。


 K許


 K許可。


 ミレーヌは、唇を噛んだ。


「ケインさんが許可した、という意味でしょうか」


「可能性があります」


 クラリスは答えた。


「ただし、K許はケイン本人の許可か、K経由客としての許可か、確認が必要です」


 ヘレナが印を見た。


「Kは略記に近いですが、許の字は馬車係の筆跡に見えます。つまり、“Kが許可した”と馬車係が書いた可能性があります」


 クラリスは頷く。


「本人筆ではなく、許可を受けた側の記録ですね」


 オスカーが記録する。


 西海交易団補佐の毛布包一は出立馬車控えで客人私物扱。右端に“K許”。K本人筆ではなく馬車係筆の可能性。K許可またはK経由許可の意味か要確認。


 これで、客人荷へ消えた二梱は、別々の道へ分かれた。


 一梱は、リンド商会の港仮宿へ行き、返却はG席へとされた。


 もう一梱は、西海交易団補佐の客人私物扱いになり、K許で王宮の外へ出た。


 どちらも、白鴎館へ戻っていない。


 どちらも、南施療院へ戻っていない。


 どちらも、慈善物資としての名前を失っている。


 夕方、ケイン元参事補佐への確認が行われた。


 彼は、前回よりもさらに表情が硬かった。


 紹介状控えを見せると、こう言った。


「西海交易団補佐は、確かに私の紹介かもしれません」


「K経由、白館泊可」


「商務評議会の通常紹介です」


「出立時、毛布包一が客人私物扱いになっています」


「寒地道中なら、貸与したのでは」


「貸与ではなく、私物扱いです」


 ケインは黙った。


「K許とあります」


「私が直接書いたものではありません」


「承知しています。許可した記憶は?」


「ありません」


「可能性は?」


 ケインは、少しだけ視線を落とした。


「客人が寒地へ向かうなら、道中用の布を持たせる許可をした可能性はあります」


「それが王宮慈善保温布由来である可能性を知っていましたか」


「知りません」


「知ろうとしましたか」


 ケインは答えない。


 その沈黙は、もう何度目かだった。


 クラリスは次に、リンド商会側の記録を出した。


 白館より寝具借。港仮宿へ。返却はG席へ。


「リンド商会とG席の関係に覚えは?」


「港湾商会の多くは、そうした連絡席を持っていました」


「G席は、王宮物資の返却先として適切ですか」


「本来は違うでしょう」


「では、なぜ白鴎館から借りた寝具の返却先がG席に?」


「商会側の誤認では」


「あなたの関与は?」


「ありません」


 否定は早かった。


 クラリスは、そこを記録した。


 早い否定には、理由がある。


 K許の方は可能性を認めた。


 G席返却の方は即否定。


 つまり、ケインはG席との直接接続を嫌がっている。


 カレルも同じことに気づいたようだった。


 静かに尋ねる。


「あなたは、G札の使用を許容した可能性は認めました。だが、G席への返却は否定する」


「別物です」


「どう違いますか」


「G札は急送手配。G席は港湾商会側の連絡場所。私は、商会の返却先まで管理しません」


「しかし、G札もG席も、旧G便の経路です」


「そう呼ぶ者がいるだけでしょう」


「便利な時はG札を許し、不都合な時はG席を知らないとするのですか」


 グレゴール参事官の声だった。


 ケインは、グレゴールを見た。


「君は、ずいぶん言葉が荒くなった」


「あなたよりは、分かりやすいでしょう」


 部屋の空気が張り詰める。


 クラリスは、二人の応酬を長引かせなかった。


「この点は継続確認します」


 ケインは頷いた。


「そうしてください」


 夜、報告書がまとめられた。


 表題。


 客人荷持ち出し二梱および王宮外流出経路確認報告


 主な内容。


 一、白鴎館片づけ日誌にある「客人荷へ」二梱について、北翼三号室・五号室を確認。

 二、北翼三号室はリンド商会随員。荷運び控えに「寝具包一。館布貸与分、後返と聞く」。

 三、リンド商会宿泊控えに「白館より寝具借。港仮宿へ。返却はG席へ」。返却先が白鴎館・施設局ではなくG席へずれている。

 四、北翼五号室は西海交易団補佐等。荷運び控えに「毛布包一。K紹介客につき急ぎ」。

 五、紹介状控えに「K経由 白館泊可」。Kはケイン筆跡の可能性。

 六、出立馬車控えに「毛布包一、客人私物扱。寒地道中用。」右端に「K許」。K許可またはK経由許可の可能性。

 七、ケイン元参事補佐は、西海交易団補佐が自身の紹介である可能性を認め、道中用布の持ち出し許可をした可能性を否定せず。ただし慈善物資由来とは知らないと主張。

 八、リンド商会側のG席返却について、ケインは関与を否定。

 九、客人荷二梱のうち、一梱はG席経由へ、もう一梱は客人私物扱いで王宮外へ出た可能性。

 十、両件とも白鴎館・施設局・南施療院へ返却された記録は未確認。

 十一、リンド商会、G席、当時の港仮宿、西海交易団の帰路荷記録を追跡する必要。


 クラリスは最後に一文を書いた。


 客人の荷になった二梱は、一つはG席へ、もう一つは私物扱いへ流れ、どちらも王宮の返却台帳へ戻ってこなかった。


 ミレーヌは、壁の前で少し考えた。


 そして、札に書いた。


 返す場所を変えれば、返したことにはならない。


 イリスが、それを貼った。


 国際案件の箱に、報告書が入る。


 これで、C-3正温八梱の行方は、ほぼ全て見えた。


 三梱は返却された。

 二梱は白鴎館北翼へ残った。

 一梱は商務評議会の膝掛けになった。

 一梱はG席へ向かった。

 一梱は客人私物として外へ出た。


 そして、南施療院には一梱も戻らなかった。


 借りた布は、名前を変え、場所を変え、返す先を変えられた。


 次に追うべきは、G席へ向かった一梱。


 そこには、ギデオンの名を借りた道の、もう一つの出口が残っているはずだった。

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